少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。第18回目となる10月号はハーパーコリンズ・ジャパンから2023年8月に刊行された『没落令嬢のためのレディ入門』をお届けします。「最高にハッピーなラブストーリーが読みたい!」という方におすすめの本作の魅力を存分に語っていただきました。
「嵯峨景子の今月の一冊」第18回目です。今回は2023年8月発売の翻訳ロマンス小説『没落令嬢のためのレディ入門』(ソフィー・アーウィン著・兒嶋みなこ訳/mirabooks)を取り上げます。
- 著者
- ["ソフィー アーウィン", "兒嶋 みなこ"]
- 出版日
みなさんは「ハーレクイン」というレーベルをご存知ですか? 読んだことはないけれど、名前だけは知っているという人も多いと思います。ハーレクイン社はカナダに本社を置く、女性向けのロマンス小説を展開する出版社です。ここから刊行される多種多様な恋愛小説は、すべてハッピーエンドに終わるのが特徴として知られています。ドラマティックかつロマンティックな物語は世界各国で愛読されており、日本でも1979年から邦訳が刊行されています。今回取り上げるmirabooksはハーレクイン社のレーベルのひとつで、ロマンスの枠組みにとらわれずサスペンスやスリラーなど、男女を問わず楽しめる作品を積極的に扱うラインです。
日本の少女小説を仕事の柱のひとつにしている私にとって、ハーレクインに代表される海外のロマンス小説は“読者の大半が女性”という点で類似性がある、気になる隣接領域でした。とはいえ仕事で多少取り上げたことがあるものの、作品をたくさん手に取ったり、ジャンルの最新状況を追うまでには至っていません。
そんな時に書店で出会ったのが、この『没落令嬢のためのレディ入門』でした。帯の「『高慢と偏見』や『ダウントン・アビー』が好き 19世紀英国レディの毎日が知りたい 最高にハッピーなラブストーリーが読みたい!」という惹句が英国好きの私の心に刺さりまくり、迷わずレジへ。ハーレクインのカバーは写真を使用した写実的なものが多いなかで、本書はお洒落なイラストを使用しているのも手に取りやすく感じました。
『没落令嬢のためのレディ入門』の舞台は1818年のイギリス。この時代は国王ジョージ三世が病気のために統治できなくなり、息子でのちにジョージ四世となる皇太子が摂政を務めていたことから「摂政時代(リージェンシー)」と呼ばれています。ちなみにこの時期はハーレクインのヒストリカルものでも人気が高いそうで、「リージェンシー」という名で定番化しているとか。現代とは異なる時代状況のなかで、きらびやかなドレス描写やロマンスを堪能するのがリージェンシーものならではの醍醐味です。
ジャンル史や歴史的な解説についつい力が入り、前置きがかなり長くなってしまい申し訳ありません。そろそろ本題の『没落令嬢のためのレディ入門』に入りましょう。主人公はイングランド南西部のドーセットシャーで暮らす二十歳のキティ・タルボット。両親を相次いで亡くした5人姉妹の長女キティは、二年もの間結婚の約束をしていた郷士の息子・チャールズから、突然の婚約破棄を言い渡されました。先月亡くなった父が遺した大きな借金を抱え、結婚相手のチャールズに金銭的に頼るつもりだったキティは失意のどん底に落とされます。四ヶ月後に借金を返済できなければ妹たちと暮らす屋敷を手放すことになるため、一家離散は免れません。そんなシビアな現実に絶望しつつも、キティは簡単には屈しません。妹たちとの暮らしを守るためにも裕福な男性と結婚しようと、母の旧友ドロシーを頼ってロンドンへ行くことを決意。次女で美人のセシリーとともにロンドンに乗り込むのでした。
二人はドロシーの助けを借りて可憐なレディに変身し、社交界にもぐり込むことに成功します。そして裕福なド・レイシー家の次男アーチーに近づき、見事仲良くなりました。このまま婚約に持ち込もうとケティは奮闘するも、彼女の前に大きな壁が立ちはだかります。
アーチーの兄でラドクリフ伯爵のジェイムズだけは財産狙いの彼女の思惑を見抜き、弟から遠ざけようと厳しい態度を取るのでした。彼はキティの両親について調べ、彼女も知らなかった親の醜聞を切り札に、弟と別れろと脅しをかけます。窮地に陥ったキティは、他の男性をつかまえるため、社交シーズン最初の舞踏会に自分を招待して最初のダンスを踊ってほしいとジェイズムに要求。家族を守るためにジェイムズはしぶしぶこれを受け入れて……。果たしてキティは、借金返済の期日である四ヶ月後までに裕福な男性と無事結婚することができるのでしょうか?
最悪なかたちで出会った二人がたどる波乱万丈な展開と、キティやジェイムズの視点を通じてあぶり出される貴族社会の光と影、そして爽快なハッピーエンドが心に残る『没落令嬢のためのレディ入門』。主人公のキティは親にも頼れない厳しい状況のなかで、自身の才覚だけをたよりに行動し、家族の窮地を救おうと奮闘するタフかつ前向きなヒロインです。慣れない貴族社会に飛び込み、さまざまなトラブルに巻き込まれながらも見事に幸せを掴む彼女の姿はなんとも痛快で応援したくなります。ジェイズムとの丁々発止なやり取りやスリリングな駆け引きは、本書最大の読みどころといえるでしょう。
ジェイムズは、個人的には今まで読んだハーレクイン系作品のなかで一番共感できるヒーローでした。彼はキティに対して辛辣な態度を取りますが、そもそも彼女は財産狙いでアーチーに近づいているため、理不尽には感じません。またロンドンという都会を嫌がり、家族と距離を取ろうとするのも、亡き父親との微妙なわだかまりや参戦したワーテルローの戦いで地獄を見たからなど、納得のいく理由づけがなされていました。私が海外のロマンス小説に対して若干の苦手意識を抱いているのは、ヒーローの身勝手かつ強引な行動に引いてしまうパターンが多いためです。ジェイムズは最初こそヒール役として登場しますが、彼の行動原理には納得できる理由があり、なおかつそれが作中できちんと説明されているので、気持ちが覚めることなく作品の世界に没頭できました。
物語には19世紀初頭ロンドンの空気感や、貴族社会の風習や人間関係などが細やかに書き込まれています。美しいドレスやきらびやかな舞踏会の様子など、この時代ならではのキラキラしたディテールもふんだんに登場。オースティンの名作『高慢と偏見』のエッセンスを取り入れた、甘やかかつエンターテインメント性に富んだロマンス小説です。これまでハーレクイン系を読んだことがない読者にも手に取りやすい、入門書としても最適な一冊だと思いました。
- 著者
- ["ソフィー アーウィン", "兒嶋 みなこ"]
- 出版日
最後にハーレクインというジャンルに興味を持った方におすすめの参考文献もご紹介させてください。ハーレクインの紹介や日本における展開を知りたい方には、日本上陸30周年記念本として刊行された『ロマンスの王様 ハーレクインの世界』(洋泉社)を(この記事を執筆する際にも本書を参考にしています)。そしてより歴史的な背景を深掘りした本として、尾崎俊介『ハーレクイン・ロマンス 恋愛小説から読むアメリカ』(平凡社新書)もおすすめです。アメリカ文学の専門家による、コンパクトで読みやすい一冊に仕上がっています。
- 著者
- 洋泉社編集部編
- 出版日
- 著者
- 俊介, 尾崎
- 出版日
奥が深い海外のロマンス小説については、私もまだまだ勉強中です。おすすめの作品や作家などがありましたらぜひ教えてください!