「働かざる者食うべからず」という言葉が示すように、労働は現代社会で不可欠であると認識されています。 しかし、労働の果てに人類は疲弊しているかもしれません。 哲学者ハンナ・アーレントは、人間の衣食住を満たすため、つまり生物として生きるために労働は必要だと考えました。 その一方で、労働が人々の精神や創造力を犠牲にしていると言います。 働き過ぎによって「人間は人間らしさを失ってしまうのではないか」という憂慮が、彼女にはあったのです。 働き方改革やワークライフバランスが求められている現代社会で、アーレントの労働論を改めて吟味し、働き方について考えることはとても有益ではないでしょうか。 今回の記事では、アーレントの労働論をわかりやすく紹介したいと思います。

アーレントは『人間の条件』や『革命について』などの書籍で知られています。『人間の条件』は人間の労働について、また『革命について』はフランス革命とアメリカ独立革命について、それぞれ分析しています。
『人間の条件』で、アーレントは人間の生活を3つのカテゴリーに分類しました。「労働」「仕事」「活動」です。
そのなかで彼女は「労働」を最も低いレベルであるとしました。生存するために必要なものを生産するのが「労働」です。あくまでも労働は生物的な欲求を満たすものに過ぎない、とアーレントは主張します。
労働は「必要性」によって決まり、消費されるものを作り出します。必要性とは「生物として人間が生きていくために必要なもの」を意味します。人間にとって食べることや寝ることは、生きていくうえで必要性に基づく行為です。また労働によって税金を払うことも、必要性に基づく制約になります。
「労働」が優先される近代社会では、必要性に迫られた「動物」としての人間が増殖してしまい、本来の人間らしさが失われてしまう。このようにとアーレントは指摘しました。
彼女は「活動」こそが人間らしさを発揮する、最も重要な源泉であると考えます。「活動」とは、他者と交流する行為であり、具体的には社会(政治)参加を意味します。「活動」こそが「人間の自由」を実現する、最高の形態であると信じていたからです。
アーレントによると、貧乏人による革命は成功しません。貧乏人には精神的余裕がないため、自由を実現する「活動」ができないからです。
アーレントにとって自由とは「活動」への参加を意味します。「活動」とは、人々が自由に対話し、政治を行う場所です。学校の生徒会をイメージすると分かりやすいかもしれません。アーレントは活動を確保するためには、権力の構成が必要だと主張しました。「活動(政治)」によって人々が相互に協力し、共に議論することで権力が構成されるのが理想です。
こうした問題意識から、アーレントは『革命について』のなかで、歴史上で2つの有名な革命(フランス革命とアメリカ独立革命)を比較します。
フランス革命は失敗したと主張するアーレント。その理由は貧乏人が主導したためだと考えました。貧乏人は生存のために必要な「労働」に追われているため、最も重要である「活動」という政治的な作業に無関心になってしまいます。
貧困を解消することに固執した貧乏人は「労働(必要性)」を、政治の問題にしてしまったのです。その結果として、本来の政治(活動)は行えず、自由の実現に結びつきませんでした。繰り返しになりますが、必要性とは「人間が生きていくために必要なもの」を意味します。必要性に捕らわれてしまうと、人間の自由や創造性を奪ってしまうとして、アーレントは必要性を否定的に捉えていました。
一方のアメリカ独立革命が成功した理由は、貧乏人ではなく中産階級が主導したためだと考えました。中産階級とは、生活に余裕がある人々です。
3つのカテゴリー(「労働」「仕事」「活動」)のなかで、中産階級は「仕事」に従事しています。普段は人工物を作り出す創造的な仕事をしています。そのため「活動」という、政治的な作業にも興味を持っていました。自分たちの幸福だけではなく、社界全体の幸福を考えられる中産階級の人々は、自由を目指して政治を行うことができまたのです。そのため自由の実現に成功したのです。
このような理由からアーレントは、貧乏人による革命は成功する見込みがないと考えます。貧乏人には教養や精神的余裕がなく「必要性」に支配されているからです。彼らは「活動」という自由の本質を理解できないため、正しい政治を行えないのです。
議論を重視する彼女は暴力の使用に批判的な立場を取ります。1960年代から始まった新左翼運動が、暴力的な戦術を取ることに深い嫌悪感を感じていました。民主主義の理想に対する裏切りであると考えたからです。
アーレントが期待する革命は、生活に余裕のある人々が主導する革命です。
古代ギリシアの社会を理想とするアーレント。しかし古代ギリシアの自由は、奴隷制に支えられていました。アリストテレスは「奴隷制がなければ民主主義もない」とさえ言っています。
市民が自由な「活動(政治)」をしているとき「労働」によって、経済を回すのは奴隷だからです。
「自由な市民」とは「労働」から解放された人々を指します。古代ギリシア市民と違い、現代人は奴隷を持てません。現代に奴隷制度を復活させることはできませんが、経済成長と技術革新によって豊かな社会が実現すると、多くの人々が余裕ある生活を送れるようになります。働く必要がなくなった人々は、精神的にも余裕が生まれ、自由な立場から政治に参加できるようになります。
「技術革新が進んだ現代社会ならば、話し合い(討議と説得)によって自由な政治制度を作ることができる」。このようにアーレントは考えました。お金(経済)の心配から解放された人々によって、自由な社会と政治がはじめて成立すると考えたからです。
ソ連の崩壊後、豊かな先進国でアーレントが読まれるようになった理由は、このあたりにあるのかもしれません。
アメリカ独立革命を絶賛したアーレント。しかしアメリカの現状にも不満があります。
具体的には、代議制度(間接民主制)です。この制度では、民衆が選挙で代理人(議員)を選び、政治は議員たちの仕事となります。そのため代議制度は「政治の世界から民衆を遠ざけてしまう」と、アーレントは考えたのです。
アーレントは、代議制度では自由な政治を行えないと考えました。この考え方はルソーと同じです。
アーレントが望むのは、「評議会制度」です。フランス語では「コミューン」、ロシア語では「ソヴィエト」、ドイツ語では「レーテ」と呼ばれます。民衆によって組織されたグループで、革命のとき自然発生的に生まれました。
評議会制度とは民衆が政治に直接参加するシステムであり、議員に政治を委任するのではなく、直接民主主義を基本としています。アメリカでは「タウン・ミーティング」がその一例です。自治とは地域住民が議員に頼らず、自ら政治を運営することで、その手段として評議会が存在するのです。
この評議会は、ロシア革命でも一時は大きな力を持ちました。
レーニンは「すべての権力をソヴィエトへ!」と叫びました。「すべての権力をボリシェヴィキへ!」と叫んだわけではありません。「すべての権力を国民へ!」と言ったとしても、「すべての権力を○○党へ!」と叫ぶ政党はいません。そんなことを言えば、誰も投票(支持)しないからです。
しかしロシア革命が成功し、ボリシェヴィキが権力を握ると、今度は評議会(ソヴィエト)が邪魔になりました。
民衆による直接統治を基本とする評議会は、独裁政治にとって邪魔になるからです。評議会は意見や文句を聞いていたら、とてつもなく時間がかかってしまいます。そのため評議会制度は実質的に消滅させられ、ボリシェヴィキ党の独裁に変わりました。残ったのは「ソヴィエト」という名前だけでした。
ところが1956年、ハンガリーでソ連の支配に反対する民衆暴動が起こります。蜂起した民衆は評議会を作り、共産党(ソ連)に抵抗したのです。
アーレントはこの出来事に感激。「評議会の復活だ!自由の復活だ!」と彼女は叫びました。
ハンガリーの暴動はソ連軍の戦車によって粉砕されましたが、彼女は自由の復活を見たのです。ハンガリーの民衆による蜂起は、貧困からの解放が目的ではなく、アメリカ革命と同じく自由を求めたためである、とアーレントは解釈しました。
ハンガリーの評議会やアメリカの「タウン・ミーティング」の原点は同じです。民衆による自発的な自治が自由の源泉であると、アーレントは言います。
評議会の思想は、かつてのソビエト連邦が採用していた国家社会主義(中央集権主義)と対立します。また通常の国家で運営されている政党支配とも異なるのです。評議会制度は国家や政党が権力を独占するのではありません。
アーレントの理想は民衆自身が政治に参加し、自治的に政治を行うことなのです。
アーレントの評議会には特異な側面があります。
彼女が提案する評議会は、経済の管理・運営に干渉してはいけません。経済は専門家の能力が必要な領域であり、素人が口出しする場ではありません。経済の領域で求められるのは、自由な討論ではなく、実務的な能力と専門知識を持つ経営者です。経済において自由は適さず、最適な管理技術が優先されます。
経済の領域において自由は存在せず、ほとんどの民衆が政治の世界で生きるのが理想です。評議会に集うのは古代のアテネ市民(自由人)ような人々です。
アーレントに従うと、経済は政治の介入を受けません。経済は専門家たちの能力が必要とされる分野になるからです。素人には判断できない世界になります。話し合いを行い、適切な答えにたどり着く作業が政治になります。
あくまでも経済は自由な活動(政治)を成立させるための手段でしかありません。「豊かな社会を実現する」という答え(目的)が、経済にはすでに存在します。自由な討論は経済に必要なく、求められるのは「目的への効率性」です。
経済が成長するためには、専門家に一任した方が効率的なのです。
ここでも古代アテネ市民の生き方を理想とする、アーレントの思想を垣間見ることができます。「奴隷がやるような労働なんかするな」ということです。
今までの内容を確認すると「活動」こそ、人間らしさを発揮する場面になります。アーレントに従えば、近代社会の諸問題を克服するには、古代ギリシアで行われていた「活動」を復活させる必要がありました。
しかし活動を成り立たせるためには、労働から解放され、経済的な不安を排除しなくてはいけません。果たして人類が、労働から解放されることなど実現可能なのでしょうか。
そして、もし人間が経済(貧困)や労働から解放されたならば、私たちは政治で何を議論するのでしょうか。好意的な解釈をすればアーレントは、政治問題として貧困や労働を議論する必要のない世界を想定していた、と考えることもできます。
自動的に豊かな富が生み出され、経済が成長し、貧困や労働がまったく存在しなくなる世界です。
アーレントが想像するのは、すべての労働がオートメーション化され、人類が労働から解放された世界です。この労働から解放された世界は、まさにマルクスが理想としていた世界でもあります。彼女はマルクスに関する多くのノートを残しており、マルクスが書いた「オートメーションと自由の王国」に強い関心を持っていたことが分かっています。
マルクスが予想する未来では、すべての商品生産は機械によってオートメーション(自動)化され、人類は働く必要性がなくなります。アーレントがマルクスに関心を示したのが、まさに「労働の自動化」の部分です。
経済が自動的に成長すれば、暇な時間が飛躍的に増えるため、貧困から解放された市民の政治(活動)への参加が容易になる。このように彼女は考えたからです。
またマルクスと同じように、イギリスの経済学者であるケインズも「経済のオートメーション化は可能である」と主張しました。経済の適切な管理と成長によって世界は貧困問題から解放される、とケインズは考えたのです。
しかし、ケインズには懸念事項がありました。「人類は暇に耐えることができるのか」という問題です。無教養な人々が労働から解放されても、酒やパチンコに時間を費やしてしまい、むしろ精神的な堕落に繋がってしまうのではないか、とケインズは心配しました。
労働から解放された人類は、アーレントの言うように政治に参加するのでしょうか。
マルクスやケインズが予言した経済のオートメーション化ですが、徐々に人類は実現しつつあります。AI(人工知能)の進歩によって、少しずつ人間の労働がAIに置き換わっている状況です。しかし人類が貧困や労働から解放される気配は、今のところ残念ながらありません。
『サピエンス全史』で有名なユヴァル・ノア・ハラリ氏は、今後の人類は「AIを使いこなす」側と「AIに利用される」側に分断されると主張します。人工知能(AI)とバイオテクノロジーの発展によって、一握りのエリート層が大半の人類を「ユースレスクラス(無用者階級)」として支配する可能性を指摘。またエリートでさえ世界の複雑化に付いていけず「AIが弾き出すアルゴリズムに従わざるを得ない」と、ハラリ氏は予想するのです。
オートメーション化された未来の世界で、私たちは古代ギリシア市民のような自由な政治を体験できるのでしょうか。また労働から解放された世界は、本当にユートピアなのでしょうか。
たしかにケインズが懸念するように、労働から解放された人類は堕落する可能性があります。
しかし現代社会において、人々の健康や倫理観の低下をもたらしている原因が、過度な労働と貧困にあることは疑いようがありません。労働環境を含めて見直しは必要不可欠です。アーレントの主張する「労働」「仕事」「活動」という労働論は、今後の働き方を考える上で参考になる理論と言えるでしょう。
ハンナ・アーレント(2023)『人間の条件』(牧野雅彦訳)講談社
- 著者
- ["ハンナ・アレント", "牧野 雅彦"]
- 出版日
ユダヤ人だったため、ナチスに迫害されたハンナ・アーレント。彼女はナチスの残虐性は「どこから来るのか」「どうやったら防げるのか」について考えました。本書ではタイトルに通り“人間”について書かれています。人間が“人間”でいられるのは、どういった条件なのかについて分析しています。人間は、生きるために働いたり、何かを作ったり、他の人と話したりします。アーレントはそれぞれを「労働」「仕事」「活動」と呼びます。そのなかで、活動が最も重要であると言うのです。活動とは「他の人と言葉でつながること」であり、まさに政治そのものになります。人間は活動を通じて自由になり、人間らしさを発揮することができるのです。しかし今の社会は「労働」と「仕事」ばかりで「活動」が少ないため、多くの問題が生じていると、アーレントは指摘します。
牧野雅彦(2023)『精読 アレント「人間の条件」』講談社
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- 牧野 雅彦
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『人間の条件』はとても難しく、多くの読者が挫折してしまうかもしれません。本書は『人間の条件』を正しく理解するためのガイドブックとして書かれたものです。著者である牧野先生は、アーレントの思想をわかりやすく解説してくれています。また、アーレントの思想に対する賛成意見や批判も紹介し、その意義や問題点も考察されています。『人間の条件』を読む前に予備知識として読むこともでき、また原著を読みながら参照することもできます。アーレントの思想に興味がある人はもちろん、現代社会における人間の在り方や政治の意義について考えたい人にもおすすめです。
ユヴァル・ノア・ハラリ(2022)『ホモ・デウス 上 - テクノロジーとサピエンスの未来』(柴田裕之訳)河出書房新社
- 著者
- ["ユヴァル・ノア・ハラリ", "柴田 裕之"]
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『ホモ・デウス』は、人工知能(AI)とバイオテクノロジーの発展によって、人類の未来がどのように変わるかを予測した歴史哲学のベストセラーです。ハラリ氏は、AIとバイオテクノロジーの融合によって、いずれ人間が神に近づくかもしれないという「デウス化」の可能性や、一部のエリートが大半の人類を「無用者階級」として支配するかもしれないという「分断化」の危険性を指摘しています。