1712年の6月にスイスのジュネーブで生まれた、ジャン・ジャック・ルソー。 彼の人生は常に波乱を含み、落ち着かないものでした。 1778年の7月にパリ郊外で亡くなります。享年66歳でした。 哲学者というよりは詩人や作家としての側面が強かったルソーですが、若い時から精神的に落ち着かず、被害妄想という病に悩まされています。 年を重ねるごとにその病状は悪化し、自身を迫害するための陰謀組織が存在すると、固く信じるようになります。 周囲の友人や知人が全てこの陰謀組織のメンバーのように映り、彼らを次第に呪うようになったのです。 当然のことながら多くの友人を失い、孤独の中でこの世を去りました。 今回の記事では、ルソーの波乱万丈な人生について紹介したいと思います。

ルソーが生まれたのは、スイスのジュネーブ。当時は独立国でした。人口約2万人の都市国家で、カルヴァン派が住む新教徒の町になります。
フランス系、ドイツ系、イタリア系などの人々が混在する国であったスイス。チューリヒやベルン、バーゼルはドイツ系、ジュネーブはフランス系の人々が住んでいました。ドイツ人であったヘーゲルとニーチェ。ヘーゲルはベルンで家庭教師をし、ニーチェはバーゼル大学の教授になります。ジュネーブで生まれたルソーは、必然的にフランス文化圏で生きる運命でした。
ルソーの母親は彼を産んだ時に亡くなっています。まだ40歳になっていませんでした。
父親は時計職人をしていました。当時のジュネーブ共和国において、時計職人は上位の階級に位置づけられていました。時計職人や金細工職人は社会的な地位が高い職業だったのです。
しかしルソーの父親は変わった人物でした。音楽への強い関心から時計職人をやめて、ダンス教師を目指したこともあったそうです。ルソーが音楽好きになり音楽家を決意したのも、この父親の影響が大きかったと思われます。しかしルソーが10歳のとき、父親は喧嘩をしたことがきっかけでジュネーブを離れ、姿を消しました。
ちなみにホッブズの父親も、ホッブズが幼いときに喧嘩を起こし、町から姿を消しています。当時の社会では何か問題を起こしたら、よく街から逃げたようです。おそらく当時の警察は追跡をあまりしつこくしなかったのでしょう。
父親が姿を消した少年ルソーは、村の郊外にある牧師の家に預けられ、そこで約2年間を過ごすことになります。その牧師には40歳の妹がいたのですが、ルソーが悪い行為をすると、この女性は体罰(お仕置き)を加える人でした。
この体験が彼に性的な興奮をもたらすことになります。女性による暴力から甘美な性的快感を得たのです。『告白』という本でも、そのように書いています。
「苦痛と羞恥の中にさえも、官能が混ざっていて、それを再び同じ手で経験することを恐れるよりも、むしろ願ってしまうようになったのです」
13歳になったルソーは、金細工職人のところに徒弟として出されます。しかし仕事に合わず、町を逃げ出すことになりました。16歳になったルソーは放浪癖があり、その時期から彼の放浪人生が始まったのです。
ジュネーブを逃げ出したルソーは、ヴァラン夫人という人物と出会います。ルソーは16歳、ヴァラン夫人は29歳でした。彼女は15歳のとき結婚しましたが、結婚生活は破綻していました。ルソーと出会った時は、ある小国の王様から保護を受けていました。
少し話は逸れますが、ルソーの生涯には「〜夫人」と呼ばれる女性が多く登場します。これら女性たちのほとんどは貴族の奥方でした。当時のフランス、特にパリでは、貴族の奥方が大きな影響力を持っていました。彼女たちは自宅で「サロン」を開き、有名人が集まる場所を提供していたのです。音楽の演奏会や作品の朗読会、政治討論会などが開かれ、文化や政治が花開く場所でもありました。様々な貴族の奥方がサロンの主催者となり、またサロン同士の競争があり、有名人が多いサロンは評判も高くなります。
サロンは女性たちの壮絶な戦いでもあります。有力なサロンに出入りすることは、男性にとっては出世のきっかけとなります。有名人も多く集まり、サロンは情報交換の場であり、コネクションを作る場所でもありました。有力な貴族夫人の愛人となりバックアップを得て、出世の階段を駆け上がった人物も多数いました。サロンには外国人も歓迎され、ヒュームやスミスもサロンの常連だったそうです。
話をヴァラン夫人に戻しましょう。ヴァラン夫人と出会ったルソー少年は、まだ16歳の子どもでした。ルソーはヴァラン夫人を「ママン(お母さん)」と呼び、夫人はルソーを「坊や」と呼び合う仲になります。ルソーはヴァラン夫人の影響を受けて、プロテスタントからカトリックに改宗することにしました。
イタリアのトリノの修道院に入り、そこで修行を始めます。修行が終わると各地を転々として、商家の店員や伯爵家の召使いなど、職業を頻繁に変えます。あるときは「パリからきた音楽家」を名乗り、音楽を教えてお金を稼ごうとしました。詐欺師とほとんど変わらないかもしれません
このような放浪生活を終えた、21歳のルソー。
ヴァラン夫人は彼をベッドに誘い、2人は愛人の関係となりました。ルソーは「ママン」と寝たのです。「近親相姦を犯している気分だった」とルソーは書いています。
しかし、ヴァラン夫人にはルソー以外にも愛人がいました。ヴァラン夫人が住む館で執事を務めていた、アネという男です。同じ屋根の下で3人の愛人たちによる、奇妙な暮らしが始まります。
「全く問題はなかった」とルソーは書いています。しかしヴァラン夫人との甘美な生活は長く続きません。執事のアネは病死し、ヴァラン夫人は新たな愛人を作り、ルソーが鬱陶しくなりました。ルソーも色んな女性と遊んでいましたが、最終的にはヴァラン夫人との関係を終わりにします。
一躍有名になるため首都パリを目指しました。ルソーは30歳になっていました。少し遅めではありますが、ここからルソーの人生が始まるのです。
ルソーには3つの顔があります。まず音楽家として、次に作家として、そして最後に哲学者としてのルソーです。
音楽家としてのルソーは、新しい音楽の記譜法を考案したり、多くのオペラを書きました。ルソーは自身で台本を書き、作曲もしました。「村の占い師」や「ピグマリオン」などのオペラを創作し、その作品はパリのオペラ座で公演されました。
しかし一流の音楽家にはなれなかったようです。ただ音楽ができたルソーには、写譜の技術もありました。写譜とは、音楽のメロディーを音符や記号に変改して、紙に記録する技術のことです。この技術が彼の生計を支える手段の1つとなります。晩年の7年間で、驚くことに1万ページ以上の写譜をして生活を支えていました。
ルソーはまた、作家でもあります。彼は多くの小説を書きました。1761年、49歳のときに『新エロイーズ』という長編小説を発表します。貴族の娘と庶民階級の青年によるラブロマンスを描いた作品です。ありきたりな内容でしたが、この小説は爆発的な人気を獲得し、18世紀最大のベストセラーとなります。18世紀末までに72回の重版を行い、大ヒット作となりました。たくさんの印税が入り、ルソーの生活も充実します。
この他にもルソーは『エミール』や『告白』も書いています。
『エミール』は教育論として有名ですが、内容から見れば教養小説になります。エミールという孤児が自然の中で成長していく物語です。小説として読んでもとても上手くできており、面白い内容になっています。『告白』は自伝小説です。私小説特有の暴露話もたくさん含まれています。ルソーなら現代でも人気作家になれたでしょう。
そして最後に、哲学者としてのルソーです。代表作は『社会契約論』。ルソーは哲学や科学の専門的な教育を受けたことはありません。
「ママン(ヴァラン夫人)」の館にあった図書室で学び、独学で知識を得たのです。ひらめきとセンスだけで社会哲学の古典を書き上げたことになります。この本については後で問題にしましょう。
ルソーは非常に難しい人物でした。
感情的にも極めて不安定で、他人との正常な関係が築けなかったのです。ルソーには被害妄想があり、自分を苦しめるための陰謀があり、陰謀組織のネットワークがあると信じていました。この被害妄想は年を取るにつれて激しくなり、晩年にはほとんどの友人を失い、孤独に陥ります。
自分を苦しめる陰謀が存在することを証明するため、ルソーは本を書きました。『孤独な散歩者の夢想』や『告白』などがそうです。
本の出版によって自分の正しさを証明しようとしましたが、それだけでは十分ではありませんでした。「今なお正義と真実を愛する全フランス人へ」と題する文書を作り、街頭で通行人に配って歩きました。「私を苦しめる陰謀が進行している、それでもあなたがたフランス人は平気なのか」という内容の文章です。
もちろん、ルソーは誰からも相手にされなくなりました。すると、それが陰謀の存在を証明する証拠だと妄想しました。
数多くあるルソーのエピソードで、ヒュームとのスキャンダルは有名です。『エミール』と『社会契約論』はフランス当局の怒りを買い、ルソーには逮捕状が出されました。
そのなかでも問題とされたのは『エミール』で、キリスト教への冒瀆だと見なされたからです。今でもそうですが、宗教問題はデリケートな問題になります。
逮捕を逃れてルソーは放浪しましたが、彼を助けたのがヒュームでした。ヒュームはルソーをイギリスに連れて行き、イギリス国王に頼み込み、ルソーのために年金まで用意してあげたのです。
しかしここでも、ルソーの悪い癖が出てしまいます。ヒュームも陰謀団の一員ではないかと疑い始めたのです。彼らはお互いを「裏切り者!」「悪魔!」と罵り合うようになり、彼らの関係は終わります。
ヨーロッパを代表する2人の知識人によるスキャンダルは、世間から大いに注目されました。結局のところ、ルソーは大陸(フランス)に戻っています。
ルソーの被害妄想は徐々に進行し、晩年は写譜と植物採集に没頭します。そして自己弁護をするため、自伝の執筆をして心を慰めました。
公共の場で、書物という媒体を通じて「告白」をしたいという願望は、危険な兆候であるようです。ニーチェも発狂する直前に『この人を見よ』という本で「どうして自分はこんなに優秀なのか」と言っています。
ルソーが少年のときに、女性からの体罰によって性的快感を初めて体験します。そして21歳でヴァラン夫人の愛人となりました。その後も、色々な恋の遊びを楽しんでいたようです。
ただルソーは普通の人と違う側面がありました。貴婦人たちとの遊びでも上手く立ち回ることができず、結局は相手を怒らせてしまい、よく愛想を尽かされていました。
貴婦人との関係はともかく、ルソーにはテレーズという恋人がいました。ヴァラン夫人に愛想を尽かされたルソーですが、そのあとパリに出たことは先ほど確認しました。
このとき、パリのホテルで働いていたのがテレーズです。ルソーは33歳、彼女は23歳でした。ルソーは彼女を恋人とし、それ以来、ルソーのそばにはいつもテレーズの姿がありました。
テレーズは文字をろくに読めない女性で教養がありませんでした。彼女とルソーがどのように出会ったのか、少し不思議なところがありますが、ルソーの目的は性的欲望を満たすことでした。それ以上でもそれ以下でもありません。ルソー自身が『告白』で書いています。
「彼女に会った最初の瞬間から今日まで、彼女に対してはほんのわずかな恋のひらめきも感じたことはなく、ヴァラン夫人ほどには、テレーズを自分のものにしようと望んだこともなかった。彼女のそばで満足した官能の欲求は、私にとってはひたすら性の欲求であって、相手の個性とはなんの関係もなかったのだ」
この文章を書いたとき、ルソーはテレーズと一緒に暮らしていました。普通の感覚からすると信じられませんが、これくらい赤裸々に書けないと、ベストセラー作家にはなれないかもしれません。またルソーは「彼女(テレーズ)が本当に愛したのは私一人だと確信している」とも書いています。貴婦人たちから愛想を尽かされたルソーですが、その自信はどこから出てくるのでしょうか。
テレーズがいても、ルソーは別の貴婦人を追いかけていました。
しかし彼女と別れることはありませんでした。彼女の母親の世話まで見ていました。何とも不思議な関係です。
初期の友人であるディドロにも、ナネットという愛人がいました。彼女もまた庶民の娘で教養がありませんでした。ルソーはディドロとも喧嘩別れをしてしまいます。しかし「告白」の中にはこんな文章もあります。
「ディドロとは日に日に親しくなった。私にテレーズがいたように、彼にはナネットがいた。それがまた私たちの共通点だった。しかし私のテレーズは、ナネットと同じくらい美しかったが、気質も穏やかで、性格も愛想良く、真面目な人を引きつけるようにできていた。それに対して、ナネットのほうは怒りっぽくて粗野で、他人の目にはその教育の悪さを取り返すようなものを何も示していなかった。それでもディドロはこの女と結婚した」
ルソーはテレーズと正式に結婚します。2人が出会ってから、23年後の話です。
ヒュームと喧嘩別れしてイギリスからフランスに戻り、被害妄想に苦しんでいたルソー。
テレーズと一緒に田舎の町役場を訪れ、結婚の手続きをしました。1768年のことで、ルソーさんは56歳、テレーズさんは46歳でした。
それから10年後の1778年、パリ郊外にある貴族の館でルソーさんは病死します。享年66歳でした。ルソーの枕元にはテレーズさんがいました。
ルソーとテレーズの間には5人の子供がいました。
しかしルソーは、5人の子どもをすべて生まれた直後に捨てています。孤児院の門前に捨てたのです。これが彼にとって心の傷となります。
さらに後年、ルソーと対立したヴォルテールはこの事実を文書で暴露し、ルソーさんを攻撃しました。子どもを捨てたあなたに偉そうなことを言う資格はない、と攻撃しました。ルソーも言い返します。「“捨てた”のではない“預けた”のだ」「テレーズや私に育てられるよりも、子どもにとってはその方が良いと思ったのだ」と反論しましたが、説得力はありません。
ルソーさんは知り合いの貴族に頼んで、子供の行方を探してもらったこともありました。しかし見つけられなかったようです。
ルソー(2012)『孤独な散歩者の夢想』(永田千奈訳)光文社
- 著者
- ["ジャン=ジャック ルソー", "Rousseau,Jean‐Jacques", "千奈, 永田"]
- 出版日
晩年のルソーが書いた自己省察のエッセイ集です。 社会から迫害され、孤独に耐えながら、散歩で浮かんだアイディアや感情をもとに、自分の人生や思想を振り返るのが本書です。
母親への愛慕、友人への不信、自然への憧れ、芸術への情熱、宗教への信仰など、彼の多面的な思想を読み取ることができるでしょう。自らの主張を論理的に展開するのではなく「夢想」という形で自由に表現されています。 時に彼の言葉は矛盾したり、感情的になったりしますが、それがかえってルソーの人間性や魅力を引き立てています。
ルソーと共に散歩しながら、彼と会話しているような体験ができる一冊です。
ルソー(1962)『エミール 上』(今野一雄訳)岩波書店
- 著者
- ルソー
- 出版日
- 1962-05-16
本書はルソーが1762年に発表した教育論であり、人間論でもあります。
ルソーは架空の孤児エミールの家庭教師を担当。エミールが赤ん坊だった時期から青年期までの教育過程が描かれ、自然に従った教育の重要性や、自由な主体性に基づいた育成方法が説明されています。
本書の魅力は、ルソーの独創的な教育思想と人間観を知ることができることです。自然に従って自由に育つエミールの姿を通して、人間の本性や幸福について深く考察されています。またエミールと恋人ソフィーの恋愛や結婚についても、当時の社会規範にとらわれない見解が示されています。
本書は教育論だけでなく、哲学や文学の名作としても高く評価された一冊です。
ルソー(2008)『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(中山元訳)光文社
- 著者
- ["ジャン=ジャック ルソー", "Rousseau,Jean‐Jacques", "元, 中山"]
- 出版日
本書は政治哲学の名著です。
人間の本性や自然状態を考えることを原点とし、ルソーは社会や国家の成立原理を探求します。そのなかで「社会契約」という概念を提唱します。人々が自分の権利を全体に譲渡することで「一般意志」を形成し、それに従って国家を運営すべきだと主張したのです。本書は民主主義の理論的支柱を築いたといっても過言ではなく、フランス革命やアメリカ独立革命などに大きな影響を与えました。 しかし一般意志や直接民主制には様々な解釈が存在し、今もなお多くの議論が存在します。
ルソーの思想に触れるだけでなく、現代の政治や社会について考えるきっかけを、本書を通じて得ることができるでしょう。