功利主義とは「社会全体の幸福を最大化するよう行動することが道徳的に正しい」という考え方になります。 つまり「最大多数の最大幸福」です。 この功利主義を主張したのが、19世紀のイギリスで活躍したジェレミー・ベンサムです。 では、ベンサムの思想にはどのような新しさがあるのでしょうか? 私たちは日々の生活において、あることに快楽を感じ、別のあることに苦痛を感じています。 ベンサムの言うように、私たちは快楽を求め、苦痛を避けようとしています。 これは間違いありません。しかしこの主張だけでは、とくに新しさは感じられません。 過去の先人たち、誰もが言ってきたことです。 ただし、ここからがベンサムの本領発揮となります。 彼は「快楽と苦痛は数学的に計算可能である」との考えを持っていました。 つまり「私たちの幸福量は測定し、計算できる」と彼は考えたのです。 これが「幸福計算論」であり、彼の新しい視点になります。 今回の記事では、ベンサムの功利主義について詳しく見ていきたいと思います。

自分の快楽・苦痛、幸福・不幸を計算可能にするためには、幸福は量化されなければなりません。
「10」や「9」といった数字で表現できるものでなければなりません。
たとえば「私の今の幸福量は100、あなたは105、私はあなたに比べて不幸だ」という具体的な数値で測ることができるものでなければなりません。つまり「幸福計算機」のような測定器が存在する世界であると言えるでしょう。
実際に私たちは、大まかに幸福について計算しています。
たとえば「私は以前よりも幸福になった」とか「不幸になった」と判断していることがあります。彼女や彼氏に振られれば不幸に感じ、給料が上がれば幸福に感じるでしょう。病気になれば不幸と感じ、治れば幸福と感じることでしょう。
しかし、このような場合の幸福判断は大雑把なもので、個人の感想に過ぎません。
そのため政治における政策立案の基盤にはなりえないのです。
ベンサムは、個人の主観的な印象ではなく、もっと厳密な幸福計算の科学が必要だと考えていました。
快楽を測定するために「強度」「持続性」「確実性」といった指標を示し、その効果を詳細に記述しています。やはり変人だったのかもしれません。
もしベンサムの言うように「個人の幸福」を数学的な正確さで測定できるならば…。「社会全体の幸福(最大幸福)」も正確に把握できることになります。
社会の幸福はその社会を構成している人々の幸福量の総合(合計)だからです。国民1人ひとりの幸福量を合計すれば、社会の幸福量が自ずと出てくるはずです。
幸福量の増減を計算できれば、どの政策が幸福の増加に貢献し、どれが貢献しなかったかを測定できるかもしれません。
これを「幸福寄与率」の計算と呼ぶことができます。
そのとき政治は幸福計算の技術学になり、政治家や立法者はそのための技術者となります。
「幸福企画省」が創設され、「最大幸福の科学」が誕生することになるでしょう。
これがベンサムの夢でした。
「幸福を計算できるわけがない、幸福の数学など存在しない」と思うかもしれません。
しかし少し考えてみると、私たちは幸福を計算しながら生きていることに気が付きます。
たとえば「あの人と付き合えば得だ(損だ)」というときには、幸福計算が働いているのです。
自分の幸福や不幸の度合いを、自分が所有するお金の量で測れば、ある程度の幸福計算が可能になるかもしれません。
お金が「生み出す効用(快楽・幸福)」を測定できれば、お金が「もたらす効果(限界効用)」も把握できるでしょう。
そしてもう少し計算を進めれば「財貨の限界効用は、財貨の量に反比例して減少する」という法則を立てることが可能です。これを「限界効用逓減の法則」と言います。
少し難しいので、以下で詳しく説明します。
たとえば、ハンバーガーを連続で3個食べるとき、3個目のハンバーガーから得る効用(快楽・幸福)は減少します。1
個目のハンバーガーがもたらす効果を「10」とすれば、3個目は「7」ぐらいでしょうか。1個目のハンバーガーから感じた「美味しさ」は、3個目では大分薄れているはずです。
同じように月収1000万円の人にとっての1万円と、月収10万円の人にとっての1万円は同じ効用を持ちません。貧乏な人が1万円をもらうと大喜びするでしょうが、億万長者にしてみたらそんなに喜ぶ金額ではないでしょう。
それでは、この法則を税金に当てはめて考えてみます。
税金として1万円を億万長者から取り上げ、これを貧乏な人に配るとどうなるでしょうか。社会全体の幸福、つまり「最大幸福」は増えるはずです。
このケースにおける幸福計算は「億万長者が1万円失った苦痛量(A)」と「貧乏な人が1万円得たことで獲得する幸福量(B)」との比較になります。
明らかにBの幸福量は、Aの苦痛量よりも大きくなります。
したがって最大幸福は増えるのです。
ベンサム流の功利主義が近代の経済学に変換すると「金持ちから税金を徴収して貧乏な人々に配る」になります。
いわゆる「所得再分配」政策ですが、この政策基盤としてベンサムは利用されているのです。
厳密な絶対量として「幸福」を計算することはできないかもしれませんが、幸福度の相対的な“比較”であればできないわけではありません。
実際のところ私たちは、幸福な人生と不幸な人生を区別し、より幸福な人生を目指して行動しているからです。
私たちは誰もが自分の快楽を最大化し、苦痛を最小化するように行動しています。
他人の幸福がどうなるか、それは私にとって最優先の事柄ではありません。
他人の幸福は、その人自身が考えるべき問題であると言えるでしょう。私には他人が幸福になるように行動する義務はありません。
他人に親切なことをすれば、世間から称賛されることもあるかもしれません。
しかし、親切にしなかったからといって、罰せられるわけではありません。
「自愛の感情は食事であり、仁愛はデザートである」とベンサムは書いています。デザート付きの食事は素晴らしいものですが、デザートがなくても満腹にはなりますし、生きていくこともできます。
しかし、食事なしに生きることはできません。
自分だけの幸福の最大化を追求する人々が社会を構築し、一緒に暮らしています。
このような社会において「最大幸福」を実現するのが政治家の仕事になるのです。
利己的な人間を「最大多数の最大幸福」を求めるような人間に変えようという考え方も存在します。
過去のプラトンやルソー、キリスト教、そして20世紀の全体主義者たちです。
しかし、この幻想をベンサムが持つことはありませんでした。
自分だけの幸福の最大化を求める人々が、政治社会に参加することに対して、ベンサムは何の問題もないと考えました。
なぜなら自分だけが得するような政策を提案しても、ほかの利益を主張する人々は賛同しないからです。
賛同者を得るためには、自分の利益が他人の利益にもなるような政策を提案しなければならないのです。
人々の利益の衝突が存在し、その衝突から利益の妥協や調整が現れてきます。
そうした過程を通じて、ベンサムは「最大幸福」が実現されると考えました。 そのために、さまざまな制度的な基盤を細かく考案することがベンサムの仕事でした。
その制度的な基盤とは「選挙権の拡大」「選挙制度や議会制度の改革」「政府や役所など公的組織の議事録公開」などです。
簡単にいうと、どんな人も政治に参加でき、できる限り情報をオープンにすることです。
「民主主義の徹底」とも言えるでしょう。
まさにベンサムの思想が、19世紀のイギリスで展開された政治改革における原動力となったのです。
ベンサムは1832年に亡くなります。
同じ年に選挙法が改正され、参政権が少し拡大されました。しかし、イギリスで成人男女が選挙権を持つようになったのは1928年です。
ベンサムの死からほぼ100年後のことでした。
ベンサム(2022)『道徳および立法の諸原理序説』(中山元訳)筑摩書房
- 著者
- ["ジェレミー・ベンサム", "中山 元"]
- 出版日
イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが1789年に発表した功利主義の代表的な著作です。ベンサムは、人間の行為の善悪を快楽と苦痛の計算によって判断する功利性の原理を提唱し、個人と社会の幸福を追求する道徳と法の基礎を築こうと試みました。ベンサムの思想の全体像を示す名著であり、後世の倫理学や法哲学に多大な影響を与えました。中山元先生が訳した本書ですが、ベンサムの難解な英文を忠実かつ平明に日本語に翻訳し、豊富な訳注や解説で読者の理解を助けてくれます。また、ベンサムの思想が現代にどのように関連するかについても示唆に富んだ考察を加えています。本書は、功利主義や近代思想に興味のある人にとって必読の一冊です。
山田英世(2014)『人と思想 16 ベンサム』清水書院
- 著者
- 山田 英世
- 出版日
ベンサムの思想は、今日でも多くの社会的な問題に対して有効な指針を提供してます。たとえば、個人の自由や権利と社会の秩序や正義とのバランス、多様な価値観や利益との衝突や調整、人間の幸福や苦しみという基本的な感情とその測定や評価などがあります。ベンサムは、これらの問題に対して合理的で普遍的な解決策を探ろうとしましたが、同時にそれが困難であることも認めました。彼は自分の思想を絶対化せず、つねに修正や改善を試みました。その姿勢は、私たちも学ぶべきではないでしょうか。デューイやベンサムなどを翻訳してきた山田英世先生による入門書になります。