現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回は「志望する企業が決まらない」就活生の物語です。 自己分析ツールに向かい、「あなたは何者か」と問われて、答えが出ない。 正解の人生設計があるはずだと探し続けて、動けなくなった夜。 そんな問いに対して、20世紀の人類学者レヴィ=ストロースは「ブリコラージュ」という視点を提示している。 「手元にあるもので工夫する」という、その営みが示す小さな知恵とは。

エントリーシートの画面が、青白く佑太の顔を照らしていた。
「あなたの強みは何ですか。具体的なエピソードとともに、400字以内で述べよ」
カーソルが点滅している。空白のテキストボックスの前で、佑太は何度目かのため息をついた。
大学4年生。就職活動に追われる日々。
これまでに佑太は7社のエントリーシートをため込んでいた。すべて途中で保存したまま、提出には至っていない。
「強み、か」と小さく呟いてみる。
リーダーシップ、コミュニケーション能力、問題解決能力。
就活サイトの「モデルエピソード」を読めば読むほど、佑太の経験は色褪せて見えた。
「ボランティア活動で困難を乗り越えた」「サークルで対立を調整した」
どれも本当に自分の中で起こったことだが、文字にすると「作り物」に聞こえる。
佑太はスマートフォンで自己分析アプリを開いた。
「あなたに向いている業界は?」という問いに、佑太は「わからない」とタップした。
次の画面に遷移すると「あなたの価値観トップ3は?」が表示される。
「わからない」。
さらに次に進む。
「10年後の自分は?」
「…」
画面がロードされる。
診断結果は「あなたはまだ自分と向き合えていません。多くの本を読み、深く内省することをお勧めします」だった。
佑太はスマートフォンを伏せた。
窓の外では、春の雨が肌寒い夜を濡らしていた。
その夜、佑太が「ほり川」に入った理由は、空腹と雨避けの半々だった。
大学のキャンパスから歩いて5分、路地裏にある小さな定食屋だ。
メニューは「日替わり定食800円」の一行だけ。
何が出るかは書かれていない。入ってから初めて「今日のおかず」を知る、毎回が小さなお楽しみのような店だった。
カウンターに座ると、厨房から白い頭をのぞかせた老人が、わずかに目を細めた。
「いらっしゃい。今日は鯖の塩焼きと、大根と油揚げの煮物だ。ご飯は大盛りか?」
「あ、普通で」
「学生は大盛りだ。食べ盛りだろう」
そう言って、老人(板前の川口)は、無理やり大盛りの茶碗を置いた。
佑太はこの三週間、毎晩のようにこの店に通っていた。
就活の忙しさとストレスから、ほとんど自炊ができていない。
「おじさん、なんで毎日メニュー決めてないんですか」
川口は醤油さしを拭きながら、軽く肩をすくめた。
「朝、市場に行ってから決める。今日は鯖が安くて良いのが入ったから鯖だ。昨日は春キャベツが無料でもらえたから、豚バラと蒸し煮にした」
「予定立てないんですか。一週間分の献立とか」
「立てないね。冷蔵庫に何があるか分からないし、来る客が何を求めてるかも分からない。食材が来てから、手元にあるもので工夫する」
佑太は箸を止めた。
「食材が来てから、手元にあるもので」
その言葉が、佑太の胸に引っかかった。
「でも、お店でしょ。何が出るか分からなかったら、客は来ないんじゃないですか」
「来る客は来るさ。予定が決まってないから、逆に面白いって人もいる。今日は何が出るかな、ってな」
川口は厨房の奥を指さした。
冷蔵庫、野菜室、味噌の樽、乾物棚。
「見えるか。あそこにあるのは、昨日までの残り物、今朝取れた旬のもの、八百屋さんからもらった傷物——全部、ちぐはぐだ。一見、使い道がないように見える。でも、それを組み合わせれば今日の献立になる」
「これをね、ある学者は『ブリコラージュ』って呼んだんだ」
「ブリコ……?」
「フランス語で『器用仕事』や『修繕」を意味する。つまり手元にある有り合わせの材料を工夫して、目的のものに仕上げる知恵のことさ」
佑太は煮物の大根に箸を入れながら、考えていた。
「手元にあるもの」として、自分には何があるだろう。
塾講師のバイト経験、登山サークルでの縦走、海外旅行で道に迷ったこと。
それらを「強み」としてアピールしようとすると、いつも半途に終わる。全部が中途半端で、どれも「適職」に直結しない。
「おじさんは、その……学者の本を読んだんですか」
「昔な。若い頃、人類学に凝っててね。レヴィ=ストロースっていう学者の『野生の思考』を読んだんだ。原始社会の人々は、自然にあるもの、たとえば石や木や葉を決まった方法ではなく、その都度、手元の材料として世界を組み立てる。それが『ブリコラージュ』の発想だ」
川口は鍋をかき混ぜながら続けた。
「近代人は『計画』を重視する。まず設計図を描き、必要な部品を集め、組み立てる。エンジニア的な発想だ。でもブリコラージュは違う。まず材料が先にあって、それを組み合わせることによって、初めて目的が見えてくる」
佑太は自分の就活を思い出した。
「自分という設計図」を完璧に描き、それに合う「企業(部品)」を選ぼうとしてきた。
だけど自分という設計図が曖昧だから、部品が選べない。
動きが止まっていた。
「僕は……自分という設計図がないから、何も選べないんです。自己分析しても、自分が見つからなくて」
川口は佑太の空になった茶碗に、ご飯をよそいながら言った。
「設計図がないのは、当然じゃないか。君はまだ完成していないんだから」
「とはいえ企業を選ぶためには、まず確かな自分を見つけなきゃいけないんですよね。それを前提にしないと、どうにも踏み出せなくて…」
「誰がそう言った?」
「就活サイトとか、先輩とか……」
「ふん」
川口は鼻を鳴らした。
「レヴィ=ストロースが言いたかったのは『設計図なき制作』の価値さ。手元の材料ー過去の経験とか、今の興味とか、偶然出会った人ーとかを、わきまえながら、事あるごとに人生を組み立てていく。それが『ブリコラージュ』の生き方だ」
佑太は鯖の塩焼きを見つめた。
今食べている鯖も「今日はこれが良かったから」と、川口が選んだ偶然の産物だ。
昨日までこのメニューは存在しなかった。冷蔵庫の在庫と、その日の市場の入荷、そして「誰が来て何を求めているか」という予想が合わさって、献立は決まる。
「でも、その……手探りでいいんですか。計画性がないと、失敗しますよ」
「失敗するさ。今日の煮物はしょっぱくなることもある。だけどブリコラージュは、失敗を『次の材料』にする。しょっぱくなった煮物を、明日はカレーにすればいい。材料は無駄にならない。君の過去も、失敗も、中途半端な経験も、全部『使える』んだ。設計図通りになんかいかないからな」
翌日、佑太はカフェでエントリーシートを開いた。
「あなたの強みは何ですか」
その問いに、佑太は今までと違う視点で向き合ってみた。
「強み」という固定されたものを探すのではなく「手元にある材料」を並べてみる。
塾講師のバイト →塾講師のアルバイトでは、生徒一人ひとり理解度に応じて、その場で説明を組み立てる臨機応変さを習得しました。
登山 →登山サークルでの縦走を通じて「計画通りに頂上を目指す」ことよりも「その日の体調と天気」という自分の置かれている状況に応じて、ルートを柔軟に変更する判断力を磨きました。
海外旅行の迷子 →海外旅行で道に迷った際、当初の予定を放棄して、予期せぬ場所や人との偶然の出会いから、新たな体験を楽しむ姿勢を身につけました。
これらは「リーダーシップ」でも「問題解決能力」でもない。
「ブリコラージュ」という手元にある経験(材料)に応じて、臨機応変に組み立てる力かもしれない。
佑太はキーボードを打ち始めた。
「私の強みは計画通りに進まない状況でも、手元にある資源を最大限に活用し、新しい解決策を構築できる点です…。」
書きながら、佑太は不思議に思った。「自分を分析した」のではない。「自分の棚にある材料」を覗き込んだだけだ。
そこには完成した「自分」などなく、使い道の決まっていない「材料」が転がっていた。
佑太は空白の欄に文字を埋めていった。
「正しい自分」を見つけようとするのではなく「今、ここにある自分」で、何が作れるかを考えながら。
「ほり川」で、レヴィ=ストロースを知ってから数週間が経っていた。
面接の朝、佑太はいつものように「ほり川」に立ち寄った。
川口は無言で、今日の定食をカウンターに置いた。
稚鮎の天ぷらと、新玉ねぎのスープ。定食屋らしからぬ意外な組み合わせだが、香りが良い。
「今日、面接だろ」
「はい。だけど、もう正解の答えを探してません。今の自分で聞かれたことに応えるだけです」
「ふうん」
川口は雑巾を絞りながら、窓の外を見た。
「レヴィ=ストロースは言ったんだ。ブリコラージュで世界を組み立てる者は、神話的な思考の担い手だ、と。君たち就活生は、自分の履歴書に『物語』を求めすぎる。でも、物語は完成してから語るものじゃない。実際に生きて材料を組み合わせて、あとから編み上げるものだ」
佑太は稚鮎を一口齧った。
「うまい」
「だろ。今朝、漁師から突然届いたんだ。予定になかった材料だ。でも、これで今日の献立は最高になった」
佑太は箸を置くと、店を出た。
雨は上がり、路面が光っていた。
佑太はまだ、どの企業に入るか決めていない。だけどエントリーシートに書いた「ブリコラージュ的な自分」は、嘘ではなかった。
面接室のドアを開ける前に、佑太はポケットの中で光る「材料」を思い出した。
緊張している自分、少しだけ自信を感じている自分、これから何が組み立てられるかわからない。
だからこそ可能性を含んだ空白と、まだ組み合わせていない材料がある。
佑太はドアノブに手をかけた。
答えは決まっていなくていい。
手元にあるもので、工夫しながら、作っていけばいいのだから。
中沢新一『<NHK 100分de名著>レヴィ=ストロース「野生の思考」』NHK出版
- 著者
- 中沢 新一
- 出版日
「ブリコラージュ」という概念がなぜ生まれたのか、それが私たちの日常にどうつながるのか。思想家・中沢新一がレヴィ=ストロースの代表作を四回の講義形式で丁寧にほどいていきます。「設計図を描いてから作る」近代的な思考と、「手元にあるもので工夫する」野生の思考。その対比が鮮やかに浮かび上がる一冊です。哲学書を読み慣れていない方でも、ここから始めれば迷子にならずに済みます。
小田亮『レヴィ=ストロース入門』筑摩書房
- 著者
- 小田 亮
- 出版日
レヴィ=ストロースはなぜ哲学を捨てて、ブラジルの奥地に向かったのか。本書は『親族の基本構造』『野生の思考』『神話論理』という三つの主著を軸に、構造主義の核心を読み解いていきます。
しばしば誤解される「ブリコラージュ」が持つ本来の意味にも丁寧に立ち返っており、流行語としてではなく思想として理解したい方に向いています。新書一冊でレヴィ=ストロースの思考の全体像が見渡せる、本格的な入門書です。
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(大橋保夫 訳)みすず書房
- 著者
- クロード・レヴィ=ストロース
- 出版日
- 1976-03-30
1962年に発表され、構造主義のきっかけとなった原典です。
「未開」とされた社会の人々が身の回りの素材を精緻に分類し、組み合わせ、世界を理解していく姿が、膨大なフィールドワークの成果とともに描かれます。決して易しい本ではありませんが、入門書を経由してから手に取れば「ブリコラージュ」という概念が、どれほど深い知的基盤の上に立っているかを実感できるはずです。