5分で分かるハイデガーの人生|ナチスに加担した20世紀最大の哲学者の真実|元教員が解説

更新:2026.5.20

ドイツの哲学者であるマルティン・ハイデガー。 ある人々から言わせると、20世紀最大の哲学者にして予言者になります。 ドイツだけではなくフランス思想界への影響も大きく、サルトルやメルロー=ポンティ、フーコーやデリダなど…名だたる大物にも大きな影響を与えました。 その一方、ハイデガーに批判的な人々にとっては、単なる誇大妄想の病人に過ぎません。 彼の語ることは無意味な言葉のゴミです。 ハイデガー哲学など論じるに値しないと思っており、このように考える人々は英米系の哲学者に多い傾向です。 そしておまけにハイデガーは「ナチス」でした。 今回の記事では、ハイデガーの人生を紹介します。 ハンナ・アーレントとの不倫、ナチスとの関わりについて、詳しく見ていきたいと思います。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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ハイデガーの生涯

1889年、ハイデガーはドイツ南西部の小さな村に生まれました。人口数千人のメスキルヒという寒村です。父親は職人で、村の教会で雑務的な仕事をこなしていたようです。深い森に囲まれた農村の暮らし、素朴な(と言われている)両親と村人たち、こうしたものがハイデガー哲学の背景にあると言われます。哲学者が自らの思想を形成するにあたって、育った環境がどのくらい反映するのかはよく分かっていません。ハイデガーは都会の生活を嫌い、田舎の生活を愛していました。

1909年、ハイデガーは高校を卒業して、まずイエズス会(カトリックの男子修道会)に入ります。修道士になることを目指しましたが、進路を変更。大学の神学部に進み、のちに哲学に専攻を変えています。

アーレントとの出会い、そして不倫関係へ

大学を失業したハイデガーは、順調に出世コースを歩みます。26歳のとき、母校であるフライブルク大学の講師になりました。1923年、同大学の助教授となります。ハイデガーが34歳のときです。

このときハイデガーは、ハンナ・アーレントと出会います

年の差は17歳

当時のアーレントは18歳くらいの可愛い女子学生でした。ハイデガーの方から声をかけています。そのあたりは普通の男と一緒です。しかし彼にはすでに妻子がいました。

2人はいわゆる不倫の関係となりました。2人の往復書簡もありますが、残っていたのはアーレントの方だけ、つまりハイデガーが書いた手紙だけです。アーレントの手紙は問題の発覚を恐れて、ハイデガーは破棄しています。

1924年、このときハイデガーは『存在と時間』をまだ書いておらず、無名の哲学教授でした。しかし講義の面白いと口コミで広がり、ドイツ中から優秀な学生が集まったそうです。当時ドイツに留学していた日本の哲学者である三木清が、ハイデガーの講義に関するノートを残しています。ハイデガーの文章はとても難解ですが、話(講義)は実に分かりやすかったそうです。

そのため、学生の中には失神する者さえいたそうです

ハイデガーは用心深い性格です。マーブルクという狭い田舎の街だったため、周囲に気付かれないよう細心の注意を払います。人気のない公園で密会したり、彼の家族が旅行中に自宅に呼ぶなどして、関係を続けていました。しかし2人の関係が噂になると、ハイデガーはアーレントと距離を置こうとします。

性格が悪いハイデガー

「自分のところで勉強するより、ハイデンベルクのヤスパース君の下で学んだ方が、君のためにはいいだろう」と、彼女をハイデンベルクに送り出してしまうのです。

ハイデガーの自分勝手な性格の悪さが滲み出ています。ハイデガーの対応にアーレントも少し怒っていたようで、ハイデンベルクの住所を彼に教えませんでした。するとハイデガーは、別の弟子を使って調べさせています。

結局アーレントがハイデンベルクに移ったあとも、2人の関係は続きました。マーブルクとハイデンベルクの中間にある街で会ったり、ハイデガーがアーレントを訪ねています。1929年、アーレントはハイデガーに嫌がらせをするかのように、他の男と結婚してしまいます。しかし結婚後も、2人はときどき会っていたようです。

そんな2人の関係ですが、1930年ごろからおかしくなります。

ハイデガーがナチスに加担し始めるからです。ユダヤ人であるアーレント、ハイデガーに対して「あなたには反ユダヤ主義という噂があるが…」という手紙を書き、一時的に関係が切れてしまいます。このあとアーレントはフランスに逃げます。1941年、なんとかアメリカに亡命し、政治哲学を学び、才能を開花させました

ナチスに加担するハイデガー

一方のハイデガーは1933年にナチスが政権を獲得すると、フライブルク大学の総長に就任し、ナチスにも入党します。一時は「戦う総長」と呼ばれ、ナチスを支持するような講演を積極的に行っています。ハイデガーの妻もゴリゴリのナチだったそうです。

しかし1年後には、総長を辞任。政治から身を引きましたが、そのあともナチス党員ではあり続けました。彼の言い訳では、辞任後もナチスの監視下に置かれていたからだそうです。

第二次世界大戦後、ハイデガーはナチスに加担した罪で公職追放になります。追放されてしまうと年金がもらえないため、ヤスパースにお願いをして追放を解除してもらうため、一生懸命に働きかけたそうです。やはり自分勝手な性格は相変わらずなようです。

そうしたなかアメリカに亡命していたアーレントが、ナチスに没収されたユダヤ人の財産を調査するメンバーとして、ドイツに帰国します。

1950年2月、2人は再会したのです。アーレントは新進気鋭の政治学者として成長しており、のちに世界的な名著となる『全体主義の起源』の発表を翌年にひかえていました。ハイデガーは61歳、アーレントは44歳になっていました。

ナチスについて何も語らなかったハイデガー

20世紀の哲学界に大きな影響を与えたハイデガーは、1976年に亡くなっています。86歳でした。アーレントも1年前(1975年)に、ニューヨークの自宅で心臓発作を起こし、この世を去っています。69歳でした。

第二次世界大戦後、多くの人々がハイデガーに“あのこと”について質問しました。「なぜナチスに入党したのか」「ナチであったことをどう思っているのか」「反省しているのか」と…。

ユダヤ人のハイデガーの弟子たち(マルクーゼなど)が問い詰めます。しかしハイデガーは何も答えず、黙ったまま死んでいったのです。

ハイデガーはナチだ! ハイデガーへの告発者

1961年、スイス在住のG・シュネーベルガーという人が『ハイデガー拾遺』という本を出します。彼はナチス時代のハイデガーに関する新聞・雑誌などの記事を丹念に収集し、それをまとめて本にしました。そのなかには、ナチスの党支部が出した新聞の資料もあり、ハイデガーがかなり深くナチスに関わっていたことが分かりました

日本でも出版されています。

著者
["グイード・シュネーベルガー", "山本 尤"]
出版日

しかしシュネーベルガーは、この資料集をドイツで出版することはできませんでした。ドイツの出版社が出版を拒んだからです。そのためシュネーベルガーは仕方なく自費で出版します。しかし大きな話題になることはありませんでした。

しかし次に起きた事態は、フランスを巻き込んだ大騒動となります。

ファリアス騒動

1987年、ヴィクトル・ファリアスというドイツ在住の哲学者が『ハイデガーとナチズム』という本をフランスで出版します。

著者
["ヴィクトル ファリアス", "尤, 山本"]
出版日

この本の内容をまとめると以下のとおりになります。

・ハイデガーのナチス入党は真剣に考え抜かれた行為である。政治オンチで世間知らずの教授による「ちょっとした間違い」なんかではない。

・ハイデガーは筋金入りのナチであった。

・ハイデガーの哲学とナチスは密接に結びついている。

『存在と時間』の哲学はまさにナチスの哲学なのだ

1940年、ファリアスは南米のチリに生まれます。60年代にドイツへ留学し、ハイデガーの指導も受けた哲学者になります。『ハイデガーとナチズム』の出版にあたって、彼も最初はドイツで出版社を探しましたが、引き受けるところはありませんでした。そのため、やむなくフランスで出版します。

この判断が大当たりし、大反響を呼ぶことになります。

ファリアスによれば「ハイデガー=ナチ」であり、したがって「ハイデガー哲学の信奉者=ナチ的傾向あり」という論理です。ハイデガー・ファンには左翼が多かったため、政治的な論争も引き起こします。「左翼はナチ的だ」ということになるからです。フランスの反ハイデガー派は大喜びし、ハイデガー・ファンは激怒。ファリアスへの個人攻撃も始まります。「ファリアスは西欧の民主主義を破壊するために、チリから送られてきた悪党だ」という論評もあったそうです。

こうなるともう歯止めが効きません。この本をめぐってフランスでは大騒ぎになり、マスコミも喜んで報道して火に油を注ぎます。ドイツでも黙殺というわけにはいかず、ベルリンの壁が崩壊した1989年に、この本のドイツ語版が出版されました。

このあとは「ハイデガーとナチス」を扱う本が立て続けに出版されます。ハイデガーのナチス問題が話題になるたび、ヨーロッパの有名な学者・文化人が加わり、大騒動に発展します。その余韻は今も続いている状態です。

まとめ

ハイデガーとナチスとの関係について、ハイデガーの研究者として有名な木田元先生がこのように述べています。

日本には、儒学の伝統もあって、言行一致をよしとするところがあるせいか、立派な思想を打ち立てる人は、人柄も立派でなければいけないという考えがあります。しかし、どんなに性格がよくて人格が立派であっても、仕事がよくなければ思想家としては、問題にはなりません。その点、ハイデガーはいかに人格に問題があるにしても、その思想は魅力的なのです。(『哲学は人生の役に立つのか』)

ナチスへの加担が大きく扱われてしまうハイデガーですが、今こそ冷静に彼の思想を分析すべきではないでしょうか。

書籍紹介

戸谷洋志(2022)『100分de名著 ハイデガー「存在と時間」』NHK出版

著者
戸谷 洋志
出版日

20世紀最大の哲学書と称されるハイデガーの『存在と時間』。本書を通じて哲学者の戸谷洋志先生が、この難解な名著『存在と時間』をわかりやすく解説してくれています。本書ではハイデガーの思想を現代社会や人生に関連づけられており、その魅力や意義が語られています。またハイデガーの生涯や時代背景も紹介されており、どのような背景からハイデガーの思想が生まれたのか、理解を深める手助けとなるでしょう。本書は『存在と時間』に興味がある人はもちろん、あまり哲学に触れたことがない人でも楽しめる内容となっています。

木田元(2008)『木田元の最終講義 反哲学としての哲学』角川グループパブリッシング

著者
木田 元
出版日

「ハイデガー哲学との出会い」「ハイデガーとの向き合い方」など、木田元先生の哲学人生が赤裸々に語られています。ハイデガーの人生にも触れており、『存在と時間』を発表するまでの経緯などについて、詳しく書かれています。また若い読者に向けて、人生を有意義に生きるためのアドバイスも書かれています。哲学に興味がある方だけではなく、木田先生や哲学者の人生を通じて、自分の将来について考えたい方にもオススメです。

轟孝夫(2020)『ハイデガーの超‐政治』明石書店

著者
轟 孝夫
出版日

20世紀を代表する哲学者のハイデガー。しかしナチスとの関わりや後期思想については多くの議論があります。ハイデガー研究一筋の轟孝夫先生は、ハイデガーの著作や講演録、手紙などを緻密に読み込み、本書を通じてハイデガーの政治性やナチスとの関係性について詳細に語っています。1933年のナチス政権発足時、ハイデガーは西洋のニヒリズムに対する克服運動としてナチスを見ており、ナチスに共感を抱いていたことを轟先生も認めます。しかしそのあと、ナチスはニヒリズムを克服するどころか、むしろ促進する存在でしかないと、ナチスの退行性を厳しく批判するようになったと指摘しています。ハイデガーだけではなく、ナチスについて興味がある方にもオススメの一冊です。

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