ブランチBOOK大賞2023年に輝き、2024年度本屋大賞にノミネートされた川上未映子『黄色い家』。 社会の底辺で暮らす貧困女子たちが黄色い家に集い、やがて犯罪に手を染める末路を血肉の通った一人称文体で描いた本作は、切実なリアリティーの獲得に成功しました。 今回は現代の世相を反映した衝撃の話題作、『黄色い家』のあらすじや魅力をネタバレ解説していきます。
主人公は40歳のフリーター伊藤花、アパートで独り暮らしをしている未婚女性です。
花の職場の惣菜店はコロナ禍で客足が遠のいており、先行きがどうなるか不安なまま、ぼんやりと日々を過ごしています。
ある日部屋でテレビを見ていると、60歳の女性が同居中の若い女性を監禁・暴行したニュースが報じられ、容疑者として花の古い知り合い・吉川黄美子の名前が流れました。
花は20年以上前に黄美子ほか2名と暮らしていましたが、その際に琴美という人物の死に関与しており、警察に捕まった黄美子の口から秘密が暴露されるのを恐れています。
それ以上に黄美子は花にとって恩人ともいえる特別な存在だったので、逮捕のニュースに動揺し、当時一緒に住んでいた友人、加藤蘭に久しぶりに連絡を取りました。
待ち合わせ場所に現われた蘭は、子供が2人いる主婦になっていました。
花は「琴美さんのこと警察に言った方がいいかな」と相談するも、蘭はこれを断固拒否し、電話番号の削除を命じて退店します。成す術なく友人を見送ったのち、花は15歳から17歳までの2年間、黄美子さんたちと過ごした青春の日々を回想します。
15歳の花がある朝起きると隣に女性が寝ており、吉川黄美子と自己紹介しました。彼女は水商売の母の知り合いで、留守がちな母の代わりに花の面倒を見てくれました。
共に過ごす時間が増えるに従い、花は黄美子さんに深い信頼を抱き、疑似家族のように気の置けない間柄に変化していきます。しかし夏休みが明けると同時に黄美子さんは姿を消し、あとには彼女の置き土産の食料が、一杯詰まった冷蔵庫だけが残されました。
さらに月日は過ぎ、高校2年生になった花は一日も早い自立を目指し、ファミレスのバイトに明け暮れていました。貯金の目的は他に部屋を借り、アパートを出る為です。
目標額にあと少しで達する直前、母親が交際相手のトロスケと喧嘩。
トロスケは花がバイトに行った隙に彼女が貯めた72万円を盗んで消息を絶ち、失意のどん底に突き落とされた花は、放心状態で街を歩き回ります。
地元を徘徊中、新しい店を借りた黄美子と運命の再会を果たす花。高校中退を決め、彼女が始めるスナック「れもん」を手伝うことに。名前は黄美子さんが好きな黄色から取りました。黄美子さんにとって黄色は金運を呼び込む、特別縁起のいい色なのです。
その後売れないキャバ嬢・加藤蘭、不登校気味の女子高生・玉森桃子と出会って意気投合し、黄美子さんを含めた4人で新しい家に引っ越しました。
楽しい日々も束の間、「れもん」が失火で燃え落ちて……。
登場人物
伊藤花 40歳フリーター。15歳から17歳までの2年間、黄美子さんと暮らしていた。過去にある罪を犯した。
吉川黄美子 60歳。同居の女性を監禁暴行した容疑で逮捕された。弁護士は無罪を主張している。花の恩人ともいえる存在。
加藤蘭 花の友人。「れもん」で働いていた。
玉森桃子 花の友人。実家は裕福だが家族と折り合いが悪い。
琴美 黄美子の友人のホステス。花たちを可愛がってくれた。
アン・ヨンス 黄美子の友人の在日韓国人。裏社会で仕事をしていた。
- 著者
- 川上未映子
- 出版日
本作の登場人物は社会の底辺を生きる人間ばかり。主人公の花は放任主義の母子家庭で育ち、母親は娘をネグレクト気味。実家は狭くて古い文化住宅で、一日も早く家を出る目標を立て、高校時代はバイトに明け暮れます。
作中明言こそされませんが、花の母親や黄美子さんの生活能力が欠如した行動様式は、境界性知能や発達障害の特徴を備えていました。
一方の花は健常者。平均的な知能と将来への危機感を持ち、お金の支出を管理できない黄美子さんたちの、無軌道な暮らしぶりを危ぶんでいます。
『黄色い家』は花が安心できる居場所を手に入れ、それを失うまでの物語。
本作における黄色は重要な意味を持ち、お金を象徴する色、成功者のイメージカラーとして機能します。
故に風水かぶれの美子さんは金運と紐付く黄色にこだわり、その言動に感化された花はことあるごとに黄色い小物を集め、祭壇を作り上げました。
本作は若者の貧困や格差を描き、搾取する側とされる側の線引きの曖昧さを浮き彫りにしました。
作中にて、花は2回貯金を奪われています。
1度目は母親の恋人に、2度目は詐欺に遭った母に泣き付かれ、必死に働いて貯めたお金を断腸の想いで渡したのでした。
周囲の大人を一切当てにできぬ状況でサバイバルしてきた花が、のちのちお金に執着し取り立てる側に回った悲劇は起きるべくして起きたと、9章までに読者は刷り込まれます。
人物配置も実に巧妙。
花・蘭・桃子は同い年ですが、それぞれ家庭環境や置かれた立場が違い、異なる価値観を持っています。
身も蓋もない言い方をすれば蘭と桃子には帰る家があるわけで、実家に戻ったところで母と共倒れするしかない、花の切迫感とは比べ物になりません。
さらには黄美子さんが刑務所の母親に仕送りしている事実が発覚。登場人物ほぼ全員が搾取の加害者と被害者を兼ね、それがもとで人間関係を歪ませていきました。
最も極端な例が花です。
- 著者
- 川上未映子
- 出版日
結論から述べれば、黄色い家はセーフティーネットに成り得ませんでした。花たちの生活は琴子の死をきっかけに崩壊して4人は離散、以降20年間音信不通で過ごします。
『黄色い家』は多角的な読み方ができる小説。
冒頭では琴子の死の真相に迫るミステリーと見せかけ花視点の青春ドラマとなり、地べたから成り上がるサクセストーリーに変化し、徐々にサイコホラーの様相を呈していきます。
クライムサスペンスとしても読みごたえ満点で、ミスリードを巧みに仕込んだ事件の真相には、作者の手のひらの上で踊らされる快感が味わえました。
「れもん」再建の為、黄色い家を守る為……。
生まれてこのかた大人に搾取される側だった花が、これまた大人の入れ知恵でカード詐欺に手を出し、金持ちから搾取する側に寝返る逆転劇には、社会風刺的な痛快さを覚えなくもありません。
一方で荒稼ぎするほどに不満を募らせ、自分より働いてない怠惰な居候に当たり散らし、定例会議と称して彼女たちの「時間」を搾取する花の醜態は、直視できない痛々しさと哀しさを帯びています。
事件の主犯は黄美子さんにあらず、20年前の花だったのです。
もしも琴美の死亡で一同我に返らなかったら、花の束縛はますますエスカレートし、蘭や桃子に監禁・暴行を働いていたかもしれません。
最終的に3人はカード詐欺で稼いだお金を山分けし、逃げるように出ていきます。
黄美子さん独りを残して。
本作を一種のシェルター小説として読むのは不可能ではありません。されどそこに住む人間がいがみ合えば、シェルターも地獄に変わります。
物語終盤、花たちが夜を徹して黄色いペンキを塗りたくる光景にカタルシスを感じるのは、それが黄色い家の終焉に向けた助走で、3人の青春の終着点だと読者が理解しているから。
時間軸が現代に戻り、花は刑務所を出た黄美子さんに会いに行きます。20年ぶりに再会した黄美子さんは認知症を患い、自分の事はもちろん、花が誰かも忘れていました。にもかかわらず、彼女が借りていたのは「れもん」の跡地の下宿だったのです。
花は同居を申し出るも、黄美子さんはそれを断ります。忘れていたから?否、決別は親心の表れ。
20年前の黄美子さんは路頭に迷った花に声を掛け、一緒に住もうと誘いました。その結果花は黄色い家に固執し、友人を巻き込んでカード詐欺を働き、自分の人生を滅茶苦茶にしかけます。
過去の花が蘭や桃子にそうしたように、常にそばに置いて見張るのは暴力で、愛情とは言えません。愛しているからこそ手を離すのもまた、不器用な親の在り方です。
あれから20年、大人になった花は一人で生きていく力を身に付けました。
なればこそ「黄色い家」から送り出すのが、嘗て彼女の為に冷蔵庫を一杯にした、黄美子さんの愛情だったのではないでしょうか?
- 著者
- 川上未映子
- 出版日
川上未映子『黄色い家』を読んだ人には津村記久子『水車小屋のネネ』をおすすめします。
本作は204年度本屋大賞にノミネートされた小説。
母の恋人に学費を盗まれた18歳の姉と8歳の妹が田舎に引っ越し、蕎麦屋で働きながらヨウムの世話をするストーリーは心温まる人情とユーモアにあふれ、読後は元気を分けてもらえます。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
続いて紹介するのは今村夏子『星の子』。
本作は新興宗教に傾倒する両親を持った中学生の少女の視点で描かれる、少し変わった日常の話。
『黄色い家』は疑似家族のシェルターを扱いましたが、こちらでは血の繋がった両親と娘の絆に焦点が当たり、信仰を支柱にした家族の在り方や、捉え方次第で幸不幸どちらにも転ぶ主観の不確かさを考えさせられます。
- 著者
- 今村夏子
- 出版日
- 2019-12-06