5分で分かるハイエクの政治論|なぜ民主主義は暴走するのか?|元教員が解説

更新:2025.10.4

競争と格差、正義と自由、民主主義の光と影…。 ハイエクの社会思想は今なお色あせることなく、むしろ混迷を深める現代にこそ大きな示唆を与えてくれます。 格差と不平等をめぐる論争は今も大きな社会問題ですが、ハイエクは「社会正義」という概念自体を否定します。自由こそが最重要であり、自生的秩序である市場は正義とは無関係だと示唆しました。 民主主義も決して絶対的な善ではなく、むしろ民意に基づく無制限の政治権力がもたらす弊害こそ警戒すべきだと論じます。権力分立と個人の自由が守られなければ、民主主義も問題含みとなり兼ねません。 プラトンの哲人政治すら構想したハイエク。果たしてハイエクの示した道は現代に通じるのでしょうか。 今回の記事では、ハイエクの主要な概念を解説しながら、現代世界の課題にどのように応用していくかを考えたいと思います。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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社会正義の否定

競争社会や資本主義は格差を生み出します。左派の人々はこの格差を問題視し、「社会正義の実現」を訴えてきました。富の分配をめぐる正義の問題、すなわち「社会の富をどう分ければ公正なのか」という問いは、右派と左派の対立の焦点であり続けています。

ハイエクの回答は独特でした。彼は「社会正義などもともと存在しない」と主張したのです。これは単なる反論ではなく「そもそも問いの立て方自体が誤っている」というのがハイエクの立場でした。

なぜ「社会正義」は問うことすらできないのか。その論理を理解するには、まず分配の仕組みについて整理する必要があります。

分配には二つの方式しかない

富の分配には、大きく分けて二つの方式しかありません。

第一は「誰かが分配を決める」方式です。過去の王や酋長、現代の政府のように、権力を持つ者が何らかの基準に従って分配を決定します。

身分に応じて、忠誠度に応じて、あるいは困窮度に応じて、いずれにせよ分配の決定権は特定の主体に握られています。

第二は「誰も分配を決めない」方式です。

市場経済がこれにあたります。政府や集団による意図的な介入がなく、個人や企業の自由な経済活動を通じて分配が決まっていく仕組みです。人気商品を売る企業には高い利益が、そうでない企業には少ない利益が配分されますが、それは誰かが決めた結果ではなく、需要と供給の相互作用から生じた帰結にすぎません。

多くの近代国家は、この二つのハイブリッドを採用しています。自由競争を基本としながら、税金を徴収し、福祉や公共事業として再分配を行う。市場に任せる部分と、政府が介入する部分が混在しているのが現実です。

「誰かが決める」方式の宿命

「誰かが分配を決める」方式には、避けられない問題があります。分配の基準をめぐって、必ず争いが生じるのです。

身分に基づく分配であれば、低い身分の者は不満を抱きます。困窮度に基づく分配であれば、税金を払う側が「自分の金が必要以上に取られている」と感じるかもしれません。どのような基準を採用しても、「なぜその人の取り分が多いのか」「もっと公正な基準があるはずだ」という批判が噴出することになります。

ここに「正しい分配とは何か」という問いが生まれます。社会正義の問題とは、まさにこの問いのことです。

市場には正義も不正義もない

では市場経済ではどうでしょうか。ハイエクの答えは明快でした。

市場における分配には、正義も不正義も存在しない、というのです。

市場では、誰も最終的な分配を意図的に決めていません。所得格差が生じたとしても、それは無数の売買の結果として生じたものであり、特定の「責任者」を指し名することはできないのです。ある人が成功し、別の人が失敗したとしても、それは誰かの「功績」でも「過ち」でもありません。市場のメカニズムがそうさせただけです。

したがって、市場の分配結果について「正しいか否か」を問うこと自体が的外れになります。正義や不正義という概念は、誰かの意図的な行為に対してのみ適用できるものだからです。誰も意図していない結果に対して、正義を問うことはできません。

これがハイエクの論理でした。

社会正義という問いは、「誰かが決める」方式を前提としてはじめて成り立つ。市場経済においては、そもそも問いとして成立しないのです。

市場経済の正当化

ここで一つの疑問が浮かびます。市場経済に正義がないのなら、なぜ市場経済は正当化されるのでしょうか。

市場経済を支持する人々の多くは、「努力や能力に応じた報酬が支払われるから公正だ」と考えています。

しかしハイエクはこの見方を採用しませんでした。むしろ報酬が個人の業績と必ずしも連動しないことを彼は認めています。成功と失敗を分けるものには、才覚や努力だけでなく、運や偶然が大きく関わっているというのがハイエクの認識でした。

それでもハイエクが市場経済を擁護する理由は二つあります。

第一に、国家が管理する経済と比較して、個人の自由がより大きく保障される点。

第二に、長期的には経済成長と豊かさをもたらすことが期待できる点です。

つまりハイエクは市場経済が「正義にかなっているから」ではなく「自由を守り、繁栄をもたらすから」擁護したのです。

野球のルールが「正しいから」ではなく「ゲームを成立させるから」守られるように、市場のルールもまた、その機能によって正当化されるという発想でした。

自由と民主主義の緊張

ここまでがハイエクの「社会正義」批判の骨子です。しかし話はここで終わりません。

社会正義を求める声は、民主主義社会において政治的な力を持ちます。格差に不満を抱く人々は、政府に対して再分配を要求するでしょう。民主的に選ばれた政府は、こうした要求に応えようとします。すると政府は市場に介入し、富者に課税し、再分配を行うことになります。

ハイエクはここに危険を見ました。「民主主義には政府の権力を際限なく拡大させる傾向が内在している」と彼は考えたのです。

自由主義の伝統では、権力分立や法の支配によって政治権力を制限することが重視されてきました。しかし民主主義においては、政府の正統性は民衆の意志に基づいています。民意に応えることが政府の使命である以上、民意そのものを制限することは難しい。民主的に選ばれた政府の権力には、原理的には歯止めがかかりにくいのです。

ハイエクは極端な例としてナチス・ドイツを挙げています。ヒトラーは選挙での国民の支持を背景に政権を獲得しました。このあとに訪れる独裁体制への移行は、形式的には民主主義的なプロセスを経ていたのです。

立法院という構想

70歳を過ぎたハイエクは、大著『法と立法と自由』の中で独自の制度設計を提案しました。民主主義の暴走を抑制するための仕組みとして、古代ローマの元老院を思わせる「立法院」を構想したのです。

立法院は通常の議会とは別に設置されます。45歳から60歳の有識者によって構成され、政府の政策が「自生的秩序」、すなわち市場を通じて自然に形成される社会秩序を侵害していないかを審査します。

議員は同世代の国民から選出され、任期は15年で再選はできません。引退後には裁判官などの公的ポストが用意されることで、利益団体からの独立性が確保される設計となっていました。

この構想が持つ重要なポイントは、選挙で選ばれた政府を別の基準で選ばれたエリートが監視するという点にあります。社会で実績を上げた有力者や名士こそが、長期的な視野に立って自生的秩序を守れるとハイエクは考えていたのです。

エリート政治への回帰か

この構想に対しては、名望家政治の復活ではないかとの批判があります。民主的に選ばれた政府を、非民主的に指名されたエリートが監視するという仕組みは、通常の民主主義理論とは異質なものです。

ハイエク自身も累進課税に反対しており、由緒ある家系が維持されることを重視していました。冷戦期を生きた彼は「アメリカのホームレスの方がソ連の技術者より自由だ」とさえ述べています。経済的な豊かさよりも、国家から干渉されない自由を上位に置く思想でした。

この立場はハイエクが本当に恐れていたものを示唆しています。それは民衆による支配でした。民主主義の担い手であるはずの大衆を、彼はむしろ自由に対する脅威と見なしていたのです。

個人の自由を最上の価値としながら、その自由を守るためにエリートによる監視を求める。この一見矛盾した構想の中に、ハイエク思想の本質が表れています。

自由とは多数派の意志からも守られなければならない。そのためには民主主義に制約をかける必要がある。

極端ではありますが、筋の通った論理であると言えるでしょう。

ハイエクを理解するためのオススメ書籍

渡部昇一(2007)『自由をいかに守るか ハイエクを読み直す』PHP研究所

著者
渡部 昇一
出版日

ハイエクの代表作である『隷従への道』を丹念に読み解いた一冊です。1944年に発表されたハイエクの書は、ベルリンの壁崩壊という歴史的事件を予見する思想を示していました。しかしその意義は日本では今ひとつ理解されてこなかったと著者は指摘します。

「自由主義こそが経済繁栄を生む」「自由は民主を凌駕する」「統制と保護は発展を阻害する」「権力者は未来を見通せない」「福祉国家という罠」…。ハイエクの主張を改めて振り返ることで、経済の統制が自由の剥奪につながることがよく分かります。

自由とは何かを真剣に考えたい方に、ぜひおすすめの一冊です。いまこそハイエクを読み直すチャンスかもしれません。

蔵研也(2022)『ハイエクといっしょに現代社会について考えよう』春秋社

著者
蔵 研也
出版日

混沌を極める現代社会と日本を分析する上で、ハイエクの思想が有効な手がかりを提供してくれることを、本書では明らかにしています。

ハイエクの経済理論や市場メカニズムに関する洞察は、きわめて現代的な意味を持っていることをわかりやすく解説しています。

また、社会主義だけでなく民主主義も「多数」の権力によって個人の自由が侵害される危険性を指摘しました。文化・芸術の面でも、自由な個人の判断こそが創造的なものを生み出す源泉であることを示唆しています。

自由にはリスクも伴いますが、権力に任せるよりはるかに望ましいと説得力をもって論じられています。現代世界を考える上で欠かせない一冊です。

池田信夫(2008)ハイエク 知識社会の自由主義PHP研究所

著者
池田 信夫
出版日

半世紀以上も前からハイエクは、「不完全な知識に基づいて変化しつづける世界では、どんなに合理的な計画よりも市場経済の方がうまく機能する」ことを訴えていました。その先見性は、ついに現実が追いついたと著者は指摘します。

サッチャー、レーガンに代表される市場原理主義の成功は、ハイエクの思想が世界そのものを変えた証左になるでしょう。また本書を通じて、脳科学や法体系、知財、ITといった新しい知識社会を考えるためのヒントも含まれています。

新しい社会のあり方を模索するための羅針盤として、今も色褪せないハイエクの思想を示した一冊です。

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