【現代の悩みを哲学で解決】「浪費」が止まらない…。バタイユの蕩尽から「欲望の本質」を探る

更新:2026.5.18

現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回は「買い物がやめられない」新社会人の物語です。 給料日の前、増え続けるクレジットカードの明細。 ストレス発散だと思っていた。意志が弱いせいだと責めてきた。 でも、本当にそれだけなのだろうか。 20世紀フランスの思想家バタイユは「浪費」を人間の本質から捉え直してみたい。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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プロローグ:また、買ってしまった

土曜日の夜、柚月は買い物袋から服を取り出していた。

ベージュのニットと、少し値の張るプリーツスカート。試着室で鏡に映った自分を見たとき、迷いはなかった。

これは私に似合う。買わない理由がない。

でも、部屋に戻ってハンガーにかけた瞬間、いつもの感覚がやってくる。

また買ってしまった。

スマートフォンでクレジットカードの明細を開く。今月の利用額は、給料の三分の一を超えていた。

給料日まであと十日。来月の支払いを考えると、胃のあたりが重くなる。

保険会社の営業職として働き始めて二年目。毎日スーツを着て、数字を追いかけて、笑顔を作らなければいけない。

週末になると、気づけば服屋に足が向いている。

「ストレス発散」という言葉で片付けてきた。仕事が大変なんだから、これくらいでいいでしょう、と。

だけど最近は自分でもわからなくなっている。

買った瞬間は満たされるのに、家に帰ると空っぽになる。クローゼットには着ていない服が増えていく。

そして、また次の週末がやってくる。私は何を求めて、買い続けているのだろう。

ベッドに横になりながら、柚月は天井を見つめていた。

意志が弱いのだと思う。自分をコントロールできない、だらしない人間なんだ。

このように考えてしまうのが、いちばん苦しかった。

路地裏の古着屋

翌週の日曜日、柚月はあてもなく街を歩いていた。

いつもなら駅前のショッピングビルに向かう。でも今日は気が進まなかった。また買ってしまいそうで怖い。

かといって部屋にいると気が滅入る。裏通りに入ると、見慣れない店があった。

「Loop」という小さな看板。ガラス越しに、古い服がいくつか見える。古着屋らしい。

柚月は古着に興味がなかった。誰かが着たものを身につけるという感覚が、どこか苦手だった。

でも、その日はなぜか足が止まった。ドアを押すと、静かなジャズが流れてきた。店内は狭いが、丁寧に選ばれた服が並んでいる。

奥のカウンターに、四十代半ばくらいの男性が座っていた。

「いらっしゃい。ゆっくり見ていってください」

穏やかな声だった。柚月は会釈をして、ラックの間を歩く。

ふと目に留まったのは、深い緑色のワンピースだった。シンプルなデザインだが、生地に独特の光沢がある。手に取ると、思ったより軽い。

「それ、いいでしょう。七十年代のフランスのものです」

振り向くと、店主が静かに近づいてきていた。

「七十年代って、五十年前ですか」

「そうですね。でも、今着ても古く見えない。面白いですよね、服って」

柚月はワンピースを見つめた。五十年前に誰かが選んで、着て、そして手放した服。それが今、自分の手の中にある。

「新品じゃないと嫌だって人も多いんですけどね」

店主は続けた。

「お客さんは、どうですか。古着って、抵抗ありますか」

「正直、あまり買ったことがなくて」

「じゃあ、なんでうちに入ってきたんでしょうね」

悪意のない問いかけだった。柚月は少し考えた。

「わからないです。なんとなく、いつもと違うことがしたくて」

店主は小さくうなずいた。

「いつもは、どんな買い物を」

「新品の服を。けっこう頻繁に」

言葉にした瞬間、自分が何かを打ち明けようとしていることに柚月は気づいた。

初対面の相手に、なぜこんな話をしているのだろう。

だけど店主の雰囲気には、不思議と話しやすいものがあった。

「浪費」という人間の本質

「実は私も、昔は買い物が止まらなくて」

店主はカウンターに戻りながら言った。

「二十代の頃、給料のほとんどを服に使ってました。貯金なんてゼロ。カードの支払いに追われて、でもまた買って。自分でも何やってるんだろうって」

柚月は驚いた。この落ち着いた店主に、そんな過去があるとは思えなかった。

「どうやって、やめられたんですか」

「やめたわけじゃないんですよ。考え方が変わった、というか」

店主は棚から古い文庫本を取り出した。

「バタイユって思想家、知ってます?」

「いえ、聞いたことなくて」

「二十世紀のフランスの人です。この人が『蕩尽』っていう概念を提唱していて。当時の私には、けっこう衝撃でした」

「蕩尽、ですか」

「簡単に言うと、役に立たない消費のことですね。何かを得るためじゃなく、ただ使い果たすこと。浪費とか、無駄遣いとか、そういうものですね」

柚月は身構えた。また説教が始まるのかと思った。

浪費は悪いことだ、計画的に使いなさい、という話を。

でも、店主の言葉は予想と違った。

「バタイユは、蕩尽を否定しなかったんです。むしろ、人間にとって本質的なものだと考えた」

「本質的、というと?」

「人間の喜びは、役に立つことだけにあるんじゃない。祭りとか、芸術とか、贈り物とか。生産性とは関係ない、むしろ損失でしかないようなことに、人間は惹かれる。それが蕩尽です」

店主は続けた。

「近代社会は『有用性』を重視するようになりました。働いて、貯めて、また働く。役に立つことが正しくて、役に立たないことは悪い。でもバタイユは、それだけでは人間を捉えきれないと言ったんです」

「数字」がもたらす疲労

柚月は黙って聞いていた。保険の営業をしていると、毎日が数字との戦いになる。

契約件数、売上目標、達成率。

すべてが「数字」で測られる。上司からの評価も、自分の存在価値も。

「お客さん、お仕事は何をされてるんですか」

「保険の営業です」

「なるほど。数字で評価される仕事ですね」

「はい。毎日、ノルマがあって」

「それで週末に服を買う」

柚月はうなずいた。

「平日はずっとスーツで、決まった格好をして。休日くらい、自分の好きな服を着たいって思うんです。でも買っても買っても、満たされなくて」

店主は少し考えてから言った。

「もしかすると、その買い物は、ただのストレス発散じゃないのかもしれませんね」

「どういうことですか」

「平日、ずっと結果を求められている。数字を出せ、成果を見せろ、と。そういう生活の中で、あなたの中にある何かが『役に立たないこと』を求めているんじゃないですか」

柚月は言葉を失った。

「蕩尽への欲求、とでも言いましょうか。バタイユ的に言えば、それは人間として自然なことなんです。問題なのは、その欲求自体じゃない」

呪われた部分

「バタイユは『呪われた部分』という本を書いています」

店主は棚の文庫本を手に取った。

「人間には、生産や蓄積の論理では説明できない部分がある。役に立たないものに惹かれる、損失を求めてしまう、そういう部分。バタイユはそれを『呪われた部分』と呼びました」

「呪われた、ですか。なんだか怖い言葉ですね」

「ええ。でも、呪われているのは、その部分が悪いからじゃない。近代社会がそれを抑圧してきたから、呪いのように感じられるんです」

柚月は自分の買い物を思い返した。

クレジットカードの明細を見るたびに感じる罪悪感。「また無駄遣いをしてしまった」という自己嫌悪。

「私が買い物をするたびに感じる罪悪感も、そういうことなんでしょうか」

「そうかもしれません。社会は『貯めろ、増やせ、役に立て』と言う。その価値観を内面化しているから、蕩尽すると罪悪感を覚える。でもバタイユに言わせれば、蕩尽への欲求自体は、人間として当然のものなんです」

店主は窓の外を見た。

「もちろん、だから好きなだけ浪費していいって話じゃありません。生活が破綻したら元も子もない。でも、自分を責め続けるのも違うと思うんです」

柚月は、さっき手に取った緑のワンピースを見た。

「この服も、誰かの蕩尽だったんでしょうか」

「そうですね。五十年前に誰かがこれを買った。おそらく実用だけじゃなく、着る喜びのために。それが今、あなたの前にある」

「私が新品を買い続けるのとは、何が違うんでしょう」

店主は少し笑った。

「本質的には、違わないかもしれません。どちらも服を選ぶ喜びですから。ただ、古着には循環がある。誰かが手放したものを、次の人が引き受ける。蕩尽が、閉じずに続いていく」

柚月はその言葉を反芻した。

「私の買い物は、閉じている、ということですか」

「そうじゃなくて。循環の形は人それぞれだと思います。古着を買えばいいって話でもありません」

店主は少し間を置いてから続けた。

「バタイユはこうも言っています。蕩尽は人間にとって『喜びの本質』だと。祭りや芸術、贈り物。役に立たないけれど、人の心を満たすもの。それがなければ、人間は生きていけない」

「喜びの本質……」

「服を選んでいるとき、楽しくて嬉しくないですか」

柚月は少し考えた。

「……嬉しいです。買う瞬間は」

「その喜びは、偽物じゃないんですよ。役に立つかどうかとは別の次元で、あなたの中の何かが満たされている。それを『無駄』の一言で片付けるのは、もったいないと思いませんか」

柚月は黙ってうなずいた。

店主はカウンターに肘をついた。

「蕩尽への欲求を持っている自分を、まず認めてあげてもいいんじゃないですか。役に立つことだけが人生じゃない。働いて、貯めて、また働く。それだけで満たされるなら、誰も苦しんでいないはずです。でも人間には、それ以外の何かが必要なんです」

店主は穏やかな表情で続けた。

「そして、バタイユは人間の本質を『蕩尽』と呼んだ」

エピローグ:日曜日の朝

その日、柚月は何も買わなかった。

緑のワンピースは気になったが、今日は見るだけでいいと思った。

店を出るとき、店主が言った。

「また来てください。買わなくてもいいので」

「ありがとうございます」

家に帰って、柚月はクローゼットを開けた。着ていない服がいくつもある。

それを見ても、いつものような自己嫌悪は湧いてこなかった。

これは私の蕩尽だ。役に立つかどうかではなく、ただ選び、喜びのために買った服たち。

それを「無駄」と呼んで責め続けてきた。

だけど欲求自体は、人間として不自然なものではないのかもしれない。

もちろん来月からは少し考えて買おうと思う。生活を壊すわけにはいかないから。

「また買ってしまった」と自分を責める声は、少し静かになった気がする。

翌週の日曜日、柚月は早起きをした。クローゼットから、しばらく着ていなかったブラウスを取り出す。

去年の夏に買って、一度しか袖を通していなかったもの。

鏡の前で合わせてみると、悪くない。

私はこれを、着る喜びのために買ったのだ。

その日、柚月は久しぶりにそのブラウスを着て出かけた。特別な予定があるわけではなかった。

ただ着たかったから着た。役に立つかどうかなんて、関係ない。

駅に向かう道を歩きながら、柚月は少しだけ背筋が伸びるのを感じていた。

さらに問いを深めるためのオススメ書籍

ジョルジュ・バタイユ(2018)『呪われた部分:全般経済学試論・蕩尽』(酒井健 訳)筑摩書房

著者
["ジョルジュ・バタイユ", "酒井 健"]
出版日

本記事で言及された「蕩尽」の概念を、バタイユ自身が体系的に論じた主著です。私たちの社会が「生産」と「蓄積」を第一義とするなかで、祝祭、供儀、芸術、エロスといった「役に立たない消費」こそが人間の喜びの本質だとバタイユは説きます。アステカ文明の供儀からマーシャル・プランまで、歴史上の「蕩尽」を縦横無尽に論じる本書は、経済学と哲学の境界を軽やかに越えていきます。読み通すには骨が折れますが、「また買ってしまった」と自分を責める前に、この本を開いてみてください。浪費を罪悪視する私たちの価値観が、いかに近代特有のものかに気づかされます。

酒井健(1996)『バタイユ入門』筑摩書房

著者
酒井 健
出版日

バタイユの翻訳を数多く手がけてきた第一人者による入門書です。「死とエロティシズムの思想家」と呼ばれるバタイユですが、その思想の全体像は意外と知られていません。

本書では彼の生涯を四つの時期に分け、信仰と棄教、政治参加、神秘体験、そして晩年の「明晰な」著作活動までを丁寧にたどります。ヘーゲル、ニーチェ、フロイトとの関係も整理されており、バタイユがなぜ「有用性」を批判し続けたのかが腑に落ちる構成になっています。原著に挑む前の準備として、あるいは記事を読んで「もっと知りたい」と思った方が最初に手に取る一冊として最適です。

國分功一郎(2021)『暇と退屈の倫理学』新潮社

著者
國分 功一郎
出版日

「暇」と「退屈」という身近なテーマから、消費社会の構造を哲学的に解き明かした一冊です。私たちはなぜ「退屈」を恐れ、次から次へと何かを消費してしまうのか。パスカル、ハイデガー、ユクスキュルらの思想を手がかりに、著者は現代人の「気晴らし」の問題に切り込んでいきます。

バタイユの「蕩尽」が人間の本質的な欲求だとすれば、本書はその欲求が消費社会でいかに歪められているかを示しています。

「買い物がやめられない(欲望が抑えられない)」という悩みを別の角度から照らしてくれる、読みやすく深い哲学書です。

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