スミスの『国富論』は、誰もが知る古典です。ただの経済書ではなく、その影響力は抜群です。 現代の資本主義に基づく競争社会も、スミスの思想を下敷きにしていると言ってもいいでしょう。 『国富論』は近代社会の到来を告げるバイブルなのです。 出版の前年、スミスはある会合に提出した文書のなかで、彼が言いたかったことを要約しています。 「一国を最低の野蛮状態から最高度の富裕にまで導くためには、平和、軽い税、および正義(法)の寛大な執行のほかはほとんどなにも必要としない。その他の一切は事物の自然の経過によってもたらされるからである。この自然の経過を妨げたり、事物を他の水路に無理に向けたり、あるいは、ある一点で社会の進歩を停止させようとするすべての政府は反自然的であり、自己を支えるために圧政的かつ暴政的であらざるをえない」。 ここに書かれている内容が、スミスの言いたいことの全てになります。 今回の記事で詳しく見ていきたいと思います。

人間の社会は、大きく分けると、家族、市民社会、国家(政治社会)という三つの層から成り立っています
このうち市民社会は、主に経済活動が営まれる場です。人々は働き、財を生産し、それを売買することで、自分と家族の生活を豊かにしようとします。
他人の幸福のためではありません。
国家は政治の世界です。税によって運営され、社会全体の繁栄や公共の福祉、国の安全を守ることを目的とします。
スミスの時代、政治を担っていたのは主にエリート層でした。当時のイギリスでは議員が無給だったため、庶民には事実上、政治への道が閉ざされていたのです。
議員の多くは領地からの収入で暮らす貴族や大地主でした。働かなくても生活できる財産と、政治に費やせる時間を持っていたからです。政治はこうした余裕のある人々が担うものであり、それが当然だと考えられていました。
つまり政治は、日々の生活に追われる人々の仕事ではなかったのです。イギリスで国会議員に歳費が支給されるようになったのは1911年。20世紀に入ってからのことでした。
スミスの時代、政治は経済よりも高貴な営みだと考えられていました。自分の利益を求める商人より、社会全体の利益を考える政治家のほうが「偉い」と考えられていたからです。
この考え方に立つと、政治家は市民を監督し、正しい方向へ導く存在になります。市民を自由に行動させれば、自分の利益ばかりを追求し、社会全体が誤った方向へ進むと考えられていたからです。
市民が未熟な子どもなら、政府はそれを導く父親という関係になります。
スミスは、国家を市民社会より上位に置く国家観を覆しました。政治と経済、政府と社会、政治家と市民の関係を逆転させたのです。
政治家への批判自体は、昔からありました。悪い政治家を追放し、優秀な政治家に置き換えれば、政治はよくなる。そう考えるのが一般的です。
しかしスミスが重視したのは、政治家個人の能力ではなく政治の仕組みでした。政府は経済を細かく統制するのではなく、平和を守り、税負担を抑え、法を公平に執行する。あとは人々の自由な活動に任せれば、「ものごとの自然な成り行き」が社会を豊かにしていく。スミスはそう考えました。
その仕組みを表しているのが、次の「見えざる手」の一節です。
「実際、彼はたいてい、公共の利益を促進しようと意図しているわけでもなければ、自分がそれをどれほど促進しているかを知っているわけでもない。外国の産業よりも国内の産業を支えることを選ぶのは、自分自身の安全を図るためにすぎない。また、生産物の価値が最大になるように産業を導くのは、自分自身の利益を得るためにすぎない。
ところが彼は、この場合もほかの多くの場合と同じように、見えざる手に導かれ、自分では意図していなかった目的を促進することになる。それを意図していなかったからといって、社会にとって必ずしも悪いことではない。自分の利益を追求することで、社会の利益を本当に促進しようとする場合よりも、しばしば、いっそう効果的に社会の利益を促進するのである。公共の利益のためだと称して商売をする者が、多くの善をもたらした例を、私はほとんど知らない」(『国富論』第四篇第二章)
自分の利益を求めて行動することが、意図せず他人や社会全体の利益につながる。これが「見えざる手」の考え方です。
なぜ、そのようなことが起こるのでしょうか。
その背景として「世界には人間の思惑を超えた秩序がある」というスミスの自然観があります。『道徳感情論』では「自然の創造者」や「摂理」に触れ、人間が神の計画を意識しなくても、その行動が社会の秩序を形づくると論じました。
一方、『国富論』では神をほとんど前面に出していません。「見えざる手」とは書いても、「神の見えざる手」とは述べていないのです。そのためスミスの比喩を神の摂理と結びつけてよいかについては、研究者の間でも見解が分かれています。
神学的な解釈が分かれていても、スミスの思想の骨格は明確です。誰かが上から社会を動かさなくても、人々が自由に利益を求めて行動すれば、そこから秩序が生まれ、社会全体の利益につながる。スミスが注目したのは、この仕組みでした。
では、この見えない秩序は経済の中でどのように働くのでしょうか。
「見えざる手」が社会を豊かにする仕組みを考えるうえで、鍵となるのが生産力です。『国富論』の冒頭で、スミスは一つの疑問を投げかけています。
原始的な社会では、老人や子どもを含め、ほとんど全員が働いています。それでも人々の暮らしは貧しい。一方、文明社会には、貴族のように働かない人が大勢いるにもかかわらず、社会の下層にいる人々も原始的な社会より豊かに暮らしています。
なぜ、働く人が少ない社会のほうが豊かなのでしょうか。
その答えは、社会全体の生産力にあります。社会の富を、一つのパイにたとえてみましょう。生産力の低い社会では、全員が働いても小さなパイしか作れません。それを全員で分けるため、一人ひとりが受け取る量も少なくなります。
これに対して文明社会では、分業や技術の発達によって、一部の人しか生産に携わらなくても大きなパイを作れます。働かない人がいても社会全体が豊かなのは、生み出される富の量が大きいからです。
文明社会では、富が平等に分配されるわけではありません。富裕層が多くを得る一方、労働者に渡るのは一部です。それでも社会全体の生産力が高まれば、生活に余裕のない人々が受け取る富も増える。スミスはそう考えました。
社会の富をパイにたとえてみましょう。パイが「100」なら、10%は「10」です。しかしパイが「1000」に拡大すれば、同じ10%でも「100」になります。分配の比率が変わらなくても、受け取る量は増えるのです。
スミスが重視したのは、富を平等に分けることより、分業や技術の発達によってパイ自体を大きくすることでした。
「よく統治された社会では、人々の最下層まで富が広く分配され、その富は分業の結果として生じる多種多様な技術による生産物の巨大な増加によるものである」(『国富論』第一篇第一章)
富を平等に分けようとすれば、多くの富を持つ人々は反発します。富裕層が政治的な力も握っている社会では、その対立が革命や内戦に発展する可能性もあります。
一方でパイを大きくできれば、激しい分配争いを避けながら、社会全体の生活水準を高められます。社会を豊かにするのは、政治による富の再分配よりも、分業と生産力の向上である。これがスミスの基本的な考え方でした。
では、どうすれば経済(パイ)を大きくできるのでしょうか。
スミスが重視したのは、政府が経済活動を細かく統制するのではなく、人々が自由に働き、商売できる環境を整えることでした。一人ひとりが生活をよりよくしようと努力することが、個人だけでなく国全体の富を生み出すと考えたのです。
人々は利益を求め、より有利な分野へ向かいます。繊維産業が利益を生むなら繊維産業へ、不動産業が好調なら不動産業へと、人や資金が移っていきます。
ただし、利益を求めているのは自分だけではありません。同じ市場に多くの人が参入すれば、そこに競争が生まれます。企業は競争に勝つため、価格を抑え、品質を高め、生産方法を改善しなければなりません。
たとえばライバル企業より低い費用で商品を作れれば、より多くの顧客を獲得できます。反対に、古い技術に固執する企業は市場から退場していきます。
こうした競争を通じて、生産技術は向上し、その成果が社会全体へ広がっていく。人々は自分の利益を求めているだけなのに、結果として生産力が高まり、社会全体が豊かになります。
これが、スミスの考えた「見えざる手」の仕組みです。
ただし「見えざる手」が働くには条件があります。人々の利益追求が社会全体の利益につながるのは、競争が保たれている場合です。とくにスミスが警戒したのは、独占や特権によって、その競争が失われることでした。
競争が働く市場では、企業が利益を得るためには、消費者が求める商品を適正な価格で提供しなければなりません。価格が高すぎたり、品質が劣っていたりすれば、顧客を競争相手に奪われるからです。
しかし独占企業には、その心配がありません。商品の供給を抑え、高い価格をつけても、市場から追い出されにくいためです。企業は利益を得ても、消費者は高い代金を負担する。これでは、企業の利益が社会全体の利益にはつながりません。スミスは、政府が特定の企業や業種に独占的な権利を与えることを厳しく批判しました。
ただしスミスは国家が何もすべきでないと考えていたわけではありません。国防や司法だけでなく、採算が取れず民間だけでは整備しにくい公共事業も、国家が担うべき役割に挙げています。
道路や橋については、可能な場合には利用者から通行料を取り、その収入で維持する方法を提案しました。費用を利用量に応じて負担させれば、必要な施設には資金が集まり、使われない施設は作られにくくなるからです。
このように、スミスが求めたのは国家の完全な不在ではありません。公正なルールを整え、独占や癒着を防ぎながら、人々が自由に競争できる環境をつくることでした。
水田洋(1997)『アダム・スミス 』講談社
- 著者
- 水田 洋
- 出版日
日本における社会思想史研究の代表的人物であり、スミス研究の第一人者でもある水田洋先生が、スミスの思想と生涯を豊富な資料を駆使して解説したものです。 スミスの代表作である『道徳感情論』と『国富論』の内容を分かりやすく説明するとともに、彼が生きた時代背景や影響を受けた人物にも触れています。 スミスの思想が現代社会にも示唆を与えることを示している一冊です。
堂目卓生(2008)『アダム・スミス–「道徳感情論」と「国富論」の世界』中央公論新社
- 著者
- 堂目 卓生
- 出版日
スミスは人間を利己的な存在と見なすのではなく、共感や正義といった道徳感情を持つ社会的動物と考えました。 また人間は、自己の弱さや虚栄心によって富を追求しますが、それを経済発展につなげるにはフェアプレイの順守や政府の役割が必要です。 本書は、スミスの思想を現代的な視点から読み直し、市場と道徳の緊張関係を考える一冊になっています。
アダム・スミス(2023)『国富論(上)』(山岡洋一 訳)日本経済新聞出版
- 著者
- ["アダム・スミス", "山岡 洋一"]
- 出版日
『国富論』は、経済学の古典として知られていますが、その原文は難解であり、多くの人にとってハードルが高いものです。 本書は翻訳家である山岡洋一先生によって、現代の日常語に置き換えられ、スミスの思想が忠実にかつ読みやすく訳されています。「市場、労働、富、価値」といった経済の基本概念が、理解しやすい例え話や簡潔な言葉を用いて明らかにされています。またスミスが活動した18世紀イギリスの社会や、歴史に関する豊富な解説が随所に散りばめられており、彼の思想的背景を深く理解することができます。原著にチャレンジしたい方にオススメの一冊です。