自分が自分がの人と、美智子さん。|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#5

更新:2025.6.20

定年後も読書熱冷めやらぬ元TVプロデューサー・藤原 努のブックレビュー連載、第5回。今回は松家仁之『天使も踏むを畏れるところ』を軸に、上皇后・美智子さんという存在に静かに迫ります。仕事人生の記憶と重ねながら、人間の自己顕示欲と品格について考察する、重層的な読書体験をどうぞ。

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自分が自分がの人と、美智子さん。

以前にもこの欄に書きましたが、僕は皇室のことにかなり興味を持っています。でも映画や配信ドラマなどの企画として近代皇室の人を主人公にした企画をやってみたいと何度かトライしましたが、文章の世界では可能でも、映画やドラマにするのはまだまだ難しい世の中であるようです。

でも小説や評論の形では、作家や研究者などがコンスタントに発表し続けているので、これは、と思ったものには手を伸ばさずにはいられません。

 

著者
高橋 源一郎
出版日

なので昨年、高橋源一郎が『DJヒロヒト』という長編小説を出した時も、「何だそのタイトル」と、この作家らしい韜晦(とうかい)——つまり、格好をつけて本心を煙に巻くような態度が感じられて、どうしようか少し迷ったのですが、結局読みました。

すごく面白いところと何だか妄想が過ぎてよくわからないところがある小説と言う印象だったのですが、そこから一年以上を経て、雑誌「新潮」でその高橋と、新作長編『天使も踏むを畏れるところ』を出した松家仁之が対談しているのを読み、二人が現上皇后の美智子さんのことを学識その他の点で非常に高く評価し、松家氏のこの作品でも美智子さんが登場するらしいことを知って、上下巻で1100ページに及ぶ大作ではあるのですがこちらにも手を出すことにしました。

以前政治学者の原武史さんが、東日本大震災の時に、被災地を見舞った当時の天皇皇后について、皇后が被災者と同じ目線になるように先にしゃがみ込み、それに引きづられるように天皇も同じ姿勢になった、と言うようなことを書いていました。

それを読んだ時に、皇室では初の平民出身者として、数々の軋轢に晒され、一時は失語症になったことも報道された美智子さんと言う存在に、何だか急にどうしようもなく惹かれたのです。

著者
松家仁之
出版日

 

この小説、戦後皇居内に作られることになった宮殿の建築にまつわる話なのですが、松家氏は、高橋源一郎と違って編集者出身のせいか、純文学的妄想とかがない分、文章は平易で読みやすくはあるものの、前半はこの建築を委嘱された建築家・村井や、そこと向き合う建設省から出向してきた役人・杉浦、さらにそこを見守る侍従・西尾などの目線から描くものの、あまりに淡々としていて少々退屈にもなりました。でもなかなか美智子さんが出てこないので、そこまでは読もうと投げ出さずに読み進みました。

しかし上巻もだいぶ後ろへきてから現れる牧野という宮内庁の部長の敵役ぶりが凄くて、そいつが何ともムカつくので急に物語に引き込まれ始めました。

この人物、建築家・村井に皇居宮殿の設計を発注する責任者でもあるのですが、設計が進むうちに、自らを宮殿設計のプロデューサーと自称し、そこにどんな絵を飾るとか、皇居宮殿というものがどのような歴史に基づいて作られるものだからこのような形にしたいとか、設計の内容に直接関わるようなことをどんどん後出しじゃんけんのように出してくるのです。

しかもそれを自分から村井に言うのは忍びないのか、建設省からの出向組の杉浦を通じて話をさせ、自らはその矢面に立とうとはしません。

それでも最初は牧野の意向を汲んで、設計を修正していく村井ですが、さらに進んでいく中で、この段階でまだそんな新しい案件を言い出してくるのか、という事態が度重なり、徐々に村井の堪忍袋の緒は切れそうになっていきます。

牧野はその一方で昭和天皇皇后両陛下に、設計の具体的な内容について中途説明を行います。そう言うのは具体設計者の村井に任せればより正確な話をできるはずなのに、そう言う華々しい舞台は、自分が仕切らねば、と人には譲りません。

 

この人物像を読んでいるうちに、僕は自分自身が仕事をしていた芸能界のことを思い出し、既視感に囚われました。

まあどのような世界にもいるとは思いますが、仕事の実が伴わないのに、口が立つので周囲を上手く巻き込み、もしその仕事が上手く行ったら、その業績をすべて自分の手柄のように見せびらかしていく。

僕もこの牧野が自称するのと同じく<プロデューサー>と言う仕事をしていた者なので、自己反省も含めて思うのですが、少しでも自分を大きく見せようとするのが透けて見える人というのがこの種族には多いのです。

でも実際は、映像の場合は、内容について一番矢面に立っているのは監督(=ディレクター)であり、この小説の宮殿の場合は、建築家ということになるのをそこに携わっている人たちはみな知っているでしょう。

 

牧野はまた、自分のセンスみたいなものを過信して、自分が書いた義父(芸術家らしい)についての伝記を、何とか世に出すことはできないかと考え、メディアに受けのいい侍従の西尾に頼んで出版社を4つも紹介してもらい、そのすべてに自分の原稿を売り込んで断られたりもします。

それでもめげずに義父が残した作品を新宮殿にも置けないかと考え、自分の書いた伝記を杉浦を通じて村井にも読ませようとしたりもします。

多くの読者はこのくだりまでくると、牧野のイタさにもういい加減にしろという気持ちになるのではないかと思いますが、こういう人間にお灸を据えられるような展開がこないものか、というのが、俄然下巻の読みどころになっていきます。

いや、それにしても、こう言う人物が実際にいるのを見たことがあるので、リアリティがありました。決して物凄い悪人とかではないのですが、そういう人は立ち回りも上手くてなかなかつまずかないのですが、最終的にその人は組織そのものにも良くない結果をもたらす、と言うのが僕の実感です。

そんなことを思い起こすきっかけになっただけでもこの小説を読み通してよかったなと思ったのでありました。

 

そこでやっと先に話した美智子さんの話に戻るのですが、主人公の村井は今後の仕事をやっていく中で静かな環境を求めて軽井沢に家を建て、そこで人妻である藤沢衣子という植物の専門家である女性と知り合ってW不倫の関係になります。優秀で筋を通す建築家だけれども色恋には無茶をすると言うのは今じゃ受け入れられませんが、この当時の設定としてはむしろ生かした俗物ぶりと言うことかもしれません。

 

そしてその衣子が友人からの伝手を通して、宮内庁から美智子さんの皇太子妃としての住居である赤坂御殿の庭を妃と一緒に考えてみて欲しいと言われる相談相手に抜擢されるのです。このあたり描かれている人たちが、今で言うある意味上級国民的な立場の人だと思っていないと面食らうかもしれません。

それはそれとしてこの時、美智子さんは皇太子との結婚で「時の人」でありながら、自分のそれまでの一般市民としての暮らし方の延長線上では、皇室の人たちと軋轢が生じ、義母である香淳皇后には疎まれ、かなり孤立した立場に置かれていたようです。

この小説では、若い皇太子妃をそうした状況から救い出すために、夫である皇太子とは別の角度からガス抜きさせるために白羽の矢を立てられたのが衣子でした。

美智子さんと衣子の二人だけのやり取りの場面は長いものではありませんが、皇太子妃がきちんとしたふつうの人の感覚の持ち主であることが良く分かる描かれ方になっています。

この小説に出てきたので初めて知ったのですが、美智子さんは現天皇がまだ0歳児だった頃、夫である皇太子と半月ぐらい公務で東京に我が子を置いて出なくてはいけなくなった時、「ナルちゃん憲法」なる育児メモ(注意書きのようなもの)を作ってお付きの人たちに渡したらしいですね。それまでの皇族と違って自分の子は自分で育児すると言う言わば一般感覚を持った母としては当然の行為だったけれども、そうした行為も香淳皇后をはじめとする皇族方にはいい受け止め方をされなかったようでもあります。

 

で、この小説を読んでいる時にふと新聞書評で見つけて次に読みたいと思ったのが『昭和天皇の敗北』と言う評論でした。この評論は、日本国憲法第一条にある天皇の「象徴」という立場に、昭和天皇がいかに抵抗し、最終的には敗北を喫したかを綴るものですが、敗戦国であるから無理であることは一方で分かりつつ、君主あるいは元首という立場でありたい、との思いをずっと持っていたのはきっと事実なのでしょう。

著者
小宮 京
出版日

昭和天皇は戦前の帝国憲法では明確に示されていた自分の地位に、決して執着していたわけではないと思うのですが、「象徴」になることで政治的なことはもちろん、自分が持つ好悪の感情や主義、主張のようなものも公的な場面で一切発言できなくなるのをほんとうは一番恐れていたのではないか、僕などはそのような気がしました。

天皇家やそれに準ずるような立場であればあるほど、個人的な考えを公的な場面で述べるのはご法度だし、その意味でこの人たちには基本的人権のようなものは適用されないと捉えるべきなのかもしれません。

そのように考えると現上皇が、9年前に生前退位を発表するにいたるまでには、ほんとうは想像を絶するような、政治家や官僚たちとの紆余曲折があったのだろうと考えずにはいられなくなりました。

それでもあの時、おことば、として全国民に発表するようにこぎつけたのには、上皇の揺るがぬ意志、のようなものがあったのでしょう。

そしてそれにつけても気になるのは、その横でほとんど何も語らない美智子さんという存在です。

彼女は66年前、現上皇と軽井沢のテニスコートで出会いました。今回の小説を読んでいるうちに僕は出し抜けに何だかそこを急に見たくなって軽井沢に行ってきました。

彼女は今90歳です。小説の中の衣子のような人物が、美智子さんが存命のうちにきちんとその本音を聴き出すようなことをしてくれないものかと切に望みます。あるいはもう誰かがそう言うことを実はやっていて、それが何らかの形で世に出るようなことが将来あったりするのでしょうか。

『昭和天皇拝謁記』のようなものとはまた違った、知られざる彼女の感情が語られていたりしたら読む者の胸を凄くざわつかせるようなものになりそうな気がするのですが。

でも僕が生きている間にそれに接するのは難しいのかもしれません。

そう言うのが発表されるのはいつもだいたい何十年もの時効と思われるほどの年月が必要だったりしますしね。


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