世界史や倫理の教科書に必ず登場するフロイト。 「心理学に大きな影響を与えた人物」までは分かりますが、具体的な内容については知らない方が多いと思います。 人間の心の奥深くにある欲望や、無意識の領域を研究したフロイトは「精神分析学」という新しい分野を開拓しました。 その一方、彼が生きた時代はナチス・ドイツの嵐がヨーロッパ中に吹き荒れていました。 フロイト自身も大きな影響を受けています。 フロイトはどのようにして精神分析学を発展させ、人生を歩んできたのでしょうか。 今回の記事では、その歩みを振り返っていきたいと思います。

ジークムント・フロイトは1856年、当時オーストリア領(現在チェコ領)の田舎町に生まれます。人口は5千人ほどの寒村になります。父母ともユダヤ人で、父親は毛織物商人でした。
一家はユダヤ教の儀礼を採用していませんが、ユダヤ人としてのアイデンティティは消えることはありませんでした。フロイトは、父親がユダヤ人に対する嫌がらせを受け、帽子を脱がされている場面を目撃しています。この出来事は、父親に対するアンビヴァレント(両義的)な感情を高めることになります。また同時にユダヤ人であることの意味を考えることに繋がり、フロイトの思想に大きな影響を与えました。
一家は、フロイトが4歳のときにウィーンに移住します。フロイトは82歳でロンドンに亡命するまで、ウィーンで暮らすことになります。近くにはウィトゲンシュタイン家も暮らしていました。ウィトゲンシュタインの妹は、フロイトの診察を受けたことがあると言われています。
将来は学者になることを目指したフロイト。学校での成績は優秀で、17歳(1873年)のときにウィーン大学の医学部に進みます。生理学を専攻し、生理学者のブリュッケのもとで学びました。顕微鏡によるザリガニの神経細胞の研究で優れた業績をあげています。
1881年、医学の学位を取得します。翌年、6歳年下のユダヤ人女性(マルタ・ベルナイス)と出会い、熱愛の末なんと2ヶ月後に婚約したのです。
フロイトの実家はさほど裕福ではありませんでした。家族を養うためには、経済的な基盤を固める必要があります。フロイトは学者への道を断念し、医院を開業して生活すると決心しました。生活の展望も開けたため、開業決めた年に早くも結婚をしています。
フロイトが30歳のとき、ウィーンで精神科の医院を開業します。患者さんにも人気があり、商売としては順調であったそうです。フロイトの医院には上流階級の患者が多く、料金もかなり高かったと言われています。「精神分析」という新しい医学は、ウィーンに住む上流階級の興味を引いたのかもしれません。
フロイトは診療と研究の生活を続けます。フロイトはたくさんの子どもを産みました。フロイト夫妻は男子3人、女子3人をもうけています。
1900年、研究結果として『夢判断』(『夢の解釈』)を出版します。フロイトが44歳のときです。出版当時、学者たちは精神分析をまったく評価していなかったため、この書籍は売れませんでした。現在においても精神分析を評価しない学者はたくさんいます。
フロイトはさらに研究を続け、数多くの論文や書籍を書きます。そして、その努力がついに報われます。少しずつ国外で評判になり、精神分析を応援する人も増えてきたのです。フランスの作家ロマン・ロラン、スペインの画家ダリなどの文化人も、フロイトのファンであることを公言したのです。
1902年、46歳になったフロイトは、ウィーンの自宅で勉強会を開催するようになります。これが「ウィーン精神分析協会」の始まりです。この勉強会にはフェレンツィ、ランク、アドラーなど、著名な心理学者が集まりました。のちにユングも参加しています。ロンドンとチューリッヒにも精神分析協会が設立され、フロイトの精神分析は、世界的な広まりを見せるようになります。
国際的な精神分析学会も設立され、フロイトの評判はますます高まります。しかし支持者が多くなり組織も大きくなると、考え方の違いや方向性のズレが必ず生じるものです。アドラーとユングは、やがてフロイトから離れていきます。ユングなどはのちにナチスに接近しました。
1914年、第一次世界大戦が始まります。オーストリアはドイツと同盟を結び、イギリス・フランス・ロシアと戦うことになりました。結果として、オーストリアは負けました。ドイツとオーストリアでは帝政が崩壊し、共和国になったのです。ヨーロッパの名家・ハプスブルク家もここに終わりを迎えました。
1932年、同じユダヤ人同士であった、フロイトとアインシュタインは往復書簡を交わしています。国際連盟から「戦争について、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてほしい」という、依頼を受けたアインシュタインはフロイトを指名しています。
このときフロイトは76歳で、アインシュタインは53歳。アインシュタインはすでにドイツを離れ、ベルギー、イギリスを経てアメリカへ亡命しています。
アインシュタインから「戦争を防ぐ方法」を聞かれたフロイトは、以下のように返信します。
戦争を引き起こす原因である人間の攻撃性を取り除くことはできません。人間にもともと備わっているからです。この攻撃性を戦争とは違う方向に持っていくしかないでしょう。また人間の攻撃性を抑制するため、倫理(道徳)を基礎付ける「文化」を維持する努力を払わなくてはいけません。(『人はなぜ戦争をするのか』)
このように答えたフロイトは「文化の持続」を目指すために、なにより「言論・表現の自由」が不可欠とします。この主張がナチス・ドイツを暗に批判する内容だったため、のちにフロイトもイギリスへの亡命を余儀なくされることになります。
第一次世界大戦(帝政が崩壊した)後、ドイツとオーストリアはとても不安定な政治状況が続きます。オーストリア国内では武装組織が乱立したため、本格的な内戦状態に突入したのです。1934年、この内戦に勝利したのは保守(右)派になり、左派勢力を追放しました。ヒトラーのナチスとは連携せず、保守派はオーストリア独自のファシズム体制を築いていきます。
しかし1938年、ナチス・ドイツによってオーストリアは併合されてしまいました。第一次世界大戦終了からオーストリア併合まで、オーストリアは激動の時代です。このときフロイトはウィーンを離れることもなく、生活を続けています。フロイトは政治に関与せず、患者の治療と研究に集中していたようです。
しかしフロイトはユダヤ人です。いくら政治に関与しないといっても、ナチスが放って置くはずがありません。1938年、ナチスがオーストリアを併合したとき、フロイトは81歳になっていました。さらにガンに罹っており、死ぬのは時間の問題です。それでもナチス(政治警察ゲシュタポ)はフロイトに接近し、彼の長女は一時的に拘束されました。そのためフロイトは亡命を決意します。
当初、ナチスはフロイトの出国を認めませんでした。しかし彼は世界的な有名人になるため、各国の研究者などから支援の声があがり、最終的には亡命が許可されます。フロイトの財産は没収され、亡命税の支払いも求められました。
余談ですが、ナチスは銃殺した政治犯の家族に対して、賠償請求をすることがありました。「銃殺で使った銃弾などの費用を負担しろ」という意味です。
1938年6月、フロイトはロンドンに亡命します。
しかし病気が進行したため、翌年の9月、彼は安楽死を希望。致死量のモルヒネを注射し、亡くなりました。83歳でした。ウィーンに残ったフロイトの姉妹たち4人は、フロイトが亡くなった5年後、ナチスの強制収容所で殺されました。フロイトの子どもたちと、その家族は国外に無事逃げることができたそうです。
(参考文献)
フロイト(2013)『人はなぜ戦争をするのか − エロスとタナトス』(中山元訳)光文社
- 著者
- フロイト
- 出版日
- 2008-02-07
山田泰壮(2022)『30分でわかる! フロイト、ユング、アドラーの心理学』マネジメント社
- 著者
- ["山田泰壮", "南條りえ"]
- 出版日
心理学の三大巨匠であるフロイト、ユング、アドラーの思想を、4コマ漫画でわかりやすく解説されているのが特徴です。著者である山田泰壮さんは、物流業界で活躍する経営者であり、自身の経験をもとに心理学のエッセンスを伝えようとしています。三大巨匠の心理学を簡潔で分かりやすい言葉とイラストで表現されているため、自分自身や他者の心理を理解するためのヒントを得ることができます。心理学を初めて学びたい方にオススメです。
フロイト(2013)『人はなぜ戦争をするのか − エロスとタナトス』(中山元訳)光文社
- 著者
- フロイト
- 出版日
- 2008-02-07
本書は、1932年に国際連盟からの依頼でアインシュタインとフロイトが交わした手紙を収録したものです。テーマは「人はなぜ戦争をするのか」という人類史上最大の問題になります。アインシュタインは「人間には相手を絶滅させようとする欲求があるのではないか」と疑問を投げかけました。この質問に対してフロイトは「人間にはエロスとタナトスという二つの欲動があり、タナトスが戦争を引き起こす」と説明しました。そしてフロイトは、文化や国際連盟が戦争を抑止する力になるかもしれないと続けました。戦争と平和に関心のあるすべての読者におすすめできる一冊です。
内藤了(2018)『夢探偵フロイト −マッド・モラン連続死事件』小学館
- 著者
- 了, 内藤
- 出版日
著者である内藤了さんはデビュー作の『ON』で、日本ホラー小説大賞読者賞を受賞した人気作家です。そんな内藤さんの描く『夢探偵フロイト』は、夢を可視化するプロジェクトを行う「夢科学研究所」に所属するフロイト教授が、殺人事件などの怪事件を解決していくミステリー小説です。小説に登場するフロイト教授は、名前の通りフロイトの子孫であり、その思想の影響を受けたキャラクターです。「夢分析」に関しては、実際のフロイトも重要視した治療方法でした。ミステリー要素が濃く、謎に迫っていくストーリーは続きが気になってしまい、どんどんと読み進めてしまいます。心理学にも触れることができる“オススメ”のシリーズです。これまでに全5巻が発表されています。