嵯峨景子の『今月の一冊』|第九回は『良妻の掟』|時を超えるシスターフッドを描く

更新:2023.1.27

少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。2023年最初となる1月号は集英社から2022年12月15日に刊行された『良妻の掟』をお届けします。女性が社会で直面する諸問題が見事な筆致で描かれた本作の魅力を語っていただきました。

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「嵯峨景子の今月の一冊」も第9回目になりました。2023年も引き続きさまざまなジャンルの本を読み、そして紹介していくつもりです。

今月は、2022年12月に刊行されたカーマ・ブラウンの『良妻の掟』(加藤洋子訳/集英社)という翻訳小説を取り上げます。

著者
["カーマ・ブラウン", "加藤 洋子"]
出版日

「NY郊外の屋敷を舞台に、時を超えたシスターフッドを描く」という帯の惹句が目を引く本書は、フェミニズム的な視座を織り込んだストーリーと、古い料理本や婦人雑誌を巧みに活用したディテールが光る作品です。私が長年興味を持ち続けているジャンルのひとつに、家庭小説と呼ばれる女性向けの通俗小説があります。『良妻の掟』は、現代的な感覚でアップデートされた家庭小説としても秀逸で、ぜひこの物語を紹介したいと連載で取り上げることに決めました。

著者のカーマ・ブラウンは、カナダのオンタリオ州生まれの作家・ジャーナリストです。ウエスタン・オンタリオ大学で心理学と英語を専攻後、ビジネスコンサルティング会社のマーケティング部門で働きながら、ライアソン大学大学院でジャーナリズムを学びました。のちに小説やノンフィクションを手掛けるようになり、『良妻の掟』は5作目の小説にあたります。本書は北米でベストセラーになり、日本語訳が刊行された初めての作品となりました。

『良妻の掟』の舞台、描かれた問題、そしてその魅力

『良妻の掟』の舞台は、ニューヨーク郊外に建てられた庭付きの一軒家。2018年と1955年にこの家で暮らす、アリスとネリーという二人の若い女性の生活を交互に描きながら、物語は進みます。異なる時代に「妻」として生きる女たちの姿を通じて、夫婦の愛や確執、そして女性の仕事や人生の選択にまつわる諸問題が浮かび上がる構造が、本書の大きな魅力となっています。

2018年パートの主人公アリスは、結婚2年目の29歳。アリスは先日までは、一流企業の広報担当者としてバリバリ働いていました。ところがある件が原因で仕事を辞め、キャリアを手放しました。本当はクビになったことを夫のネイトには言えないまま、アリスは彼一人の稼ぎで暮らしていかなければいけない後ろめたさも抱え込んでいます。彼女は小説家を目指しているものの、執筆はさっぱりはかどらずに塞ぎ込む日々が続いているのでした。

ところが夫のネイトはそんな妻の鬱屈には気づかず、窮屈な都会暮らしから離れたいと半ば強引に引っ越しを進め、1940年代に建てられた田舎の古い家を買って大喜び。「ぼくが養ってゆくからね」と甲斐性を示しながら、子づくりを進めようとするなど、幸せな人生と円満な家庭の未来を信じて疑わないのです。

ある日アリスは、地下室で前の住人のものらしき1950年代の古い雑誌〈レディーズ・ホーム・ジャーナル〉、そして1940年に発行された古めかしい『モダンな主婦のための料理本』というレシピブックを発見します。これをきっかけに、アリスはかつてこの家に暮らしていたネリーという女性に興味を持ち、1950年代のレシピブックを片手に料理にも挑戦。そして隣に住む老婦人サリーの助けも借りながらネリーについて調べ、残されていた手がかりから彼女の秘密に辿り着くのです。

1955年パートの主人公のネリーは23歳。母子家庭のつましい家庭で育ったネリーは、11歳年上で工場を経営するリチャードに見初められて結婚しました。母のエルシーから料理やガーデニングを仕込まれ、日々家計をやりくりしながらおいしい料理を作り、庭仕事にも精を出す。ネリーはまさに、“良妻の鑑”といえるような女性です。ところが理想的な結婚生活をおくっているように見えるネリーの毎日には、深い闇が潜んでいるのでした……。

物語が進むにつれて、アリスとネリーが抱えているそれぞれの事情や、夫に対する隠し事が明かされていきます。60年以上の隔たりがある女性たちがどのように生き、そして夫婦関係はいかなる結末を迎えるのか、ミステリ的な要素も本書の読みどころです。時を超えた二人の女性の人生が響き合う様を、ぜひ見届けてください。物語を読み終えると、帯の「女たるもの、したたかでなくては」という言葉の重みがより一層増すでしょう。

『良妻の掟』では、女性が社会の中で直面するさまざまな諸問題に対する目配りもなされています。貞淑で従順な妻という女性にかけられた呪いや、子づくりに対する男女の認識のずれ、女性の仕事やキャリアの問題、家庭内暴力やモラハラ、さらには母と娘の関係やセクシュアル・ハラスメントなどなど……。こう書く何やら重苦しく聞こえるかもしれませんが、作者はこうした要素をエンターテインメント小説として見事に昇華しており、読後感は爽快です。アリスとネリーそれぞれが年上の隣人と築く、世代を超えた女性たちの交流も印象的で、シスターフッド小説としても楽しめました。ネリーの心の支えとなった隣人で、フェミニストのミリアムと、ミリアムの娘でアリスに人生のアドバイスをするサリーとの絆にも、胸があたたかくなりました。

ここまではアリスとネリーを中心に物語を見てきましたが、作中で大きな存在感を放っているのが、『モダンな主婦のための料理本』に登場するレシピの数々です。ネリーパートの冒頭には、この本に掲載されたレシピが記されており、クラシカルな料理本としても楽しめます。ネリーが胃潰瘍を患う夫のために腕をふるうオートミール入りのミートローフや、タッパーウェア・パーティーのために作る忙しい日のためのケーキなど、1950年代の古めかしい料理の数々が物語に登場し、ストーリーを盛り上げていきます。家のしつらえや庭の植物、そして食べ物にまつわる豊かかつ魅力的な描写の数々からは、古きよき家庭小説の伝統を感じました。なおアリスのパートでは、章の冒頭に70年以上前に書かれた女性向けの金言の数々が引用されています。女性蔑視がにじむ錆びついた“良妻の心得”の数々は、苦笑を誘わずにはいられません

2018年と1955年に生きる女性たちの姿をリアリティにあふれた筆致で描きながら、女と家庭にまつわる普遍的な問いを投げかける。なんとも痛快な小説で、女性のみならず男性にもぜひ手に取ってほしい一冊でした。

著者
["カーマ・ブラウン", "加藤 洋子"]
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