5分で分かるデカルトの人生|「我思う、ゆえに我あり」名言で読み解く彼の人生|元教員が解説

更新:2026.5.20

デカルトは、近代哲学の祖とも呼ばれるフランス生まれの哲学者であり、数学者でもありました。 「合理主義」と言われる思想家であり「方法的懐疑」という思考法を用いて「我思う、故に我あり」という有名な名言を残しました。 また数学では、デカルト座標系や微積分などの発明者でもあります。 今回の記事では、デカルトの名言に触れながら、彼の人生を振り返ってみたいと思います。 デカルトはどのようにして自身の哲学を追求したのでしょうか? 。 分かりやすい言葉で説明するので、ぜひお付き合いください。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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デカルトの生い立ち  

ルネ・デカルトは、1596年にフランス中部にあるラ・エーで生まれます。裕福な法服貴族の家で、父親から大きな遺産を相続したため、生涯にわたってお金のために働く必要はありませんでした。しかし母親を1歳のときに亡くし、幼少期から病弱であったと言われています。

10歳のとき、イエズス会のラ・フレッシュ校に入学し、数学や哲学などを学びました。幼い頃から健康が悪かったため、学校では寝坊することが許されていました。彼は「寝ることは私の最高の業」と言ったそうです。大学で法学を専攻しましたが、父親の仕事を継ぐことはありませんでした。

軍隊に入り、ヨーロッパ旅行 

22歳になると、オランダにわたり軍隊に入りました。デカルトが入隊した年(1618年)に「三十年戦争」という戦争が始まりました。この戦争は1648年まで続きます。そのため「三十年戦争」と呼ばれています。主にドイツを舞台に戦争が展開され、デカルトも軍と一緒にドイツ各地を移動しました。軍人になったといっても、デカルトは貴族でした。かなり自由に行動できました。

デカルトの場合、嫌になればいつでも辞めることができました。軍隊への在籍自体がそもそも無給で、給料はなく、費用は自己負担でした。実戦に参加するわけでもありません。さまざまな都市をめぐり、知的な人々と交流し、数学や哲学を学びました。

戦争というよりも、軍と一緒にヨーロッパ旅行をしている感覚です

1618年、デカルトの軍隊がオランダのブレダに入っていたとき、彼はビークマンと出会います。ビークマンは、アトム主義や機械論的な哲学を支持する素人科学者でした。彼はデカルトに代数と幾何の関係を教え、デカルトはビークマンの影響を受けて解析幾何学を発展させました。しかし、デカルトとビークマンの関係は後に険悪になり、デカルトは自分がビークマンから何も学んでいないと否定しました。

翌年(1619年)ドイツのウルムで冬営中、デカルトは3つの夢を経験しました。夢のなかで、デカルトは自然科学と哲学の統一的な方法論を、神から教えられたと感じます。このときの内容を日記に書き留め「オリュンピカ」と名付けました。彼は夢から得た方法論を「普遍的な数学」と呼び、代数や幾何だけでなく物理や倫理も含む、万物の原理と法則を発見できると考えます。

この夢はデカルトの思想に大きな影響を与え、彼の哲学的探求の出発点となりました。

オランダへの移住  

デカルトは1628年に軍を辞めます。3~4年ほど在籍しました。辞めた理由は分かりませんが、おそらく軍隊の規律や戦争の悲惨さに嫌気がさしたのでしょう。

悠々自適な生活 

彼はフランスを離れ、オランダに移りました。このとき32歳でした。フランスの友人たちとの付き合いが面倒になったとされています。当時のオランダは文化の水準が高く、言論が比較的自由で、知識人にとって住みやすい国でした。それから21年間、デカルトはオランダで暮らしましたが、その間にアムステルダム、ライデン、ユトレヒト、エールメロなどの都市に住みました。彼は自分の思想が敵対者や批判者によって歪められることを恐れていました。

デカルトはオランダで多くの友人や親交を得ました。

そのなかには、数学者のクリスティアーン・ホイヘンスや哲学者のスピノザなどがいます。ホイヘンスとは数学や物理学について手紙でやりとりしました。スピノザと直接会ったことはありませんが、彼の著作『エチカ』には、デカルトの影響が強く見られます。

デカルトはフランスの友人・知人・親族との付き合いは最小限にし、オランダで1人で暮らしました。親の遺産で暮らすことができたため、お金の心配はありません。自由気ままな悠々自適の生活でした。

オランダで多くの書籍を執筆 

オランダ滞在中、デカルトは『方法序説』『省察』『哲学原理』など、主要な著作を発表します。これらの著作のなかで、彼は独自の哲学的方法を展開しました。彼はあらゆる先入観や権威から自分を解放し、疑い得るものはすべて疑ってみることを主張します。そして自分自身や神の存在など、疑いようのない真理を見つけることを目指しました。

真理を探究するのであれば、人生において一度は、あらゆる物事をできる限り深く疑ってみる必要がある。(方法序説)

デカルトは物質(自然)と精神(理性)を本質的に異なる2つの実体と考えました。物質は「空間的に拡大するもの」であり、精神は「思考するもの」であると定義します。

自然には機械的な法則が支配する一方、精神には自由意志や神の存在が関わるという見解を主張しました

彼の哲学は近代哲学や自然科学の基礎となりましたが、同時に多くの批判や反論も引き起こしました。デカルトはオランダでの生活を通じて、知的交流を楽しみながら自らの哲学を磨き上げていったのです。

娘との悲しい別れ

生涯を通じてデカルトは結婚をしませんでしたが、女性との付き合いはありました。彼が39歳の時、友人の家で働いていたヘレンと関係を持ち、子どもを産みました。デカルトはヘレンと娘であるフランシーヌを愛しており、一緒に住むためオランダのデーフェンテルに移ります。しかし、娘のフランシーヌはわずか5歳で亡くなってしまいます。デカルトはフランシーヌの死を受けて深く悲しみ、それ以降、女性との関係を避けるようになりました。ヘレンとの関係もそれっきりだったようです。

自信家だったデカルト  

学者という生き物はたいてい自信家であり自尊心の強い人です。自分が世界で一番であると思っています。大したことない学者でもそう考えているのですから、偉大な人であればなおさらです。デカルトも自分の思想に強い自信を持っており、名声を求めていました。しかし、他者の批判に対して過敏で攻撃的でした。

数学者とたびたび論争

フェルマーとは幾何学の方法論や方程式の解法について論争し、デカルトは「(フェルマーの数学は)糞だ」と罵る手紙を書いています。パスカルとは真空実験や確率論について論争し、デカルトはパスカルの真空実験を否定しています。「この世に真空が存在するとするなら、それは唯一、パスカルの頭の中だけだ」と言ったそうです。しかしデカルトの主張は間違っており、のちに真空ポンプや水銀柱実験などで真空の存在が証明されました。

だれかが僕の感情を害するとき、悪意が届かないように自分の魂を高く上げるんだ。(方法序説) 

このようにデカルトは言いましたが、実際は違ったようです。

彼には「自分は常に正しい」という思い込みがあったかもしれません。「私は思うゆえに私はある」という有名な言葉によって、彼はあらゆる先入観から解き放たれたと主張します。しかし、その一方でデカルトは自分自身の哲学を最高基準と考えていたのです。彼の晩年は、他者からの学びや異なる視点への理解を拒否する傾向がありました。「私以外誰も何も知らない」とも言ったそうです。  

デカルトの不遜な態度は、彼の哲学や科学への貢献を否定するものではありません。しかし彼が誤りや偏見を認めない人間であったことを、示しているエピソードと言えるでしょう。

ストックホルムで亡くなる

デカルトの最後は、あっけないものでした

スウェーデンの若い女王であるクリスティーナが、デカルトの哲学に興味を持ちます。22歳の女王はデカルトに対してストックホルムに来て、講義をしてほしいと依頼をしました。相手は大国スウェーデンの女王です。断り切れない事情もあったのか、デカルトはオランダを離れて、ストックホルムに旅立つことになりました。1649年11月の出来事で、デカルトは53歳でした。

しかしストックホルムでの生活が、デカルトにとって命取りとなりました。普段のデカルトは、たっぷり10時間は寝ていました。昔から寝坊がちで、お昼頃までベッドでゴロゴロするのが習慣です。しかし王宮での生活となると自由は効きません。女王の都合が最優先です。女王への講義はなんと朝の5時に始まることになりました。

冬のスウェーデン…。「思想も凍る」と言われた寒い北国です。加えて朝5時に起床しなくてはいけません。宮殿も寒かったに違いありません。デカルトは風邪をこじらせ、あっという間に亡くなってしまいました。

1650年の2月11日、デカルトは亡くなります、53歳と11ヶ月の人生でした。 

書籍紹介

齋藤孝(2020)『仕事に使えるデカルト思考 「武器としての哲学」が身につく』PHP研究所

著者
齋藤 孝
出版日

デカルトの思考法を現代のビジネスに応用する方法を紹介しています。デカルトは、疑いや不確かさを排除し、明確な真理にたどり着くために、4つの原則を提唱しました。①自分が確信できることだけを受け入れること、②問題を分割して小さくすること、③順序立てて整理すること、④全体を見失わないことです。本書では、これらの原則を具体的な事例やワークシートを用いて解説し、仕事での課題解決や意思決定に役立てる方法を示しています。デカルト思考は、複雑で曖昧な現代社会において、自分の頭でしっかりと考える力を養うための有効な方法です。そんなデカルトの魅力と実践法をわかりやすく伝える一冊です。

ドゥニ・カンブシュネル(2021)『デカルトはそんなこと言ってない』(津崎良典訳)晶文社

著者
["ドゥニ・カンブシュネル", "津崎良典"]
出版日

デカルトの思想を批判的に検証するのが本書の目的です。デカルトは西洋哲学の父として知られていますが、彼の言葉や考え方はしばしば誤解や曲解が多くあります。本書ではデカルトの主要な著作や手紙のやり取り、さらに生涯を引用しながら、デカルト哲学が本来持つ意図、また影響力や限界を探っていきます。本書は、デカルト哲学に対する一般的な誤解を正し、彼の思想の本質や価値を再点検するための一冊になっています。

シャルル・ペパン(2022)『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』(永田千奈訳)草思社

著者
["シャルル・ペパン", "永田 千奈"]
出版日

フランスの高校で必修となっている哲学の教科書をもとにして、10人の代表的な哲学者を紹介したのが本書です。「プラトン、アリストテレス、デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、サルトル、フーコー」という10人の哲学者について、彼らの生涯や社会的背景、主要な著作や思想の特徴がわかりやすく解説されています。デカルトについては「方法序説」や「省察」などの著作から「我思う、ゆえに我あり」や「方法的懐疑」などの思想が紹介されています。フランスの高校生が学んでいる教科書を通じて、哲学の基礎知識を身に付けることができる一冊です。

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