少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。32回目にお届けするのは2025年6月に東京創元社から発売された『へびつかい座の見えない夜』です。“捨てること”が美徳になっているかもしれないけれど、それでも“集めること”は愛おしい!そんな思いを抱えている方に読んでいただきたい短編集の魅力を、嵯峨先生に語っていただきました。

「嵯峨景子の今月の一冊」、第32回です。今月は2025年6月刊行の砂村かいり『へびつかい座の見えない夜』(東京創元社)を取り上げます。
- 著者
- 砂村 かいり
- 出版日
新刊情報チェックのためにXを眺めていたある日のこと。ふと見かけた本の帯から目を離せなくなりました。
「あなたが集めてきたものは、決して無駄なんかじゃない」--。
私は子どもの頃から収集癖があって、好きなものを集めて自分だけの世界を創るという孤独な楽しみを長年続けています。他人から見たら役にたたないものに情熱とお金を注ぎ込む行為は、何にも代えがたい喜びであると同時に、どこか後ろめたさも生み出していました。けれどもこの言葉はアンビバレントな気持ちをやさしく包み込み、肯定してくれるように思えました。収集という行為に惹かれてやまない私は、なんだか同士を見つけたような嬉しさを覚え、どんな物語が広がっているのだろうと興味をそそられて読み始めたのです。
著者の砂村かいりは、小説投稿サイトカクヨムに発表した『炭酸水と犬』と『アパートたまゆら』で2020年に第5回カクヨムWeb小説コンテスト恋愛小説部門特別賞を同時受賞。翌2021年に両作を同時刊行しデビューします。繊細なタッチの恋愛小説だけでなく、友情結婚をテーマにした『マリアージュ・ブラン』、アイドルのセカンドキャリアを描く『黒蝶貝のピアス』など、精力的に作品を発表しつづける注目の作家です。
『へびつかい座の見えない夜』は、清掃業者の男が集め続ける髪の毛や、同じ日付が刻まれた切符、トカゲの抜け殻に海岸漂流物、ペットボトルのおまけのチャームと、コレクションにまつわる五つの物語が収録された短編集です。モノと人をめぐる密やかな関係と、モノを介して生まれる人と人との交流に光を当てた短編を一つ一つご紹介します。
最初の「梅雨が来る前に」の主人公は、個人の清掃業者として働く男・山村。他人と関わることが苦手で、顔の大きなシミがコンプレックスの山村にとって、マスクで顔を隠して黙々と作業する清掃業という仕事は天職でした。彼は仕事先の家で髪の毛を一本拾い、ノートに貼りつけるというコレクションを続け、今ではノート三冊分集まりました。ある日、山村は汚部屋で暮らすギャルの舞花から依頼を受けます。清掃の途中で思いがけない共通の趣味が発覚し、二人の間に友情が芽生えていくのですが……。他人の髪を収集するという多くの人がドン引きしそうな行為を描く物語は、意外にもイロモノテイストは薄く、本書随一の切ない余韻を残します。束の間のふれあいの果てに浮かび上がる孤独と山村のコレクションが響き合うラストシーンは、悲しくも忘れがたい場面でした。
続く「きみは湖」は、忽然と姿を消した恋人・篤史を捜して、彼の故郷の浜松市に向かう美紅の物語。篤史は9年前から「弁天島」という地元のローカル駅の3月22日の初乗り切符を買い続けており、美紅は偶然そのコレクションの存在を知ります。いわくありげな切符にヒントを求めて弁天島駅に出かけた美紅は、そこで篤史の幼なじみの千草という女性と出会い……。失踪した男に関わる二人の女性が一緒に浜松を回る中で、風変りな友情と連帯が生まれていく。人間の多面的な姿を浮かび上がらせる、爽やかで味わい深い短編です。
「トカゲのいる闇」は不妊治療や女性が抱える家庭と仕事の葛藤など、現代的な課題をエンターテインメントに落とし込んだ骨太な作品。派遣切りをされて今は専業主婦として暮らす偲は、夫の出張中にペットのトカゲの世話を押し付けられてしまいます。当初は嫌々コオロギを餌やりしていた偲ですが、脱皮前で弱った子を必死に世話する中でどんどん思いが深まっていき――。モラハラな夫に抑圧されて窮屈に生きる偲が、トカゲの世話をきっかけに変わりはじめ夫への反撃を始めます。夫婦関係にまつわるもやもやがなんともリアルで、偲に感情移入する女性は多いはず。鬱屈を抱えた読者の心に寄り添い、行動する勇気を与えてくれる痛快な物語です。
「ハマエンドウが咲いていた」は、どこか異国のおとぎ話を思わせるロマンティックな異色作。波乗りにのめり込む恋人を案じる女は、イルカの耳石がサーファーのお守りになると知り、珍しい石をなんとか手に入れようと方々を探します。やがて浜辺で海岸漂着物を拾い集めながら暮らす、世捨て人のような男に行きつき、イルカの耳石を譲ってほしいと頼み込みますが……。海辺を舞台に繰り広げられる二人のロマンスは、磯の匂いと絡みついて熱く官能的です。何よりも印象的だったのは、漂流物で埋め尽くされた男の家。収集癖に取り憑かれた人間の業を具現化した凄みに、思わず息を呑みます。
ラストは表題作の「へびつかい座の見えない夜」です。地方の不動産会社で働く瑞季は25歳。祖父母を含め7人が暮らす実家に自由はなく、鬱屈を抱えながら過ごしています。瑞季は職場の机の引き出しの一つをこっそりコレクション専用にし、集めているペットボトルのおまけのアクリルキーホルダーを並べて楽しんでいました。ある日、誰とも慣れあわない孤高の先輩・今泉さんにコレクションを見られ、彼女の協力を得ながらコンプリートを目指すことに。今泉さんと関わる中で瑞季の心に少しずつ変化が生まれ、今まで心の奥底に封じ込めてなかったことにしてきた自分の本音と向き合い始めるのでした。
周囲からは煙たがられている今泉さんですが、瑞季は彼女の姿勢を好ましく思い、触発されて少しずつ行動を起こします。
「年配の女性社員は、自分たちの未来の姿だ。彼女をばかにすることは、自らの梯子を外す行為でもあると思う」
というフレーズには、思わず頷いてしまいました。他にも私の心を掴んで離さなかったのが、ものを集めることに喜びを感じる人の幸福や楽しさを言語化したパートです。
「そう、自分にはもともと収集癖があったのだ。同じ規格のデザイン違いが大量に集まっているのを見るとなぜだが心が躍るし、少しずつ手に入れて集まっていく過程にもわくわくする」
をはじめ、収集にまつわる喜びと悲しみを綴る言葉それ自体が宝物のように感じられました。
断捨離やミニマリストがもてはやされる世の中で、ものに執着する人や収集癖のある人は今や時代遅れの存在なのかもしれません。けれども私は自分の大切なものや愛おしい世界をこれからも大事にしたいし、同じスタンスの同志はきっといるはず。そんな人たちに『へびつかい座の見えない夜』が届いてほしいと願っています。もちろん、収集癖がない人にとっても幸せな読書体験を味わえる珠玉の短編集です。
- 著者
- 砂村 かいり
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