5分で学ぶマックス・ウェーバー|資本主義、キリスト教、そして官僚制|元教員が解説

更新:2024.9.11

「PDCAサイクル」「時間管理術」「ライフハック」など、書籍やネット上では、魅力的に感じる生活スキルがたくさん紹介されています。 「人生を豊かにするために、効率的(合理的)な生活をしよう!」 現代社会の私達からすると、当たり前に感じるメッセージになりますが、少し立ち止まって考えてみます。 「なぜ私たちは“合理的”に生きなくてはならないのか?」 「“効率性”は本当に人々を幸福にするのだろうか?」 こうした問いを立ててみると、少し腕組みをして考え込んでしまうのでは? そもそもですが、なぜ「合理性(効率性)」は重要なのでしょうか。 このような問題意識を持ち「合理性」を考えた哲学者が、マックス・ウェーバーです。 ウェーバーが活躍した時代のヨーロッパは「帝国主義」の全盛期になり、のちに「第一次世界大戦」という悲劇が引き起こされます。 当時の学者たちは「なぜ帝国主義や第一次世界大戦はヨーロッパから生み出されたのか?」と考え、その根本的原因をヨーロッパ文明に求めました。 そしてウェーバーが出した結論が、ヨーロッパ文明特有の「合理性」だったのです。

ブックカルテ リンク

「合理性」はキリスト教からもたらされた!?

本記事ではウェーバーの主著である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を参考にしながら、彼の理論を詳しく見ていきます。

ウェーバーの結論は以下の通りです。

・近代社会の特徴は「合理化」であり、この「合理的精神」が資本主義の誕生を促した。

・そして「合理的精神」は、なぜヨーロッパで生まれたのか? その理由はキリスト教(プロテスタント)にある。

それではウェーバーの主張を深く理解するため、まずは中世から近代の歴史を確認していきましょう。

近代とは何か?

世界史では「古代・中世・近代」という時代区分がメインになっています。では「近代」を特徴付けるものは何でしょうか? ここではウェーバーの主張に従って「合理化」という側面から考えてみます。

「合理化」とは世界における不条理な部分を排除し、論理的な言葉で説明する試みです。その論理性の中から、普遍的な理論や方法論を模索していくことになります。ウェーバーは「脱魔術化」という表現を使いました。

「5分で分かるデカルト」でも解説しましたが、数学的自然科学もその一例です。世界(自然)のすべてを“数字”で説明する営みは、ヨーロッパでのみ発展した学問になります。

14世紀から始まるルネサンス時代、ガリレオ・ガリレイは「自然という書物は、数学的記号で書かれている」と考えました。ガリレオの目的は、世界で起きるすべての自然現象を数字に変換することです。世界(自然)のすべてを数字に置き換えることが、世界の真理、そして神に接近するための営みである。このようにガリレオは考え、数字によって世界を“合理的”に読み解く方法を考えたのです。

※デカルトに関しては「5分で分かるデカルト」でも解説していますので、より理解を深めたい方はぜひお読みください。

5分で分かるデカルトの哲学|理性の光を追求した「方法序説」|元教員がわかりやすく解説

5分で分かるデカルトの哲学|理性の光を追求した「方法序説」|元教員がわかりやすく解説

現代社会は“数字”によって動いています。現代人は数字から逃れることができません。 私達のあらゆる「価値」は全て数字に変換されます。学校での評価は数字ですし、会社では数字(利益)を上げることに血眼になっています。「数字」が悪ければ“数字のため”に、人間はリストラの対象に…。見方を変えると、私達は「数字の奴隷になっている」という解釈もできます。 数字は人間の目には見えないものです。肉眼で確認できない数字があたかも世界の真理であると、私達はどこかで信じ切っています。 しかし数字は、人間や世界をどこまで正確に映し出すのでしょうか? 「数字が世界の真理を導き出す」という考え方を確立したのはデカルトです。 デカルトの人生は、まさに数学と共にありました。 今回はデカルトの思想を見ていきたいと思います。 デカルトの生きた時代背景を振り返りつつ、数学にエネルギーを注ぎ続けたデカルトの哲学を紹介します。

中世から近代へ移行するきっかけとは?

では「中世」から「近代」へと移行する“原動力”は何だったのでしょうか?

ウェーバーはキリスト教のプロテスタント、なかでも「カルヴァン派」にその答えを求めます。カルヴァン派の考えには「合理化」を促す、ある説が含まれているからです。

ウェーバーの主張を深く理解するために、プロテスタントが誕生する歴史を簡単に見ていきましょう。

キリスト教には大きく分けて、2つの宗派があります。「カトリック」と「プロテスタント」です。

中世ヨーロッパにおいて、キリスト教を独占していたのはカトリック教会でした。教会のトップは「ローマ教皇」になります。そしてプロテスタントは、カトリックを批判することで誕生したのです。

あえて無知のままにするカトリック

カトリックの戦略は「知識の独占」です。キリスト教の経典である『聖書』はラテン語で書かれており、一般人には読むことはできません。カトリックの教会は、あえて聖書を読ませない戦略を採ります。

聖書に書かれてない内容でも、教会の人間から「聖書にはこうあるから…」と言われれば、聖書が読めない一般人は信じるしかありません。教会は「無知」を利用して、やりたい放題だったのです。

その具体例が、教科書にも書かれている「免罪符(贖宥状)」の販売。教会が販売する免罪符を高額で購入すれば、自分自身が犯した罪を帳消しにできる、という魔法のお札です。この免罪符の販売によって、カトリック教会は莫大な利益を上げ、イタリアのサン・ピエトロ大聖堂の修繕費などにあてられました。

カトリック批判の先駆者

もちろんカトリックを批判する人物も登場します。14世紀に活躍したイギリスのウィクリフやチェコのヤン・フスなどが有名です。カトリック教会の行為は「聖書の教えに反していること」を主張しました。

しかしカトリック教会は絶対的な権力を用いて、2人を徹底的に排除しようとします。フスは異端とされ火刑に処され、ウィクリフは墓から引きずり出されて、遺体を火あぶりにされました。

そしてウィクリフやフスによって始まるカトリック批判は、マルティン・ルターによる「宗教改革」によって花開くことになります。

「宗教改革」が成功した理由

マルティ・ルターの批判内容は、過去の2人と変わりません。「カトリック教会には頼らず、聖書と直接向き合おう」。ルターはこう主張しました。

「どうせまた、カトリックによって弾圧されてしまうのでは?」と思いますが、ルターの宗教改革は成功します。その理由は、ある道具の存在がありました。

その道具は「印刷機」です。

一般の人でも聖書が読めるように、ルターは聖書をドイツ語に翻訳します。ドイツ語に訳された聖書は、当時の「活版印刷機」によって大量に印刷され、広く庶民に行き渡ります。聖書の内容を知った人々は、カトリック教会の杜撰さを知り、抗議運動を展開することになるのです。

こうした歴史的背景によって「プロテスタント」が誕生するのです。プロテスタントは「Protest(抗議する)」から来ています。つまり「(カトリックに)抗議する人々」という意味になります。

プロテスタントの教義

カトリック教会を批判することから始まったプロテスタント。ここからは、資本主義の誕生を促したプロテスタントの教義を具体的に見ていきましょう。

プロテスタントには、大きく分けて2つの教義があります。「ルター派」と「カルヴァン派」です。その中でも「カルヴァン派が資本主義と密接な関係にある」と、ウェーバーは主張します。

プロテスタントとは?

プロテスタントはローマ教会を介在せず、聖書と向き合います。つまり神と直接対峙することになるのです。プロテスタントを信じる個人は、神の前に晒され、神によって生活の隅々まで監視されます。24時間、神のために正しい生活を送らなければなりません。

カトリックの場合、教会への寄付が神に救われるための実践になります。そのため「日常生活をどう過ごせばいいのか?」という明確な教えはなく、欲望の赴くままに生きる自堕落な生活になってしまう傾向にありました。

しかしプロテスタントは「日常生活」そのものが、神に救われる実践の場になるのです。プロテスタントの場合、欲望を抑えて規律正しい、自律した生活を送ることが、正しい生き方になります。ウェーバーは、こうした生き方を「世俗内的禁欲」と呼びます。

ルター派とカルヴァン派の違い

ここからルター派は「世俗内的禁欲」を実践すれば、誰もが神に救われると説明します。

神から与えられた職業(天職)を全うする。この場合に用いられる「職業」は、ドイツ語では「Beruf(ベルーフ)」、英語では「Calling(コーリング)」を意味します。まさに職業は「神に呼ばれたもの」つまり「天職」になります。天職を真面目にこなすことこそが、神に救われるための実践になるのです。勤勉に労働することに価値があります。

カルヴァン派は、ルター派と対照的です。より厳格に神の絶対性を説きます。

カルヴァン派の有名な理論として「予定説」があります。「神によって人生は最初から決定されている」という考え方です。つまり人間には神の崇高な意図は理解できないため「誰もが神に救われるわけではない」というのです。

自分だけが救われるには?

しかし「自分だけは救われたい」という「救いの確証」を求めてしまうのが、人間の悲しい本性です。

では「救いの確証」を得るには、どうすればいいのでしょうか?

この場合、寄付をしたりして自分だけが満足するだけでは意味がありません。他人からも認められる、分かりやすい客観的な基準が求められます。

その基準は数字、つまりは「お金(貨幣)」なのです。

ルター派とカルヴァン派のどちらも「世俗内的禁欲」を説き、労働を重視する部分は共通しています。

ルター派は労働すること、それ自体に価値を置きます。しかしカルヴァン派は、労働の“成果(結果)”に着目します。労働による成果として、お金を蓄財する(貯める)ことが美徳とされるのです。

欧米のお金持ちは、自分の卒業した学校に多額の寄付をします。その背景には、まさに「予定説」に基づく規範が存在します。「お金を自分のためではなく、広く社会のために使うことが“救いの確証”に繋がる」という考えがあるからです。

ヨーロッパで経済に強い国、弱い国

「予定説」は人間の時間意識も変化させます。「予定説」は「自分の将来(未来)は決まっている」と説くため「今(現在)よりも、未来を先取りして行動する」という行動規範を生み出します。未来を強く意識することで、現在の地点から未来に向けて合理的に計画する精神が育成されるのです。

この時間意識は個人の生活にも作用しています。例えば、将来のリスクに備えて生命保険に加入するのは“未来”を意識した行動です。また企業においても「未来に対する利益のために、現在手元にあるお金(資本)を使う」という、資本主義では当たり前である「投資」の考え方に繋がります。

そのためプロテスタント(特にカルヴァン派)を採用する国では、自分の労働を数値化でき、計算可能な活動が重視されるようになります。その結果としてお金(貨幣)にまつわる仕事の重要性が高まり、経済も強くなります。現在のヨーロッパでも、イギリスやドイツ、オランダなどプロテスタントの国は「経済の優等生」と呼ばれています。その一方でスペインやイタリアなど、カトリックの国は厳しい経済状態です。

まとめ 合理化の行き着く先は?

ウェーバーの結論をまとめてみます。

・プロテスタントが説く「世俗内的禁欲」によって労働の重要性が説かれ、また同時に「合理的精神」が形成される。

・この「合理的精神」が近代社会の特徴である。

・さらにカルヴァン派の「予定説」が、数字(貨幣)偏重主義を醸成させ、結果として資本主義が生まれる土台を作った

合理化は人々を幸せにするのか?

キリスト教によって生み出された「合理化」について、ウェーバーはどのように考えたのでしょうか。ウェーバーの結論は以下の通りです。

合理化が進むと、むしろ人間は「合理化」に取り込まれてしまい、まるで機械の歯車のようになってしまう。

マルクスの言葉でいうと「疎外」のような状態です。ウェーバーは「人間は鉄の檻に入れられている」とも表現しています。

その具体例として、ウェーバーが指摘するのが「官僚制」です。市役所だけではなく企業や学校など、あらゆる組織で採用されているシステムになります。

そもそも組織が存在する理由は、人々の役に立つことが第一の目的としてあるはずです。しかし官僚制に基づく合理化は組織の硬直化を招き、新しい時代の変化に対して柔軟な対応ができなくなります。その結果として組織は、本来の目的を見失い、組織の維持が目的になってしまう…。「手段」と「目的」が“逆転”するのです。

官僚制とは?

官僚制の特徴は、業務の全てを「ドキュメント化」することです。全ての書類や情報を保管し、何かあれば、すぐに取り出せるようにしています。学校では過去に卒業した生徒の名前、成績などは全て保管され、市役所でも個人の納税や年金記録など、情報が一元的に管理されています。

ドキュメントを保管するのは、今後予期できない新しい事態に直面した場合に備える目的があります。過去の記録から同じような事例を探し出し、不測の事態に対応できるようにするためです。また同時に大多数の個人情報を扱うため、効率的に情報を管理する必要があります。そのため官僚制ではドキュメント化が重要になるのです。

ところが官僚制が進んでいくと、逆の現象が起きることになります。「過去の慣例」に捉われて裁量の余地がなくなった結果、人間が判断する場面が失われてしまうのです。適切なタイミングで決断をし、責任を果たすことがリーダーが存在する本来の役割になります。しかし従来の慣行や手続きを踏襲することに終始してしまい、リーダーは決断すらできなくなってしまうのです。

つまり官僚制は指導者のリーダーシップを封じ込めてしまうため、結果として近代国家は時代の変化に対応できなくなってしまうのです。

「新型感染症」という不測の事態に現代世界は直面しましたが、ほとんどの政府は有効な対策を打てず、機能不全に陥りました。その結果として、救えるべき多くの命が失われてしまうことになりました。この原因は「過去の慣例に捉われることで決断ができず、誰もが責任を取りたがらない」という、まさに官僚制によるものです。政治家個人に責任があるというよりも、官僚制という合理的システムに、人間が支配されてしまった結果になります。

人間は「合理性」という「鉄の檻に入れられている」のです。

資本主義は普遍的ではない

以上、ウェーバーの主張を見てきました。

資本主義を生み出した「合理的精神」は、そもそもヨーロッパのキリスト教を背景として生み出されました。全くゼロから発想されたわけではないのです。

そういった歴史的背景を無視して、資本主義を普遍的な概念として、無条件に受け入れてしまう姿勢は改める必要があります。厳しい状態が続く日本経済ですが、その原因として「欧米のスタンダードに追い付いておらず、本来の資本主義を実践していないからだ」という論調を多く見かけます。

しかし本記事で確認してきたように、日本には独自の歴史、文化があります。日本人の気質にあった資本主義にアレンジしていく方法を模索することが、自然であり現実的です。

困難な時代だからこそ、耳障りのよく場当たり的な方法論に飛び付くのではなく、冷静かつ客観的な視野から分析できる、粘り強い思考を身に付ける必要があります。こうした「しなやかな思考」を手にいれる方法が「古典」を読むことではないでしょうか。

(参考文献)

マックス・ウェーバー(1989)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳)岩波書店

著者
["マックス ヴェーバー", "久雄, 大塚"]
出版日

佐伯 啓思(2014)『西欧近代を問い直す–人間は進歩してきたのか』PHP研究所

著者
佐伯 啓思
出版日

書籍紹介

ベネディクト・アンダーソン(2007)『想像の共同体』(白石隆・白石さや訳)書籍工房早山

著者
ベネディクト・アンダーソン
出版日
2007-07-31

マルティン・ルターの宗教改革が成功した背景には、印刷機という「道具」がありました。道具が歴史に与える役割を見抜いたのが、本書の著者であるベネディクト・アンダーソン先生です。「近代以降の国家が道具に導かれて、どのように形成されていったのか?」。少し難しい内容になりますが、近代以降の歴史を詳細に知ることができます。

マックス・ウェーバー(1980)『職業としての学問』(尾高邦雄訳)岩波書店

著者
["マックス ウェーバー", "Weber,Max", "邦雄, 尾高"]
出版日

1919年に行われた講演をまとめたものになります。100ページ程度の薄い本で、話し言葉になるため、そこまで難しくありません。ウェーバー先生は学生に向けて「学問の限界」を主張し、希望を抱いた学生をある意味で失望させます。しかしながら、ウェーバー先生は「漠然と希望を抱くよりも足元(現実)をしっかりと見つめ、自分の仕事に邁進すべきだ」と、現実的なアドバイスをします。現代社会の私たちにもずっしりと心に響く内容です。

仲正昌樹(2014)『マックス・ウェーバーを読む』講談社

著者
仲正 昌樹
出版日

ヨーロッパ思想を分かりやすく解説することに定評のある仲正昌樹先生。現代の日本が抱える諸問題と、ウェーバーの理論を関連させて説明してくれます。そのため難しい概念も具体的な場面に落とし込めるので、すっと頭に入ってきます。ウェーバーを分かりやすく説明した入門書は、あまりないため貴重な一冊になります。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る