【現代の悩みを哲学で解決】悲しみを「乗り越える」必要はあるのか? ハイデガーの『存在と時間』から考える

更新:2026.5.20

現代の悩みを小説形式で考える哲学シリーズ。 今回は、飼い猫を亡くした会社員の物語です。 15年一緒に暮らした猫が死んだ。周囲は「時間が解決するよ」「次の子を迎えたら」と言ってくれる。 でも、その言葉がどうしても心に響かない。 悲しみを「乗り越える」方法はあるのだろうか。 ハイデガーの『存在と時間』から考えてみたい。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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プロローグ:空いた場所

はなが死んで一週間が経った。

詩織の部屋は何も変わっていない。キッチンの隅にフードボウルがまだ置いてある。洗って片づけようと思うのに、手が伸びない。

ソファの右端にはうっすらと毛が残っている。掃除機をかければ取れるとわかっていても、かけられない。

15年前、大学進学で実家を出たとき、保護猫シェルターから引き取った雑種の子猫。手のひらに乗るほど小さかった。

一人暮らしの部屋にはいつもはながいた。就職も転職も失恋も、全部この猫と一緒に通り過ぎてきた。

朝は顔の横で鳴き声がして目が覚める。夜は膝の上の重みを感じながら眠る。

それが15年間の日常だった。

そうした日常がなくなると、部屋の音が変わる。冷蔵庫の低い唸りや、窓の外を通る車の音が、前よりはっきり聞こえる。

はながいたときには気づかなかった音ばかりだ。

会社への復帰は三日後。「猫が死んだので休みます」とは言えず、有休の理由欄には「私用」と書いた。同僚たちは優しかった。「辛かったね」「15年は大往生だよ」「時間が経てば楽になるから」。昼休みには先輩が「うちの猫、去年子猫が生まれたんだけど、一匹どう? 気が紛れるかもよ」と言ってくれた。

悪気がないのはわかっている。でも、その言葉が胸に入ってこない。なぜ入ってこないのか、詩織自身にもわからない。

土曜日の朝、スマートフォンが鳴った。篠田さんからだった。はなを引き取った保護猫シェルターの代表で、詩織は毎年はなの写真を送っている。先週、亡くなったことを伝えたとき、篠田さんからの返信は短く、「そうでしたか」の一言だけだった。

「よかったら、今日うちに来ませんか」

行く理由も断る理由も見つからないまま、詩織は電車に乗った。窓の外を流れる住宅街の屋根を、ぼんやり眺めていた。

「ひと」の慰め

篠田さんのシェルターは住宅街の一軒家を改装した場所だった。玄関を開けると、廊下の奥から猫が一匹、こちらを見ている。

リビングには大小さまざまなケージとキャットタワーがあり、今は六匹の猫がいるらしい。

「お茶、入れますね」

篠田さんは台所に立ちながら、背中を向けたまま聞いた。

「周りの人、何て言ってます?」

詩織は少し驚いた。「……時間が解決するよとか、次の子を迎えたらとか」

「そう言われて、どうでした?」

「ありがたいとは思います。でも……」

「入ってこない?」

詩織は頷いた。

篠田さんはお茶を持って戻り、ソファに座った。膝の上に茶トラの猫が乗ってくる。40代後半で、化粧気のない顔に細い眼鏡をかけている。

「私もね、最初の頃はそういう言葉を自分でも使っていたんです。保護した猫が死んだとき、『次の子を助けよう』って自分に言い聞かせていた。切り替えないとやっていけないと思っていたから」

「でも、今は違うんですか」

「何年かやっているうちに、おかしいと思うようになった。死んだ子の代わりに次の子を助ける──それは結局、一匹一匹の死を処理しているだけなんじゃないかって」

篠田さんは少し間を置いた。

「ハイデガーという哲学者がいるんですが」

「哲学者?」

「知り合いの大学の先生に勧められて読んだんです。『存在と時間』という本で、難しくて途中で挫折しましたけど、一つだけ残った言葉があって。ハイデガーは、人が普段生きている状態を『ダス・マン』、つまり『ひと』と呼んだんです」

「ひと?」

「『ひとはこうするものだ』の『ひと』です。誰でもない誰か。『時間が解決する』『次の子を飼えばいい』──これは『ひと』の言葉なんです。誰が最初に言ったのかわからない。でもみんながそう言うから、それが正しい対処法に聞こえる」

詩織は黙った。確かにそうだ。

同僚たちの言葉は、どれもどこかで聞いたことのある言い回しの繰り返しだった。

テレビでも雑誌でも、ペットロスの記事には決まって同じことが書いてある。

「時間が癒してくれます」「新しい出会いが待っています」。

あれが「ダス・マン」の言葉なのか。

死に留まり、引き受けること

「ハイデガーが面白いのは」と篠田さんは続けた。

「『ひと』の慰めは、死から目を逸らさせるためのものだと言っているところなんです」

「目を逸らす?」

「『時間が解決する』と言われると、今の悲しみは一時的なものだと思えますよね。『次の子を飼えば』と言われれば、失ったものは補充できると思える。でもそれは、死という出来事を、解決すべき問題に変えてしまっている」

茶トラの猫が篠田さんの膝から降りて、詩織のそばに来た。足元で丸くなる。

「はなちゃんが死んだということは、解決すべき問題ではないですよね」

詩織の目に涙が浮かんだ。

この一週間、泣いてはいけないと思っていた。会社のトイレで涙が出そうになるたび、顔を洗って席に戻った。

泣くのは後ろ向きなことで、早く「普通」に戻らなければならない。そう自分に言い聞かせていた。

「ハイデガーは、それを『死への先駆』と呼んでいます」

篠田さんの声は、静かだった。

「死から目を逸らして『いずれ解決する問題』として処理するのではなく、命には終わりがあるという事実の前に、ちゃんと立ち止まる」

「あの子が『もういない』という悲しみにただ留まり、死をただ受け入れる。そうやってやり過ごさずにいることで初めて、私たちは誰かの受け売りじゃない、自分自身の時間を生きられるようになるんだと」

「でも、ずっと悲しんでいたら生活できない」

「それも『ダス・マン』の論理かもしれません」と篠田さんは穏やかに言った。

「悲しみは非効率で、早く処理すべきもの。でも本当にそうなのかどうか」

篠田さんは壁を見た。猫の写真が何枚も並んでいる。

「ここに写っている子たち、半分以上はもう死んでいます。病気で助からなかった子もいるし、保護が間に合わなかった子もいる。最初の頃は、一匹死ぬたびに『次の子を助けよう』って切り替えていた。でもそれは、死んだ子に向き合っていなかったんだと、あるときはっと思ったんです」

「向き合っていない、というのは?」

「切り替えている自分が空っぽになっていくのがわかった。効率よく猫を救うマシンにはなれるかもしれない。でも、この子が死んだという事実を引き受けられない人間に、生きている猫を預かる資格があるのか。そう思ったんです」

篠田さんはそこで言葉を切った。自分の経験を語っているだけで、答えを差し出しているわけではない。

窓の外では夕方の光が傾き始めている。

リビングの隅では白い猫が一匹、静かに毛づくろいをしている。

エピローグ:フードボウル

夕方近くまで篠田さんのシェルターにいた。

帰り際、足元の茶トラがまた寄ってきて、詩織の脛に頭をこすりつけた。しゃがんで撫でると、小さく喉を鳴らす。

「この子、人懐っこいんです」と篠田さんが言った。

「でも、はなちゃんとは別の子ですからね」

詩織は頷いた。わかっている。はなとは違う匂いがする。身体の重さも違う。

電車の中で、窓の外を見ながら考えた。

「時間が解決する」と言った同僚を恨んでいるわけではない。あれは善意だった。

ただ、あの言葉は「ひと」の言葉だったのだ。誰のものでもない、誰にでも言える慰め。それが自分に届かなかった理由だったのだろう。

帰ったらフードボウルを洗おう。片づけるのではなく、洗って、棚にしまおう。はなが使っていたものとして、きちんと扱おう。

それは「前に進む」ためではない。悲しみは消えない。

月曜になれば会社で「元気出た?」と聞かれて「うん、大丈夫」と答えるだろう。

だけど大丈夫ではないことが、もう恥ずかしくなかった。

はなは補充できないし、15年の時間は交換できない。

その当たり前のことを、ようやく当たり前のままにしておけるようになった気がする。

さらに問いを深めるためのおすすめ書籍

マルティン・ハイデガー(2013)『存在と時間(一)』(熊野純彦 訳)岩波文庫

著者
ハイデガー
出版日
2013-04-17

今回の物語で登場した一冊です。20世紀を代表するドイツの哲学者ハイデガーが1927年に刊行した主著で、「存在とは何か」という問いを人間の具体的な生のあり方から考え直しています。

この中でハイデガーは、私たちが普段「ひと(ダス・マン)」として生きていることを指摘します。「ひとはこうするものだ」という匿名の声に従い、自分自身の存在に向き合うことを避けている状態です。

今回の小説で詩織が受け取った「時間が解決する」「次の子を飼えば」という慰めは、まさに「ひと(ダス・マン)」の声にあたります。そしてハイデガーは「死」という自分だけの可能性に向き合うこと、つまり「死への先駆」によって、初めて本来的な自己を取り戻せると論じました。

全4巻で1,500ページを超える大著ですが、熊野純彦先生の訳は読みやすく、各巻に丁寧な概観が付されています。まずは第一部第二篇「死への存在」の章から読み始めるのもひとつの方法です。

木田元(1993)『ハイデガーの思想』岩波新書

著者
木田 元
出版日

哲学者・木田元先生によるハイデガー入門の決定版です。『存在と時間』の議論を中心に、ハイデガーの思想の全体像を新書一冊にまとめています。

『存在と時間』そのものは難解ですが、木田先生はその核心を平明な日本語で解きほぐしていきます。「ダス・マン」や「死への先駆」といった概念が、ハイデガーの思想全体のどこに位置づけられるのか。なぜハイデガーは「存在」という抽象的な問いから出発して、人間の日常的な生き方の分析にたどり着いたのか。今回の小説で篠田さんが断片的に語った考え方の背景を、体系的に理解するための一冊です。

248ページと手に取りやすい分量で、哲学の予備知識がなくても読み進められます。『存在と時間』に挑戦する前に、あるいは挫折した後に読むと、風景が変わるはずです。

C.S.ルイス(1976)『悲しみをみつめて』(西村徹 訳)新教出版社

著者
["C.S. ルイス", "Lewis,C.S.", "徹, 西村"]
出版日

『ナルニア国物語』で知られるイギリスの作家C.S.ルイスが、妻を亡くした直後に書いた喪失の記録です。哲学書ではなく、悲嘆のさなかに綴られた生々しい手記として読むことができます。

ルイスは敬虔なキリスト教徒でしたが、妻の死を前に信仰は揺らぎ、神への怒りと疑いが率直に記されています。「悲しみは恐怖に似ている」という冒頭の有名な一文から始まり、周囲の慰めが届かない感覚、日常が根本的に変質してしまった感覚など、詩織が経験したことと深く重なる場面が随所に散りばめられています。

ハイデガーが「ひと」の慰めの構造を哲学的に分析したのに対し、ルイスはその慰めが届かない側の声をそのまま書き留めています。150ページほどの薄い本で、一気に読み進めることができます。

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