書評の影響を割と受けます|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#3

更新:2025.4.20

定年後も読書と観察眼に磨きをかけ続ける、元TVプロデューサー・藤原 努のブックレビュー連載、第3回。今回は「書評」をきっかけに出会った2冊の小説を通じて、1960年代アメリカの記憶と、自身の思春期の記憶が交錯する読書体験を綴ります。裏方ならではの鋭い目線が光る一遍にご注目!

昭和62年4月ホリプロに入社し、以来一筋35年余。そのうち25年余はドラマ、ドキュメンタリーがメインの映像Pとして。主な制作タイトルは「有村架純の撮休」「東京センチメンタル」「娼年」「情熱大陸」など 。令和6年に退社。
泡の子

書評の影響を割と受けます

読書好き、と言う人が何を指標に次に読むものを決めるかと言うと、今だとAmazonのレビューとかが一番のきっかけになるのでしょうか。

僕の場合、今でも一番影響を受けているのが、朝日新聞と毎日新聞に毎週土曜日掲載されている書評です。

かつて2001年に、佐野眞一という人が『だれが本を殺すのか』と言うルポを書きました。いわゆる出版不況というものが明確になり本が売れないようになったと言われ始めた頃でした。

この本をもとに、当時の僕はフジテレビのNONFIXという深夜枠で『本のこと』と言うタイトルのドキュメンタリー番組を作らせてもらいました。ブックオフが隆盛を極め、書籍を愛する人たちから鼻白んだ見られ方をしている一方Amazonはまだほとんど影も形も現れていない時代の話ですが。

佐野氏はこの本の中で、書籍というものが当時置かれていた状況について、多方面から取材、分析をしており、その中に新聞書評について書かれた章がありました。

その中で一番僕の印象に残ったのが、朝日と毎日の体制の違いでした。

前者は数人の書評委員に対して、今週の課題図書として新聞社側が選んだものの中からそれぞれが選んで読み、書く。

後者は数人の書評委員それぞれが、今、書評を書きたいと個人的に思った本について、書く。こちらは場合によっては在庫切れになっているなんてことさえあります。

これ、どちらが信頼できる、とも言えないけど、どちらもチェックしておけばある程度自分の中で本を選ぶ際の感度、みたいなもののバランスが取れるのではないか、などと当時思った記憶があります。

 

京都市の高校教師の長男だった僕は、朝日新聞、京都新聞、赤旗日曜版を購読する、と言う環境の家で育ちました。父親が日教組の組合員だったのもあって、まあそう言う感じだったわけです。後年、僕が大学を卒業してホリプロに入社した後、実家に戻ったらいつの間にか購読紙が讀賣新聞になっていて、ああ宗旨替えしたんだなと思ったのですが、まあそれはそれとして、

朝日新聞読者としての日々を子どもの頃から送ってきた身の僕は、61歳になった今もそこは変えることがどうにもできません。

朝日の信奉者でも何でもないのですが、どうも他の新聞をきちんと読もうと言う気になかなかならないのです。刷り込みと言うのは怖いものだな、と身をもって感じます。

しかし、毎日の書評体制を知って、そこから書評についてだけは2紙を読み比べるようになりました。

とは言え、どちらの書評委員についても僕の好みもあるので、鵜呑みにしてすぐ買うなんてことはしません。

毎日新聞のほうで今、永江朗さんが書評を書かれているのですが、この人の文章はバランスが取れてて割と影響を受けております。

この2月に、永江氏が去年亡くなったポール・オースターの『4321』と言う長編小説を取り上げていました。

この作家については今年の初め、新潮社から出ている『ムーンパレス』と言う小説のロンTをネットで衝動買いしてしまったのもあって、後付けになってしまったなあと思いながらその本を初めて読みました。何となく村上春樹的な感じを想像していたのですが、ある意味主人公の不条理な運命を綴るロードノベル的な要素に一脈通じるところもあり、あー割と好みなのだなあと思いました。まあ柴田元幸訳というのも春樹読者には信頼マークみたいなところがあるでしょう。

 

この小説もなかなかの長編だったのですが、『4321』は上下二段組の800ページで価格も7000円超、永江氏も書く通り、かなり怯んで読むかどうかも数日考えたのですが、何となく氏の書評が思ったよりも面白く読み進んだ様子だったので、えいやっとポチりました。

このお話、主人公のファーガソンと言う男が、20歳前後だった1960年代、NYを始めとしたアメリカでの日々を綴るものなのですが、彼のあり得たかもしれない4つの人生を章ごとに言わば並行する形で描いているので、ある章で死んでしまった人物が、次の章に入ると性格も違って生きていたりもします。しかしそれぞれの章が、きちんとオチのような展開もあるせいで、一つの読み終わり感みたいなものもあり、意外にこんがらがったりもしません。

それと何より、60年代のアメリカというものの世相を強く反映しながら、4つの話は時制をたどるように進んでいくので、だんだん2025年現在のアメリカ国民の多くが抱える原風景のようなものがここで醸成されていったのかもという気がしてきました。

トランプやイーロン・マスクのような人間に対して、批判も多くありながらもアメリカ国民の多数としてはそちらに引っ張られていく感じが、何となく腑に落ちてきてしまったのです。

『4321』の主人公・ファーガソンは、今日初めてのセックスをすることになりそうな女子と二人だけで過ごそうとそればかり考えている日に、ケネディ大統領が暗殺されます。周囲は悲嘆の嵐のような状態になり、もはやそんなこと考えている場合じゃないのか、みたいにもなるのですが、何とかことをいたすことはできました。しかし何より、当時のアメリカ学生たちに、そんなにもケネディは人気があったのか、と僕は思わずにいられませんでした。

 

この場面を読んでいて、何か自分自身の記憶と重なるものがあるな、と考えていて思い出したのが、僕が中学一年だった時の夏(1976年)のことです。

6つ年上の姉が、大阪外国語大学の中国語科に進学してその夏、彼女は中国語の家庭教師をしてもらう中国人留学生の男と恋に陥ったのです。夏休みのある日、僕は姉に誘われて彼が住む京都・北白川のアパートに一緒に行き、3人で餃子をいっぱい作って食べました。その男性と姉の雰囲気もすごく良くて、中一の子ども心にも姉はいい人見つけてよかったな、と思ったものです。しかし、その夏の終わり、毛沢東が死去しました。

「あの人、もうずっと泣いてはって話がでけへんねん」と姉は言いました。

テレビのニュースを見ると、北京で泣き崩れているような人がいっぱい映っていました。それがきっかけで姉とその人は終わってしまったのですが、一国の大政治家が死ぬとそんなことになるのか!?とそこまで政治家にリスペクトのない日本人の僕は衝撃を受けました。

 

日本の場合も1960年代から70年代前半にかけて、学生たちを軸にした「政治の季節」は確実にあったわけですが、支配的な立ち位置にいる人は常に叩かれる側で、あの人が生きていればどうにかなったはず、みたいなのはあまりなかった気がします。つまり日本の場合は、良かった時代を取り戻す、という感覚は存在せず、ひたすら新しい時代を求めるんだ、みたいなことだったのが、アメリカや中国とは根本的に違うのではないかと思ってみたり。

 

話がそれましたが、『4321』の中でも、NYのコロンビア大学での学生闘争の場面は、かつて佐々淳行が書いた『東大落城』に書かれているのと似たリアリティも感じました。

しかし熱量は同じようなものでも、当時の若者が求めていたものがどうも日米では違うような気がする。

僕の読みが浅いのかな、自信はありません。

 

でも『4321』は読んで良かった。オースターが主人公の性格も4つのストーリーの中で少しずつ変えながら書いていて、小説家になろうとする主人公の話などでは、その鼻持ちならなさが、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公ともかぶって(僕はこの主人公が苦手)ちょっと嫌な気持ちにもなりますが、それでも何となくアメリカの空気を知るいい教科書にもなった気がします。

 

それにしても外国の小説を読むのは一旦お腹いっぱいなのでこれぐらいにします。今度は朝日新聞の書評を読んで気になった島本理生の新作『天使は見えないから、描かない』を読んでみようかと思います。どうもこの書評が引っかかったので。


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