現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回の物語は、人事部で働く女性の物語です。派遣社員の契約更新や終了をシステム上で処理する仕事をしています。 評価データを確認し、ボタンを押す。 更新、保留、終了。 判断はすでにどこかで行われている…はずだった。 「自分はただ指示に従い、処理しただけ」 だけど、本当にそう言い切れるのだろうか。 ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』から考えてみたい。

千尋は人事部の契約管理チームで働いている。採用面接をするわけではない。退職を告げるわけでもない。契約社員の更新時期が来ると、各部署から評価データが上がってくる。
勤怠、上長の評価、業務への影響。千尋の仕事は、そのデータを確認し、労務システム上で処理することだった。
画面には三つのボタンが並んでいる。
「更新」「保留」「終了」
一人ひとりの名前の横に、勤怠、評価、上長コメント、契約期間が表示される。基準に合っていれば更新。確認が必要なら保留。基準を下回れば終了。判断はすでにどこかで行われている。千尋はそれを確認して、反映するだけだった。
月末の水曜日、画面の契約更新リストに見覚えのある名前があった。
瀬戸美春。総務フロアの受付で何度か顔を見たことがある。四十代半ばくらいの女性で、いつも薄いグレーのカーディガンを着ていた。千尋が朝、社員証を忘れて受付で困っていたとき、臨時の入館カードを出してくれた人でもある。「よくありますよ。朝は急ぎますから」。そう言って笑っていた。
画面の評価欄にはCとある。遅刻6回、早退2回。上長コメントには「家庭の事情による遅刻が複数回発生。受付業務への影響が大きく、次回契約更新は見送りが妥当」と書かれていた。
家庭の事情。
その短い言葉が引っかかった。ただ、規定は明確だ。遅刻5回以上かつ総合評価C以下の場合、原則として契約更新を行わない。上長承認もついている。千尋の仕事は、それを確認することだった。
マウスを動かしかけて、やめた。この案件は明日の午前中までに処理すればいい。リストを閉じて、会議室へ向かった。
午後の会議では、来期の人件費削減について話し合われた。契約更新率、部署別人員数、業務委託費の推移がきれいな棒グラフで並んでいる。
人の名前はどこにもない。あるのは人数と比率だけだった。
退勤後、千尋はまっすぐ帰る気になれず、駅ビルの本屋に寄った。何かを買うつもりはなかった。新刊の棚を流し見して、文庫が置いてある棚の前で足が止まる。
黒い表紙に白い文字。ハンナ・アーレント。『エルサレムのアイヒマン——悪の陳腐さについての報告』。
名前だけはどこかで聞いたことがあった。大学の一般教養だったかもしれない。手に取ったのは、帯の一行が目に入ったからだった。
「悪は、怪物の顔をしているとは限らない」
何となくページを開いた。法廷の場面だった。
ナチス・ドイツで、ユダヤ人の大量移送を管理した男がいる。戦後、逃亡先で捕まり、エルサレムの法廷に立たされた。ガラスの仕切りの向こうに座っていたのは、痩せた、眼鏡をかけた中年の官僚だった。
怪物ではない。声を荒らげることもない。その男は、法廷で繰り返しこう述べた。
自分は命令に従っただけだ。自分の職務を果たしただけだ。
アーレントが注目したのは、この男が特別に邪悪だったのではないということだった。彼は自分が取った行為の意味を考えることをやめていた。命令と規則と役割の中に身を置き、それ以上問わなかった。
アーレントはそれを「悪の陳腐さ」と呼んだ。恐ろしいのは怪物ではなく、思考を手放した凡庸さの方だ、と。
千尋は本屋の通路に立ったまま、しばらく動けなかった。
規模がまるで違う。文脈も違う。比べること自体がおかしいかもしれない。
でも、どこか私と似ている気がする。
判断は自分ではない。決めたのは現場だ。規定がある。自分はシステム上の処理をするだけ——。さっき自分がデスクの前で思ったことと、ガラスの向こうの男が法廷で繰り返した言葉が、同じ輪郭をしている。
千尋は本を閉じた。表紙の黒が、蛍光灯の下でひどく重く見えた。
レジで会計を済ませ、薄い紙袋を手に帰路についた。
翌朝、いつも通り出社した。労務システムを開く。締切は午前11時。
昨夜の読書が頭の隅に残っていた。でも、朝のオフィスでキーボードの音を聞いていると、あの感覚は遠くなる。隣の席では同僚がイヤホンを片耳に差して、別の申請を処理している。
瀬戸美春。評価C。遅刻6回。更新見送りが妥当。
千尋は終了ボタンを押した。
「処理が完了しました。」
画面にはいつもの無機質な表示が出て、瀬戸美春のステータスが「終了」に変わった。次の名前がリストに現れる。千尋はそのまま処理を続け、11時前にはリストのすべてが片づいていた。三十八件の契約が、画面の上できれいに仕分けられている。
昼休み、千尋はコンビニへ向かう途中で足を止めた。
一階の受付前に、瀬戸美春がいた。カウンターの内側ではなく、外側に立っている。いつものグレーのカーディガンではなく、紺色のコートを着ていた。手には茶色い封筒を持っている。
警備員と話していた。声は低く、断片しか聞こえない。
「母の病院が……」「遅刻は、毎回、事前に……」「急に言われても、次が……」
千尋は反射的に柱の陰に身を寄せた。なぜ隠れたのか、自分でもわからない。
瀬戸は泣いていなかった。怒鳴ってもいない。ただ、顔が白かった。泣くより前に、身体のどこかが固まってしまったような顔だった。
千尋の胸の奥が冷たくなった。
すぐに別の声が頭の中で返ってくる。自分が決めたわけではない。評価は現場、承認は部署長。規定がある。自分はシステム上の処理をしただけだ。
ただ処理しただけ。
けれど瀬戸の顔を見たあとでは、その言葉はただの言い訳にしか聞こえなかった。
昨夜、ガラスの仕切りの向こうで同じ形の言葉を並べていたアイヒマンの顔が浮かんだ。
あの男もそう言ったのだ。自分の職務を果たしただけだ、と。
千尋はその場を離れた。休憩スペースで買ったおにぎりを食べたが、味はよくわからなかった。
午後、デスクに戻った。
契約終了の通知は翌朝の自動配信で届く。今日の夕方までなら、ステータスを戻すことができる。システムの仕様として、それは知っていた。
一度承認されたものを差し戻せば、理由を聞かれる。現場にも確認が入る。
上長からは「規定通りではないのか」と言われるかもしれない。
瀬戸の契約を更新すべきだと言い切れるわけでもない。受付業務に穴が空いたのは事実だし、規定を無視すれば別の誰かに負担がいく。
でも、迷ったまま終了にしてはいけないと思った。
少なくとも、「ただ処理しただけ」で終わらせてはいけない。
千尋はステータスを変更した。契約終了から、保留へ。
コメント欄にカーソルを置く。しばらく指が動かなかった。やがて、短く入力した。
「勤怠不良の背景確認が不十分。介護事情および事前連絡の有無を確認のうえ、再判断が必要。」
「送信。処理が完了しました。」
いつもと同じ表示だった。
会社の方針が変わったわけではない。
瀬戸の契約が更新されると決まったわけでもなければ、千尋が何かを救えたわけでもない。
ただ流れていくだけの一つの案件が、そこでいったん立ち止まっただけだ。
夕方、千尋は一階の受付前を通りかかる。瀬戸の姿はなかった。別の担当者がカウンターに座り、来客に頭を下げている。
何も変わっていないように見える。けれど千尋には、昨日までと同じ場所には見えなかった。
受付の前を通り過ぎるとき、彼女は足を止めた。茶色い封筒を握っていた瀬戸の手を思い出した。
それから千尋は、自分の手を見た。
午後、その自らの手で「保留」を選んだのだ。
ハンナ・アーレント(2017)『エルサレムのアイヒマン——悪の陳腐さについての報告【新版】』(大久保和郎 訳)みすず書房
- 著者
- ハンナ・アーレント
- 出版日
- 2017-08-24
今回の物語で出発点になった一冊です。1963年に刊行された本書は、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴したアーレントによる報告です。
アーレントが描き出したのは、大量虐殺を組織した男の凡庸さです。アイヒマンは狂信的な反ユダヤ主義者ではなく、命令に従い、規則を守り、昇進を望んだ官僚にすぎませんでした。
自分の行為の意味を考えることを放棄し、「職務を果たしただけだ」と繰り返す。アーレントはその姿に、新しい悪の形として「悪の陳腐さ」を見ました。
「ただ処理しただけ」
今回の物語で千尋が感じた責任の軽さと重さは、この本の中心にある課題と重なり合います。
400ページを超える分量ですが、裁判の記録をもとにした具体的な記述が多く、学術書というよりもルポルタージュに近い読み心地です。2017年の新版では訳文が大幅に見直されており、現代の読者にも読みやすくなっています。
ハンナ・アーレント(1994)『人間の条件』(志水速雄 訳)ちくま学芸文庫
- 著者
- ["ハンナ アレント", "Arendt,Hannah", "志水 速雄"]
- 出版日
『エルサレムのアイヒマン』で「思考の欠如」を問題にしたアーレントが、人間にとって「考えること」「行為すること」とは何かについて、正面から論じた著作です。1958年に刊行されました。
アーレントは人間の活動を「労働」「仕事」「活動」の三つに分けて考えます。注目すべきは「活動(action)」の概念です。活動とは、他者の前に自分自身として現れ、予測不能な何かを始めることを意味します。
今回の物語で、千尋が下した「終了」の判断を「保留」へと引き戻したあの瞬間。決められたルールのまま自動的に進むはずだった業務の流れを、彼女は自分の手でぐっと止めました。
システムの一部としてただ処理をこなすのではなく、ひとりの人間として迷い、意志を差し挟んだその振る舞いこそが、アーレントの言う「活動」の小さな始まりだったと言えるでしょう。
560ページと厚い本ですが、第1章と第5章だけでもアーレントの問題意識は十分に伝わります。「自分は歯車の一つにすぎない」という無力感を持ったことのある人に、読んでほしい一冊です。
ジグムント・バウマン(2021)『近代とホロコースト〔完全版〕』(森田典正 訳)ちくま学芸文庫
- 著者
- ["ジグムント・バウマン", "森田 典正"]
- 出版日
ホロコーストは文明の失敗ではなく、むしろ合理化の進んだ「近代社会」だからこそ起きた悲劇だった。
社会学者バウマンによる指摘は、今を生きる私たちの働き方にもまっすぐ突き刺さってきます。
バウマンが読み解いたのは「細かく分業化されたシステムがいかにして人間の感覚を麻痺させるか」という問題でした。業務が切り分けられると、自分の小さな作業が最終的に誰にどんな影響を与えるのかが見えなくなります。
書類を処理するだけの人は、その向こう側にいる生身の人間を想像しなくなる。バウマンはこの隔たりを「道徳的距離」と呼び、それこそが、ごく普通の人々を恐ろしい結果に加担させてしまうのだと語りました。
千尋が直面したのも、まさにこの「距離」がもたらした麻痺の感覚です。パソコンの画面上で「終了」ボタンを押すとき、瀬戸美春という存在はただのデータでしかなかった。一階の受付前で、茶色い封筒を握りしめる彼女の姿を偶然目にするまで…。
512ページに及ぶ大著ですが、アーレントとはまた違う角度から「組織と個人の責任」に切り込んでいます。同時に合わせて読むことで、千尋の抱いた違和感がより立体的に見えてくるはずです。