嵯峨景子が選ぶ『今年の5冊』|社会への怒りを感じる作品から、芸術的装丁の作品まで

更新:2023.12.28

気がつけば2023年も残りわずか。今年一年はみなさんにとってどんな一年でしたか? 私は怒涛の一年だった2022年と比べて、比較的落ち着いた日々を過ごすことができたように思います。その分たくさん本を読む時間も取れて、読書生活も充実していました。 今回の記事は「2023年のベスト5」と称して、今年読んだ本の中から特に心に残った5冊を選びました。選択の基準はホンシェルジュの連載を含め他の媒体でも取り上げていない本で、かつ小説であること。私の今年のセレクトは以下の5作品です。

ブックカルテ リンク

市川沙央『ハンチバック』(文藝春秋)

著者
市川 沙央
出版日

 今年を代表する一冊として選んだのが市川沙央の『ハンチバック』。本作は第128回文學界新人賞、そして第169回芥川龍之介賞と歴史ある文学賞を受賞し、大きな話題を呼びました。10代で難病の「先天性ミオパチー※」と診断された作者は、人工呼吸器と電動車椅子を常用する重度障害者の当事者です。その境遇は『ハンチバック』の主人公・釈華の造形にも投影されています。

※先天性ミオパチーとは筋緊張や筋力の低下を引き起こす遺伝性疾患(ホンシェルジュ編集部記載)

親から相続したグループホームで暮らす「先天性ミオパチー」の釈華は、通信制の大学での勉強やコタツ記事の執筆を請け負うライター業で社会との繋がりを作る重度障害者です。作品に通底する“ 社会に対する強い怒り”のなかでも、とりわけ私の胸に刺さったのが以下の引用箇所でした。

「私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いにいけること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化へのマチズモ※を憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」

※マチズモ=男性優位主義(ホンシェルジュ編集部記載)

この痛烈な言葉は私を含め、紙の本への愛着を口にしがちな本好きの心にグサリと刺さるでしょう。自分の立場とは異なる他者に対する想像力を忘れたくない、社会の課題について鈍感にはなりたくないと再認識させてくれる一冊でした。作者が芥川賞の記者会見で訴えた読書のバリアフリーの進展も、取り組んでいかなければならない重要な課題です。

京極夏彦『鵺の碑』(講談社)

著者
京極 夏彦
出版日

 17年ぶりに百鬼夜行シリーズの新作長編が発売――! このニュースが9月に発表されたときの盛り上がりは、さながら祭りのようでした。百鬼夜行シリーズは私自身の青春の読書体験と重なる忘れられない作品で、高校1年生だった1996年に第1作の『姑獲鳥の夏』を読んでハマって以来愛読中です。古本屋「京極堂」を営みながら副業として憑き物落としも行う拝み屋の中禅寺秋彦を筆頭に、精神不安定な小説家の関口巽、特殊能力をもつ「薔薇十字探偵社」の私立探偵・榎木津礼二郎などなど、魅力的なキャラクターと民俗学にまつわる膨大な蘊蓄が独自の世界を築くミステリ小説は今もなお絶大な人気を博しています。

 最新作の『鵺の碑』では現在進行系では殺人は起こらず、過去に起きたさまざまな不可解な事件が複雑に絡み合いながら進みます。幼い頃に父親を殺した記憶がある語る娘と出会った劇作家。勤め先の失踪した薬局経営者を捜す女と人探しを依頼された探偵。消え失せた三つの他殺体の行方を追う刑事……。タイトルにも登場する鵼とは、頭が猿、手足は虎、体は狸、尾は蛇の形をした伝説上の怪獣です。シリーズはこれまで同様1950年代の戦後日本を舞台にしていますが、最近の社会問題とも絡むモチーフが作中に登場するのも新鮮でした。

 鈍器と呼ばれることも少なくない百鬼夜行シリーズ。『鵺の碑』も829ページと期待を裏切らない分厚さです。年末年始の読書にぴったりのエンターテインメント小説をこの機会にぜひ!

こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』(小学館)

著者
こざわ たまこ
出版日

 “少女を主人公にした青春小説”は長年愛好し続けているジャンルです。書店やネットでも面白い作品や気になる作品がないか常にチェックし、アンテナを張り続けています。2023年に読んだ青春小説の中でもとりわけ印象的だったのが、この『教室のゴルディロックスゾーン』でした。

「胡蝶は宇宙人の夢を見る」「真夜中の成長中」「わりきれない私達」「ホモ・サピエンスの相異変」「教室のゴルディロックスゾーン」、そしてエピローグの「放課後から届く声」。連作短編形式で進む本作では中学二年生の依子を筆頭に、同い年の少女たちを主人公に、変わりゆく友情のかたちや孤独が描かれます。ページを開くと少女たちのひりひりする感情や、世間や学校の人間関係とうまく折り合いをつけられない姿や、刃のように心に刺さる言葉があふれてきて、読んでいると切なくて苦しくなるでもその寂しさがどうしようも魅力的で、繰り返し本棚から取り出しては読んでいました。教育実習の先生が語った「自分の、自分だけの孤独を大切にしてください」という言葉を噛み締めながら、私も世界と向き合って生きていこうと思います。

津原泰水『夢分けの船』(河出書房新社)

著者
津原 泰水
出版日

 『夢分けの船』は2022年に58歳で亡くなった津原泰水の最後の長編小説です。津原泰水の作品の魅力といえば、磨きぬかれた言葉が生み出す端正な文体が真っ先に思い浮かびます。『夢分けの船』でも練り込まれた美しい文体は健在です。ですが小説を読み始めた読者は、明治の文豪の作品を思わせる古風な文体に最初は驚くかもしれません。現代を舞台にした音楽×青春小説を、夏目漱石をパスティーシュした文体で描き出す。なんともユニークかつ野心的、それでいてどこか軽やかな文体が味わい深い作品です。

映画音楽を勉強するために四国から東京の専門学校に進学した22歳の修文は、防音マンションの風月荘に引っ越します。ところが新しい住まいの704号室は、3代前の住人の久世花音が自ら命を絶ったいわくつきの部屋だと判明。花音の幽霊が出るらしい部屋で暮らしはじめた修文を主人公に、音楽への情熱や東京での青春の日々、そして幽霊や花音の死にまつわる謎をみずみずしく描いた物語です。不思議な懐かしさと透明感、そして切なさに満ちた津原泰水の最後の小説をぜひ多くの人に読んでほしいと願っています。

長野まゆみ・桑原弘明『湖畔地図製作社』(国書刊行会)

著者
["長野まゆみ", "桑原弘明", "桑原弘明"]
出版日

思春期の頃に出会って以来、現在に至るまで絶大な影響を受けている作家の長野まゆみと、小さなスコープの中に幻想的な風景を生み出し続けるオブジェ作家の桑原弘明。大好きなクリエイターがコラボレーションするスコープオブジェ×短篇小説の本が12月に国書刊行会から発売されると知り、心が踊りました。

発売当日に書店に足を運んで手に入れた本は期待通りの美しさで、函入り変型の凝った造本そのものがまるでオブジェのよう。桑原弘明が生み出す精緻な夢の世界の魅力を余すところなく伝える写真と、長野まゆみが綴る地図製作をめぐる不思議な味わいの短編小説が心地よく響き合い、博物趣味にあふれた『湖畔地図製作社』の世界へと読者をいざないます。長野まゆみの『夜間飛行』や『夏帽子』、桑原弘明の『スコープ少年の不思議な旅』など、大切な本を並べているアンティークのブックケースに『湖畔地図製作社』も加えました。贈り物にもぴったりな、瀟洒なヴィジュアルブックです。ギフトに悩まれている方はぜひ書店でチェックしてみてください。

今回の記事では紹介しきれませんでしたが、他にも時代を鋭く映した作品や、著者の変わらぬ魅力が込められた作品など、多くの逸品に出会えた年でした。2024年もたくさんの面白い本に出会えますよう。

 

 

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