第二次世界大戦後のフランス哲学界は、ジャン=ポール・サルトルとクロード・レヴィ=ストロースという、二人のスターを中心に動いていました。 サルトルは自由と存在の哲学を通じて、当時の知識人や若者たちに大きな影響を与えました。 その一方レヴィ=ストロースは、人類学者としての深い洞察を哲学に持ち込み、サルトルの提唱する歴史観に対して異議を唱えました。 レヴィ=ストロースの批判は、サルトルの考える「人類が目指すべき歴史」の概念に対するものであり、人類学の視点から見た多様な文化と社会の理解を基本にしていました。 かつては友人であり、互いに支援し合っていた二人でしたが、レヴィ=ストロースによる批判は、彼らの関係性に深い溝を生じさせ、最終的には意見の不一致から断絶することになります。 今回の記事では、レヴィ=ストロースが人類学者として独自の視点から、サルトルの哲学にどのように挑戦したのか、そしてレヴィ=ストロースの主張がフランス哲学界のみならず、現代哲学にどのような影響を与えたのかを探ります。

レヴィ=ストロースが研究した人類学とは、異国の文化を研究する学問です。最初の時期は、旅行者が異国で聞いた話や見たことをもとに、その国の文化について書かれたものでした。つまり、第三者の話や観察に基づく伝聞的な学問でした。
レヴィ=ストロースの時代になると、人類学者自身が異国に行き、現地の人々と生活を共にしながら文化を研究する「フィールドワーク」という方法が主流になりました。
レヴィ=ストロースは、アマゾンの奥地でボロロ族やナンビクワラ族などの生活を直接体験しました。これらの人々は、ヨーロッパ文明の影響を受けていない、いわゆる「未開人」とされていました。
しかしレヴィ=ストロースは「未開人」と呼ばれる人々が、実際には合理的で複雑な社会システムを持っている事実を発見しました。ヨーロッパの人々が持っていた「未開人は迷信だらけで原始的だ」という先入観とは大きく異なるものだったのです。
この体験からレヴィ=ストロースは「未開人」という概念を否定し、彼らもまたヨーロッパとは異なる形で発展した別の社会であると主張しました。
さらにヘーゲルやサルトルのような哲学者が主張する「歴史は真理を目指して進んでいく」という考え方に疑問を投げかけます。レヴィ=ストロースによれば、ヨーロッパ中心の傲慢な「思い込み」に過ぎないということです。
レヴィ=ストロースは人類学のフィールドワークを通じて、ヨーロッパの文化だけが進歩的であるという考え方を否定しました。異文化が持つ独自の価値と複雑さを明らかにし、世界に伝えることで、人類学の視野を大きく広げたのです。
ヘーゲルやサルトルが語る「歴史」とは、実質的に「西洋の歴史」に限定されているとレヴィ=ストロースは指摘します。
西洋人は非ヨーロッパ文化を「文明から取り残された」と見なしています。非西洋文化がいずれヨーロッパのような民主主義や産業革命を経験し、近代的な工場で働く労働者になると考えていました。
ヨーロッパ人は、人類の歴史を一つのゴールに向かって進むものと見ていました。自分たちの文明が進歩の最先端にいると信じ、他の文化は西洋に遅れを取っていると考えていたのです。
この考え方は、すべての社会や文化がヨーロッパ文明のようになることを目指すという前提に立っています。西洋人は自分たちが最も進んだ人間であり、他の発展途上の人々を導く役割があると考えたのです。
レヴィ=ストロースは、このような西洋中心の歴史観を傲慢な思い込みと批判します。ヨーロッパとは異なる文化にも、独自の価値と進化が備わっていることを認識し、西洋の歴史観を絶対視することに疑問を投げかけました。
レヴィ=ストロースは西洋の歴史観が自分たちの文化を最高とし、他の文化を発展途上と見なすことに警鐘を鳴らしています。彼は、異文化が持つ独自の社会システムや価値観を尊重し、それぞれの文化が独自の道を歩んでいることを理解するべきだと主張しています。
レヴィ=ストロースの研究は、ヨーロッパ文明を人類社会の多様な形態の一つとして位置づけます。ヨーロッパが他の文化と比べて特別に優れているわけではなく、単に人類社会の中の一つの形態に過ぎないことを強調したのです。
レヴィ=ストロースは西洋中心の世界観に挑戦し、世界中のさまざまな文化が持つ独自の価値と複雑さを認識することの重要性を訴えました。彼の研究は、文化間の相対性を理解し、すべての文化が等しく価値があるという新しい視点をもたらしたのです。
西洋では、歴史(時間)は「過去から未来へ」と一直線に進むものとされています。歴史は進歩の過程であり、「過去は未開の悪い時代」で、「未来は改善されたより優れた時代」と考えられてきました。
歴史を「神や真理へと近づく階段」と捉え、先人の具体的な事績を年表として記録することを重視しています。
東洋では、歴史(時間)は一直線ではなく、「輪」のように永遠に巡るものと考えられています。
西洋のような「年表として記される歴史」には興味を示さず、個別の事象や具体的な日付には関心を持ちません。アジアでは、歴史上の出来事を神話や架空の物語として語り継ぐ文化があります。物語の中で重要視されるのは、出来事の「本質」や象徴的な意味合いにおいてです。
ヨーロッパは歴史を具体的な事実や進歩の連続として捉え、詳細な記録を残すことに価値を見出します。アジア東洋は歴史を循環する時間の流れの中で捉え、出来事の象徴的な意味や教訓を重視し、物語として語り継ぎます。
象徴的な意味や教訓とは、歴史上の出来事や人物の行動が持つより深いメッセージや、その時代や文化を超えて共有される普遍的な価値を意味します。具体的な日付や事実の詳細よりも、人間の経験や行動の背後にある意義に焦点が当てられています。
西洋と東洋では「歴史」の捉え方が根本的に異なり、それぞれの文化が時間や歴史をどのように理解し、価値を見出しているかがわかります。西洋では具体的な事実や進歩に焦点を当てるのに対し、東洋では時間の循環と出来事の象徴的な意味に重きを置いているのです。
東洋では、歴史は永遠に繰り返されるものと考えられています。何万年前に起きたことも、何万年後にも同じように起こり得るとされているのです。人間の行動や出来事は時代が変わったとしても、本質的には変わらないとされています。
個々の出来事を詳細に記録することに関して、東洋ではあまり価値を見出しません。時間が無限に続くとすれば、詳細な記録は膨大な量になり、読みきれなくなると考えられているからです。
東洋では、出来事や事件から象徴的な内容や本質を抽出し、それを記述して保存する方法を取ります。新しい出来事が起こるたびに、物語はより象徴的なものへと洗練されていきます。
寓話、神話、伝説、詩、文学作品などを通じて表現され、世代を超えて伝えられます。物語の形を取ることで、聞き手は具体的な歴史的事実を超えて、より深いメッセージを理解しやすくなります。これらの物語は、文化や時代を超えて人々に共感を呼び起こし、教育や価値観の形成に役立つ傾向があります。
東洋の物語は、野心や歓喜、喪失感、恐れ、猜疑心など、時代を超えて繰り返される人間の本質を描き出します。これらの普遍的なテーマが含まれた物語が、東洋における「人類の歴史」として適切だとされています。
インドなど東洋の一部では、歴史を循環するものと捉え、個々の出来事よりもその象徴的な意味や教訓を重視します。
日本人を含む多くの人々は西洋的な歴史教育を受けており、東洋の歴史観は一見不思議に感じるかもしれません。近代西洋では、歴史を唯一絶対の真理に至る道と捉え、自分たちの考え方が正統であると信じてきました。他の考え方は未開の迷信と見なされがちでした。
しかしレヴィ=ストロースは、このような西洋中心の一面的な歴史観を批判します。世界には多様な文化や価値観が存在し、それらの間に優劣はなく、唯一の文化や究極の社会など存在しないと主張したのです。
サルトルは、人類の歴史には目指すべき唯一の真理があると主張していましたが、レヴィ=ストロースからの反論により、彼の哲学は影響力を徐々に失っていきます。
レヴィ=ストロースは、理性と唯一の真理を追求する近代哲学が西洋中心主義の傲慢な思い込みであると指摘し、西洋世界の知識人や哲学者たちに大きな衝撃を与えました。西洋中心の歴史観に挑戦し、世界には多様な文化や社会が存在し、それらは等しく価値があるという視点を提供したのです。
レヴィ=ストロースの思想は、サルトルのような哲学者には大きな挑戦となり、西洋哲学に新たな視野を開くきっかけとなりました。
現代社会におけるLGBTや個人の違いを認め合うという、多様性を尊重する風潮とも深く共鳴します。レヴィ=ストロースが提唱した、異文化間の相対性を認め、優劣をつけずに理解しようとする姿勢は、今日の多様性を重視する社会において、とても有効な思想であると言えるでしょう。
レヴィ=ストロース(2001)『悲しき熱帯(1)』(川田順造訳)中央公論新社
- 著者
- レヴィ=ストロース
- 出版日
20世紀を代表する人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの自伝的著作です。1930年代にブラジル奥地の未開社会を訪れた若き日の経験を、詩情あふれる文章で綴った壮大な物語です。
本書は、単なる旅行記ではありません。人類学という学問の誕生を目の当たりにした青年の情熱と葛藤、そして未知の文化との出会いによって生まれた深い洞察の記録です。
<こんな方にオススメ>
人類学という学問の奥深さに触れ、未知の文化への好奇心を刺激してくれる一冊です。レヴィ=ストロースと共に、人類の思考と文化の謎を解き明かす旅に出かけてみませんか?
渡辺 公三(2020)『レヴィ=ストロース 構造』講談社
- 著者
- 渡辺 公三
- 出版日
20世紀を代表する人類学者クロード・レヴィ=ストロースの生涯と業績を、詳細かつ丁寧に解説した決定版とも言える書籍です。本書は単なる人物伝ではなく、構造主義人類学の誕生と発展を、時代背景や思想史の流れと絡めて描き出す壮大な物語です。
<本書のポイント>
本書はレヴィ=ストロースという巨人の思考を旅するガイドブックです。彼の思想に触れることで、私たちは人間の思考と文化の深淵に思いを馳せ、新たな知の扉を開くことができるでしょう。
小田亮(2000)『レヴィ=ストロース入門』筑摩書房
- 著者
- 小田 亮
- 出版日
20世紀を代表する思想家クロード・レヴィ=ストロースの構造主義思想を、わかりやすく解説した入門書です。
本書では、レヴィ=ストロースの代表的な著作である『親族の基本構造』『野生の思考』『神話論理』を軸に、彼の思考の核心に迫ります。未開社会の親族構造や神話研究から、レヴィ=ストロースがどのように人間の思考の深淵を探求したのかを、詳細な分析とともに紹介しています。
<こんな方にオススメ>