嵯峨景子の「今月の一冊」|第十七回目は『黄金蝶を追って』|日常と非日常の間を描写する短編集

更新:2023.9.30

少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。第17回目となる9月号は竹書房から2023年7月に刊行された『黄金蝶を追って』をお届けします。嵯峨先生が思わずジャケ買いをしてしまったという本書の魅力を解説していただきました。

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「嵯峨景子の今月の一冊」も第17回目を迎えました。今月は2023年7月刊行のSF&ファンタジー短編集『黄金蝶を追って』(相川英輔著・竹書房)をご紹介します。

著者
相川 英輔
出版日

 本を購入するきっかけはさまざまです。好きな著者の新刊だから、タイトルに惹かれたから、あるいはテーマへの関心や装丁への一目惚れ……。『黄金蝶を追って』の場合、完全に“ジャケ買いパターン”でした。洗練されたモノクロの静謐なカバーデザインは、見た瞬間手に取らずにはいられない、不思議な吸引力に満ちています。カバーのマットな手触りも指に心地よく、紙の本を読む楽しみを味わえる一冊です。本書はKindle Unlimitedでも読むことができますが、個人的にはぜひ紙版を手に取ってほしいと思っています。

相川英輔は1977年生まれ、福岡在住の作家です。第13回坊っちゃん文学賞など、地方の文学賞を受賞している著者が注目されるようになったきっかけは、海外でのブレイクでした。電子書籍で刊行された短編「ハミングバード」が2020年に英訳され、海外の文芸誌に掲載されるなど、高い評価を受けます。これをきっかけに、逆輸入のかたちで国内での活躍が増えていきました。『黄金蝶を追って』には転機となった「ハミングバード」も収録されており、作者の世界に触れる入り口としてもうってつけといえるでしょう。

 

 ありふれた日常と不思議とが溶け合い、どこかズレた景色から非日常のきらめきが生まれる。そんな6編をそれぞれ見ていくことにしましょう。

「星は沈まない」の主人公は、40年間コンビニ業界で働いてきた須田俊宏。コンビニの揺籃期に野心を抱いて入社した須田は、とある理由で左遷され、今は不採算店舗の店長として日々を送っています。ある日、彼の店舗に無人化を進めるAIシステム「オナジ」が試験的に導入されることになり……。人間の仕事を奪う有能なAI・オナジに対して複雑な思いを抱く須田、しかし須田とオナジはさまざまな出来事を通じて、次第に心を通わせていきます。私たちの日常にも浸透しつつあるAIの少し先の未来を描いた一篇です。

「ハミングバード」は先に紹介したとおり、作者が躍進するきっかけになった作品です。三十代半ばを過ぎ、残りの人生を一人で生きていくことを決めた裕子は中古マンションを購入します。理想の家を手に入れて喜んだのも束の間、前の所有者だった大江さんが半透明の姿で部屋に出現して住み着いてしまい、奇妙な共同生活をおくる羽目に……。幽霊譚を思わせる設定を採用しながら、作品を貫く空気はどこまでもユーモラスかつ穏やかです。何でもないはずの日常の暮らしが愛おしくなるような、著者の優しい作風が味わえます。

「日曜日の翌日はいつも」は、第13回坊っちゃん文学賞をした作品。水泳選手の道を目指しながらも、思うように成績が上がらず伸び悩む大学生・宏史。そんなある日、日曜日の翌日に彼一人きりの世界で電気さえも使えない「第八日目」が出現するようになる。宏史は、自分だけに与えられた第八日目をトレーニングに使うことでめきめきとタイムを伸ばし、オリンピック出場も狙えるポジションまで復活します。ところが、はじめは「第八」だけだった日曜の後の奇妙な日がだんだんと増えていき……。水泳に打ち込む青年の情熱と孤独が描かれつつ、怪我が原因で水泳選手生命を絶たれた少女・谷川に対して宏史が抱く負い目などの要素も加わり、青春の匂いに満ちた瑞々しいSF小説です。

「六十年代まではまだ魔法が残っていた」という印象的な文で始まる、表題作の「黄金蝶を追って」。本作では、描いたものが実体化する魔法の鉛筆の秘密を分かち合った、少年二人の友情が描かれます。絵が得意な誠は魔法の鉛筆の力を借りてデザインの道に進み、一方で彼に魔法の鉛筆を譲った佐々木は学生運動に身を投じていく。鉄腕アトムのアニメや学生運動など、1960年代から70年代にかけて日本社会の動向や文化事象を背景に、異なる道を歩んでいった二人の男の絆が美しい余韻を残します。

はるか未来の世界を舞台にした「シュン=カン」は、本書の異色作です。前述した「星は沈まない」とリンクした作品で、時を経て果たされる須田とオナジの約束に、思わずニヤリとさせられます。そして本書の末尾を飾る「引力」は、ノストラダムスの予言を題材にした短編。27歳の葉子は、深刻な悩みがあるわけでもなく特段不幸せなわけでもない。けれどもときどき、「この瞬間、隕石が落ちてきて世界が滅亡すればいいのに」と、予言の成就を強く願ってしまう。葉子の生活に沿って淡々と進む物語の先に、やがて訪れる急展開が鮮やかです。

 どこかノスタルジーを感じさせながら、奇妙な肌触りも手ざわりを与えてくれる掌編たち。季節の変わり目に、ちょっと不思議な読書体験をしてみてはいかがでしょうか。

著者
相川 英輔
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