現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回は金融機関で働く女性の物語です。 毎日、画面の上で巨額の数字が動く。自分の手で処理しているはずなのに、その数字がいったい何なのか、わからなくなってきた。 お金とは何か。 その問いを、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』から考えてみたい。

月末の締め作業が終わったのは、午後8時を過ぎた頃だった。
都内の信託銀行に勤める奈緒は、デスクに残ったまま画面を見つめている。今日一日で処理した金額の合計は、数十億円にのぼる。自分の年収の何百倍もの数字を、毎日右から左に動かす仕事。
それが何を意味するのか、最近わからなくなっていた。
午前中、ある法人顧客への融資実行の処理をした。金額は8億円。画面の入力欄に数字を打ち込み、確認ボタンを押し、承認者のチェックを待つ。それだけのことだった。
指先がキーボードに触れた感触以外、何も残らない。スーパーで夕飯の食材を選ぶときの千円、二千円と、同じ「円」のはずなのに、桁が増えるほど現実から遠ざかっていく感覚がある。
入社して5年。仕事には慣れた。ミスも減った。上司からの評価も悪くない。
だけど画面に並ぶゼロの列を眺めていると、時々ふと思う。この数字の向こうに、何があるのだろう。
帰り道、駅に向かう途中で奈緒は足を止めた。商店街の外れに、小さな神社がある。普段は素通りするその境内に、なぜかその夜は足が向いた。
境内は静かだった。街灯の光が鳥居の朱をぼんやり照らしている。社務所の窓に明かりがあり、白髪の男性が一人、帳面に何か書きつけていた。
「お参りですか」
声をかけられて、奈緒は少し驚いた。
「いえ、ただ通りかかっただけです。すみません」
「謝ることはありませんよ。神社というのは、通りかかった人が立ち寄る場所ですから」
神主は穏やかに笑った。年齢は60代半ばだろうか。奈緒は会釈して立ち去ろうとしたが、神主の次の言葉で足が止まった。
「何か、考え事をされている顔ですね」
奈緒は自分でも驚くほど素直に、最近感じていることを口にした。毎日大きな金額を扱っていること。でもその数字が何なのか、実感が持てなくなっていること。
神主はしばらく黙って聞いていた。それから静かに言った。
「お金というのは不思議なものでしてね。紙幣を一枚取り出して眺めてみると、あれはただの紙です。インクで模様が刷ってあるだけの。でも私たちは、それに価値があると信じている」
「それは、まあ、そうですよね」
「ある本にこういう話があります。ユヴァル・ノア・ハラリという歴史学者が書いた『サピエンス全史』という本ですが、読まれたことはありますか」
奈緒は首を振った。
「ハラリはこう言っています。人間だけが、実在しないものを信じる力を持っている。貨幣、国家、企業、法律。どれも自然界には存在しません。チンパンジーに一万円札を見せても、ただの紙としか思わない。でも人間は、その紙に価値があると集団で信じることができる。ハラリはこれを『虚構の力』と呼びました」
「虚構……」
「ええ。お金はフィクションです。国家もフィクション。あなたが勤めている銀行も、法律上の取り決めとしてのみ存在する虚構です。目に見えるビルや社員はいますが、『銀行』には触れることができません」
「つまり、誰かが信じるのをやめた瞬間に消えてしまう」
「でも」と奈緒は言った。「お金で実際に物は買えますよね。給料が振り込まれれば家賃も払えるし、食事もできる。虚構だとしても、使えているのは事実です」
「おっしゃる通りです。使える。ただそれは、売る側も、大家さんも、スーパーの店員さんも、全員がお金というものを信じているから成り立っている。あなた一人が信じていても、相手が『こんな紙は受け取れない』と言えば、それまでです」
「全員が同時に信じているから機能する……」
「ええ。そして、その合意が崩れたことは歴史上何度もあります。通貨への信頼が失われた国では、昨日まで使えていた紙幣で何も買えなくなった。紙幣自体は何も変わっていないのに、です」
奈緒は反射的に昼間の自分の手つきを思い返した。送金処理のボタンを押す。確認画面を閉じる。こうした一連の動作から、実際に何かを「渡した」という感触はなかった。
画面上の数字の列を思い出す。数十億という数。その向こうに、実体はあるのだろうか。
「では、私が毎日やっていることには、意味がないということですか」
神主は首を振った。
「そうではありません。ハラリの主張で大事なのは、その先なのです」
「人間以外の動物は、見知らぬ個体同士で大規模に協力することができません。チンパンジーの群れはせいぜい数十頭です。でも人間は、何百万人もの赤の他人と協力できる。なぜなら、全員が同じ虚構を信じているからです」
神主は帳面を閉じて、奈緒の方を向いた。
「お金が虚構だということは、お金に価値がないという意味ではありません。むしろ逆です。人間は虚構を共有できるからこそ、ここまで大きな社会をつくれた。あなたが扱っている数字は、何百万人もの人が『これには意味がある』と信じているからこそ動いている。虚構であることと、意味があることは矛盾しないのです」
奈緒は黙ったまま、その言葉を受け止めていた。
「私もね」と神主は続けた。
「この神社で毎日お祀りをしています。神様がいるかいないか、証明する方法はありません。でも、何百年も前からこの場所に人が手を合わせに来ている。その営みが続いてきたこと自体に、何かがある。実体がないから無意味だ、という話にはならないでしょう」
奈緒は鳥居を見上げた。木と朱塗りの構造物。物理的にはそれだけのもの。でも人がそこに意味を感じるから、鳥居は鳥居として立っている。
「あなたのお仕事も同じだと思いますよ。画面の数字には触れられない。でも、その向こうには生身の人間がいる。融資を受けて事業を始める人がいて、退職金を預けて暮らしている人がいる。あなたが動かしている数字は、そういう人たちの生活とつながっているはずです」
「虚構だと知ったら、信じられなくなりませんか」と奈緒は聞いた
「虚構だと気づくことと、信じることは、別の話です。むしろ、自分たちがつくった物語の中にいると自覚した上で、それでもその物語を生きる。それが大人の態度かもしれませんね」
翌朝、奈緒はいつもと同じ時間に出社した。
画面を開くと、昨日と同じように数字が並んでいる。変わったものは何もない。処理すべき案件の一覧、残高の確認、入出金の記録。
ただ、ひとつだけ違う感覚があった。
この数字の一つひとつは、誰かが「これには意味がある」と信じているから存在している。自分もまた、その虚構の網の目の一部にいる。
それは空しいことではなかった。むしろ、不思議な手応えがあった。
実体がないと知った上で、それでも動かす。虚構であると知りながら、その虚構を引き受ける。お金の向こう側に何があるのかという問いへの答えは、結局のところ「人がそこに意味を見ているという事実」だけなのかもしれない。
昼休み、奈緒はスマホで『サピエンス全史』を検索した。電子書籍で買って、帰りの電車で読み始めるつもりだった。
神主の言葉が残っている。虚構だと気づくことと、信じることは、別の話だ。
画面の数字が、少しだけ違って見えた。何が変わったわけではない。ただ、その数字の向こうに、同じ虚構を信じている無数の人間がいる。
そのイメージが、うっすらと浮かんでいた。
ユヴァル・ノア・ハラリ(2016)『サピエンス全史──文明の構造と人類の幸福』上・下(柴田裕之 訳)河出書房新社
- 著者
- ユヴァル・ノア・ハラリ
- 出版日
- 2016-09-08
今回の小説における出発点になった一冊です。イスラエルの歴史学者ハラリが、ホモ・サピエンス約7万年の歴史を一気に描き出しています。
認知革命、農業革命、科学革命という三つの転換点を軸に、なぜ人類だけがこれほど大規模な社会を築けたのか。その答えとしてハラリが提示するのが「虚構の力」です。
貨幣、国家、企業、人権など、いずれも物理的な実体を持たない共同の想像にすぎないが、それを集団で信じる能力こそがサピエンスを地球の支配者にした。
このようにハラリは論じています。
上下巻で約500ページありますが、文章は平易で読み物としてもテンポがよく、通読にはさほど時間はかかりません。「自分が当たり前だと思っている制度や価値観は、すべて人間がつくった物語である」という視点を知っておくと、ニュースや日常の景色が少し違って見えてくるはずです。
2023年刊行の文庫版(河出文庫)には、ハラリ自身が書き下ろした「AIと人類」が収録されています。
ユヴァル・ノア・ハラリ(2018)『ホモ・デウス──テクノロジーとサピエンスの未来』上・下(柴田裕之 訳)河出書房新社
- 著者
- ["ユヴァル・ノア・ハラリ", "柴田裕之"]
- 出版日
『サピエンス全史』が過去を扱ったのに対し、本書はその続編として未来を描きます。
飢饉・疫病・戦争という人類を苦しめてきた三大課題をおおむね克服しつつある現代において、次に人間が目指すのは不死・幸福・神性の獲得だとハラリは予測します。
注目すべきは、虚構の力がテクノロジーと結びついたときに何が起こるかという問いです。アルゴリズムが人間よりも的確に個人の欲望を把握する時代に、「自分の意志で選んでいる」という感覚すら虚構かもしれません。
自由意志や個人主義といった近代の物語が揺れ動く先に、何が待っているのか。
『サピエンス全史』を読んでいなくても理解できますが、「虚構の力」を踏まえた上で読むと、議論の射程がよりはっきり理解できるはずです。
今回の小説で神主が語った「虚構だと知った上で、それでもその物語を生きる」という姿勢が、テクノロジーの時代にどこまで有効なのか。その課題を突きつけてくる一冊になっています。
岩井克人(1993)『貨幣論』筑摩書房
- 著者
- 岩井 克人
- 出版日
経済学者・岩井克人先生が「お金とは何か」という根本的な問いに挑んだ意欲作です。
通常の経済学では、貨幣は交換の手段として説明されます。しかし岩井先生は、それでは貨幣の本質を捉えられないと考えました。
人がお金を受け取るのは、それ自体に価値があるからではなく、「他の人もこれを受け取るだろう」という期待があるからにすぎない。つまり貨幣の価値は「循環する信頼」によってのみ成り立っているのです。
岩井先生の議論は、ハラリの「虚構の力」と深く結び付いています。ハラリが人類史の規模で虚構の役割を描いたのに対して、本書は貨幣という一点に絞り、その構造を哲学的に解き明かしました。
記事の中で奈緒が感じた「数字の向こうに実体がない」という違和感は、まさに岩井先生が正面から論じた問題です。
200ページ余りと薄く、学術書というよりエッセイに近い筆致で書かれています。サントリー学芸賞を受賞した名著で、金融や経済に関わる仕事をしている人にとっては、日々の業務に対する見え方が変わるかもしれません。