カール・マルクスとは、19世紀に活躍したドイツの哲学者で、社会主義や共産主義の“父”とも呼ばれる人物です。 彼は危険な思想の持ち主であるとされ、国を追われた亡命先でエンゲルスと出会います。 2人は『共産党宣言』や『資本論』などの著作で資本主義社会を批判し、労働者階級の革命と共産主義社会の到来を説きました。 マルクスの思想は20世紀に世界中に広まり、多くの国や運動に影響を与え、最終的にはマルクス主義を掲げる国家(ソ連)が誕生しました。 今回の記事では、マルクスの生涯と思想について詳しく紹介します。

1818年5月5日、カール・マルクスは生まれました。出生地はドイツのライン地方にある、モーゼル河畔の古都トリーアという町です。トリーアはドイツ最古の町で、ローマ時代の遺跡も多く、ユネスコの世界遺産がたくさんあります。現在の人口は10万人ほど、マルクスが生まれた頃は1万人ほどの町でした。
マルクスの生まれた家も保存されていて、一般に公開されています。
マルクスの父親、ハインリヒ・マルクスは法律家でした。マルクスが生まれたとき、ハインリヒはトリーアの高等控訴院の法律顧問を務めていました。長いあいだ町の法律家協会の会長を務めていた、町の名士でした。
マルクスの両親はともにユダヤ人で、ラビの家系から来ていました。
ラビとはユダヤ法(ハラハ)の解釈や教えについて、ユダヤ教徒に助言を提供する指導者です。マルクスの家系はユダヤ教の教義と法律に深い知識を持つことが期待され、教育レベルが高く、宗教的にも重要な位置を占める家族であったことが分かります。このような背景は、マルクスの思想形成に大きな影響を与えた可能性があります。
しかしマルクスが生まれたあと、ハインリヒはキリスト教(プロテスタント)に改宗しました。ドイツではキリスト教徒でないと生活上で様々な不利があったからです。
マルクスは地元の高校を卒業したあと、初めにボン大学、次にベルリン大学の法学部に進学します。法学専攻でしたが、法学の勉強よりも青春を謳歌し、その当時流行していたヘーゲル哲学に夢中になりました。1831年にヘーゲルは病気で急逝しています。まだ61歳でした。マルクスが13歳のときになります。
ヘーゲルの死後、彼の弟子たちの一部(そのなかでも若い哲学者たち)はフランス革命の理想を追い求め、ドイツの専制政治を批判。自由で民主的な国をつくる運動を開始しました。彼らは「青年ヘーゲル派」あるいは「ヘーゲル左派」と呼ばれました。
マルクスもまた学生時代、この青年ヘーゲル派に参加しています。
マルクスの生きた時代、ヨーロッパはポスト・ナポレオンの時代になります。
ナポレオンはヨーロッパに「近代国家」という概念を植え付けました。近代国家とは、市民の意志が反映された政治を行う国家です。しかし近代国家になるためには、多くの困難がありました。
まず、近代国家になるためには「市民革命」が必要でした。市民革命とは、王や貴族の独裁的な政治に対して市民が反乱を起こして、議会の権限を強化することです。議会は、市民が選挙で自由に選んだ代表者で構成されます。議会で法が決まれば、王や政府はその法に従わなければなりません。
このようにヨーロッパでは市民革命を通じて、市民の権利や自由の保障された近代国家が誕生します。
イギリスでは名誉革命により、上記のような近代国家へのプロセスが早く進んでいました。しかしヨーロッパ大陸の国々(特にドイツやオーストリアなど)では、王の独裁的な権力が依然として強く、議会はそれほどの権限を持っていませんでした。フランスでは、1789年のフランス革命が近代国家への道を開きましたが、そのあと起きた混乱の中でナポレオンの帝政が生まれます。
しかしナポレンは失脚し、再びブルボン王家が復活したのです。このような経緯から、ヨーロッパ大陸では市民の不満が溜まり、民主化を求める声が高まっていきました。
19世紀になると、新たな問題として、資本主義と労働者階級の対立が起こりました。
近代国家では王の専制を打倒し、市民の意志が反映された政治を目指します。しかし「市民」とは一体誰を指すのでしょうか?
旧来の考え方では「市民」は「財産を持つ人々」を指します。「有産市民(資本家)」とも言います。商業や工業で財産を築いた、社会の有力者のみが「市民(ブルジョア)」だったのです。そのため貧しい労働者や女性などは「市民」のカテゴリーには含まれませんでした。
イギリスでも選挙権を持つのは“金持ち”の市民だけで、多くの労働者は選挙権を持っていませんでした。しかし19世紀になると、貧しい階級の人々も声を上げ始めます。労働者にも選挙権を与えようという運動が起こりました。「チャーティスト運動」です。
「専制君主(王朝)を倒せ!」という主張と一緒に、ヨーロッパ大陸では「資本主義を倒せ!」「労働者の生活向上を!」という声も高まりました。
そのため話は複雑になります。
例えば、市民革命によって資本家と労働者が協力し合い、専制君主(国王)を打倒したとしましょう。そして資本家にとってビジネス(お金儲け)をしやすい環境になったとします。
しかし味方であった労働者は、いつ資本家の敵になるのか分からない存在です。資本家はなるべく労働者の賃金(コスト)を下げたいと考えますが、そうなると労働者は不満をためるからです。
マルクスが生きた時代は、このような複雑な社会でした。
マルクスは労働者の側に立って、社会の改革を主張した哲学者になります。労働者を主体にした、彼の有名な思想が「共産主義」なのです。
マルクスがベルリン大学を卒業したのは1841年で、このとき彼は23歳でした。彼は古代ギリシャの哲学者、デモクリトスとエピクロスについての論文で博士号を取得しています。
当初は大学教師の仕事を目指しましたが、それが叶わず、ケルンのリベラル派の新聞『ライン新聞』の編集者になりました。しかし職場ではトラブルが絶えず、すぐに辞めてしまいます。
新聞社を辞めたマルクスは、婚約者のイェーニと結婚。1843年、新妻と一緒にパリへ移住しました。イェーニはフォン・ヴェストファーレン男爵という貴族の娘で、マルクスより4歳年上でした。結婚したとき、マルクスは25歳、彼女は29歳でした。
マルクスとイェーニは、マルクスが17歳の時に婚約していました。この結婚は両家の祝福を受けたとは言えず、結婚式は温泉保養地のクロイツナハという町で挙げています。参列者はほんの数名、イェーニの母親と弟、地元の友人数名だけでした。マルクス家からは1人も参列者がいませんでした。
このときイェーニの父親は亡くなっており、フォン・ヴェストファーレン家はイェーニの異母兄が家長となっていました。この人はのちにプロイセンの大臣となり、マルクスのような反体制派の弾圧に熱心だった人物です。
パリに移住したマルクスは、共産主義に急接近します。資本主義を打倒するための哲学を練るべく、経済学の研究に没頭することに。
・抽象的な哲学の概念を検討するのだけではダメ。
・「人類はみな兄弟だ!」といった道徳をいくら主張しても意味がない。
・現実に進行している資本主義社会の仕組みを理解しなければ、先の見通しは立たない。
このような問題意識から、当時の最先端だった経済学を取り込み、独自の哲学を構築していきます。
この部分がマルクスと他の革命家たちとの違いでした。マルクスは20代後半まで、パリやブリュッセルで過ごしました。
この時期に『経済学・哲学草稿』(26歳)、『ドイツ・イデオロギー』(27歳)、『哲学の貧困』(29歳)、そして『共産党宣言』(30歳)を書き上げています。この時期にマルクス(とエンゲルス)理論の大筋ができ上がったと考えていいでしょう。
このあと彼が亡くなるまでの数十年間、マルクスが行った作業は、20代後半までに作られた発想を詳細に裏付けるものでした。
1848年のヨーロッパは、革命の年となりました。
自由と民主主義を求める革命がヨーロッパを席巻し、イギリスでも選挙権の拡大を求める運動(チャーティスト運動)が発生しました。ただしイギリスでは、すでに君主専制の政治は終わっていたため、過激な革命ではなく運動にとどまります
しかしヨーロッパ大陸の国々では、状況は違いました。君主(国王)による専制支配が続いており、民主化を求める運動が盛んでした。
「アラブの春」(中東の民主化運動)を見ても分かるように、民主化革命はどこかの国で起きると周辺の国々に影響を及ぼし、急速に広がるようです。
1848年のヨーロッパでも同様のことが起きました。まず1848年の2月、フランスで民衆暴動があり、軍隊も民衆に合流しました。その結果、国王ルイ・フィリップはイギリスに亡命することを余儀なくされました。これを二月革命と呼びます。二月革命のあと、国王のいない共和国が誕生しました。新政府には社会主義者も入閣しています。
フランスで起きた革命の報告が広まると、革命の波は急速にヨーロッパ各国に広がります。オーストリアやドイツでは、民衆の暴動や蜂起が頻発。そのなかでもウィーンでは激しい市街戦が展開され、保守派の象徴であるメッテルニヒは辞任してイギリスに亡命しました。
革命派が勝利を収めたのです。
『共産党宣言』を発表したマルクスたちは、相次ぐ革命に歓喜しました。
革命の前年にあたる1847年、マルクスたちは「共産主義者同盟」という政治団体を設立。この同盟の基本哲学として示した文書が『共産党宣言』です。マルクスが執筆し、1848年の2月下旬に出版されました。
「ヨーロッパには一つの妖怪が彷徨っている。その名は共産主義」と、『共産党宣言』は始まります。
「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と述べ、資本主義を分析したあと「支配階級は共産主義革命に震え上がれ!プロレタリアは革命によって失うものは自らの束縛する鎖以外何もない。彼らが得るべきは新たな世界である。全世界のプロレタリアよ、団結せよ!」という有名な言葉で締めくくられています。
そしてこの宣言が出されたとき、ちょうどフランス二月革命が勃発しました。
「革命の時が来た!次はドイツだ!」
フランスなどに亡命していたドイツ人革命家たちは大挙してドイツに帰国し、革命に参加しました。マルクスたちはパリからケルンに移り『新ライン新聞』を発行。精力的に活動を始めました。エンゲルスなどは実際に軍事行動に参加しています。
マルクスやエンゲルスが実際の革命運動に参加したのは、これが最初で最後でした。
しかし、1848年に起きた革命の熱気は急速に冷めていきました。フランスでは労働者たちが武装蜂起を試みますが、軍隊によって壊滅させられます。
これを「6月事件」と呼びます。
このあとフランスの政治はナポレオンの甥、ルイ=ナポレオンによるクーデター、そして帝政復活へと進んでいきます。フランス6月事件のあと、オーストリアやドイツでも保守派の反攻が成功し、革命派は追いつめられ、粉砕されていきました。
このとき多くのドイツ人革命家たちは海を渡ってアメリカに亡命しています。そのなかには、アメリカ南北戦争(1861~1865年)に北軍の一員として参加した人物がいます。
フランツ・シーゲルが有名です。アメリカに移住したあと、彼は教師と新聞編集者として働きながら、同時にドイツ系移民の軍事訓練を指導しています。南北戦争が勃発すると、シーゲルは北軍に入隊し、最終的に少将の階級を得ました。彼の活躍はドイツ系移民コミュニティに影響を与え、多くの兵士が北軍に参加するきっかけとなりました。
マルクス自身もドイツから追放され、パリに逃れましたが、フランス政府からパリ滞在を拒否されています。そのため1849年の夏、ロンドンへの亡命を計画します。このとき31歳でした。
マルクスにとって最後の亡命となりました。妻のジェニーも少し遅れて3人の幼子を連れ、妊娠中期の身体を引きずり、パリからロンドンに逃げ込みます。このあとマルクスたちは短期の滞在を除いて、もう2度とヨーロッパに戻ることはありませんでした。
ロンドンに落ち着いたマルクスは64歳で亡くなるまで、30年以上をロンドンで生活しました。人生の半分ほどをロンドンで過ごしたことになります。
イギリスのロンドンには、ヨーロッパ大陸から多くの革命家たちが逃げ込んできました。イギリスという国は、ヨーロッパからの亡命してくる革命家に寛容で、特に制限なく受け入れています。
革命家の人たちのなかには、立派な人もいたでしょうが、対人関係が難しい人物もいます。亡命生活は厳しいものです。仕事だって簡単に見つかるわけではありません。仲間同士で協力し合おうとしても、これからの行動方針をめぐって内紛(ケンカ)も起きます。同じイデオロギー(思想)を共有していても、仲間割れはどこにでもある風景です。
マルクスは亡命者たちと関わることをなるべく避け、大英博物館の図書室に閉じこもります。そこで経済学を1から勉強しなおしました。マルクス一家の生活を支えたのは、親友エンゲルスからの援助と母親や友人からの遺産でした。彼はエンゲルスに対して、早く金を送るように催促する手紙を何枚も送っています。
経済学との格闘を何十年も続けたマルクス。1867年、その努力が報われて『資本論』第1巻を出版します。日本では「明治維新」が起こった年になり、マルクスは49歳でした。
このあとマルクスは亡くなるまで『資本論』の完成を目指して奮闘します。しかし体調が悪化し、妻と長女を先に亡くしたため、彼自身も気力を失いました。1883年の3月、マルクスもまた亡くなります。享年64歳でした。
マルクスの墓はロンドンにあります。マルクス亡きあとには『資本論』のために書き溜めた、膨大なノートと草稿が残されました。
斎藤幸平(2023)『ゼロからの「資本論」』NHK出版
- 著者
- 斎藤 幸平
- 出版日
マルクスの『資本論』は、その難解さから多くの人が敬遠してきました。しかし本書は、その壁を打ち破る画期的な入門書です。著者の斎藤幸平先生は、新しい『資本論』解釈で世界を驚かせた若き哲学者です。際にも高い評価を得ました。NHKの人気番組「100分de名著」において、マルクスを紹介したときの放送テキストに大幅加筆し、最新の研究成果を盛り込んだものが本書です。斎藤先生はマルクスの思想を現代的に再解釈し、資本主義の限界と「ポスト資本主義への道」を説得力ある言葉で語りかけます。やさしい文章と豊富な図表で、知識がなくても『資本論』のエッセンスが理解できるようになっています。マルクスに興味がある人はもちろん、経済や社会に関心がある人にもおすすめの一冊です。
白井聡(2023)『今を生きる思想マルクス − 生を呑み込む資本主義 』講談社
- 著者
- 白井 聡
- 出版日
白井聡先生は、マルクスの思想を現代に生かすために、資本主義の本質を「包摂」という概念で捉えます。資本主義の対象は、自然や社会だけでなく、人間の心や感情までをも取り込みます。資本主義は、人間を自由な主体ではなく、商品化された存在に変えてしまいます。人間の存在を貨幣的(金銭的)に置き換えてしまうのです。白井先生はマルクスの『資本論』や他の著作を丁寧に読み解きながら、その包摂のメカニズムや影響を明らかにします。また同時に、資本主義に対抗するために必要な思想や行動を示唆しています。本書はマルクスの思想を深く理解し、今日の社会問題に応用するための優れた指南書でもあります。
佐々木隆治(2018)『マルクス 資本論』KADOKAWA
- 著者
- 佐々木 隆治
- 出版日
著者の佐々木隆治先生は『資本論』の第一巻を中心に、マルクスのテキストに忠実に従いながら、その要点をわかりやすく解説してくれます。長大な原文のなかから、理解の鍵となる箇所を抜粋し、難解な部分を徹底的に噛み砕いて説明しています。コラムや年表なども充実しており、マルクスの思想や生涯についても深く理解できます。本書は『資本論』を読むための最適なガイドブックであり、マルクスを通じて現代の資本主義を考えるための貴重な一冊になっています。