落語とジャンプから学んだことで日常を生きる②

この4月から社会人9年目・アナウンサーも9年目。入社当時に担当させてもらっていた番組の共演者やスタッフの方々と再会すると、本当に早いなあ。こんなことがあった。あんなことがあった。こんなゲストが来た。中継でこんなところに行ったなど、よく細かく思い出してみんなで噛みしめて楽しんでいる。

 

そんなコミュニケーションから、8年前の4月を思い出してみると……当時の自分の働きは本当に酷いものだった。技術や仕事内容は、そもそも経験がないので致し方ないのかもしれないけれど、新社会人としての振る舞いがどこまでも下手くそだった。社内外の人にご挨拶しても、知らない人に愛想よく出来ないし、顔を覚えていても、どうにも名前を覚えられない。基本的に目の前の仕事でいっぱいいっぱいで、偶然お会いしてもしなやかな対応が出来ない。

 

また特に苦労したのが、飲み会や食事会での振る舞い。一緒になることが多い同僚のアナウンサーなどは、社会経験において何年も開きがある先輩だったので、場を盛り上げたり、上司や取引先に気を使ったり、卒なく上手にやっていた。

 

お店に迷惑がかからない程度に待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いておき、目上の人が到着すると、上着を衣紋掛けにかけたり、最初の飲み物を聞いたりしている。注文の際に食べたいものを聞かれたら、みんなで食べられるようなおつまみをリクエストする。グラスが空になっていたら、次の飲み物を聞くし、日本酒やワインはすかさずお注ぎする。サラダや一皿料理は上手いこと連携して取り分ける。会話は聞き上手に徹して、相手が気持ちよくなるような質問を重ねる。適度なよいしょを挟んだり、とにかく場が盛り上がるように、その場にいる人が気持ちよく過ごせるように徹していた。

 

社会人とは、こんなに当たり前に気を使うことの出来る生き物なのか!

 

驚きと同時に……周囲を尊敬すると同時に……私にはいくつかの疑問が湧いた。

注文でみんなが楽しめるようなメニューしか頼まないのなら、自分が本当に食べたいものはいつ食べられるのだろう?他の参加者の心から食べたいものはいつ知ることが出来るのだろう?相手のグラスが空になったことに気が付けるくらいにしか、相手の話は聞いちゃいけないのだろうか。ということは周りが見えない程に相手の話にのめり込み過ぎたら、それは失礼にあたるのだろうか?

入社して何年かは、周りの真似をしながら何となくやり過ごしていた。何が正解なのかは分からなかったけれど、なんとなく「社会人」に徹してみていた。

 

前回のコラムでは、「サンキュータツオと渋谷らくご」という番組で落語を一から教わり、“落語を聞く”楽しみを知ったことについて書き連ねている。

それから1年後、次の文化放送のナイターオフ期間の番組は、「SHIBA-HAMAラジオ」。落語家の皆さんがパーソナリティを務める生ワイド番組だった。火曜日は立川流の真打ち・立川こしら師匠。水曜日は瀧川鯉八さん・立川吉笑さん。木曜日は柳亭小痴楽さんと入船亭小辰さん。金曜日は春風亭昇々さんと春風亭ぴっかり☆さん。(皆さん2019年放送当時)

私は木曜日の小痴楽さんと小辰さんのアシスタントでご一緒させてもらっており、この出会いがかなり強烈だった。高座ではお着物の姿で見ていたお2人だったので、最初に私服姿を見たときは、特に江戸の風も吹かず、タレント然としている訳でもなく「ん?意外と普通のお兄さんたちなのかも…」なんて失礼ながらも、ちょっと肩透かしをくらったりしていた。

しかし、私はこの番組の出会いから“なんとなく社会人”をやめた

 

最初に衝撃を受けたのは、打ち上げでご一緒したとき。「落語家は寄席や落語会の度に打ち上げに行くことが多いんですよ。ラジオは毎回しないんですか?」という小痴楽さんの心意気のもと、ほぼ毎週、出演者や曜日スタッフと、打ち上げと称して飲みに連れて行っていただいた。時には曜日を跨いで。

その際の落語家の皆さんの振る舞いが、自分にとってはセカンドインパクトだった……。

 

兎にも角にもお話が面白い。日常のちょっとした出来事にオチをつけつつ、その場にいる人みんなを登場人物にして話に巻き込みながらその場を盛り上げる。テーブルの全員を笑顔にしながら、誰かのグラスが空になったことにも気づく。みんなの会話を遮らないようにしながら注文も続け、そこにいる人皆が納得する意見を、予め知っているみたいだった

初めは小痴楽さんや小辰さんをはじめとするSHIBA-HAMAラジオ出演者のそんな身のこなしに大変驚かされたものの、それから出会う噺家さんたちは、濃淡さえあれど、全員もれなくそのような技や心の機微を持っているようだった。

現在番組でご一緒している桂宮治さんも、とにかくこの辺りが凄まじい。エスパーかな?と思うほど、周囲の人の考えを先回りしてしまう。360度見渡せる目を持っているようだ。気を使っていることを相手に悟られることなく、その場にいる人たちを清々しく笑顔にさせる力。

 

一度、どうしてそんなことが出来るのか聞いてみたことがある。

「俺たちはそれが仕事みたいなもんだから……。」

 

著者
["馬上 鷹将", "末永 裕樹"]
出版日

 

前回からご紹介している漫画『あかね噺』の4巻には、真打ちを目指して修行に励むあかねが寄席に出入りするようになって、楽屋での働きを学ぶ機会が描かれている。楽屋入りを果たした前座さんは、自分の師匠の鞄持ち等の仕事の上に、寄席の高座の準備や楽屋でのサポート等を行う。

師匠方へのお茶を出したり着物を畳んだり。これらの仕事を、“命じられるよりも先に”気が付いて行動に移すらしいのだ。鼻をすすっている師匠がいたら先回りしてティッシュを出す。荷物を置こうとしている師匠がいたら置く前に受け取る。相手に快適に過ごしてもらうための「気働き」をここで学ぶらしい。

 

噺家さんたちは、この経験でエスパーを体得したのか……!

人への気遣いに、明確なQ&Aなんてないのだと知る。目上の人が立ったら自分も立ちましょう。まずは枝豆を頼みましょう。サラダが出てきたら取り分けましょう。と学ぶのではなく、自分の半径何メートルかをどんな空気にするのかということ。誰かから教えられることではなく、それまで自分が出会ってきた場の数だけ蓄積する。周りの人の気持ちを掬う術を模索し、続けていくだけだ。

今後も色んな人・色んな作品に出合いつつ、自分なりの気遣いを見つけていきたいと、改めて気を引き締めた社会人9年目の4月です。


 

前回の記事はこちらです。

【#8】文化放送アナウンサー西川あやのの読書コラム/落語とジャンプから学んだことで日常を生きる①

【#8】文化放送アナウンサー西川あやのの読書コラム/落語とジャンプから学んだことで日常を生きる①

忙しなく進む1年の中のエアスポットのような時期。あなたの足が向く場所はどこですか?

 

このコラムは、毎月更新予定です。

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writer Twitter:西川あやの

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