少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。第19回目となる11月号は祥伝社から2023年10月に刊行された『照子と瑠衣』をお届けします。70歳の女性2人が描くパワフルなシスターフッドの魅力を語ってもらいます!
「嵯峨景子の今月の一冊」第19回。今月は2023年10月刊行の井上荒野『照子と瑠衣』(祥伝社)をご紹介します。
- 著者
- 井上荒野
- 出版日
本作のテーマはシスターフッドです。シスターフッド小説は私の大好きなジャンルで、この連載でもたびたび取り上げてきました。これまでに紹介した作品でいえば、年齢の離れた老女と少女の交流や、故人の女性との時を超えた連帯、そして無機物であるヴィーナス像(!)との親密な関係性など、さまざまなパターンの物語を取り上げてきました。今回の作品では、老女×老女の友情に光が当てられています。70歳の女性たちがみせる、とびきり痛快かつパワフルな関係性に心を鷲掴みにされ、ぜひとも連載で紹介したくなりました。
照子と瑠衣はともに70歳。中学校で同級生だったふたりは、当時は全く別な世界に生きており、交流もほとんどありませんでした。そんなふたりが30歳の同窓会で再会し、互いの辛い境遇を打ち明けあって以来、無二の親友となりました。照子には寿朗という夫がいるものの、彼は自分勝手なモラハラ男で、使用人扱いの結婚生活にひたすら耐え続けていました。世間的には裕福で幸せなマダムだと思われている照子の暗黒の人生を支えていたのが、瑠衣の存在だったのです。
一方の瑠衣は、若い頃に結婚して娘が生まれるも、ジャズベーシストと恋に落ちて家族を捨てて駆け落ちしました。ところがその相手もわずか4年で事故死し、以来シャンソン歌手として一人で身を立てています。そんな瑠衣が年齢や仕事の関係で気弱になり、宝くじで当たったお金を元手に老人マンションに入居します。ところが老人マンションには陰湿かつくだらない派閥争いがあり、耐えきれなくなった瑠衣は照子に電話をして助けを求めました。
親友からのSOSを受けた照子が取った行動は、思いがけないものでした。「さようなら。私はこれから生きていきます」と書き置きを残し、45年間ともに暮らしてきた夫を見捨てて家を出ます。夫のBMWを奪い、瑠衣とともに向かった先は長野の別荘地でした。当初は瑠衣に自分の別荘に連れていくと言っていたものの、人気のない家を探してドライバーで鍵を壊すさまは、どうみても不法侵入でしかありません。
こうして照子と瑠衣は他人の別荘に侵入し、ふたり暮らしをはじめました。侵入がバレないよう、電気を使わず夜はランタンとロウソクの明かりで過ごし、お風呂は近くの温泉へ。やがて照子と瑠衣はそれぞれの特技を活かし、仕事をはじめるのですが――。
大人しい優等生の照子と、自由に生きてきた瑠衣。性格も境遇も異なるふたりが、45年にも及ぶ結婚生活と窮屈な老人マンションを見限り、逃避行を続けながらたくましく生きていく。ふたりの間に存在するゆるぎない絆と、互いへの強い思いがなんとも眩しく、読み終わると胸の中にあたたかな余韻が残ります。犯罪行為を伴う逃避行の物語は、悲劇的な結末を予感させるものが多いと思います。ですが『照子と瑠衣』には、刹那的な危うさや暗さは一切ありません。ふたりとも生きる気満々で、金銭的な問題をはじめさまざまな逆境に直面しても、知恵を絞ってトラブルを乗り越えていく。その強さやたくましさに、読者自身が励まされる気持ちになります。
照子も瑠衣もそれぞれに魅力的なキャラクターですが、私はとりわけ照子に感情移入しながら読みました。大人しく優等生的だった彼女が夫を捨て、とんでもない行動力をみせながら、自分自身を解放していく。その変化がなんとも鮮やかで、読んでいて痛快でした。照子が作るおいしそうな料理の数々や、趣味のよさを感じさせる生活まわりの小物の描写も、作品に奥行きをあたえています。物語が進むにつれて明かされていく、照子の意外な計画にも驚かされました。
シスターフッド小説の醍醐味である友情の描写もまた、強く心を揺さぶられるものでした。長い時を重ねてきたふたりの間に存在する確かな絆、逃避行を通じて初めて気づくことになる相手の意外な一面、そしてなによりかけがえのない無二の親友と一緒に歩んでいく時間の楽しさ。シンプルな言葉で表現される互いへの想いはまぶしく、胸が熱くなります。
『照子と瑠衣』を読むと、いくつになっても新しい生き方を選ぶことができるし、不本意な現実を我慢しつづける必要はないと、勇気がわいてくる気がします。本のカバーに描かれたふたりの笑顔と、帯の
「まだまだこれから、なんだってできるわよ、あたしたち」
という言葉は、私の人生後半戦のお守りになりそうです。シスターフッド小説好きはもちろんですが、今の生活に何かしらの不満を持っている人や、前向きなパワーがほしい人にぜひ手に取ってほしい一冊でした。
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- 井上荒野
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