5分で分かるレーニンの人生|神としてミイラになった革命家|元教員が解説

更新:2026.5.24

ウラジーミル・レーニンは、20世紀の世界史に大きな影響を与えた革命家です。 1870年にロシア帝国の小さな町で生まれたレーニンは、革命運動に身を投じ、シベリアへの流刑生活を経て、1917年のロシア革命を成功に導いた人物です。 レーニンはソビエト連邦の建国者として、共産主義国家の父と讃えられています。 しかし一方で、その独裁政治はスターリンによって更に過激な形で継承されることとなりました。 今回の記事では、革命家としてのレーニンの生涯を見ていきたいと思います。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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革命家になるまでのレーニン

レーニンは1870年4月、ヴォルガ河畔のシンビルスクという小さな町で生まれました。この町はモスクワの東に約900キロの位置にあり、主な産業は漁業と農業で、当時の人口は約3万人でした。実は「レーニン」というのは彼の本名ではありません。彼の本名は「ウラジーミル・イリイチ・ウリヤーノフ」です。同じく、スターリンやトロツキーといった名前も偽名です。多くの革命家は、警察を避けるために、複数の偽名を持つことが一般的でした。

レーニンの父は大学の理学部を卒業後、数学と物理学の教師として働きました。そのあと文部行政の高級官僚や貴族として出世を果たしています。一方、レーニンの母は裕福な医師の家庭出身で、農奴を持つ領地を有する貴族でした。

レーニンはこの夫婦の次男として生まれ、4歳年上の兄が1人いました。この兄弟はともに優れた成績を持つ優等生でした。レーニンの兄、アレクサンドルはペテルスブルク大学で生物学を学んでいましたが、専制政治に反対する革命組織に参加し、皇帝の暗殺を計画しました。

しかし暗殺計画は事前に露見してしまい、アレクサンドルは逮捕され、21歳で処刑されました。このときレーニンは、17歳の高校生でした。

シベリアへの流刑

レーニンは兄の足跡を追い、革命家となりました。25歳の時に逮捕され、2年間監獄で過ごした後、1897年、27歳の時にシベリア流刑となりました。その後、3年間をシベリアの流刑地で生活しました。「シベリア流刑」と聞くと、厳しい環境や収容所での過酷な生活を思い浮かべるかもしれません。しかし、レーニンの場合はそうではありませんでした。

当時のシベリア流刑には、2つのタイプがありました。

1つは強制労働を伴うもの、2つ目は単に「流刑」というもので、指定された場所で指定された期間を過ごすだけのものでした。

レーニンは2つ目の流刑を受けました。前者と比べると、後者はそれほど厳しいものではありません。指定された村で生活していれば良く、それ以外の行動は自由でした。

しかもレーニンは独りではありませんでした。少し時間が経つと、恋人が彼のもとへ来て、2人は結婚し一緒に生活を始めました。彼らは収容所ではなく、立派な家を借りて住んでいたのです。

政府からは追放者としての手当(生活費)が支給されたため、レーニンは全額使い、立派な一軒家を借りました。彼の家族は裕福だったので、生活費に困ることはありません。さらに、レーニンのシベリア(流刑地)への移動は自費でした。当局が用意する護送車ではなく、自分で切符を購入し、普通の列車で指定された場所へ向かいました。囚人用の護送車よりも快適な移動だったでしょう。

さらに、レーニンの母親による頼みを聞き入れた当局は、シベリアの中でも比較的気候が温暖な場所を流刑地として指定しました。

レーニンの趣味は狩猟やスケートで、残りの時間は読書や研究に没頭していました。流刑中に『ロシアにおける資本主義の発達』という大きな本を出版しています。首都にある出版社との連絡や、ほかの村に潜伏している革命家たちとの会合も自由です。

こんなに自由な流刑生活で本当に大丈夫かと思うほど、穏やかな日々を過ごしていました。帝政ロシアの監獄制度は、どこか甘く、緩やかでした。流刑地からの脱走も、意志があれば容易にできたようです。スターリンやトロツキーも、流刑地から何度も脱走しています。特にスターリンは、6回流刑になりながら、5回脱走に成功しています。このような流刑の目的は、危険な人物を首都や大都市から遠ざけることでした。しかし、この平和な状況は、スターリンの時代になると大きく変わることとなります。

様々な活動をこなす活動家

1900年1月、30歳のレーニンは流刑を終えて国内に戻りましたが、すぐに国外へと旅立ちました。そのあとレーニンはロンドンやパリ、スイスで亡命生活を送ることとなります。トロツキーも同様の生活をしていました。

革命家には様々なタイプがいます。知識人タイプの革命家は、学問や研究に従事し、革命の理論や戦略を考えるのが主な仕事です。彼らは本を書いたり、新聞を編集・発行することが主な活動です。直接、工場などで労働者と接することは少ないです。国内にいると警察の監視が厳しく、新聞の発行も難しいため、安全な外国に住むことが多いです。

一方、ロシア国内の活動家たちは、これらの知識人が発行した新聞を国内の労働者たちに配布し、革命を宣伝する役割を担います。多くはスターリンのように、貧しい背景から来ており、高度な教養は持っていないことが多いです。彼らは理論よりも実践的な活動に従事します。

要するに、知識人は革命の「頭脳」として、現場の活動家は「実行部隊」として、共に革命に参加しているのです。

革命運動には資金が必要です。では、どのようにして資金を手に入れていたのでしょうか。新聞の発行や外国での生活には相当な費用がかかります。レーニンの場合、裕福な母親からの援助があり、また富裕な支援者からの資金援助も受けていたようです。

レーニンの奥さんは「贅沢はできなかったが、生活に困ることはなかった」と振り返っています。さらに、レーニン率いるボリシェヴィキは、資金を得るために少し過激な手段も取りました。具体的には、銀行強盗や現金輸送車の襲撃などです。

また興味深いエピソードとして、ロシアの裕福な家庭の娘とボリシェヴィキのメンバーを結婚させ、その財産を「寄付」として受け取る方法もありました。しかし、この計画には予想外の展開が待ち受けていました。財産を手に入れたその男性は、ボリシェヴィキに財産を渡すことをためらったのです。結局のところ、男性はボリシェヴィキからの圧力を受けて、やむを得ず財産を提供したというエピソードが伝えられています。

レーニンの晩年と死

1914年に第一次世界大戦が開始された際、ロシア帝国は大戦に参戦しましたが、経済的・軍事的な困難に直面し、国内の不満が増大しました。

1917年の二月革命が起こると、ピョートル大帝の都市、ペトログラードでのデモが全国的な革命へと拡大し、帝政は崩壊。臨時政府が設立されました。

1917年4月、ロシアが混乱するなか、レーニンは亡命先のスイスからロシアに帰国しました。

彼は「すべての権力をソビエトへ」というスローガンを掲げ、ボリシェヴィキの影響力を急速に拡大させていきます。そして同年10月、レーニンの指導によってボリシェヴィキは、ペトログラードで武装蜂起を実行し、臨時政府を打倒。レーニンは新政府、人民委員会議の首班となりました。

しかしレーニンの政権奪取は、ボリシェヴィキと反対勢力の内戦を引き起こしました。数年にわたる戦闘のあと、1922年にレーニン率いるボリシェヴィキが勝利し、同年12月に「ソビエト連邦」が成立しました。

念願の社会主義革命は成功しましたが、レーニンには長く生きる時間は与えられませんでした。

1918年、彼は反対派からの銃撃により重傷を負ってしまいます。一命は助かりましたが、健康状態は悪化する一方でした。

1922年5月には、初めての脳卒中に襲われます。レーニンの父と同じ病気です。同年12月には2回目、翌年3月には3回目の脳卒中が起こり、回復の見込みは完全になくなりました。

そして3回目の発作から10ヶ月後の1924年1月、53歳でレーニンは亡くなります。

彼はスターリンを指導部から追放するような遺書を残していました。おそらく、スターリンが独裁者になることを危惧したためでしょう。しかしながら、この遺書は公にされず、その存在すらも否定されました。

妻の反対にも関わらず、レーニンの遺体はミイラ化され「レーニン廟」に展示されています。

ソ連を作った男・レーニンは、まるで神のように崇められることになったのです。

レーニンを理解するためのオススメの書籍

レーニン(2013)『帝国主義論』(角田安正訳)光文社

著者
["レーニン", "角田 安正"]
出版日

レーニンが1916年に発表した帝国主義に関する考察が本書になります。レーニンは、帝国主義を「資本主義の最高段階」として捉え、資本主義に潜む問題点を深く探求しています。

本書を通して、独占資本の影響下での植民地支配の広がりや、戦争の増加といった、当時の世界動向を詳しく解説しています。そして、帝国主義が資本主義の終わりを迎え、社会主義への道を開く可能性を示しています。帝国主義の深い理解や社会主義の考え方を知るために、この本は大変参考になります。資本主義についての理解を深めたい方におすすめします。

レーニン(2011)『国家と革命』(角田安正訳)講談社

著者
["レーニン", "角田 安正"]
出版日

本書は、レーニンが1917年のロシア革命直前に書いた著作です。プロレタリア革命後の社会主義国家の理念と方向性を示した画期的な論文です。

レーニンはブルジョワ国家装置の打破と、プロレタリアートによる国家権力の樹立を唱えます。そして社会主義下で国家は次第に不要となり、自由な人民の連合へと発展すると説きました。

革命後の社会の理想の姿を考える上で、マルクス・レーニン主義の基本文献として本書は必読です。革命理論の入門書としておすすめします。

E.H.カー(2000)『ロシア革命: レーニンからスターリンへ』(塩川伸明訳)岩波書店

著者
["E.H. カー", "Carr,E.H.", "伸明, 塩川"]
出版日

イギリスの歴史家カーによって書かれた本書は、1917年のロシア革命からスターリン体制成立までの通史になります。著者は革命期の政治・経済・社会状況を詳細に分析し、とくにレーニンからスターリンへの権力移行過程を克明に描写しています。

ロシア革命の全貌、また革命後のソ連の形成をオーソドックスに学ぶためには、本書は欠かせない一冊です。著者の客観的な視点に基づく解説は、国際的な評価が高く、ロシア革命史のスタンダードと言えます。ロシア革命を学びたい方に強くおすすめです。

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