5分で分かるロックの人生|激動のイギリスをどう生きたのか?|元教員が解説

更新:2026.5.18

今回の記事では、学校の教科書に必ず掲載されるジョン・ロックをご紹介したいと思います。 ロックは「天才」というより「優等生」という表現が似合う哲学者になります。 ロックの哲学はバランス(中庸)を好み、過激を嫌います。凡庸なため、平凡で退屈な哲学者だと言う人もいるくらいです。しかし、ロックは「平凡、退屈だ」と言われても怒らなかったでしょう。まさに彼は凡庸(平凡)を望んだ哲学者だからです。 そんなロックはどのような時代を生きたのでしょうか。激動のイギリスを生きた彼の人生を振り返ってみましょう。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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激動のイギリスを生きたロック

1632年、ロックはイングランドの南西部の町に生まれました。父親は地主であり、また毛織物工業も営んでいました。大金持ちではないですが、そこそこに裕福な家庭で育っています。

ピューリタン革命、そして貴族との出会い

ロックが10歳のころ、イギリスでは「ピューリタン革命」が起きています。

同じイギリス人のホッブズは、ピューリタン革命から逃れるため、フランスに亡命しています。イギリスの絶対王政を打倒するため勃発したピューリタン革命は、国王の支持派(国王側)と打倒派(議会側)に分かれて、内戦が展開されました。ロックの父親も打倒派(議会側)の軍に従軍したそうです。

成人したロックは名門オックスフォード大学に進み、古典であるギリシア語とラテン語、そして医学や数学・物理学も学びました。卒業後は母校のオックスフォード大学において、ギリシア語を教える先生になっています。

しかしある日、イギリスの超大物貴族であるシャフツベリー伯爵と出会います。伯爵に気に入られたロックは、大学を退職し、彼の秘書と医師を務めることになったのです。ロックが伯爵に気に入られた理由は分かりませんが、政治的な考え方が近かったことなどが指摘されています。このシャフツベリー伯爵との出会いが、ロックの人生を大きく変えたのです。

ピューリタン革命から名誉革命へ

ピューリタン革命は「絶対王政」から「立憲君主制」へ移行する契機となった歴史的な事件です

名誉革命と併せて「イギリス革命」と呼ばれることもあります

イギリス国王による独裁政治(絶対王政)に議会が反発したことで、ピューリタン革命が起きます。1642年から1649年にかけて、イングランド国内では内戦が繰り広げられました。

革命の結果、国王であるチャールズ1世は処刑されたため、イギリスは一時的に「国王のいない国(共和国」になりました。

しかし革命後、クロムウェルという人物が独裁政治を始めたのです

議員だったクロムウェルは、権力を獲得すると独裁的な政治を行ったため、彼に対する反発がイギリス国内では強くなっていきました。そのためクロムウェルが死亡すると「やはり国王がいた方が…」という判断になり、フランスに亡命していた国王(チャールズ2世)がイギリスに戻ってきます。

1660年の「王政復古」です。

「王政復古」によってイギリスは再び混乱

「王政復古」によってイギリスでは国王が復帰しますが、当時の国王であるチャールズ2世は、ピューリタン革命で処刑された国王(チャールズ1世)の息子になります。フランスに亡命したホッブズは、パリ滞在中のチャールズ2世に数学を教えていました。しかし、帰国したチャールズ2世は議会を解散するなど、横暴な政治に終始したため、再び国内が混乱し始めます。

ロックが仕えていたシャフツベリー伯爵は、国王反対派のリーダーとなり、国王支持派と闘いました。しかし窮地に陥った伯爵は一旦オランダに亡命し、反撃のチャンスを待ちましたが、しばらくして亡くなってしまいます。

ロックもオランダに逃亡しています。シャフツベリー伯爵との関係から「チャールズ2世の暗殺に関わっている」と疑われたためです。1683年に逃亡し、ロックは52歳でした。オランダに5年間暮らしたロックは、オランダへの永住も考えたそうです。

オランダ滞在中のロックは、現地に住む哲学者など知識人と交流し、いくつかの書物を執筆しています。権威主義(保守的)的なイギリスとは異なり、政治的、宗教的に自由だったオランダの雰囲気に、ロックは大きな影響を受けたと言われています。

名誉革命

しかし、イギリスでは再び革命が起きます。国王が交代し、新しい国王(オレンジ公ウィリアム)をオランダから招きます。

1688年の「名誉革命」です。次の新しい国王は議会の提案を尊重してくれる人物でした。ピューリタン革命とは異なり国内の内戦もなく、国王の処刑(流血)もなかったため、名誉革命と呼ばれています。

イギリスの政治体制はこの革命以降、大きな変化はありません。「王は君臨すれども統治せず」という、イギリス社会の骨格が完成したのです。議会が政治を主導し、議会の決定を国王が承認する、という「立憲君主制」が誕生しました。日本も立憲君主制の国家になり、幕末の明治維新から現在まで続いています。

政治的な安定を手にしたイギリスは、国家のエネルギーを経済に集中させることに成功します。

この政治的な成功が18世紀の「産業革命」につながるのです。

晩年のロック

名誉革命が成功したおかげで、ロックもオランダからの帰国を果たします。ロックが56歳のときです。帰国後はしばらく政府の仕事をしていましたが、68歳のときにすべての仕事をやめ、1704年に亡くなります。72歳でした。

結婚の予定があったロック

ロックは生涯独身でしたが、晩年は幸福だったそうです。1度だけ結婚寸前までいった話がありましたが、ロックは躊躇したようです。当時のロックは50歳で、相手(彼女)は20歳を過ぎたばかりの、貴族のお嬢様でした。ロックは年の差が気になり、結婚を決断できませんでした。あとになって後悔したようですが、このとき彼女は別の男性の妻になっていました。

しかし運命とは不思議なものです。晩年のロックは、このお嬢様の館で生活をしています。

ロックの最後を看取ったのも彼女だったそうです。

書籍紹介

君塚直隆(2015)『物語イギリスの歴史(下) - 清教徒・名誉革命からエリザベス2世まで中央公論新社

著者
君塚 直隆
出版日
2015-05-22

イギリスの歴史はとにかく複雑で分かりにくいのが特徴です。本書はそんなイギリスの歴史を分かりやすく説明してくれています。「政治、王朝、議会、戦争」などのトピックにそれぞれ別れているため、とても読みやすい構成になっています。

池上彰(2022)『イラスト図解 社会人として必要な経済と政治のことが5時間でざっと学べる』KADOKAWA

著者
池上 彰
出版日

ロックの思想は現代社会に大きな影響を与えています。つまりロックを理解できれば現代社会の骨格を押さえられ、いつもとは違う視点で社会を考察することが可能です。「なぜ選挙に行かなくてはいけないのか?」など、ロックを学べば現代社会の“理屈”を理解することができます。ぜひともロックを学ぶことで社会に関心を持って欲しいと思います。

伊勢田 哲治(2021)『ニュートン式超図解 最強に面白い! ! 哲学』ニュートンプレス

著者
["エドモンズ,デヴィッド", "エーディナウ,ジョン", "Edmonds,David", "Eidinow,John", "麻里, 二木"]
出版日

哲学書の入門書になりますが、本書の特徴は科学と哲学を結びつけているところです。振り返れば、ロックは哲学者と同時に医者でもありました。デカルトは数学者として、学校の授業でも学ぶ「座標」を発明しています。「人間の遺伝子は書き換えていいのか」「動物には権利があるのか」など、現代社会が抱える諸問題と結び付いた内容になっているため、身近な社会問題を哲学的に考えることができます。本書では数多くの哲学者が紹介されますが、もちろんロックも登場します。

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