5分で分かるウィトゲンシュタインの人生|社会の役に立つことを望んだ哲学者|元教員が解説

更新:2026.5.19

ウィトゲンシュタインは、言語哲学に大きな影響を与えた、20世紀を代表する哲学者です。彼が主張する「言葉の限界」という理論は哲学だけではなく、現代の心理学や人工知能(AI)などの研究にも生かされています。 大富豪の息子として生まれたウィトゲンシュタインですが、精神的に苦しみ、多くの苦難を経験しています。生涯を通じて「社会の役に立ちたい」と願いながらも、なかなか上手くいかず、ヨーロッパ各地を転々とした彼の人生にはドラマのようなストーリー性があります。 今回の記事では、ウィトゲンシュタインが送った波乱万丈の人生を紹介していきます。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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ウィトゲンシュタインの人生

ウィトゲンシュタインは、とても物語性が強い哲学者になります。そのため、まずはじめに彼の魅力的な人生を詳しく紹介したいと思います。

富豪の家庭に生まれたウィトゲンシュタイン

1889年、ウィトゲンシュタインはオーストリアのウィーンで生まれました。

なんとハイデガーヒトラーと生まれた年が一緒になります。ウィトゲンシュタインとヒトラーは、オーストリアの首都ウィーンにある同じ教育機関に通っていました。ドイツで独裁者になったヒトラーですが、出生地はオーストリアになります。

偶然なのか必然なのか、ウィトゲンシュタインの生きた時代のウィーンでは、20世紀を代表する多くの哲学者(思想家)や芸術家、科学者たちを輩出しています。ウィトゲンシュタイン以外にも、フロイト、ハイエク、シュンペーター、ピーター・ドラッカー、画家としてはクリムト、物理学のマッハなど、そうそうたるメンバーです。

ウィトゲンシュタインの父親はユダヤ人で、ヨーロッパ経済界の大物でした。哲学者が生まれた家庭の経済状況を見ると、貧しい家庭に生まれた哲学者はあまり存在しません。貧乏な家庭の子どもは哲学を考えるよりも、まず目の前の生活を考えなければいけないため、歴史に名を残す多くの哲学者はそれなりに裕福な家庭の出身になります。

そのなかでも、ウィトゲンシュタイン家の裕福さは別格です。ウィトゲンシュタイン家は芸術家のスポンサーでもありました。音楽家のマーラー、ブラームス、カザルス、また画家のクリムトなど、彼らはウィトゲンシュタイン家の経済的援助を受けています。ウィトゲンシュタイン家の三女・マルガレーテが結婚するとき、彼女の肖像画をクリムトが描いていています。

兄弟の多くが自殺

しかし、お金を持っていても幸福になれるかは別問題です。

ウィトゲンシュタインには4人の兄がいましたが、そのうちの3人は若いときに自殺しています。そして最後に残されたのが、ウィトゲンシュタインでした。兄たちの自殺を経験したウィトゲンシュタインは「いつか自分も自殺するのではないか」と危惧していたそうです。

ウィトゲンシュタインにとって、哲学が自殺への予防薬になりました。哲学をすることは、精神的な「カタルシス」を彼にもたらしました。ギリシャ語で「浄化」を表すカタルシス。精神的な文脈では、ある感情やストレスを外部に排出し、内面を浄化することを意味します。例えば、悲しみや怒りを表現することで、その感情を処理し、心の内面がクリアになるのです。哲学や芸術、スポーツなどの活動を通じて、人々は自分自身を浄化し、成長することができます。

ウィトゲンシュタインは同性愛者でした。ウィトゲンシュタインとフーコーは、共に20世紀を代表する同性愛の哲学者になります。フーコーは同性愛であることを公言し、同性愛であることを意識しながら書籍を書きました。「男同士の結婚が認められない社会に文明は存在しない」と言い、晩年はカリフォルニアへの移住を考えたそうです。

一方、ウィトゲンシュタインは同性愛を秘密にしました。彼は同性愛者として、自分に罪の意識を持っていました。直接的な関係はないかもしれませんが、同性愛が彼の哲学に影響を与えていると指摘する人もいます。

ラッセルの教え子だったウィトゲンシュタイン

理工系の学校で学んだのち、19歳になったウィトゲンシュタイン。1908年、イギリスに留学し、マンチェスター大学で航空力学を学びました。このあと哲学に専攻を変え、ケンブリッジ大学に行き、ラッセルの下で学ぶようになります。1911年、22歳のときです。

1914年、第一次世界大戦が始まりました。

ウィトゲンシュタインはオーストリアに戻り、志願して従軍します。従軍の理由に関しては「母国への義務感を感じていた」「個人的な問題から逃れ、人生の意味を見つける方法を探していた」など、様々な指摘があります。

戦争の経験は彼の哲学的な見解に大きな影響を与えました。戦争の最中においてもウィトゲンシュタインは哲学ノートを書き続け、このノートがやがて『論理哲学論考』と呼ばれる書籍となります。

第一次世界大戦ではドイツの味方をして、敗北したオーストリア。ウィトゲンシュタインはイタリア軍の捕虜となりますが、1919年の夏、釈放されたためウィーンに戻ります。

戦争中に父親が亡くなったため、ウィトゲンシュタインには莫大な遺産が残されていました。しかしウィトゲンシュタインは全財産を放棄して、芸術家たちに寄付すると言い出します。驚いた家族は色々と工面し、全財産の放棄は食い止められたそうです。

形式的には全財産を放棄したウィトゲンシュタインですが、このあと『論理哲学論考』を書き終えます。

そのなかで「哲学のすべての問題はこの本によって最終的に解決された」と宣言したのです。「これ以上、哲学を研究する意味はない」と判断した彼は、世の中の役に立ちたいと考え、教員の養成学校に入りました。

ヨーロッパ各地を転々としたウィトゲンシュタイン

教員資格を得たウィトゲンシュタインは、本人の強い希望によって地方の小学校教員になります。しかし、やはりと言うべきか…村の人々との関係は悪くなる一方でした。

恩師であるラッセルに「この村の人間は悪人です」という手紙を書きます。

ラッセルは「人間はみな悪人である」と返信したそうです。6年ほど教員を務めたあと、1926年、ウィトゲンシュタインはウィーンに戻ってきます。このとき37歳でした。

安定しないウィトゲンシュタイン

ウィーンに戻ったウィトゲンシュタインは、修道院の庭師助手として働いていましたが、彼のお姉さんが新築する邸宅の設計を担当することになりました。そしてしばらくの間、この設計・建築に没頭することになったのです。鉄筋三階建ての大邸宅で「家になった論理学」と言われており、美を極限まで追求したため住み心地は考慮されていません。暮らすには適さない家で、お姉さんは一度もここに住まなかったそうです。

1929年、ウィトゲンシュタインはケンブリッジに戻ります。このとき40歳でした。

しばらく哲学を研究したあと、1935年、彼はソ連に移住したいと突然言い出します。1922年に誕生した社会主義国家のソ連は、まさに全盛期を迎えていました。このときウィトゲンシュタインはソ連へ渡航もしています。

マルクス主義に対してはまったく興味がなかったのですが、貧しい生活には憧れていたそうです。ウィトゲンシュタインはロシアの文豪であるトルストイをこよなく愛していました。しかしソ連政府から移住の許可がおりず、ソ連での生活は実現しませんでした。

結局、大学に戻る

ウィトゲンシュタインは再びケンブリッジに戻ります。50歳のとき、イギリス国籍を取得しました。1939年から始まった第二次世界大戦中は、イギリスの病院で補助的な仕事をしました。1947年、58歳になった彼はケンブリッジ大学を突然退職し、今度は「医者になるための勉強をする」と言い出したのです。哲学者に比べて、人の役に立つことが理由だそうです。

しかし、高齢だったため医者の道は断念。哲学研究に戻り、ノルウェイの小屋にこもり『哲学探求』の執筆に専念します。60歳のとき、前立腺ガンであることが分かり、身辺の整理を始めます。1951年、62歳で亡くなりました。

ウィトゲンシュタインは大学の哲学教師であることを常に恥と考えていました。世の中の役に立たないということが理由です。そのため「地方の小学校教員」「ソ連で貧しく暮らす夢」「医者になること」など“人の役に立つ”ことを夢見ます。しかしどれも中途半端に終わってしまいました。

結局のところ、ケンブリッジ大学で哲学者として過ごした時間が人生の中心となったのです

書籍紹介

アレグザンダー ウォー(2021)『ウィトゲンシュタイン家の人びと - 闘う家族』(塩原通緒訳)中央公論新社

著者
["アレグザンダー ウォー", "Waugh,Alexander", "通緒, 塩原"]
出版日

ウィトゲンシュタイン家の生涯が赤裸々に語られています。ウィトゲンシュタインのお兄さんたちが自殺した経緯など、詳しく知りたい方はぜひ読んでみてください。

中村 昇(2021)『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』亜紀書房

著者
中村 昇
出版日

中高生を対象に書かれた、ウィトゲンシュタインの入門書です。分かりやすい文体で書かれており、また同時に哲学の基本概念も学ぶことができるため、これから哲学を学ぼうと考えている方にもオススメです。

デヴィッド・エドモンズほか(2016)『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』(二木 麻里訳)筑摩書房

著者
["エドモンズ,デヴィッド", "エーディナウ,ジョン", "Edmonds,David", "Eidinow,John", "麻里, 二木"]
出版日

20世紀を代表する哲学者である、ウィトゲンシュタインとカール・ポパー。ケンブリッジ大学で初めて顔を会わせた両者は「哲学が扱うべき問題とは何か」について議論をしました。熱い激論を交わした2人は、興奮のあまり棒を持って殴り合ったそうです。対決に至るまでの背景やユダヤ人差別の問題、両者の哲学思想の違いが分かりやすく説明されており、とてもスリリングな面白い内容になっています。

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