資本主義を批判しながらも社会主義を否定する…。 一見すると論理性に欠けるジョン・ロールズの正義論には「理想を語るあまりに現実が置き去りにされているのでは」という指摘があります。 ロールズと同じ時代を生き、プラグマティストであるリチャード・ローティは「まずは具体的な政策を示せ」と主張します。 現実主義者のローティと、理想の制度設計を追求するロールズ。 二人の対立は手段と目的の違いを如実に示しています。 正義の実現に正解はありません。 ロールズの葛藤は現代を生きる私たちの葛藤でもあります。 正義とはいったい何か、ロールズの哲学を通じて改めて考えてみましょう。

ロールズは福祉国家の擁護者と見られがちですが、実際には異なる立場を取っています。資本主義体制のもとでは、たとえ福祉政策を充実させても、真の意味での正義は実現できないと考えたからです。
ロールズにとって正義の社会とは、政治的な自由、機会の平等、そして格差原理が実現された状態を意味します。
しかし資本主義下の福祉国家では、この理想に到達することが難しいとしました。巨大企業が政治的な権力を握るため、所得の再分配だけでは実質的な機会の平等が損なわれてしまうのです。
同様に、国家がすべてを管理する社会主義も否定しています。
それでは、ロールズはどのような社会を構想したのでしょうか。
ロールズが提唱したのは「財産所有の民主主義」という理念です。
これは資本主義経済と自由競争のメリットを活かしつつ、極端な貧富の格差を緩和することを目指しています。
具体的には相続税や贈与税といった政策によって、個人資産の分配状況に一定の制限を加え、富の過度な集中を防ごうという構想でした。
大企業による政治支配を抑制し、中間層が実質的な発言力を持てる社会を理論的には実現できるかもしれません。
ただし理想と現実の間には大きなギャップがあり、この構想がどこまで実行可能かについては疑問も残ります。
ロールズは「リベラルな社会主義」についても、正義を実現しうる選択肢の一つと位置付けていました。
リベラルな社会主義とは、国有企業が労働者によって民主的に運営され、市場経済のなかで競争する制度を意味します。政治的・経済的な自由が保障される点で、ソ連型の社会主義とは異なるものでした。
ただし、こうした構想が現実に機能するかどうかは別の問題です。
歴史上、類似の試みとして「市場社会主義」がありました。市場メカニズムを部分的に導入することで、社会主義体制の効率化を図ろうとする改革です。ゴルバチョフの「ペレストロイカ」はまさにこの路線に沿ったものでした。
しかし結果として国有企業は市場競争のなかで淘汰され、改革は挫折に終わります。ソ連の崩壊は、社会主義と自由市場経済の両立がいかに困難であるかを示すことになりました。
ロールズの正義論に対しては、プラグマティストのリチャード・ローティが冷ややかな視線を向けています。
ローティがロールズを批判する理由は明快でした。ロールズの理論はあまりにも抽象的であり、反対する人がほとんどいない。保守派でさえ賛同できてしまうほど普遍的な原理である以上、現実の政策決定にはほとんど役立たないというのです。
プラグマティズムとは、思想の価値をその実践的な効果によって判断する立場を指します。
ローティにとって重要なのは、正義の原理を論じることではなく、具体的な政策を通じて社会を変えることでした。
抽象的な理念よりも、実際に機能する解決策を示すべきだというのがローティの主張です。
このようにロールズに対する批判は現在も続いています。
それでもロールズによる最大の功績は「正義とは何か」という問いを、真剣に問い直す議論を呼び起こした点にあります。
マルクス主義の影響を受けた左派にとって、社会主義への移行は「歴史の必然」と考えられてきました。
経済や景気の科学的分析が政策決定の基準となり、正義という抽象的な理念が正面から論じられることは多くありませんでした。社会主義体制の実現・維持こそが最優先であり、正義そのものを問う作業は後回しにされていました。
1990年代、ソ連崩壊によって冷戦が終結すると、社会主義国家に対する理想像は打ち砕かれます。マルクス主義に代わる新しい指針を求める動きが活発化するなかで、改めて注目を集めたのがロールズの正義論でした。
公正で調和的な社会を実現するためには何が必要か。
ロールズの『正義論』は、この根源的な問いを投げかける契機になったと言えるでしょう。
ジョン・ロールズ(2022)『万民の法』(中山竜一訳)岩波書店
- 著者
- ["ジョン・ロールズ", "中山 竜一"]
- 出版日
代表作「正義論」で世界的知名度を得た政治哲学者ロールズ。
晩年の主著となる本書で、その正義観を国家間関係にまで発展的に適用しようと試みています。
国境を越えて実現を目指す「万国民衆の社会」。平和と正義に満ちたその姿を模索するロールズの壮大な構想には、ときに「理想的すぎる」という批判もあります。しかし疑問を投げかけるロールズ姿勢には、変わることのない熱意を感じることができます。
国家間の正義の在り方を考える上で、本書が提供する視座は今なお色褪せることがあります。正義の地平を大きく広げてくれる、オススメの1冊です。
中村聡一(2023)『「正義論」講義:世界名著から考える西洋哲学の根源』東洋経済新報社
- 著者
- 中村 聡一
- 出版日
名門コロンビア大学において、百年の歴史を誇る「正義論」の講義を描いた1冊です。プラトンとアリストテレスによる対話形式で、西洋政治哲学における正義の理念が浮き彫りにされていきます。
戦争と正義、社会的格差と正義、政治の目的と正義…
過去には様々な局面で正義が問われ続けてきました。西洋哲学の源流にある正義への探究が、今なお色褪せることのない普遍的な問いを投げかけてくれます。
政治や倫理に関心がある読者に、西洋思想の基礎を学ぶ入門書としておすすめしたい1冊です。
中山元(2011)『正義論の名著』筑摩書房
- 著者
- 中山 元
- 出版日
哲学の名著28冊を通じて、プラトンの内的個人調和からアリストテレスの共同体志向、そして資本主義社会の登場によって変貌を遂げる正義の理念を紹介しています。
社会契約論や市民社会論といった概念の展開を追いながら、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ロールズ、デリダといった思想家たちが正義に対してどのようにアプローチしたかを学ぶことができます。
本書の魅力はバランスの取れた構成と深い洞察にあります。
各時代の哲学者たちが直面した社会の複雑化と、人間の存在の本質を巡る善と悪の議論に深く思いを馳せることができます。
このテキストは、現代社会でよく見られる正義を主張する行為について考えさせ、個人的な視点から正義について再考する機会を提供してくれます。
哲学的思考に興味がある読者、または現代社会の正義とは何かを理解し、自分自身の立場を考察したい、すべての読者にオススメの一冊です。