現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 前回は大学受験に落ちた息子を見守る母の物語だった。 今回はその息子の視点から始まる。 「あれだけ努力したのに」と呟いた翔太。 浪人か、滑り止めか。答えが出ないまま過ごす数日間。 ある夜、母の本棚で一冊の薄い本を見つける。 カミュ『シーシュポスの神話』。 意味のない石を転がし続ける男の話が、なぜか翔太の胸に残った。

不合格を知ってから3日が経っていた。
翔太は自分の部屋で天井を見ていた。6畳の白い天井に、何のシミもない。何も映らない。
机の上には、使い込んだ参考書と赤本が積まれたままだった。付箋が何十枚も貼られた英語の問題集。表紙がめくれた古文の単語帳。どれも3年間、毎日のように触れたものだ。
今はどれにも手を伸ばす気にならなかった。
スマートフォンには、同級生のSNSが流れてくる。
「第一志望受かりました!」「春からよろしく!」。
翔太は画面をそっと閉じた。
母は何も言ってこなかった。いつも通りに朝食を作り、いつも通りに「おはよう」と言う。
それがかえって苦しかった。
「努力は裏切らないから」と3年間言い続けてくれた人が、今は何も言えないでいる。
浪人するか、滑り止めに進むか。
担任からは「早めに決めたほうがいい」と言われている。予備校のパンフレットと第二志望の入学手続き書類が、テーブルの上に並んでいる。
翔太はどちらにも手を伸ばせなかった。
「もう一年やって、受かる保証なんてない」
声に出してみると、その通りだと思った。もう一年やっても、同じ結果になるかもしれない。努力と結果はつながっているはずだった。自分の3年間は確かに努力だ。なのに結果は出なかった。
それなら、もう一年努力することに、何の意味があるのか。
天井は白いままだった。
その夜、翔太はリビングに下りた。
母はもう寝ていた。台所にインスタントのコーヒーが置いてある。翔太はお湯を沸かしカップに注いで、ソファに座った。
何もすることがなかった。スマートフォンも見たくない。テレビもつける気にならない。
ふと、本棚に目が止まった。
リビングの隅にある小さな本棚。母の本が並んでいる。料理のレシピ本、旅行のガイドブック、何冊かの文庫本。翔太はこれまでほとんど気にしたことがなかったが、暇を持て余した手が一冊を引き抜いた。
背表紙に「シーシュポスの神話 カミュ」とある。
薄い文庫本だった。ページが少し黄ばんでいる。奥付を見ると、母が大学生だった頃に買ったものらしい。ところどころに鉛筆で細い線が引いてあった。
翔太は何の予備知識もなくページを開いた。
最初の数ページで、翔太は少し戸惑った。小説ではなかった。エッセイとも違う。哲学の本だった。だが文章には不思議な引力があり、意味の分からないところを飛ばしながらも、ページをめくる手は止まらなかった。
カミュはこう書いていた。
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ」
翔太は一瞬ぎくりとした。だが読み進めると、カミュが言いたいのは自殺の勧めではない。むしろその反対だった。
「人生に意味がないとしても、それでも生きるのか」という問いだった。
翔太は、自分の3年間を思い返した。
カミュはギリシャ神話の話を持ち出していた。
シーシュポスという男がいる。
神々の怒りを買い、罰として巨大な岩を山の頂上まで転がすことを命じられた。岩を頂上まで押し上げると、岩はまた麓まで転がり落ちる。シーシュポスは再び麓に下り、また岩を押し上げる。
永遠に、だ。
頂上に着いても、また落ちる。
だから終わらないし、そして報われない。
翔太は参考書のことを思った。
3年間、毎日のように問題を解いた。模試のたびに結果を確認し、弱点を潰し、また解いた。その繰り返しだった。
頂上に向かって岩を転がし続けた。そして頂上に着く前に岩は落ちた。
不合格という形で。
「これは自分のことだ」と翔太は思った。
だがカミュは不思議なことを言う。
この罰は最初は確かに悲惨だ。意味のない反復、報われない労働。
しかしカミュはシーシュポスに別の姿を見る。岩が転がり落ちたあと、シーシュポスが麓に歩いて下りていく瞬間。
そこにカミュは注目した。
その瞬間、シーシュポスは山の上を見ていないし、結果を見ていない。ただ次の一歩を踏み出すかどうか、だけがある。
カミュはこう書いていた。
「頂上に向かう闘い、それだけで人の心を満たすには十分だ。シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」
翔太は文庫本を膝の上に置いて、しばらく動けなかった。
翔太はコーヒーを一口飲んだ。少しぬるくなっていた。
カミュが言っていることを、自分なりに噛み砕いてみた。
頑張っても報われないことはある。世の中は「頑張った分だけ返ってくる」ようにはできていない。
カミュはそれを「不条理」と呼んだ。
ここまでは翔太にも痛いほど分かった。
問題はその先だ。
普通なら「報われないなら、やっても意味がない」となる。
この3日間、翔太もずっとそう思っていた。だがカミュは、そこで止まらなかった。
シーシュポスは岩が落ちることを知っている。それでも麓に下りて、もう一度手をかける。
そこにカミュは「可哀想な人」ではなく「覚悟を決めた人」を見た。
翔太は自分の3年間を思い返した。
E判定の夜に悔しくて塾に寄ったこと。
C判定に上がって肉まんを買い、一人でガッツポーズしたこと。
朝5時の暗い台所で母の弁当を受け取ったこと。
あれは全部、合格するためだけの時間だったのか。
合格していたら「正しい努力だった」と回収される。不合格なら「無駄だった」と片づけられる。
だとしたら、これまで過ごした時間の価値は合格通知が決めていることになる。
それはおかしい、と翔太は思った。
肉まんを食べながら感じたC判定の手応えは、合格発表後の今も変わっていない。結果が変わったからといって、あの瞬間の感覚まで消えるはずがない。
カミュが「シーシュポスは幸福だ」と言ったのは、たぶんそういうことだ。
結果で自分の値段を決める限り、合格すれば「正解」で、落ちれば「無駄」になる。
いつまでも結果が出るまで自分を肯定できない。
シーシュポスが幸福なのは、岩が頂上に留まったからではない。
落ちると分かっていても、もう一度自分の手で岩に触れることを選んだからだ。
シーシュポスの岩転がしは、もともと神々が課した罰だった。
「お前は永遠にこれを繰り返せ」と命じられた。その段階では、シーシュポスはただ命令を実行させられている囚人にすぎない。
だけど岩が転がり落ちたあと、自分の足で麓まで下り、「もう一度やる」と自分で決めた瞬間、何かが変わる。
やっていることは同じでも、神に言われたからやるのか、自分で決めてやるのか。
その違いが決定的に大事なんだ。結果が保証されていなくても「自分はこれをやる」と決めた瞬間、シーシュポスは罰を受ける囚人ではなくなった。
自分の人生を、自分で引き受けた存在になったのだ。
翔太は文庫本の端を折った。母が線を引いたのとは別のページに。
目が覚めると、カーテンの隙間から薄い光が差し込んでいた。ソファで眠ってしまっていた。
文庫本が床に落ちていた。翔太はそれを拾い上げ、本棚に戻そうとして、やめた。もう少し手元に置いておこうと思った。
台所から音がする。母が弁当を——いや、もう学校はない。何を作っているのだろう。
翔太はリビングのテーブルに目をやった。予備校のパンフレットと、第二志望の入学手続き書類だ。昨日まで、どちらにも手を伸ばせなかった。
今も、どちらが正解かは分からない。
もう一年やっても、また落ちるかもしれない。滑り止めに行っても、後悔するかもしれない。
この先は何も保証されてない。
だけど、それはシーシュポスの岩と同じだ。頂上に着くかどうかは分からない。
分からなくても、岩に手をかけるかどうかを決めるのは自分だ。
翔太は台所に向かった。
母が振り返る。少し驚いた顔をしていた。ここ数日、翔太が朝に自分から起きてくることはなかったからだ。
「母さん」
「うん?」
翔太は言葉を探した。浪人する、とも、滑り止めに行く、とも言わなかった。
代わりに、テーブルの本棚のほうを指さした。
「あの本、借りていい? カミュってやつ」
母は一瞬きょとんとして、それからうなずいた。
翔太は自分の部屋に戻り、机の上の参考書を少しだけ脇にずらした。空いたスペースに、薄い文庫本を置いた。
答えはまだ出ていないが、天井を見上げるのはもうやめた。
翔太は椅子に座った。机の上に参考書と文庫本が並んでいる。どちらに手を伸ばすかは、まだ決めていない。
だけど、何かに手をかけようとしている自分がいた。
カミュ(1969)『シーシュポスの神話』(清水徹 訳)新潮社
- 著者
- ["カミュ", "徹, 清水"]
- 出版日
今回の記事で登場した一冊です。報われない労働を永遠に繰り返すシーシュポスの姿に、カミュは「不条理の哲学」を凝縮させました。人生に意味がないとしても、それでも生きることを選ぶとはどういうことか。その問いを正面から論じた哲学エッセイです。
文章は抽象度が高く決して簡単ではありませんが、表題作の「シーシュポスの神話」は約10ページと短く、ここだけでも十分に読み応えがあります。「頂上に向かう闘いそのもので人の心を満たすには十分だ」という一節が、とくに印象的です。
「結果にたどり着けなくても、そこに向かう過程に価値がある」というカミュのメッセージは、つい周りに流されてしまう日常への静かな処方箋になるはずです。
カミュ(1963)『異邦人』(窪田啓作 訳)新潮社
- 著者
- カミュ
- 出版日
- 1963-07-02
カミュの代表作であり、不条理をテーマにした小説です。主人公ムルソーは母の葬儀で涙を流さず、殺人の動機を問われて「太陽のせいだ」と答えます。
このとき問題にされたのは犯罪ではなく、「悲しむべき場面で悲しまなかった」という態度の方でした。社会が当然とみなす感情を持たなかっただけで、人は裁かれてしまう不条理。薄い文庫本で一気に読めますが、読後感が重い一冊です。
V.E.フランクル(2002)『夜と霧 新版』(池田香代子 訳)みすず書房
- 著者
- ヴィクトール・E・フランクル
- 出版日
- 2002-11-06
精神科医フランクルが、ナチスの強制収容所での体験を記した記録であり、すべてを奪われた極限状態の中で、人はなぜ生き続けることができるのかを追求した一冊です。
苦しみに意味があるのではない。苦しみを前にしたとき、どう向き合うかを自分で決められる。
その選択にこそ、カミュは人間の自由があると考えました。
カミュの「不条理を引き受ける」という思想と深く響き合う内容で、「努力しても報われない状況でどう生きるか」という今回のテーマを、別の角度から照らし出してくれます。184ページと短く、平易な新訳で読みやすい点もおすすめの理由です。