20世紀の政治思想において、マルクーゼが新左翼の主要な理論家とされるならば、ハイエクは新自由主義(ネオ・リベラリズム)の代表的な思想家と考えられるでしょう。 新自由主義という政治哲学は「市場原理主義」とも呼ばれます。 1980年代、福祉国家の行き詰まりを背景として、サッチャーとレーガンが推進したのが新自由主義でした。その理論的支柱となったのが、オーストリア出身の経済学者フリードリヒ・ハイエクの思想です。 市場原理主義は従来のケインズ主義に基づく福祉国家のアプローチに代わる、新たな方向性を提示します。 グローバル化によって新自由主義への関心が高まる昨今、ハイエクの思想形成を理解することは重要な意味があります。 今回の記事では、市場原理主義の重要な提唱者の一人とされている、ハイエクの生涯と主要な業績を見ていきたいと思います。

1899年、フリードリヒ・ハイエクはオーストリアのウィーンで生まれました。父親は医師であり、哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインとは遠縁にあたります。
第一次世界大戦への従軍を経て、ウィーン大学で法学と経済学を学びました。とりわけ経済学の分野で頭角を現し、1931年には32歳の若さでロンドン大学の教授に招聘されています。
やがて母国オーストリアではナチスが台頭しました。ハイエクは帰国することなくイギリスにとどまり、やがて英国籍を取得します。
ハイエクが経済学者として歩み始めた時代は、自由主義にとって最悪の時期でした。
1929年の世界恐慌により、自由放任的な資本主義への信頼は地に落ちていたのです。失業者が街にあふれる一方、政府の対応は後手に回りました。
資本主義の失敗を目の当たりにした人々の間では、ソ連の計画経済やナチス・ドイツの国家管理経済が注目を集めるようになります。
こうした時代背景の中、あえてハイエクは逆の立場を取りました。
個人の自由と選択を重視し、資本主義経済と自由競争を擁護する主張を展開したのです。当時としては明らかに反時代的な姿勢でした。
1944年、ハイエクは代表作『隷属への道』を発表します。この書物で彼が指摘したのは、社会主義とファシズムの意外な共通性でした。
両者は政治的には対極に位置するように見えます。しかしハイエクの目には、どちらも国家による経済の管理・統制を志向するという点で本質的に同じものと映りました。
国家が経済を管理するようになれば、人々は生活を国家に依存するようになります。国家なしには生きられない状態に置かれた人々が、その国家に反対することは難しい。ハイエクはこの論理から、経済的自由の喪失が政治的自由の喪失につながると警告したのです。
ハイエクが批判の対象としたのは、全体主義国家だけではありません。西側諸国で主流となっていたケインズ経済学に対しても、彼は異議を唱えました。
ケインズは政府が積極的に経済に介入し、公共事業や福祉政策を通じて需要を創出すべきだと主張しました。
不況期には政府が支出を増やし、失業者を減らす。この考え方は戦後の西側諸国で広く採用され、福祉国家体制の理論的支柱となっていきます。
ハイエクはこれに反対しました。善意から始まった政府の介入であっても、一度始まれば拡大を続け、やがて個人の自由を侵食していく。
福祉国家もまた程度の差こそあれ、全体主義への道を歩む危険性を孕んでいる。そう彼は考えたのです。
ただし注意が必要なのは、ハイエクが福祉政策のすべてを否定していたわけではない点です。
最低限の所得保障や教育機会の提供など、個人の自由を過度に制約しない範囲での福祉は容認する余地を残していました。
しかし彼の論考全体を見れば、国家による福祉の拡大に否定的な姿勢が色濃く表れています。
この曖昧さゆえにハイエクの思想はしばしば「福祉国家反対」と単純化され、政治的に利用されることにもなりました。
第二次世界大戦後、ハイエクの主張は長く顧みられませんでした。
冷戦下の西側諸国では、社会主義陣営との対抗上、手厚い福祉によって国民の支持を確保することが重視されたのです。高福祉・高負担の体制が「自由主義陣営」の標準となり、福祉支出の拡大に反対する声は孤立していきます。
1960年、ハイエクは自身の理論を体系化した『自由の条件』を発表しました。しかしこの書物も学界からほとんど無視され、彼は失意を深めていくことになります。
風向きが変わったのは1980年代でした。
ソ連の計画経済は行き詰まりを見せ、西欧諸国でも財政危機と高失業率が深刻化します。福祉国家モデルの弊害が誰の目にも明らかになり始めたのです。
この状況下で登場したのが、イギリスのサッチャー首相とアメリカのレーガン大統領でした。両者はハイエクが長年主張してきた「小さな政府・低福祉・低税率」の政策を掲げ、抜本的な改革を推進します。
規制緩和、国営企業の民営化、福祉支出の削減など、これらの政策は「新自由主義」あるいは「市場原理主義」と呼ばれ、以後の世界経済に大きな影響を与えることになりました。
ハイエクの思想は、半世紀近い時を経てようやく時代と合流したのです。
1991年、92歳のハイエクにブッシュ大統領から「自由のメダル」が授与されました。自由主義思想への貢献を称えるこの勲章は、長年孤立を強いられてきた経済学者にとって、学問的な勝利の証となったはずです。
翌1992年、ハイエクは世を去りました。
F・A・ハイエク(2008)『隷属への道』(西山千明訳)春秋社
- 著者
- ["F.A. ハイエク", "西山 千明"]
- 出版日
国家による経済統制が進めば進むほど、個人の自由は失われていくーー。
第二次世界大戦直前に発表されたハイエクの驚くべき警鐘は、今なお色あせることがありません。
本書では社会主義とファシズムの共通性に着目。国家管理・統制を通じた「善意の専制」がどのようにして個人の自由を奪い、全体主義体制を招くのか。生々しい例示とともに丁寧に解き明かされています。
「社会主義とファシズムの体制が国家による経済の管理・統制を通じて、どのようにして個人の自由を奪い、全体主義体制へと変質していったのか」
ハイエクは丁寧に解明しています。
経済活動の自由が奪われれば、職業選択の自由も失われます。企業の設立や活動が規制されれば、経済的自由の喪失につながります。さらに言論の自由や移動の自由も次第に制限されていきます。
ドイツやソ連といった現実の例を引き合いに出しながら、国家権力による経済統制が個人の自由を徐々に剥奪していく過程を、ハイエクは生々しく描写しているのです。
この警告は今日の政治現場にも投げかけられたものといえるでしょう。
ソ連型社会主義のみならず、欧米型福祉国家にも通じる普遍的なメッセージは、いまなお政治現場で響き渡っています。
F・A・ハイエク(2021)『自由の条件⒈ 自由の価値』(気賀 健三、古賀 勝次郎訳)春秋社
- 著者
- ["F.A. ハイエク", "気賀 健三", "古賀 勝次郎"]
- 出版日
自由とは何でしょうか?
多くの人が当然のように享受している政治的自由ですが、それは決して当たり前のことではありません。自由の前提条件が繊細な均衡の上に成り立っていることが、本書を通じて浮き彫りにされます。
法の支配、限定政府、自発的協力の精神...。
こうした社会秩序こそが、自由社会の生命線なのです。
ソ連や東欧社会主義国家が崩壊し、自由民主主義が世界的に広がった今日、自由と民主主義を疑う必要はないように見えます。しかし、歴史は決して一方向に進むものではありません。自由と民主主義を脅かす力は今もなお存在しています。
例えば、政治的権力の集中、過剰な行政規制、民族主義的対立の激化、SNSによる世論操作など、自由社会の前提を蝕む現象は後を絶ちません。
こうした現代的課題に対し、ハイエクの警鐘は重要な示唆を与えてくれます。自由の脆弱性とその条件を思い起こさせてくれるからです。
「自由を当たり前のものとしてはいけない…」
ハイエクの警鐘は今なお響き渡っています。
松原隆一郎(2011)『ケインズとハイエク - 貨幣と市場への問い』講談社
- 著者
- 松原 隆一郎
- 出版日
- 2011-12-16
1930年代の世界恐慌から今日の経済危機まで、資本主義は激動の時代を経験してきました。
本書を通じて世界恐慌当時から経済政策を巡る論争を展開した、ケインズとハイエクの思想が比較検討されています。資本主義経済の危機的状況下で、両者が抱えていた共通点と相違点が次々と明らかになります。
「貨幣・価格・生産」「慣行と模倣」「便宜と法」ーー。
抽象的に思える両巨人の論争が、現実の経済政策に重要な問いを提示していることが理解できます。
ケインズvsハイエク、一世紀にわたる知の激突が分かりやすく解説された一冊です。