5分で分かるローティの哲学|絶対的真理など存在しない!? 個人主義と偶然性を重視するローティの相対主義とは?|元教員が解説

更新:2026.5.24

リチャード・ローティはアメリカを代表する哲学者の一人です。 アメリカの哲学者としてはめずらしく、ヨーロッパのニーチェやハイデガーといった哲学者から大きな影響を受けています 「絶対的な真理は不存在で、解釈のみが存在する」という相対主義の立場をとるため、アメリカ哲学界の中で孤立を深めています。 一方で熱心なリベラルでもあり、左翼的な政治姿勢を持ち合わせています。 しかしローティは、哲学と政治は別個の領域であり、哲学を政治に持ち込むことは有害だと考えています。 とくに大学内で活動する「文化左翼」を批判し、経済や政策を語るべきだと主張しました。 さらに過激な新左翼に対しては、レーニンやトロツキーが存在しなければ世界はもっと平和で良い方向に向かっていたと非難したため、進歩派の怒りを買いました。 常に論争を巻き起こすローティですが、アメリカという国のアイデンティティを大切にし、独自の哲学を築いています。 批判に晒されつつも、揺るぎない信念を持った哲学者になります 今回の記事では、リチャード・ローティの哲学に迫っていきましょう。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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左翼の家系に生まれたローティ

リチャード・ローティは1931年、ニューヨークの左翼的知識人の家系に生まれました。

両親はアメリカ共産党から「トロツキスト」として批判されていたが、子ども時代のローティにとって、周囲の左翼的人々こそが「善人」であるかのように映っていました。

マルクス主義者にとって、自分以外の価値観を容認することは不可能です。そのような環境で育ったローティが大学教授になると、哲学界の主流と対立することが多かったようです。晩年にはアメリカ左翼に対し「愛国心を忘れるな」と訴え、独自の立場を貫きました。

代表作に『哲学と社会的希望』があるローティは、2007年に膵臓がんで亡くなります。75歳でした。

真理の相対性とは?

リチャード・ローティの哲学は、「真理の相対主義」であると批判されてきました。

「ある理論の正誤や真偽を判断する“客観的基準”は存在せず、むしろ人々の関心や必要性によって決まる」と、ローティは考えます。アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズの立場に通じる思想です。

ローティの相対主義に対しては「物理学の法則など自然科学的な真理においても、人の関心や必要性によって変わるのか?」という批判があります。

例として「力は質量と加速度の積である」という運動の第二法則で考えてみましょう。

F = ma(F:力、m:質量、a:加速度)

この法則はガリレオ・ガリレイ以来、これまでに数多くの実験や計算で実証されてきました。

したがって物理学者の間では、この法則自体が人の必要性や見方によって変わるものではなく、自然界において普遍的に成り立つ「真なる法則」であると考えられています。

質量と加速度さえわかれば、そこから力を導き出せる「真理」なわけです。

こうした背景から、ローティの相対主義に対する批判が湧き起こることになります。この点についてローティは「自然科学と社会科学では事情が異なる」と反論しています。

一部からは説明が不足しているとされていますが、今回はローティの相対主義を社会科学の領域に絞って検討したいと思います。

政治における真理の相対性

リチャード・ローティの相対主義では、民主主義とファシズムといった政治思想を比較した際、どちらが正しいかを客観的に判断することは不可能であるとします。人種差別の是非についても、絶対的な正解はありません。

しかし歴史を振り返ると過去の哲学者たちは、自分の考えが真実だとする主張を繰り返してきました。

たとえばプラトンは、この世の個々の事物は流動的で変化するが、それらを支配する完全な「イデア」が存在するとしました。これを真理の根拠としたのです。

近代哲学でもデカルトなどは、人の主観や感覚を離れた、確実に存在する「実在」と思考が対応することで真理が保証されるとします。

同様に政治哲学でも、正義や人権といった普遍的価値に基づいて真理が導かれてきた歴史があります。

この普遍的な真理に基づけば、自由民主主義を真理とし、ファシズムを不正義な制度と判断できる。

しかしローティによれば、この普遍的な真理も相対的なのです。

偶然性こそ真理

ローティの「真理や正義の絶対的基準が存在しない」という主張には、強い反発が生まれました。

「自由主義とイスラム原理主義は比較できないのか」「正義の戦争にどう対応すればいいのか」といった批判が当然出てきます。

しかしローティ自身はリベラルな立場に立ち、ソ連(共産主義)を打倒するためなら手段を選ばないという態度の持ち主でした。

ローティは自由主義を「良い社会」とし、共産主義を「悪い社会」と見なします。しかしその判断基準は、偶然性に基づいているとするのです。

人はどこの国に生まれ、どのような家庭環境で育つかを選べません。

自国文化への帰属意識は偶然的な要因に左右されるのであり、自由主義を称揚する価値観もまた偶然的な産物に過ぎないのです。

私たちが真理や道徳と考えるものは相対的で、偶然性に左右されるとする、ローティの姿勢は「偶然性の哲学」と呼ばれています。

政治的な真理など存在しない

ローティは自由主義と全体主義を比較する際に、どちらが正しいか判断する「客観的基準」は存在せず、存在する必要もないと述べます。

歴史や文化ごとに政治的伝統が異なる以上、自文化の基準で自由主義を正当化し、他文化が異なる選択をするのはしょうがないことです。

「政治的真理が存在する」と見なそうとすること自体が非合理的であり、文化的背景の偶然こそが個人の政治信条を規定している、とローティは断言します。文化が変われば観念も変わる、それが人間の政治の姿なのです。

「公」よりも「私」を重視するローティ

ハンナ・アーレントらのコミュニタリアンは、公共空間こそが人間存在の意味を実現する領域であり、公共空間での対話を通じて共通善と国民的な倫理が生まれると考えます。

ハンナ・アーレントは、人間にとっての本質的領域として「公共性 publicness」を重視しました。一人で完結する私的な領域だけでは人間としての充実感が得られないとし、他者と交わる社会(公共空間)こそ人間存在を豊かにする場であるとしました。

同様にコミュニタリアンたちも、公共空間での対話を通じて、共有されるべき公正や善といった概念が生成されると考えます。これが国民全体の倫理(エートス)となり、人々の政治的主体形成に寄与することを重視するのです。

しかしリチャード・ローティはコミュニタリアンに反対し、私生活の方が最も大切な領域であるとします。個人の目的や価値観は公共化する必要がなく、自分自身との関係で考えれば十分だと言うのです。

異なる信念を持つ人々の集まり、民主社会が成り立つことも認めていますが、あくまで個人主義的な立場といえる。

多様性を尊重し公共性のルールを遵守すべし

公共空間では、価値観や文化背景の異なる他者と接することになります。

このとき自分の本音をすべてさらけ出す必要はありません。

民主主義における社会のルールや自由を理解し、公共空間の一員(市民)として、他者の考えを尊重することが重要だとします。

ただし公共の場で個人的な宗教観や道徳観を押し付けることは許されません。公共空間には参入するためのルールが必要であり、ある意味で「入場許可証」とも考えることができます。

野球のルールに従わない者を招くことができないのと同様です。全員でルールを守りつつ多様性を尊重することが、公共性と民主主義には求められるのです。

「ミルの仮面」を被れ!

リチャード・ローティによれば、公的領域で大切なのは個人の内面ではなく外面、つまり言動や態度になります。対話のルールを守り、お互いを尊重する態度があれば、内面の違いは問題視される必要はありません。

公共の場という舞台に立つ者は、自己の内面を隠し、寛容な自由主義者の「仮面」を被ることが求められます。この態度をローティは「ミルの仮面」と表現します。

内面的にはニーチェ的な反民主主義者であっても、外面的には民主主義社会の規範に従わなくてはいけません

ローティが「ミルの仮面」と表現しているのは、自由主義的な価値観や寛容性を公の場で表明することを意味しています。

ここで言う「ミル」とは、個人の自由と幸福の追求を重視し、異質なものへの寛容を説いた思想家ジョン・スチュアート・ミルです。

「ニーチェ的な反民主主義者」というのは、フリードリヒ・ニーチェのように大衆社会とその基盤である民主主義を否定し、個人の自由な可能性を追求する立場になります。

ローティは「内面の本音と外面的態度は分けて考えるべきだ」と主張します。私生活と公生活にはそれぞれの領域があり、自分の存在はその両輪で成り立っているからです。

理想を捨てよ!

ローティによれば、コミュニタリアンたちは政治に対して、ロマンティックな希望を寄せ過ぎているとします。

コミュニタリアンたちが抱く希望とは、政治が人々の絆や連帯感を生み出す崇高な領域であるという考えです。

たとえば政治運動を通じて、高揚感に包まれながら、互いを信頼し支え合う参加者の姿は、宗教的な色彩さえ感じさせます。

しかしローティは、この政治への理想化は根拠のない幻想であり、実際にはそこまで政治が人間性を高めることはない、と批判するのです。

政治への過度な期待は「異なる意見の他者を排除することに繋がり、むしろ害を及ぼしかねない」とローティは危惧します

リベラリストであるローティは、過激派の政治運動が抱いてきた理想を拒否し、個人的な信条は内面の世界に留めるべきを説きます。

「過激派の政治運動」とは、フランス革命期のジャコバン派から1960年代の学生運動までの、急進的な社会変革を目指す運動を指しています。

こうした運動は、政治が大きな理想の実現につながると考え、政治そのものに対して精神的な高揚感や「ロマン」を求めてきました。

しかしながら、ほとんどの希望は悲惨な結果に終わったことを、歴史は冷静に伝えています。

そのためローティは「過度の政治理想から距離を置き、個人の内面的世界を大切にすべき」と訴えているのです。

ローティが「ミルの仮面を被ったニーチェ」と言われる所以です。

政治に哲学は不要

たしかにローティは、社会の寛容さと優しさが増せば、社会は理想に近づくことを認めます。

しかし政治の場で道徳性を深く議論しても、必ずしも人々が倫理的なるとは限りません。

公共哲学が盛んになったとしても、大衆の公共性や倫理観が向上しないことは、昨今のSNS社会がすでに証明しています。

ローティは「政治という実践の世界に学問たる哲学を持ち込むことに意味はない」と考えます。

自由や正義の概念を議論しても社会を改善するための具体策にはなりません。

それよりも重要なのは教育の保障や雇用対策など、実利的かつ具体的な施策です。

リバタリアンへの批判も古典的著作から引用する必要はなく、現実に存在するスラムの生活描写を示せば十分だとします。

「リバタリアン」とは、個人の自由と自己責任を極端に重視し、社会保障制度などによって再分配政策に反対する立場のことです。フリードリヒ・ハイエクや、ミルトン・フリードマンなどが上げられます。

リバタリアンへの批判として、ローティは「アリストテレスやカントといった古典的な政治哲学者の著作から妥当性を主張する必要がない」と言います。

その代わりとして、都市部のスラムなどで暮らす貧困層の生活実態を描写した資料を示すことで、リバタリアン的な政策の硬直性や欠陥を訴える方がより現実的で説得力がある、というわけです。

ローティの姿勢は理想(抽象化)よりも、現実(具体化)なのです。

「限度を超えた」資本主義

2011年、数千人規模の群衆がニューヨークのウォール街に突如として押し寄せ、占拠運動を始める事件が起きました。

組織的計画に基づくものではなく、庶民の蓄積した怒りが一斉に噴出したことを象徴しています。

この抗議運動の背景には、アメリカ社会での極端な所得格差の拡大があります。参加者自身においても、所得の完全な平等や社会主義を望んでいるわけではなく、格差そのものを全面的に否定もしていません。

ただし物事には限度があります。もはやアメリカの格差は許容範囲を超えているからです。

左派だけでなく保守系の政治家や大資本家も「資本主義の限界を超えた状況」だとの認識を示しています。選挙運動に対する理解を見せることで、現状の資本主義への危機感が広く共有されていることが分かります。

相対主義から偶然性に繋げた新しい視点

リチャード・ローティの哲学は、相対主義、偶然性、個人主義といった視点を特徴としています。

真理や正義を絶対視せず、文化的背景の偶然性を重視し、個人が抱える内面の世界を大切にする姿勢を感じることができます。

しかしながら、ローティのアプローチは決して極端なものではありません。

寛容さと優しさの拡大が理想社会に近づくことを肯定し、民主社会が成立する可能性も認めています。むしろ過激さを増す政治的な理想からの距離を取ることで、現実の社会が改善するための具体策を目指しているのです。

ウォール街占拠運動が象徴する「限度を超えた」資本主義への批判的姿勢が、ローティの現実重視の政治哲学を体現していると言えるでしょう。

多くの論争を巻き起こしながらも、確かな足場を築こうとするローティの思想は、今なお色褪せない光りがあるのではないでしょうか。

ローティを理解するためのオススメ書籍

冨田恭彦(2016)『ローティ − 連帯と自己超克の思想』筑摩書房

著者
冨田 恭彦
出版日

哲学入門書に定評がある冨田恭彦先生が、アメリカを代表する哲学者リチャード・ローティの思想体系をわかりやすく解説しています。

ローティの生い立ちから主張、代表作や影響を与えた思想家までを丁寧にたどることで、相対主義の立場に立ったローティの核心に迫ります。

「絶対的な真理など存在しない」と断言したローティ。真理認識における偶然性や、自己変革を通じた連帯の大切さを説いた思想は、過激であると言われるほど斬新でした。

分析哲学からハイデッガー、エマソンと多様な思想的背景を踏まえつつ、ローティ哲学の真髄を丁寧かつ平易に解き明かしています。

難解さゆえに敬遠されがちな哲学者ですが、常識的で前向きな実践論を提示したローティの思想は意外と身近なものに見えてきます。

哲学への入門に最適の一冊です。

仲正昌樹(2020)『現代哲学の最前線』NHK出版

著者
仲正 昌樹
出版日

現代哲学界で最も注目されている5つのテーマを深く掘り下げた入門書です。「正義」「承認」「自然主義」「心と脳」「新実在論」というカテゴリーごとに哲学の展開をたどります。

なぜ今、この5つのテーマがクローズアップされているのか。歴史的(社会的)背景とともに、ロールズ、サンデル、ウィトゲンシュタイン、ローティらの功績がわかりやすく解説されています。

21世紀を考察する上で現代哲学の全景が見渡せる1冊です。日々進化を遂げる学問分野の最新事情が手に取るように理解できます。

哲学入門としても、さらに哲学を深めたい方にもオススメです。21世紀の「哲学地図」を更新しましょう。

リチャード・ローティ(2000)『偶然性・アイロニー・連帯 − リベラル・ユートピアの可能性』(斎藤純一ほか訳)岩波書店

著者
リチャード ローティ
出版日
2000-10-26

「正しさと幸せは必ずしも一致しない。それでもいいじゃないか」

リチャード・ローティの代表作です。

「公的な正義と私的な幸福の両立を求める必要はない。むしろ大切なことは、残酷さを最大限避けること。正義の原点はここにある」と、ローティは説きます。

偶然性こそ人生を左右する要因であり、自分の正しさへの自信とその限界への自覚する必要があります。少し悲観してしまうかもしれませんが、その謙虚さから異なる価値観を持つ人間同士の連帯も可能になるのではないでしょうか。

リベラリズムの精神を体現するローティの言葉は、あなたの人生観を変えるかもしれません。

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