村田沙耶香『世界99』と金原ひとみ『YABUNONAKA』|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#4

更新:2025.5.20

定年後も読書熱冷めやらぬ元TVプロデューサー・藤原 努のブックレビュー連載、第4回。今回は村田沙耶香『世界99』と金原ひとみ『YABUNONAKA』の2作を取り上げ、現代の深層心理と人間の欲望を描いた小説世界に肉迫。自身の記憶と照らし合わせながら読み解く、刺激に満ちた読書体験を綴ります。

泡の子 LINE

村田沙耶香『世界99』と金原ひとみ『YABUNONAKA』

4月19日付の朝日新聞の書評で、青山七恵さんが村田沙耶香『世界99』について書いていました。

一読、ああこれは今読んでいる最中のものを差し置いても読まないといけないなと思いました。純文学の全く違う分野で書き続けている青山さんは、この小説を読んで頬を張られるような衝撃を受けたと言うのです。

同じ頃、たまたま新聞広告で、金原ひとみの新作が『YABUNONAKA』であると知りました。芥川のタイトルをもじったそれと金原ひとみと言う組み合わせに、もう読まないわけにはいかないと思いました。

それでこの順番でGWの読書は過ごすと決めたのです。

 

一言で言えばどちらもえげつない小説でした。

この形容詞、昔なら否定的な捉え方をされたかもしれませんが、ここでは言うまでもなく賞賛の言葉です。

新年度が始まって、この2作の長編小説を連続して読んだことは、61歳の僕にとっても大袈裟でなくちょっとした人生の事件になりました。

えげつない、と一言で言いましたが、二つの作品のえげつなさの方向は、全く違うものだし、あえて言うなら対極的と言ってもいいかもしれません。

村田沙耶香、45歳。

金原ひとみ、41歳。

年齢は村田さんの方が上だけど、20歳で芥川賞デビューした金原さんの方が作家としては先輩になります。

深く調べたわけではないですが、僕は両作家ともこれまでの作品を結構好きで読んでいるほうであるので、その履歴と作風について私観を述べると、

村田沙耶香は、コンビニで実際に働いていたと言う、これもあえて言うならロスジェネ世代の人の一つの典型のような生活の中で、類まれな妄想力のようなものを育み、もうにっちもさっちも行かない人間関係や人生についてブラック過ぎて笑っちゃうような表現も含めて想像もつかないような作品を生み出していく、そんな人。

一方、

金原ひとみは、芥川賞を綿谷りさとともに受賞した時はともに最年少で、最初はダークなエロスと暴力みたいなところからデビュー。その時のイメージは、初期の村上龍、山田詠美あたりの系譜を継ぐ感じかと思われたが、その後作風は変容し、現在を生きる若者を中心とした人たちの生態を息苦しいほど生々しく描くようになった人。

どちらの捉え方も2人の熱心な読者からは「浅すぎる」などと批判を受けそうな気もしますが、芸能界で35年以上の歳月を過ごしてきた身からすると、そう言う風に少しポップな整理をするのがもはや習慣になってしまっているので許してください。

 

著者
村田 沙耶香
出版日

『世界99』は、東京郊外の「クリーン・タウン」と言う架空のニュータウンを舞台に始まりますが、これが近未来の話だったりするのかどうかもわかりません。ピョコルンと言うアルパカとかイルカとか4種類の動物をかけ合わせた高価な動物がペットとして飼われ、主人公の如月空子(きさらぎそらこ)が10歳だった頃から20歳、中年へとなっていく中で、その動物が家庭の中で人間にとっての性や出産、家事の代用動物に進化する過程で人間社会の常識も知らぬ間にどんどん変化していきます。

想像をはるかに越える形で、身もふたもない、倫理も道徳も科学もへったくれもない世界が進んでいくのですが、そこに登場する人物たちはこれがまた意外に冷静だったりするのも不気味です。

この世界にいる人たちの中では、時間を経る中で、たとえば“怒り”のような感情を前面に出すのは、ある意味下等な人間たちのすることである、と言うような流れになっていく。

そもそも空子には幼い頃から、自分、と言うものがほとんどなく、まわりに<呼応>してしか生きていけないというハンデを背負っているので、場面場面で全然違う人間のような対応も可能になる。

そしてこの世界には、もう一つ、ラロロリン人という一種の差別される優等民族みたいな人たちがいます。僕は最初、このふざけた名前の人たちをたとえばユダヤ人みたいなことなのかなと思って読み進もうとしたのですが、物語が進むほどそうした想像もバキバキと壊されていくので、もう行き着く先がどこなのか見えなくなり、でも文章はとても平易なのもあって読み進まずにはいられなくなるのです。

僕はこの本を読了して、村田沙耶香と言う人は、小気味よく狂っている人なのだと思わずにはいられませんでした。

特に性については個人的には一家言あるつもりの僕でも、ここまであっけらかんと独自の妄想力で物語を作られてしまうともう何も言えません。降参でした。凄いです。

 

次に読んだのが『YABUNONAKA』

金原ひとみは、ここ最近、人間のできる限り隠しておきたい側面みたいなものを、容赦なく、いやらしく、いやったらしく、どこまでも暴くような文章で読むほうがヘロヘロになることが多い印象を持っていたのですが、その極北が今作なのではないかと思いました。

この小説は文芸の編集者や作家が集う世界を舞台にしていますが、僕自身、芸能と言う、大ざっぱに言えばメディア的な業界と言うことで似ているところもあり、読んでいて、これでもかと言う痛さを度々味わう読書時間となりました。

出版業界と芸能業界の共通点として、センスがあると自認している人がセンスがないと思う人を馬鹿にし、下に見ると言う構図がかなりの割合で存在する、と言うのがあります。

告白してしまうと、自分もかつてそこそこセンスのある人間の一人だと心のうちで粋がっていたのもあって、一体何度人を馬鹿にしてきたかわかりません。客観的に見れば、おまえなんぼのもんじゃいと謗り(そしり)を受けるのは間違いないことぐらい、今では分りますが、そう言うことをこの小説の主人公の一人である編集者などの言動は痛いほど思い起こさせてくれました。

著者
金原 ひとみ
出版日

 

著者は、この作品の中で、作家の卵である女性の原稿を何度も読んでアドバイスしていく過程で彼女に性搾取に及んでいくことになる男性編集者を主人公の一人に置いているのですが、今の世の中的に大きな問題になっているこのようなことは、こうした業界にはそれこそ腐るほどあっただろうと想像します。あえて男の側から見れば、そうしたことが男の一つの勲章であるように思われていた時代があり、今はそんなこと口が裂けても公の場では言えなくなったわけですが、その時代にしてしまったことをそれこそ“今、心から反省している”男性なんてまずいないと思っているのはたぶん僕だけではないでしょう。

話がそれてしまいましたが、そう言うどうしようもないスネに傷を持つ人たちが、それぞれの主観で語っていくのがこの小説です。

しかし先ほどの男性よりも金原さんがエグい描き方をしたのは、もう一人の主人公である作家の長岡友梨奈という人物の造形です。いわゆるフェミニストであると自認する人以外は、この人物の過剰さに辟易するだろうし、実際この小説の中で長岡友梨奈の娘も母親と袂を分つことにもなります。

しかしこれが現実のことように思えてヒリヒリしてくるのもこの著者の上手さでもあるし、読む人の心をいい意味ですり減らしてくれるのです。

金原ひとみと言う人は、この小説を書くために現代の人間のリアルな闇を徹底的に取材していると思うし、その意味で救いがないほどに真摯な姿勢で書き切ったのではないかと思いました。

人間の心の恥部をここまで曝け出そうとする原動力は何なのか。でもそれを書いてみたい気持ちになると言うのもちょっと分る気がしてしまう。

いいぞ金原ひとみ。

もし自分に彼女のような文章力や才能があれば、こういうこと書いてみたいとさえ思わせる、そう言ういやらしさ、いやったらしさに満たされた作品でした。

でもこんなこと言ってしまうと何なのですが、金原さんはきっと根本のところでフェミニストではないんだろうなと思いました。仮にそう言うイズムが微塵でもあると感じると僕のような読者はそこに何か偽善的なものを嗅ぎ取ってしまいそうだからです。その意味で読了時の抜け感もいいなと感じました。

 

ところでこの2作を読んで、本題と関係なく、場所の固有名詞に何となく揺さぶられる記憶と思いがあったので紹介しておきます。

『世界99』のラストに出てくる新宿御苑という場所。僕はまだ一回しか行ったことないのですが、あそこにはクリエイターの人たちをどこか刺激する霊性のようなものがひそんでいるのでしょうか。九段理江の芥川賞受賞作『東京都同情塔』もそうだし、新海誠の名作アニメ『言の葉の庭』もそうで、何となくグッと来る広場なのかもしれません。都立の名門、新宿高校の敷地は元々新宿御苑の一部であったらしいですね。坂本龍一のような人が若い頃そこにいたと言うのも何かハッとさせられる気持ちになります。

『YABUNONAKA』で作家、長岡友梨奈が暴力事件を起こして連れて行かれる野方警察署。僕は昭和62年にホリプロに新卒入社して東京に来て最初に済んだのが中野区野方で、悪徳新聞勧誘員の男に騙されて読みたくない新聞を契約させられどうしても悔しくて駆け込んだのが野方警察署でした。その男は逮捕され、向こうからは見えない窓越しに顔の確認をさせてもらった記憶があります。その後もアパートの部屋のドアに生卵をぶつけられてしまったりして早々に野方を出ることにしたのですが。

こちらは単なる個人的記憶でした。失礼しました。それではまた来月。


書評の影響を割と受けます|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#3

書評の影響を割と受けます|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#3

定年後も読書と観察眼に磨きをかけ続ける、元TVプロデューサー・藤原 努のブックレビュー連載、第3回。今回は「書評」をきっかけに出会った2冊の小説を通じて、1960年代アメリカの記憶と、自身の思春期の記憶が交錯する読書体験を綴ります。裏方ならではの鋭い目線が光る一遍にご注目!

特集「仕掛け人」コラム

info:ホンシェルジュX(Twitter)

この記事が含まれる特集

  • 未来の「仕掛け人」のヒントになるコラム

    華やかな芸能界には、必ず「裏方」と呼ばれる人々の試行錯誤の跡がある。その「裏方」=「仕掛け人」が、どんなインスピレーションからヒットを生み出しているのかを探っていく特集です。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る