5分で分かるアダム・スミスの人生|資本主義の礎を築いた、経済学の父|元教員が解説

更新:2026.7.24

「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミス。『国富論』で示した考え方は、現代の資本主義や市場経済を理解するうえでも欠かせません。 しかし、その人生は決して順調なものではありませんでした。 スコットランドの小さな港町に生まれ、14歳で大学へ進学。名門オックスフォード大学の教育に失望しながらも、やがて教師として頭角を現し、ヨーロッパを代表する知識人たちと交流を重ねます。 大学教育への不満や教師としての経験は、スミスの思想にどのような影響を与えたのでしょうか。 「人は何によって動くのか」を考え続け、経済学の歴史を変えたスミスの生涯をたどります。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
LINE

アダム・スミスの生い立ち

アダム・スミスは1723年にスコットランドのカーコーディという町で生まれました。

具体的な誕生日は分かっていませんが、洗礼を受けた日は6月5日でした。スミスは同じくスコットランドのエディンバラで1790年の7月に亡くなります。そのときの年齢は67歳でした。

スミスの父親は、スミスが生まれる前に亡くなっています。父親は弁護士で税関の役人で、母親は地方の名家出身でした。父親がいなかったため、スミスは母親の手で育てられました。

スミスは生涯独身で、ほとんどの時間を母親や従姉と一緒に過ごしました。スミスの母親は1784年に、スミスが61歳のときに90歳で亡くなりました。

カーコーディは当時、人口約1500人の港町でした。スミスは地元の小学校を卒業後、14歳でグラスゴー大学に入学しています。スミスは17歳で大学を卒業し、そのあと奨学金を得て、イングランドのオックスフォード大学に入学しました。スミスは23歳まで、大学に在籍しています。

何も学べなかったオックスフォード大学時代

1740年、17歳のスミスは奨学金を得て、オックスフォード大学のベリオール・カレッジへ進みました。しかし、そこで過ごした6年間は期待外れでした。母校のグラスゴー大学に比べて授業に活気がなく、スミスは大学の教育よりも、自分で本を読んで学ぶことに多くの時間を費やしたとされています。

当時のオックスフォードでは、古典的な学問が重んじられる一方、新しい思想や科学には消極的でした。教師たちも授業の改善に熱心とはいえませんでした。

スミスは後年、『国富論』で大学教育の問題を取り上げています。教師の収入が授業の内容や学生の評価と関係なく保証されていれば、熱心に教える理由がなくなる。そこで教師は、ラテン語やギリシア語などで書かれた本を読み、それを訳して説明するだけの授業で済ませるようになると指摘しました。

教師に学生より少し高い語学力があれば、訳を補い、ときどき解説を加えるだけで授業の形は整います。深い知識も、入念な準備も必要ありません。スミスは、当時のオックスフォードでは、多くの教師が「教えるふりさえやめてしまった」とまで批判しています。

なぜ授業の質が下がったのか

スミスが問題にしたのは、教師個人の意欲の低下だけではありません。教師を怠けさせる給与制度そのものに原因があると考えました。

学生が多くても少なくても、授業が面白くても退屈でも、受け取る給与は変わらない。それでは教師が授業を改善する動機は生まれません。客が来なければ店は立ちゆかず、商品が売れなければ工場も生き残れないのに、大学の教師だけは学生の評価にかかわらず収入を得られたのです。

これに対して当時のスコットランドの大学では、教師の収入の一部を学生が支払う受講料が占めていました。よい授業をして評判を高めなければ、学生は集まりません。教師の収入と授業の質が結びついていたため、授業を改善する動機が働きました。

スミスがオックスフォードで目にしたのは、教師の資質だけの問題ではありません。人を動かすのは精神論ではなく、努力が報われる仕組みである。この経験は、のちに人間の行動を制度や利益から考えるスミスの思想へとつながっていきました。

スミスの学者生活と教員生活

1746年、23歳のスミスはオックスフォードを離れ、スコットランドへ戻りました。しばらく故郷のカーコーディで過ごしたのち、1748年からエディンバラで一般の聴衆に向けた講義を始めます。テーマは修辞学や文学で、のちには法学や政治にも広がりました。

この講義が評判を呼び、1751年には母校のグラスゴー大学で論理学の教授に就任します。翌年には道徳哲学の教授となりました。当時の道徳哲学は、倫理学だけでなく、法学や政治、経済までを含む幅広い学問でした。

当時のグラスゴー大学では、教師の収入は大学から支給される固定給と、学生が直接支払う受講料で成り立っていました。受講生が増えれば収入も増え、学生が集まらなければ収入は減ります。教師の評判や授業の質が、そのまま収入に影響する仕組みでした。

これは授業の内容にかかわらず、固定給を受け取れたオックスフォードとは大きく異なります。よい授業をしなければ学生は集まらない。だから教師は講義を工夫し、自分の知識も磨かなければならない。スミスは、こうした仕組みがスコットランドの大学教育を支えていると考えました。

スミスの教員生活は多忙でした。大学の授業期間は10月から翌年6月まで。朝7時30分から講義を行い、午前11時からは、その内容について学生に質問する時間を設けていました。さらに週2回、別のテーマを扱う講義も開いています。

講義では、論理学、文学、倫理学、法学、政治、経済などを幅広く扱いました。現在では別々の学問とされる分野を、一人の教師がまとめて教えていたのです。

多くの授業を抱えながら、スミスは研究も続けました。1759年、36歳のときに『道徳感情論』を出版します。この本は高く評価され、スミスの名声はイギリス国外にも広がりました。

やがてスミスの評判を聞いた有力者から、若い貴族の家庭教師を務めながらヨーロッパ大陸を旅してほしいという依頼が届きます。スミスの人生は、ここで再び大きく動き始めました。

大学を辞め、ヨーロッパへ

1764年、40歳のスミスはグラスゴー大学を辞め、18歳のバクルー公爵の家庭教師となりました。仕事は若い公爵のヨーロッパ旅行に同行し、各地で学問や社会を学ばせることです。報酬は年300ポンド。さらに帰国後も、同額の終身年金が支払われる好条件でした。

同年2月、二人はフランスへ向かいます。ジュネーブではヴォルテールと会い、パリではケネーやチュルゴーなど、フランスを代表する知識人たちと交流しました。この経験は、スミスの経済思想にも大きな刺激を与えます。

旅は1766年、公爵の弟がパリで亡くなったことで予定より早く終わりました。スミスは同年秋にイギリスへ戻ります。

『国富論』の執筆

帰国したスミスは故郷カーコーディに戻り、母や従姉と暮らしながら執筆に専念しました。約10年後の1776年、52歳のときに『国富論』を出版します。

スミスが生前に出版した本は、1759年の『道徳感情論』と『国富論』の2冊です。ただし、一度書いて終わりではありません。『国富論』は1789年の第5版まで、『道徳感情論』は亡くなる年の1790年に刊行された第6版まで改訂を重ねました。数多くの本を書くのではなく、二つの著作を生涯かけて磨き続けたのです。

晩年のスミス

1778年、スミスはスコットランドの関税・塩税委員に就任し、エディンバラへ移りました。年収は600ポンド。家庭教師時代からの年金300ポンドも続いたため、合計900ポンドの安定した収入を得ました。

高給ではありましたが、単なる名誉職ではありません。スミスは税関の仕事に真面目に取り組み、業務改善の提案も行っています。

晩年には、親友ヒューム、母、従姉を相次いで失います。自身の健康も衰え、1790年7月17日、エディンバラで67歳の生涯を閉じました。

死の直前、スミスは友人のジョゼフ・ブラックとジェームズ・ハットンに、未完成の草稿を焼却するよう頼みました。二人が処分した原稿は16巻に及びます。死後に残されたのは、スミス自身が公表してよいと判断した一部の論考だけでした。

書籍紹介

カトリーン・マルサル(2021)『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』(高橋璃子訳)河出書房新社

著者
["カトリーン・マルサル", "高橋璃子"]
出版日

本書は、経済学の現行理論とその影響について深い洞察を語られています。本書の著者でカトリーン・マルサルは、経済学がどんなに私たちの生活に影響しているかを率直に問いかけ、男性中心的で自己中心的な「経済人」のモデルが人間の豊かさを捉え切れていないことを教えてくれます。

アダム・スミスの議論からスタートし、彼が研究を続けるために頼りにした家事やケアの営みの重要性を目を向けさせ、その価値が現行の経済学によって違って無視されてきたことを気付かせてくれます。また、経済学の自己中心的な一面を教えてくれる話として、ローレンス・サマーズの有毒廃棄物に関する発言を紹介します。

この本の魅力は批判に終始するのではなく、作者が新たな経済学の考え方において、ケアや自然、感情を中心に据え、金銭以外の価値を認識することが大切だと教えてくれる点にあります。この著者の姿勢によって、私たちの日常生活の問題がより明確に理解され、豊かな生活を追求する勇気を得ることができます。

中村隆之(2018)「はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで」講談社

著者
中村 隆之
出版日

青山学院大学経済学部教授の中村隆之さんが著した、経済学の歴史をわかりやすく解説した書籍になります。本書では、アダム・スミス、ミル、マーシャル、マルクス、ケインズなどの有名な経済思想家が、どのように現実の経済問題に取り組んできたかを紹介しています。

本書のテーマは、「よいお金儲け」と「悪いお金儲け」の違いです。経済学の本質は「よいお金儲けを促進し、悪いお金儲けを抑制することだ」と、著者は主張しています。よいお金儲けとは、社会全体の幸せやサステナビリティに貢献するお金儲けのことで、悪いお金儲けとは、自分だけの利益や短期的な利益を追求するお金儲けのことです。

経済学の歴史を通して、私たちが今直面している経済問題について考えるヒントを与えてくれる本になっています。

ジェシー・ノーマン(2022)「アダム・スミス 共感の経済学」(村井章子訳)早川書房

著者
["ジェシー・ノーマン", "JESSE NORMAN", "村井 章子"]
出版日

イギリスの保守党の国会議員であるジェシー・ノーマンさんが著した、アダム・スミスの評伝と思想解説の本です。

アダム・スミスが「利己主義の擁護者」や「自由放任の信奉者」といった神話を打ち破り、経済学だけでなく政治学や倫理学などにも影響を与えた「人間の科学」を展開したことを本書は紹介しています。

アダム・スミスを理解するためのキーワードとして、本書では「共感」をあげています。 アダム・スミスは、「共感」を人間の社会性や道徳性の基礎と考えました。「共感」は市場や経済活動にも必要な要素であり、よいお金儲けと悪いお金儲けの区別にも関係しています。

アダム・スミスの思想を現代的な視点から読み解き、格差やグローバル化などの課題に対するヒントを提供してくれる一冊になっています。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る