現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回は、仕事の手応えを失った会社員の物語です。 給料は悪くない。 周囲からは「いい会社」と言われる。 それなのに、自分が毎日の仕事で何をしているのか、本人にはよく分からない。 なぜ現代の仕事は、自分の仕事として「手応え」を感じられないのか。 マルクスの『経済学・哲学草稿』から考えてみたい。

沢田航の月曜日は、会議室の予約確認から始まる。
会議室は、うちの課で2つ、別の課で3つ、同じ時間に奪い合う。
8時40分、沢田は今週のスケジュールを見る。
火曜、水曜、木曜には、新しい製品の仕様書確認と単価改定の打ち合わせが並んでいた。
さらに自社の新製品を話し合うため、下請けとの調整も入っている。
大手電機メーカーの法人営業部で、沢田はもう10年目だった。最近、自分の仕事を他人に説明するのが、どんどん難しくなっている。
家族に聞かれれば「部品の発注管理」と答える。大学の同期に聞かれれば「色々やってるよ、雑務も」と返す。どちらも嘘ではないが、そのどちらかで自分の仕事を説明できるかといえば、できない。
夜、残業を終えて駅前のコンビニに寄ると、日用品の棚に、自社のロゴが入ったスマホ用の急速充電器が並んでいた。
まさに沢田自身が担当した新商品だった。企画部が書いた仕様書を下請けの工場に回し、納期の遅れを頭を下げて調整し、ようやく全国の店舗に並んだ。これが売れれば会社の業績になり、自分の評価にも直結する。
にもかかわらず、透明なパッケージに入ったその充電器を見つめながら、沢田は「これを自分が作った」とは、どうしても思えなかった。
ただ書類の数字を右から左へ動かし、書類を通過させただけ。他人が作って他人が買うものを、たまたま担当のハンコを押したという理由だけで、自分の仕事だと思い込もうとしているのではないか。
そんな虚しさを感じてしまう。
水曜日の朝、沢田は電車を二度乗り換えて、下町の駅で降りた。
森川製作所。三十年以上うちの下請けを続けている、金属加工の小さな町工場だ。
新モデルの部品で、一点、寸法を変える必要がある。社内の変更通知と、新しい図面を持って、直接説明に行くというのが、その日の沢田の仕事だった。
駅から十分ほど歩くと、住宅街のなかに、色の褪せた緑色のシャッターの二階建てが見えた。一階が作業場、二階が事務所と休憩室。
沢田は裏口から入って、「お邪魔します」と声をかけた。奥で旋盤の音がしていて、すぐには返事がない。
「ちょっと待っててくれな」
5分ほどして、森川が出てきた。油と鉄の匂いのする作業着。76歳になると聞いている。背丈は少し縮んだのかもしれないが、腕はたしかで、動きに無駄がない。
沢田は二階の事務所に通された。スチールの机の上に、図面と算盤と、灰皿と、飲みかけの茶。森川は向かいに座ると、油の染みた手でポットを傾け、黙って沢田の湯呑みに茶を注いだ。
「仕様変更の件で」と沢田は書類を広げた。
森川は黙って目を落とした。図面を一通り見て、角の寸法を指でなぞる。
「ここな、ここ、けっこうきついぞ」
「本社のほうでは一ミリ詰めてほしいと」
「詰めるのはできる。だけど精度が出にくくなる。歩留まりが、だいぶ落ちるな」
森川はもう一度、最初から図面を読み直した。沢田は何も言わずに待った。数分して、森川が顔を上げた。
「やれる。やるけど、単価、少し相談させてもらう」
「はい」
話が一段落してから、森川は茶をすすった。沢田もすすった。次の打ち合わせまで時間があった。沢田はふと、机の端に置かれた小さな金属部品に目をとめた。
「それは」
「これな、昨日仕上げた。あんたのところに出すやつじゃないけど」
森川は部品を指先でつまんで、机の真ん中に置いた。表面が鈍く光っている。沢田の手のひらに収まる大きさで、重さはそれより軽そうに見えた。
「俺はこれ、作ってる」と森川は言った。
「あんたは、何を作ってるの?」
沢田は少し考えてから答えた。
「うちの部署は生産管理と発注の調整ですから……あとは社内の根回しとか、見積りのチェックとか」
「うん」
「だから……何を作ってるかって聞かれると、よく分からないんですね」
森川はとくに驚いた顔はしなかった。茶をもう一口飲んで、机の上の部品に視線を戻す。
「そういう仕事が、今は多いって聞くな」
「多いと思います」
「そうか」
それ以上、森川は何も言わなかった。沢田は、取引先の前で言うべきことではなかったと後悔した。
しかし森川はそれを受け流すでもなく、咎めるでもなかった。
茶が二杯目になった頃、森川は「見るか」と立ち上がって、沢田を作業場に案内した。
階段を降りて、シャッターの内側。蛍光灯が高い天井から下がっていて、旋盤が二台、フライス盤が一台、ボール盤が一台。壁際にワークベンチ、工具の列、棚には油のしみたウエス。
床には小さな金属の切り子が散っていて、歩くとかすかに音がする。
「この旋盤、親父の代から。もう50年以上」
「動くんですか」
「動くよ。油を入れて、ベルトを替えて、部品もいくつか交換して。新品じゃないけど、俺の手に馴染んでる」
森川は旋盤の前に立って、手でチャックの部分に触れた。それから沢田を振り返った。
「うちみたいな町工場、この界隈でもだいぶ減った。親父の頃は10軒あった。今は、三軒。あと十年で、俺のところも終わるな。継ぐやつがいないから」
「息子さん、は」
「塾の先生やってる。あいつはあいつで、まじめに働いてるよ」
森川は苦笑した。沢田はそれ以上聞かなかった。
二人は奥の棚まで歩いた。棚には完成品と仕掛かりの部品が、トレイに分けて置かれている。
森川は、その中の一つを手に取った。
「この部品な、うちで作って、あんたの会社に納めて、あんたの会社が組み立てて、中国の工場に出して、そこで完成品になって、最終的にヨーロッパのどこかに行く。そう聞いた」
「はい」
「俺はね、それでいいと思ってる。ものっていうのは、そうやって流れるもんだから」
森川はそこで少し言葉を切って、沢田のほうを見た。
「でもな、たまに思うことがある。向こうの会社からすれば、うちの仕事はただの数字なんだよな、って」
沢田は黙っていた。
「一個いくら、何個、何日までに。向こうにとっては、それが全部。俺たちがどのくらい苦労したか、精度を詰めるのにどのくらい時間がかかったか、そういうのは数字には出てこない」
「そうですね」
「責めてるんじゃない」森川は、少し笑った。
「仕事っていうのは、どこかでそうなる。売るほうは、買うほうになって、買うほうは、また売るほうになる。そのたびに人の仕事は数字になっていく」
森川の言う「向こう」とは、まさに自分の会社のことだ。沢田はその事実を、頭ではなく、初めて肌感覚として突きつけられた気がした。
いつも自分は森川製作所を数字として扱ってきた。
歩留まり、納期、単価。見積書や仕様書の上にだけ存在する「森川製作所」という文字面を、上の人間がハンコを押しやすいようにきれいに整える。
それが自分の仕事だった。
油の染み込んだ手で部品を握る、森川という生身の人間。その存在を、今日までどれだけ実感してきただろうか。
作業場の隅に、古びたパイプ椅子が二つ置いてあった。森川は一つに腰かけ、沢田にもう一つを勧めた。窓から差し込む昼過ぎの光が、機械の影を斜めに床に落としていた。
森川は手の中にある部品を、しばらく見ていた。
「昔な、俺が20歳くらいのとき、親父の本棚に、一冊、薄い文庫本があってね」
何の話が始まるのか分からずに、沢田は少し身構えた。
「『経済学・哲学草稿』っていう、マルクスの本。岩波の文庫」
「ああ、名前だけは」
「親父は労働組合の役員をしてた人だったから、そういう本が家にあった。俺はね、だいたい半分くらい、何を言ってるか分からなかった。でも、一箇所だけ、ずっと残ってる話があるんだよ」
森川は、空を少し見て、言葉を探した。
「正確には思い出せない。けどな、こういうことだったと思う」
「労働者が何かを作ると、作ったものは、作った本人から離れていって、他人のものになる。作った本人は自分が作ったものに、もう触れられない。そういうことが書いてあった」
「……」
「この部品もね、そうなのさ。俺が削った。俺が仕上げた。けど、俺のものじゃない。明日、トラックで運ばれて、もう俺の手には戻ってこない。向こうの工場にも、ヨーロッパにも、俺は行かない」
「はい」
「それをね、マルクスは"疎外"って呼んだ。難しい言葉だけどな。自分が作ったものから、自分が引き離されるっていうのが、ほんとうの意味での"疎外"なんだ、と書いてあった」
森川は部品を机に戻した。
「で、ここからが、20歳のときの俺には、うまく飲み込めなかった部分なんだけどな」
沢田は少し身を乗り出した。
「マルクスはね、こういうことが"当たり前"になっている社会は、どこかが歪んでるって言うんだよ」
「歪んでる」
「本来なら働くっていうのは、いちばん人間らしい行為のはずだ。自分の中にあるもの、つまりこういうものを作ってみたい、こう動かしてみたい、っていう気持ちや考えを形にして外に出す。それが労働のほんとうの姿だって」
「自分のなかにあるもの、ですか」
「絵描きが頭に浮かんだものを絵にする、みたいなもんだな。料理人がこういう味を出したいと思いながら、鍋に向かう。俺だったら、この金属でこんな部品が作れるな、この削り方なら精度が出るなって考えて、手を動かす。そうやって、自分の中にあるアイデアが、目の前の物に姿を変えていく」
「ああ、なるほど」
「マルクスに言わせると、それが本来の労働なんだ。人間っていうのは、作ることを通じて、自分を外に表現する生き物なんだ、と。そして、それを繰り返すことで成長していく」
「はい」
「でな、問題はここからだ」
森川は茶を一口すすった。
「今の仕事の多くは、そうじゃない。何を作るかは会社が決める。作り方も、時間も、値段も、向こうが全部決める。出来上がったら、他人のところに運ばれていく。働いている本人は、"何を作りたいか"も、"どう作りたいか"も、"いつまで作るか"も、自分で選べない」
「…うちの仕事、全部そうかもしれないです」
「命じられてやる。誰かのためにやる。働いている時間すら、ほんとうは自分のものじゃない。気が付いたら、仕事は自分を外に出すものどころか、自分を削っていくものになっている。そういう働き方が、世の中の"普通"になってしまっている。マルクスは180年前に、それをおかしいと書いたんだな」
「つまり、うちの会社みたいな」
「あんたの会社も、俺のところもそうだ。人のことは言えないよ。結局、俺も、あんたの会社が発注するから作ってる。自分の好きなものを自由に作ってるわけじゃない」
「でも森川さんは、さっき"これを俺が作った"って、言ってましたよね」
森川は、うなずいた。
「言った。ここがな、ちょっと難しいところなんだけど」
森川はもう一度、机の上の部品を手に取った。
「作ったものが、俺のものじゃないってことは、認めるしかない。そういう時代だし、そういう仕事だから。でもな、作ったっていう行為自体は、他人には持っていかれないんだよ。俺が考えて、俺の手を動かして、俺の目で寸法を見た。その時間は俺の時間だった」
「……時間」
「俺がこの旋盤の前で過ごした時間は、俺のもの。ものは運ばれていく。けど、作った時間は、俺のなかに残る」
沢田は黙って、森川の手の動きを見ていた。骨ばった指、爪の隙間に入った油、長年染みついた手つき。それは沢田が会議室で資料を作っているときの自分の手とは、たぶん、ぜんぜん違うものだ。
沢田の手はマウスをクリックし、キーボードを叩き、ハンコを押す。その時間のうち、どれだけが「自分の時間だった」と言えるだろうか。
自分で選んで、自分で動かしていると、心から言えるだろうか。
「たぶん言えない」と沢田は思った。
「あんたの仕事にも、あるはずだよ」と森川は言った。
「自分で選んで、自分で動かしている時間が、きっとどこかに。そこだけはね、見失わないほうがいい。そこを見失うと、何もかも数字になっていくから」
帰りの電車のなかで、沢田はノートパソコンを開かず、窓の外を見ていた。工場街から、オフィス街へ、電車は乗客の顔を少しずつ変えながら、都心に戻っていく。
沢田は自分のスーツの袖をふと見た。油はついていない。シミもない。清潔だった。
週末、沢田は転職サイトを開いては、また閉じた。
「会社を辞めたい」という気持ち自体は変わらない。ただ今までとは違って、自分が「何を探しているのか」が、少しだけ見えてきた気がした。
給料でも、勤務地でも、会社の規模でもない。自分の時間を、自分のものとして使っている。そう手応えを感じられる仕事が、どこかにあるのだろうか。
それが見つかるかどうかは、まだ分からない。
月曜の朝、沢田はいつも通り会議室の予約確認をしてから、Excelを開いた。見積りのチェック、仕様変更の通知、下請け各社へのメール。
いつもと同じ画面だ。マウスに手をかけたとき、沢田は一瞬だけ、画面を止めた。
これを、自分は作りたいか。
答えは出なかった。出ないまま、沢田はクリックして、先週の続きを再開する。ただ午前中の一番最初の発注先として、森川製作所へのメールを少しだけ時間をかけて書いた。
普段なら定型文で済ませていた文面に「この前の部品、ありがとうございました」と、一行だけ書き足した。
なぜそうしたのかは、自分でもよく分からなかった。
カール・マルクス(1964年)『経済学・哲学草稿』(城塚登・田中吉六 訳)岩波文庫
- 著者
- ["マルクス", "城塚 登", "田中 吉六"]
- 出版日
「作ったものが、自分の手元から離れていってしまう」「働くことそのものが、自分とは無関係なものに思える」
今回の物語で森川さんが口にしていたような「働くことへのもやもや」を、マルクスが20代半ばに書き留めた未発表ノートがこの一冊です。
マルクスによれば本来の「働くこと」とは、自分の中にあるアイデアや思いを形にして外に出す、いちばん人間らしい行いを意味します。
ところが現代の仕事では、作ったものは他人の手に渡り、働くこと自体も「誰かに命じられてやるもの」になってしまっています。
その結果、私たちは自分の作ったものからも、自分の仕事からも、他者からも、そして自分自身からも引き離されてしまう。彼はこれを「疎外」と呼んでいます。
沢田が抱えていた「自分が何を作っているのか分からない」という感覚は、決して本人の怠けや能力不足のせいではなく、現代の労働環境が抱える構造的な問題なのではないか。マルクスは180年前に、すでにそう問いかけていたのです。
少し難解な文体ではありますが、文庫としては驚くほど薄く、手にとってみるにはぴったりの原典です。
佐々木隆治(2016年)『カール・マルクス 「資本主義」と闘った社会思想家』ちくま新書
- 著者
- 佐々木 隆治
- 出版日
- 2016-04-06
『経済学・哲学草稿』とは、あくまで20代のマルクスが書き残した「アイデアの種」のようなものでした。彼はそこからさらに思考を深め、やがてあの有名な『資本論』を書き上げることになります。
佐々木隆治先生が書かれた本書は、若き日の「働くことへのもやもや(疎外)」が、どのようにして『資本論』という巨大な理論(商品や価値、労働時間の分析)へと結実していったのかを、ひとつの繋がったストーリーとして読み解かせてくれる入門書です。
作中で森川さんが「ものは流れる」「どこかで仕事はただの数字になる」と語っていた背景には、まさに『資本論』で明かされた「お金や商品が社会をどう動かしているのか」というメカニズムが関係しています。
マルクスの複雑な議論について、現代の問題として実感できる書籍はそれほど多くありません。その点に関して、本書はとても丁寧に言葉が尽くされているため、途中で迷子になることなく最後まで読み通せる一冊になっています。
デヴィッド・グレーバー(2020年)『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹 訳)岩波書店
- 著者
- ["デヴィッド・グレーバー", "酒井 隆史", "芳賀 達彦", "森田 和樹"]
- 出版日
人類学者デヴィッド・グレーバーが、現代のオフィスワーカーへの大規模な聞き取りをもとに、「自分の仕事には意味がない」と感じながら働く人々の実態をえぐり出した一冊です。
発表当時は、世界中で大きな反響がありました。
沢田の「何をやっているのか分からない」という感覚は、彼一人のものではありません。現代の先進国では、驚くほどの割合の仕事が「なくなっても誰も困らない仕事」になってしまっているのではないか。このようにグレーバーは問いかけました。
「マルクスが唱えた『働くことの疎外』という問題を、もしそのまま21世紀のオフィスに持ち込んでみたらどうなるか?」
まさにその答えを描き出す「現代版の疎外労働論」とも言える一冊です。
マルクスの原典と一緒に本書を開いてみると、また違った景色が浮かび上がってくるはずです。