ルー・ザロメという名前を聞いたことがありますか? ルー・アンドレアス・ザロメは、1861年にロシアのペテルブルクで生まれます。父親が貴族だったため、小さな頃から不自由のない優雅な環境で育ちました。金持ちの令嬢で、知的で美人、そして強烈な個性を持った女性です。 哲学者のニーチェ、プラハ生まれの詩人リルケ、精神分析のフロイトなど、多くのインテリたちが彼女に魅了されました。彼らのほとんどが一目惚れだったそうです。 ルーの魅力は50歳を過ぎても衰えることがなく、彼女よりもずっと年下の男たちも夢中になりました。しかしルーの情熱は早く冷めてしまい、いつも捨てられるのは男性側でした。出会ってから数年間、彼女と同棲したあと男性は突然捨てられてしまいます。男性たちは呆然自失になり「なぜなのか?」と考え、彼女の影を追い求めたのです。 今回の記事では、ルー・ザロメについて紹介したいと思います。

ルー・ザロメの虜になった人物として、オーストリアの詩人であるライナー・マリア・リルケがいます。20世紀を代表するドイツ語の詩人として知られています。チェコのプラハに生まれたリルケは、プラハ大学やミュンヘン大学で文学や哲学を学び、自らの詩的世界を広げていきました。ロシア文学やオーギュスト・ロダンの彫刻などに深い感銘を受けたリルケ。都会小説の先駆けである『マルテの手記』などを発表しました。
1879年、ルーは詩人リルケと出会います。このときルーは36歳、リルケは22歳の文学青年でした。彼女はリルケにロシア語を教えたり、ロシア旅行に連れて行ったりしたそうです。彼女は、リルケの名前を「ライナー」から「ライナー・マリア」に変えるように勧めています。4年間ほど愛人関係を続けますが、やがてルーはリルケに飽きてしまい、彼は捨てられました。
リルケは自暴自棄になり、他の女性と結婚しました。しかしルーのことが忘れられず、死ぬ間際のベッド上で医者にこう言ったそうです。
「私の何がいけなかったのか、ルーに聞いてください」
このときリルケは51歳、ルーは65歳でした。20年以上前になる彼女との思い出を、彼は忘れられなかったようです。
ルーがニーチェに出会ったのは彼女が21歳のときでした。場所はイタリアで、このときニーチェは38歳、ニーチェの親友パウル・レーは33歳でした。ニーチェとパウルは共に、ルーに求婚しましたが、2人とも振られてしまいます。
結婚はできませんでしたが、この男2人とルーとで「三位一体」の共同生活をすることになります。
恋愛に基づく男女関係なのですが、性的関係を排除した不思議な関係が生まれました。
この時期に、一緒に撮った3人の記念写真が残されています。ルーが荷車に乗り、その前にパウルとニーチェが立っている構図です。ルーはムチを手にしており、目の前にいる男2人(パウルとニーチェ)を、コントロールしているような印象を与えています。何とも奇妙な記念写真です。
この写真は、ニーチェやザロメの伝記本などで見ることができます。
※ニーチェの人生については「5分で分かるニーチェの人生」で詳しく解説しています。ぜひそちらもご覧ください。
しかし、この奇妙な三角関係は破局となりました。ルーが26歳のとき、突然結婚したからです。
結婚に至るまでの流れはよく分かっていませんが、相手はアンドレアスという、ベルリンの東洋語研究所でペルシア語を教える41歳の教授でした。ただ、この結婚でルーの出した条件が普通ではありません。
・結婚しても性的関係は持たない。
・ルーがパウル・レーなど他の男と会うことに干渉しないこと。
上記のような条件だったとされています。アンドレアスも普通ではない感覚の持ち主だったようで、この条件を受け入れてルーと結婚しました。アンドレアスとルーは生涯離婚もせず、法的には夫婦を維持しています。お互いがどんなに浮気しようとも、絶対に離婚には応じなかったのです。
そして、もう1つ普通でないことがあります。
ルーは夫との性的関係を断固拒否しましたが、夫のために代理妻(家政婦)を見つけてきたのです。しばらくすると、家政婦の女性とアンドレアスとの間に女の子が誕生しました。ルーは自分の子どもとして認知し、育てたそうです。
ルー自身は別に性的行為のできない女性ではありませんでした。実際に、彼女は妊娠したことがありましたが、中絶しています。その相手は夫のアンドレアスではなく、別の愛人でした。
先ほども少し触れましたが、ルーがリルケと出会ったのは1897年。ルーは36歳で、リルケは22歳でした。2人の愛人関係は4年ほど続きました。つまり、ルーはこのときアンドレアスの妻だったことになります。
しばらくするとリルケは捨てられ、彼も自暴自棄になって結婚するのですが、ちょうどこの時期「パウル・レーが自殺した」というニュースが入ってきました。
ニーチェの親友で、不思議な三角関係を築き、ルーに求婚もしたパウル・レー。他の男(アンドレアス)と結婚してしまったことがショックだったようで、彼は傷心を抱えたままルーのもとを去り、このあと投身自殺してしまったのです。
ルーもさすがにショックを受けます。「自分のせいだ」と、責任を感じたのでしょう。彼女は精神科に助けを求めました。
ピレネース博士という医者に救いを求めたのですが、やはりと言うべきでしょうか、いつの間にか愛人関係に…。ピレネース博士はルーに離婚するように頼むのですが、ルーは拒否します。しかし、彼女は妊娠してしまいます。このあとルーの意志で中絶されたようです。ピレネース博士はやがてルーに捨てられますが、生涯独身を貫き、ウィーン大学の立派な医者となりました。
ルーがフロイトに出会ったのは、1911年ごろでした。国際精神分析会議に参加したことで、ルーはフロイトと知り合いになります。彼女はフロイトから精神分析の知識を深めようとし、親密な書簡を交わしました。ルーはフロイトの弟子となり、精神分析家として開業します。フロイトの誕生日に彼女は自分の肖像画をプレゼントしたそうです。
ルーは、美貌と知性を兼ね備えた女性でした。文章家としても優秀で、自分が知り合ったインテリ男性たち(ニーチェやリルケ、フロイトなど)の評論を書き、精神分析関連の本も多く書きました。『ルー・ザロメ著作集』が出版されており、日本語訳(全5巻・別巻1)もあります。
ルーはフロイトと出会ったとき、50歳で、フロイトよりも5つ年上でした。フロイトとは愛人関係に至らなかったようですが、精神分析学を学ぶ多くのインテリたちと愛人関係を築きます。
まずビエレという精神科医が相手となりました。彼は妻帯者で、50歳のルーさんよりも15歳年下の35歳でした。彼とは二年間ほど同棲したそうです。
ビエレの次はタイスク博士という人で、彼は16歳年下の35歳でした。ルーはやがてタイスク博士を捨てましたが、タイスク博士は自暴自棄になって他の女性と婚約しました。リルケと同じパターンです。
ただ、タイスク博士の場合は少し変わっていて、彼は結婚1週間前、自ら去勢して自殺したそうです。タイスク博士は自身の性器を自ら切り落として、自殺したと言われています。享年42歳でした。
ルーの正夫アンドレアスさんは1930年に亡くなりました。リルケも1926年に亡くなっており、パウル・レーは自殺してしまいもういません。晩年のルーさんはフロイトを助け、精神分析学に熱中しました。たくさんの文章も書いています。
家政婦の女性とアンドレアスとの間に生まれた、例の女の子は成長して結婚。娘は晩年のルーを支えました。
ルーが亡くなったのはナチス時代の1937年で、場所はドイツになります。死因は尿毒症で、享年76歳でした。ナチスがフロイト派の一掃を進めていたため、ルーはちょうどいいタイミングで亡くなったと言えるかもしれません。彼女が亡くなって数日後、ゲシュタポがルーの家を捜索し、彼女の蔵書を押収していったそうです。
西研 (2012) 『NHK「100分de名著』ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ』NHK出版
- 著者
- 西 研
- 出版日
ニーチェの思想がどのような背景から生まれ、またどのような影響を与えたのかを分かりやすく解説した一冊です。ニーチェの代表作である『ツァラトゥストラ』は、ニーチェがルーと大きく関わっていた時期に執筆されました。ニーチェは、神や道徳などの外的な価値観に縛られず、自分自身を肯定する「超人」を目指すべきであると主張。また「永遠回帰」という概念を用いて、人生は無限に繰り返されるとしたら、どう生きるべきかという問いを投げかけました。ザロメに関する記述も含まれています。ニーチェの思想が簡潔にまとめているため、初心者の方におすすめです。
リルケ(2014)『マルテの手記』(松永美穂訳)光文社
- 著者
- ["ライナー・マリア リルケ", "Rilke,Rainer Maria", "美穂, 松永"]
- 出版日
ザロメと恋人関係であった詩人リルケによる唯一の長編小説になります。パリでの孤独な生活を送るデンマーク出身の青年詩人マルテが、街や人々、芸術、自身の思い出などについて、断片的な随想を書き連ねた作品です。詩人リルケによる魂の告白とも言える作品とも言えるでしょう。生きることの苦悩や自己批判、芸術や哲学に対する考察が記されている場面もあり、繊細な筆致によって微妙な感情を表現する技術は、ザロメとの交流を通じて培われたのかもしれません。
小此木啓吾、河合隼雄(2013)『フロイトとユング 』講談社
- 著者
- ["小此木 啓吾", "河合 隼雄"]
- 出版日
日本を代表する精神分析学者である小此木啓吾と河合隼雄の対談集です。精神分析学の創始者であるフロイトとユングの思想と人生について詳しく語られています。二人の研究者(フロイトとユング)は「人間の心の深層」を探究しましたが、やがて対立・決別しました。本書では、二人の思想の違いだけでなく、彼らの人間性や背景についても詳しく掘り下げています。またルーに関する記述も少しあるため、興味のある方はぜひ読んでみてください。