少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。2022年最後となる12月号は星海社から2022年11月4日に刊行された『斜陽の国のルスダン』をお届けします。ラジオドラマに宝塚での公演とバリエーションのある本作。原作ならではの魅力を語っていただきました。
「嵯峨景子の今月の一冊」も2022年最後の回となりました。みなさんにとって、2022年はどんな年だったのでしょうか。私は父の死というプライベートでの大きな出来事があり、それなりに波乱に満ちた一年でした。とはいえ、つらいことばかりだったわけではなく、日々を楽しみ、充実した毎日を過ごすことができたと思います。そして嬉しい時も悲しい時も、いつも手元には本があり、さまざまな局面で書物に心を救われていることを実感した年でもありました。来年もさまざまな形で本を紹介し、その魅力を伝えていけたらと願っています。
今月ご紹介する本は、並木陽の『斜陽の国のルスダン』(星海社)という、13世紀のジョージアを舞台にした歴史ロマンス小説です。主人公は、ヨーロッパの東の果てにあるキリスト教国・ジョージアの女王ルスダン。モンゴルの侵略など数々の受難に見舞われ、亡国の危機に瀕する国の命運を担った女性と、彼女の夫でイスラム教国ルーム・セルジュークの王子ディミトリとの切ない愛、そして動乱のジョージア史が描かれています。
- 著者
- ["並木 陽", "トマトスープ"]
- 出版日
2022年11月に並木陽の初の商業書籍として刊行された『斜陽の国のルスダン』は、もともとは2016年に同人誌で発表された小説でした。作品はその後、同人誌の枠を超えて、大きく羽ばたいていきます。2017年にはNHKのプロデューサーの目に留まり、NHK-FM「青春アドベンジャー」枠でオーディオドラマとして放映。ルスダンを演じたのは、元宝塚歌劇団トップ娘役の花總まり。ディミトリはミュージカルで大人気の俳優海宝直人と、舞台で活躍する豪華キャストによる配役も話題になりました。
そして2022年には宝塚歌劇団の星組での上演が決まり、『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』というタイトルでミュージカル化されました。主演は星組トップスターの礼真琴と舞風瞳、脚本・演出は生田大和。宝塚歌劇団は古典的名作文学から漫画やゲームまで、ありとあらゆるジャンルの作品を舞台化しているので、ちょっとやそっとの演目ではそうそう驚かなくなっています。けれども、商業出版されていない同人誌作品を舞台上演化すると聞いた時は流石に驚きました。
少女小説育ちの私は、昔から女性を主人公にしたヒストリカル小説が大好きでした。それゆえ『斜陽の国のルスダン』も2016年の発売当初からチェックし、その後の動向も追いかけていました。とはいえ「青春アドベンチャー」の時点で快挙だと思っていたので、その後まさか宝塚の上演までいくとは、当時は予想もしていませんでした。13世紀のジョージアというマイナーな時代と国を舞台にした同人誌の小説が、多くの人の心を掴み、きらびやかな舞台へと上がる。『斜陽の国のルスダン』という作品そのものが辿ったドラマティックな展開にも、胸が熱くなります。
『斜陽の国のルスダン』は史実に基づいた物語です。ジョージア王国はヨーロッパとアジアをつなぐ文明の十字路として栄え、ルスダンの母であるタマラ女王の時代に近隣諸国を支配下に置き、最強の王国として隆盛を極めます。ところがその後、ルスダンの兄のギオルギが王位を継ぐとモンゴルが来襲し、王は戦闘時の傷が原因で若くして亡くなります。
それまでのルスダンは、国を背負う苦しみを味あわせたくないという兄の配慮のもと、王位や政治とは関わらずに自由に育てられていました。彼女の幼馴染であるディミトリは、人質としてジョージアに送られ、キリスト教に改宗したルーム・セルジュークの王子です。ディミトリとルスダンは互いを思いやっていたものの、彼女は政略結婚で他国に嫁ぐことが決まっていました。ところがギオルギの思いがけない死によって、二人を取り巻く境遇は一変。ルスダンはジョージアの女王となり、ディミトリは彼女の夫として女王を支えることになったのです。
突如危機に瀕したジョージアを護らなければいけなくなった、ルスダンとディミトリ。けれども元イスラム教信者で他国の王子のディミトリは、ルスダンの臣下から冷ややかな扱いを受け続けます。国の重要な決定に関わる権利も、一切与えられませんでした。それでもディミトリは、「何があっても私は、死ぬまで貴方の味方だ。きっとこれから先、いろいろなことがあるだろうけれど、どうか忘れないで欲しい」とルスダンに寄り添うのです。
ところが愛し合う夫婦の前に、さらなる受難が訪れます。モンゴルによって瓦解させられた亡国ホラズムの帝王ジャラルッディーンが、ジョージアを拠点に国家を再興しようと、ルスダンに結婚を迫るのです。ディミトリを愛するルスダンは求婚を断り、ディミトリが敵国と通じていると離縁を迫る臣下たちの言葉も耳に入れず、ひたすら夫を信じます。しかしながら、ルスダンのためにと思って取ったディミトリの行動が誤解を招き、激怒した女王は夫を幽閉。その後、ジャラルッディーンに救出されたディミトリは、ジョージアを憎んでいると周囲に思わせたまま彼の配下に入ります。そしてルスダンを救う機会をうかがい、大きな決断を下すのです――。
無邪気だった少女が国の命運を背負う女王となり、さまざまな苦難に直面しながらも、ジョージア王国を守り抜こうとする。歴史上のルスダンは、偉大な女王タマラの陰に隠れ、また彼女自身もタマラの栄光を失墜させた「無能な女王」「淫蕩な女王」と評価されているようです。並木陽はそんなルスダンに光を当て、史実に基づきつつも愛を込めて想像の翼を広げ、激動の時代に翻弄されながらも生きようとする、芯の強い女性の姿を鮮やかに描き出しました。作中ではルスダンの治世における重要な事績である、史上初のキリスト教君主からのモンゴルに関する報告書についても触れられています。丹念な資料の裏付けと、豊かな人物造形、そして首都トリビシを中心とするジョージアの美しい風景描写が本作の大きな魅力となっています。
ルスダンとディミトリのこじれてすれ違い続ける夫婦の姿にはなんとも切なくなりますが、ディミトリの命を賭けた愛がルスダンを救い、彼の真意を知ったルスダンはジョージアのためにその思いを受け取るのです。ただそばにいるだけではない、大きな愛の形について考えさせられる物語でした。
物語の冒頭は、服毒死をしようとするルスダンの場面から始まります。ジョージアを取り巻く政情を冷静に見つめ、自らの役目は終わり、会いたい人たちは既にこの世のどこにもいないと人生に幕を引こうとする気高い女王。一体彼女はなぜ、毒薬として狐の手袋(ジギタリス)を選んだのか。読み終えると冒頭に描かれたルスダンの最期の場面の意味が明らかとなり、より一層切なさが胸に迫ります。この冒頭の場面は宝塚の舞台には登場しないようなので、ぜひ小説版で味わってほしいです。
書籍には、作者と在日ジョージア大使らとの特別対談も収録されています。こちらもジョージアという国と、物語の背景をより深く知ることができる読み物としてお勧めです。原作の小説やラジオドラマ版、そして宝塚版と、さまざまな楽しみ方ができる並木陽の『斜陽の国のルスダン』。その原点である物語を、ぜひ手に取ってみてください。
- 著者
- ["並木 陽", "トマトスープ"]
- 出版日