少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。34回目にお届けするのは2025年9月に河出書房新社から発売された『やさしい雪が降りますように』です。北海道を舞台に、高校生たちのみずみずしい”冬”を描いた本作の魅力を、嵯峨先生に語っていただきました。

「嵯峨景子の今月の一冊」も第34回目を迎えました。今月は2025年9月刊行の桃実るは『やさしい雪が降りますように』(河出書房新社)をご紹介します。
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地元の札幌を離れ、東京で暮らしはじめてから25年以上の月日が流れました。札幌で暮らしていた頃は長すぎる冬と雪に飽き飽きしていましたが、離れてみると不思議と雪が恋しくなる瞬間があります。とりわけ北海道の雪を思い出すのはこの季節、11月から12月にかけてです。少しずつ雪が降り積り、溶けてはまた降りを繰り返している時期が、一番雪にわくわくしていたからかもしれません。
雪への郷愁に駆られた時は雪景色が登場する小説を手に取り、物語世界の美しい雪に身を浸します。今回ご紹介する本も秋頃に手に入れたものの、本棚の中で少し寝かせておいた作品です。雪への想いが高まる頃に読めばより一層心に沁みるはず。そんな予感を裏切らない、極上の読書体験を味わえました。
『やさしい雪が降りますように』は、少女小説をはじめさまざまな分野で活躍した作家の氷室冴子の功績を讃えて創設された、氷室冴子青春文学賞の第5回準大賞を受賞した作品です。これまでも櫻井とりおや佐原ひかり、平戸萌や宇井彩野など魅力的な作家を輩出しています。
埼玉南部で暮らす森川六花は、17歳の高校2年生。父と母、そして一回り近く年の離れた姉・風花の四人で暮らしています。冗談好きな母と穏やかな父、暗黙の了解でいつもお姫様扱いを受けている姉に、女性の服と化粧で身を飾り、家族同然の付き合いをしている優しい「ケイティ」。森川家を取り巻く空気は一見いつも平和だけれど、六花はこの家には決して掘り出してはいけない闇があると感じているのでした。
「この家には、蔓がある。通常は地下深くに埋まっている。蔓につながるのは、さつま芋のような、おいしい作物ではない。決して掘り起こしてはならない、過去の出来事。蔓に触れてさえならない。お姉ちゃんのお姫様扱いと同様に、暗黙のルールとなっている。」
家族の中でタブーと化している不穏なものを“蔓”と表現する冒頭のこのパートに、一気に心を掴まれました。家族が地下深くに埋めて、必死に目を背けようとしているものは一体何なのか。六花を取り巻く日常が穏やかであるからこそ、物語の最初で蒔かれた不穏な種の存在がより一層恐ろしく感じ、楽しい毎日のふとした瞬間に暗い影が差し込むのです。
家族のパートばかりを紹介してしまいましたが、女子高校生の視点で描かれる学校生活も印象的で、作中にちりばめられたユーモアや、何気ない会話の数々にくすりとさせられました。片思いをしている同級生の森沢とはいつもふざけ合ってバカ話をする仲で、友人の瑠莉菜は大学生の彼氏と一線を越えようとしている。等身大の女子高校生の心の機微を描く筆致はみずみずしく、青春小説の醍醐味を味わえます。
ネグレクトや虐待など、現代的な課題が描かれているのも本書の特徴です。六花は寒い日に家から閉め出された子どものみるくと出会い、心配して彼女を家に連れて帰ります。みるくに対する森川家が優しくて温かいからこそ、より一層彼らが抱えてしまった“蔓”に対して想いを馳せ、やるせなさと憤りを感じる瞬間がありました。
お互いが大切であるからこそ、傷ついた心を封印して目を背け続けた結果、いつの間にか大きな歪みが生まれてしまう。過去の出来事に真正面から向き合い、新たな一方を踏み出そうとする家族の姿は、大きなカタルシスをもたらします。とりわけ物語のラストはドラマチックで、疾走感あふれる展開と雪景色に圧倒されながら読み終わりました。
氷室冴子のルーツである北海道や、雪の描写が作中で効果的に使われている点も、個人的に評価したい要素です。氷室冴子青春文学賞は、彼女の地元である岩見沢の有志が立ち上げたローカルな文学賞なので、北海道オマージュがあると嬉しくなってしまいます。絶望を抱えた中でも、生きることを決して諦めないし、前に進もうと必死にもがいてみせる。冷たい雪と熱い心が溶け合ったラストシーンに、心が奮い立つ思いをしました。傷ついた人の心を優しく包み込み、前に踏み出す勇気を与えてくれる。これからの季節にぴったりな、再生と希望の物語です。
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