5分で分かるホッブズの人生|91歳まで生きた健康法とは?|元教員が解説

更新:2026.5.18

学校の教科書で必ず登場する、哲学者のホッブズ。 「『社会契約論』『リヴァイアサン』などの単語はなんとなく聞いたことあるけれど、細かい内容は…」という方がほとんどになると思います。 今回はホッブスの哲学を理解するために、彼の人生を見ていきましょう。 ホッブズが生きた当時のイギリスはまさに激動の時代でした。この時代背景が彼の哲学に大きな影響を与えているのです。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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ホッブズの人生

1588年、トマス・ホッブズはイングランド西部の小さな町に生まれました。生涯にわたって貴族の家庭教師や客人として過ごし、1679年に亡くなっています。

91歳の人生でした。生涯独身を貫き、ロマンティックな話もありません。当時は結婚した哲学者の方がめずらしいのです。

哲学者の寿命

ホッブズはかなり長い人生を送っています。

ホッブズと同じ時代(17〜18世紀)を生きた哲学者たちの享年をざっと見てみましょう。

スピノザ 45歳(独身)

デカルト 53歳(独身)

ヒューム 65歳(独身)

ルソー 66歳(結婚)

アダム・スミス 67歳(独身)

ロック 72歳(独身)

カント 79歳(独身)

デカルトは少し早いですが、スウェーデンの女王に招かれ、真冬の寒いストックホルムで風邪を引いたのが原因になります。スピノザ以外の哲学者においては、現代の平均寿命よりも少し短い程度です。

ちなみに古代の哲学者も長生きになります。

ソクラテス 70歳(結婚)

プラトン 80歳(独身)

アリストテレス 62歳(結婚)

晩年に多くの書物を出版

とても長生きしたホッブズ。

1651年に出版された『リヴァイアサン』は、彼が63歳のときになります

光や熱、雷や音の性質について数学や物理学をまとめた『物体論』、視覚や聴覚など感覚器官について書かれた『人間論』という本も書いています。『物体論』は67歳、『人間論』は70歳のときに出版しています。

ホッブズの時代は「科学革命」の時代になります。哲学者は科学者でもありました。当時の哲学者たちは、数学や物理学、医学や生理学を学んでいたのです。人間や動物の解剖を経験したデカルトは「動物は機械である」という結論に至ります。

ロックは医者としても活躍していました。

さらにホッブズは精力的に活動します。

73歳のとき『哲学者と法学徒との対話』、80歳で『ビヒモス(ピューリタン革命の歴史)』を執筆。86歳のとき、古代ギリシア神話の『イリアス』と『オデュッセイア』を翻訳しています。

ホッブズの健康法

長生きしたホッブズですが、やはり健康には人一倍気を遣っていました。散歩を好み、テニスやランニングをして汗をかき、マッサージを受けて昼寝をしました。このような優雅な生活ができるならば、確かに長生きできるかもしれません。

夜は寝る前に歌をうたいました。心肺機能の強化をするため、歌唱は健康によいと考えたのです。散歩の途中で思索にふけるため、いつでも思い付いたことを書けるように、ペンとインクを内蔵した杖を持って散歩をしたそうです。

散歩が健康に良いことは、現代医学が立証しています。哲学者は散歩をこよなく愛しました。

ショーペンハウアーも『幸福について』のなかで「幸福になる秘訣は散歩にある。部屋にこもって本ばかり読まず、毎日2時間は歩きなさい」と書いています。

ショーペンハウアー自身も、毎日犬を連れて長い時間を散歩に費やしました。

彼は72歳まで生きました。

時代に翻弄されたホッブス

ホッブズの父親は、教会(イギリス国教会)の牧師でした。

しかし牧師であるにも関わらず、父親はろくでもない人間だったようです。

「酒を飲み、乱暴を働いた」と、伝記には書かれています。人を殴ったことによって町にはいられなくなり、妻子を残して蒸発しています。

そのため父親のお兄さんが引き取りましたが、ホッブズにとっては幸運でした。父親とは対照的に、お兄さんはビジネスに成功し、生活には余裕がありました。

お兄さんの援助で、ホッブズはオックスフォード大学に進学します。このとき15歳でした

飛び級を果たし、貴族に雇われたホッブス

当時、飛び級はめずらしくありませんでした。

ヒュームは12歳、アダム・スミスも14歳のときに大学入学しています。

勉強ができない子供、またお金もない子供は、12〜13歳あたりから働き始めていました。もっと貧しい家庭は、学校にそもそもいけませんでした。

現在のように義務教育が始まったのは、産業革命の時期(19世紀)になります。児童労働が横行したため、子どもたちを過酷な労働から守ることが目的でした。

20歳で大学を卒業したホッブズは、大貴族の家庭教師になります。

貴族の子どもと一緒に、ヨーロッパ旅行への同伴も担当しました。当時の旅行は2〜3年の長期間に渡ります。

フランスのパリではデカルト派の哲学者たちと議論し、イタリアではガリレオにも会っています。ホッブズはガリレオを尊敬していたそうです。

生涯にわたってホッブズは、貴族の保護を受けて暮らしています。

ホッブスの生き方は、当時における哲学者の典型的な人生設計でした。

デカルトのように大きな遺産もなく、またビジネスで稼ぐことができない場合、どこかで面倒を見てもらうしかありません。

昔は貴族が世話をしてくれましたが、フランス革命によって貴族階級が没落したあと、哲学者を保護したのは大学になります。

アルマダ海戦、ピューリタン革命、王政復古…

ホッブズが生きた時代、イギリスは激動の時代になります。彼の生まれた年(1588年)、スペインの無敵艦隊がイギリスを攻め落としに来ました。

あの「アルマダ海戦」です。

ホッブズの母親は「無敵艦隊、襲来!」というニュースにびっくりして、ホッブズを予定日よりも早く産み落とした、というエピソードがあります。

ホッブズが成人すると、イギリスは革命の時代に突入します。

1640年、ピューリタン革命の勃発により身の危険を感じたホッブズは、52歳でフランスへと亡命します。10年余りに及ぶ長い亡命生活の始まりでした。

ホッブズが亡命していた間、イギリスでは内戦が激化。1649年には、チャールズ1世が処刑されるという衝撃的な出来事が起こります。

王政崩壊による共和政の樹立…それまでの社会秩序を根底から覆すような激動の時代だったのです。

そのあとクロムウェルによる独裁政治の末、王政復古へ…と、まさにイギリス史に残る激動の時代でした

しかしホッブスは、なんとか生き抜くことに成功します。

晩年は貴族の世話になりながら、長い人生を終えました。

そして、当時経験した「恐怖」がホッブズの哲学を形成します

人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」であり、国家権力によって秩序を維持しなければ、社会は崩壊するという思想を深めていきます。

そして1651年、自身の思想を体系化した主著『リヴァイアサン』を出版することになるのです。

「主義主張(イデオロギー)なんかどうでもいい。殺し合いを止めて、生命の安全をとにかく守ろう」がホッブズの原点になります。死んだら何も残らない…ホッブズは時代を通じて痛感したのでしょう。

書籍紹介

重田園江(2013)『社会契約論 − ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』筑摩書房

著者
重田 園江
出版日

ホッブズだけではなく、ヒュームやルソー、ロールズの思想も触れられています。それぞれの哲学者が主張する「社会契約論」の相違点を比較しながら、理解できる“お得”な1冊です。当時の社会背景が哲学者にどれほどの影響を与えていたのか、哲学者が生きた歴史や社会についても知ることができます。

萱野稔人(2017)『カネと暴力の系譜学』河出書房新社

著者
稔人, 萱野
出版日

ホッブズは徹底的に「人間の暴力」について考えた哲学者です。戦争を止めるためには、暴力について深く考えなくてはいけません。ホッブズの理論を中心に、本書は暴力について様々な角度から分析しています。「なぜヤクザはなくならないのか」「お金と暴力の関係性」など、興味のある方はぜひ読んでみてください。

ティム・オブライエン(1998)『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳)文藝春秋

著者
ティム・オブライエン
出版日

アメリカの作家であるティム・オブライエンによる短編集になります。彼の作品を終始貫いているのは「ベトナム戦争」です。この短編集には「レイニー河」という作品が収められています。ベトナム戦争への招集命令を受け、動揺する若者の姿が描かれています。オブライエンが描く心理描写には、とても深く考えされられるものがあります。

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