17世紀オランダ出身の哲学者であるスピノザ。 デカルトやライプニッツらと並ぶ近世の合理主義哲学者として知られています。 しかし彼の思想は、その時代の人々に受け入れられることはありませんでした。 むしろ異端の扱いをされ、迫害されたのです。 神を唯一の実体と考えたスピノザは「世界には、神以外の実体は存在しない」と主張します。 これは一種の汎神論であり、一元論でもありました。 また彼は「世界の動きは神の働きによって必然的に定められている」とし、人間が持つ意志の自由や善悪の判断を否定しています。 そのためスピノザの思想は決定論であり、唯物論でもありました。 スピノザは、神を語りながらも無神論者と呼ばれ、人間を語りながらも唯物論者と呼ばれたのです。 彼はどうしてそんな矛盾した思想を持ったのでしょうか?彼はどうしてそんな思想にたどり着いたのでしょうか? 今回の記事では、スピノザの哲学を紹介しながら、その背景や影響についても考えてみたいと思います。

スピノザの哲学の基盤は「すべては神である」という考え方です。しかし、「神を信じる」とは一体どういうことなのでしょうか。
この点について少し考察していきます。
まず第1に、神への信仰のあり方は人それぞれです。少し具体的に考えてみましょう。
Aさんは神に祈り、神は善悪に応じて報酬や罰を与えると信じています。つまりAさんは、神の教えに従って信心深く生きれば、良いことが起こると期待しているのです。 逆に、自分が悪事をしたら、神から罰が下され、家族に不幸なことが起きるのではないかと恐れています。
しかしこの考え方には奇妙な点があります。
仮に善行をすれば天国に行けるとするならば、天国のチケットを自分の力で手に入れたことになります。この場合、自分の運命を自分で決めていることになり、論理的には神を否定することにもなりかねません。
天国行きを自力で決定できるのなら、神は自分に対してどのような役割を果たしているのでしょうか。
Aさんの認識では、神は善悪に応じて天国や地獄を配分する存在でした。しかし実際は、天国への切符を自分で用意することができてしまいます。一見すると、神が人の運命をコントロールしているかのようですが、実はそうではなく、自分自身と神の関係性に矛盾が生じてしまいます。
スピノザ哲学の基盤である「神」に関しては、より深く考える必要があると言えそうです。
神に関する考え方はさまざま存在しますがが、ここではスピノザが考える真の神について考えてみましょう。
まず前提として「神は天国行きを決定する力を持ち合わせていない」とスピノザは考えます。
たとえ善行を積んだとしても最終的な行き先を保証できず、あくまでも判断基準に過ぎない存在なのです。こうした限定的な神を“真”の神と呼べるでしょうか。
善悪に応じて報酬や罰を与えるという神の存在は、商取引のようにも見えます。投資すればそれ相応のリターンが得られる、といった関係性が神と人間に存在することになります。これでは人為的なビジネスのような印象が拭えません。神とはそんな都合のいい存在なのでしょうか。
本当の神とは、人間的基準を超えた存在である必要があります。スピノザの考える神はこうした人為的基準を凌駕する点に大きな違いがあるのです。
スピノザ哲学で重要なのは、神を人間的な基準や常識から脱却したところに立って考える点にあります。
たとえば善行に対する報酬や悪行への制裁という考え方は、人間社会の法や倫理の範囲内で成り立つ理屈です。しかし神の世界にこうした人為的基準を当てはめることは、神の真の姿を見誤ることにつながります。
本当に神を理解するためには、自分自身が持つ価値観や常識から一旦距離を置き、神の真理を超越的な視点から捉えるこ必要があります。
この態度こそが、スピノザ哲学の真骨頂なのです。
自然界の事象を見ると、雨や嵐、太陽などは決して感情を持っているわけではありません。こうした自然現象はただ、条件が整えば起こるだけのものです。
スピノザによれば、神という存在もまた感情を有していないと言えます。なぜなら感情とは、何かを欲しがる心の動きであり、欲求不満という不完全性の現れだからです。しかし神は最も完全なる存在であって、欠けるところがない以上、感情を持つ必要が全くないのです。
たとえば神が「日曜日だから意地悪く雨を降らせよう」などとは考えません。雨はただ、条件が整えばただ降るだけなのです。この点で雨の本性と神の本性は繋がっていると考えられます。
スピノザによれば、神が世界や自然を創造するという行為は、人間的な意味での「目的」をもった行為ではありません。
たとえば、人間が何かを作る時は、ある目的のために作ることが普通です。しかし、神の世界創造にはそうした目的はまったくないというのです。
では、なぜ神は世界を創造するのでしょうか。それは単純に、創造することそのものが神に内包された「本性」だからです。
つまり神にとって世界を創ることは、人間にとって呼吸するのと同じで自然な行為であり、神の世界創造は自然界の事象と同様、何の目的もなく起こっている出来事だと考えられます。
スピノザの哲学にはきわめて特徴的な点があります。それは神が人間に無関心な存在であるということです。
スピノザによれば、神が世界や人間を何らかの「目的のために」創造したわけではない、ということです。「人間のため」や「愛のため」に世界が存在する、というのは単なる人間の思い込みに過ぎません。
または神は善悪に応じて人間を判断することもありません。神からみれば、人間などという存在は全く問題になりません。神にとって人間など忘れられた過去の産物なのです。
そして自然界の出来事もまた、神の意図に基づくものでは決してありません。地震などの天変地異も神の怒りの結果ではなく、自然発生的に起こるだけなのです。
スピノザの唱えた哲学は、しばしば「無神論」と表現されます。たしかにスピノザの神は、人間的な関心から完全に解き放たれた存在であり「無関心な神」といっても過言ではありません。
しかし注意したいのは「神が存在しないこと」と「世界に意味がないこと」は同義ではない点です。仮に神が世界を創造したとしても、現在に至っては、人間などまったく意識していません。
同じようにニーチェも、人間的な思考や感情を持つ神を否定しました。
人間の幸福(不幸)を心配したり、人間のために世界を創ったりするような、人間と同じように思考・行動する神の存在を否定します。そのような人間的な神は、単なる人間の想像の産物、人間が作り上げた妄想にすぎないと考えたからです。
人間が自分が求める神の姿を都合よく創造し、それを信じ込んでいるだけである。そこに真の神の存在はない。
このようにニーチェは言います。つまり人間的な神は、ただの幻想であり、それを信じること自体が誤りであり、人間の弱さであると主張しているのです。
スピノザとニーチェの哲学に共通している、重要なポイントは「神と人間の存在はまったく無関係で、むしろ神は人間などに無関心であるという点です。
人間の問いかけにはまったく応じない、そのような冷たい神の概念こそ、哲学的には肯定されるのかもしれません。
スピノザの主要な著作は『エティカ』という名前です。「エティカ」は倫理学の意味を持ちます。スピノザはこの中で、人間の真の幸福や倫理について深く考えています。
しかしスピノザの神は、感情を持たない存在で、それ故に無機質な存在とも言えます。
「神を愛する人が、神からその愛が返されることを期待することはできない。もし人間がそのような期待を持つなら、その人は自分が愛する神が神でないことを望んでしまう」(『エティカ』第5部、定理19)
スピノザは、このような神を愛すると言います。それは自然の必然性を愛するのと同じです。しかしこれが幸福への道なのでしょうか?スピノザによれば、それが確かにそうだと言えます。スピノザは次のように述べています。
スピノザの哲学は「私たちが運命の両側面を冷静に受け入れ、それに耐え忍ぶことを教える。なぜなら、三角形の本性から内角の和が180度であることが必然的に導き出されるのと同じく、全ての事象が神の永遠の決定から生じるからである」(『エティカ』第2部、定理49の注釈)
自然の必然性は嫌だと思ったとしても、感情に関係なく必ず現れます。たとえば、老化と死は避けられない事実です。
「災難が訪れたとき、それに対して理由をつけることは止めましょう」「それが神の怒りだとか、何かの罰だとかいうことも止めましょう」とスピノザは言います。神は誰も憎まず、また誰を愛するわけでもありません。自分たちの力が及ばないことに対しては、私たちはそれを受け止め、受け入れるしかありません。これこそが幸せへの道です。雨に濡れても文句を言わないことです。黙って耐えることが求められます。
これこそがスピノザ式の“悟り”と言えるでしょう。
吉田量彦(2022)『スピノザ 人間の自由の哲学』講談社
- 著者
- 吉田 量彦
- 出版日
東京国際大学の教授である吉田量彦先生が著した、スピノザの生涯と思想を紹介する解説書です。スピノザがどのようにして「神と自然は同一であり、人間も神の様態の一つである」という凡神論的な哲学を展開したか、またその哲学がどのようにして「人間の自由」を説いたかを本書では解説しています。本書の特徴は、「自由」をスピノザの思想の中心的なテーマと捉えていることです。スピノザは「人間の本性」は「自由」であると考えました。しかし「人間の自由」は、人間が自分の意志で行動することではなく、人間が自分の必然性を理解することだとしました。こすいてスピノザは「自由」を「必然性」と結びつけたのです。スピノザの思想を現代的な視点から読み解き、政治や倫理などの分野におけるスピノザの影響や示唆を提供してくれる一冊になっています
河井徳治(2011)『スピノザ「エチカ」』晃洋書房
- 著者
- 河井 徳治
- 出版日
スピノザの思想を現代に生かすための入門書です。スピノザの『エチカ』は「神と自然と人間の関係性」を幾何学的な方法で論じた難解な哲学書になります。
河井先生はその主要な概念や論理を分かりやすく説明し、スピノザの思想がどのように現代社会や人間の生き方に関わっているのかが示されています。河井先生は、スピノザの思想に長年取り組んできた研究者であり、スピノザ協会の運営委員でもあります。そのため本書は、スピノザ研究の最新の成果や議論も反映されています。本書は、スピノザに興味を持った人や、スピノザの思想を深めたい人におすすめです。
ジル・ドゥルーズ(2002)『スピノザ』(鈴木雅大訳)平凡社
- 著者
- G.ドゥルーズ
- 出版日
フランスの哲学者であるジル・ドゥルーズは、現代思想に多大な影響を与えた哲学者です。本書はドゥルーズによる、スピノザの思想を理解するための優れた入門書です。スピノザの複雑な用語や概念を分かりやすく説明し、ドゥルーズはその背景や意義を明らかにします。またスピノザの思想を現代的な視点から読み直すドゥルーズは、スピノザが提案した「実践の哲学」を自らの哲学と結びつけ、生と思考の新しい可能性を探求します。ドゥルーズは、スピノザが主張した「喜びの倫理」や「自由な存在」を強調し、生きることの意味や価値を問い直しています。スピノザだけではなく、ドゥルーズの思想を理解する上でも、おすすめの一冊です。