退職後も知的好奇心のおもむくままに本を読み漁り、世の中を独自の視点で見つめ直す元TVプロデューサー・藤原 努によるブックレビュー第18回。 中曽根弘文参院議員の「愛子さま(女性天皇)はあり得ない」という発言をきっかけに、お堅いイデオロギー論争から一歩距離を置き、本から本へと補助線を引きながら「天皇制の正統性」を問い直します。皇室ウォッチならではの醍醐味とスリリングな興奮を、元テレビ制作者ならではの軽妙かつ泥臭い視点でお届けします。

それを言っちゃ、おしめーよ。
寅さんのセリフを思わず口にしてしまいました。
中曽根弘文参院議員が、地方での講演で
「愛子さまというのはあり得ないんですよ」と発言した件についてです。
先に言っておきますが、僕は天皇制や皇室に一定の考えを持っている、とか、愛子さまは好きだけど秋篠宮家はあまり好きじゃないみたいな好悪の感情を持っている、とか、そう言うのは全くありません。
あえて言うなら、そう言う思想感情を抜きにした、好奇心いっぱいの天皇制、皇室ウオッチャーです。
その上で、寅さんの冒頭に引用したセリフは、みんなほんとうは分かっていることなんだけどそれを公的に発言してしまうと、ある意味身もふたもない状況になってしまう場合に用いられたものと理解しています。
別の例を持ち出すとすると、安倍晋三暗殺事件が起きなければ統一教会が解散に追い込まれるまでにいたることはなかっただろう、と公的に発言してしまう、みたいなことでしょうか。それは言っちゃまずいですよね。
しかし、皇室典範の改正を軸に、誰が天皇の地位を継いでいくのかに国民の興味や願望が高まっている昨今、ウオッチャーとしても通常モードで無責任に傍観しているわけにもいきません。
そんな時、たまたま新聞広告で、40代の政治学者である河野有理という人が書いた『日本史はいかに物語られてきたか』というのを目にして、直感としてこれは読まないわけにいかないなと思いました。
そこには僕も名前ぐらいは知っている作家や研究者などが、どのように日本の歴史を捉えてきたのかを丁寧に分析してくれる、そういう意味で思想的に偏りのなさそうな空気を感じたからです。
それにしても第一章が百田尚樹って、おい!と突っ込んでしまいそうな気持ちを抑えつつ読み始めたのですが、きわめて冷静沈着な河野氏は、きちんと論を進めていった結果、百田尚樹にはそもそも「史観」が存在しない、という結論につながっていくのですね。今度は、おい!と実際に口にしながらニヤッとしてしまいましたね。40代の若い学者、つかみはOKだなと思いました。
そこからはもう術中にハマって貪るように読み進めてしまいました。
僕は2005年に『情熱大陸』で政治思想史学者の原武史さんを取り上げて番組を制作したことがあるのですが、それ以来原先生の主に天皇家ウオッチものは結構欠かさずにチェックしてきました。その結果、入口は鉄道趣味だったのですが、すっかり天皇家についての歴史や正統性みたいなものにも興味を抱くようになったのです。
原先生の著作のおかげで、主に作家・松本清張が描く「清張史観」のようなものには何となく理解ができているような気がしています。
しかし今回の河野氏の本は、清張も含めて丸山真男、司馬遼太郎から西尾幹二、山口昌男、吉本隆明にいたるまで、この世界のある意味オールスターキャストの批評的紹介が続き、全く飽きるところがありません。
その中でも僕が興味を強く刺激されたのは、網野善彦でした。名前は知っていて「網野史観」という独特のものがあるらしいことは知っていたのですが、今回、網野が室町時代の後醍醐天皇を主人公に『異形の王権』と言う本を書いていたことを知り、俄然脳髄の変なところを打たれたような気がしたのです。
中学でも高校でも歴史の授業時間に、この後醍醐天皇が登場した時に、何だか変な感じがするなあ、と思った記憶があり、あれは何だったんだろうとずっと引っかかったまま半世紀近くが経とうとしていることに今さらのように気づきました。
しかし少し昔の本を読む際の読書姿勢に今ひとつ自信を持てない僕は、いきなり本人の本に手を出す勇気が出ず、ボーッと考えているうちに不意に網野善彦が宗教学者・中沢新一の叔父であることを思い出したのです。
そうだ、中沢新一がずいぶん前に新書で『僕の叔父さん 網野善彦』と言う本を書いていたな。あの当時は、何だこれ、みたいな感じでスルーしてたけど、今ならこの本から網野史観への入口ぐらいは得られるかもしれない、と思いました。Amazonで調べたら22年前の本だけどずっと売れ続けてるみたいで絶版にはなっていませんでした。
僕のこの読書姿勢、以前ここでもドストエフスキーの『罪と罰』を読もうとする際に、「『罪と罰』を読まない」と言う本を読んでさらにNHKの『100分de名著』をチェックした上で取り掛かったのと同様の態度だと捉えていただいていいと思います。少し回り道のようだけれども、本チャンの読書理解が進むのではないかと。
研究者などの本を読んでいると、たまに別の参考書籍を紹介しつつ、読者向けに理解のための補助線になるかもしれない、みたいなことが書かれていることがありますが、まさにあの<補助線>というやつです。
網野善彦は、中沢新一の父親の妹の夫になった人でした。中沢自身書いていますが、親子だと近すぎて難しいことでも叔父と甥の関係性だとできてしまうことがある、と言うのは自分にもよくわかります。
僕も両親にはできない青春的恋愛話などを、今は亡き叔母にするのがすごく楽しみだった時期があるので。
網野と中沢は、年齢は離れているけれども、中沢が子どもの頃からインテリになっていく可能性を持っていたこともあって、知的な対話を積み重ねていく機会に恵まれたようです。
それにしてもインテリの家系とはこんなことになっているのか、と言う驚きを禁じ得ないところもあります。網野は中沢が幼い頃には、この本を読んでどう思うか言ってごらん、と言ってなかなかハードな本を手渡したり、中沢が大学生になって宗教のフィールドワークをやり始めた時には、この本を読んで新ちゃんの見地から思うことを教えてくれ、と言ったりもしたようです。
冷静に読むと、ちょっとカッコよすぎじゃね中沢先生、と言う気にもなりますが。
しかし網野が、百姓の中の非農業民−現在でも通る言葉で言うと、被差別部落の人たち、というものに興味を持ち、鎌倉幕府の転覆を狙った後醍醐天皇がそういう人たちを自分たちの勢力に引き入れていったらしい、と言う説を語るのにはグッと興味が惹かれました。組織化されない非農業民は、ある意味闘争的、野生的、縄文的なところがあると言うことなのか、その中で後醍醐は武力というものも持つようになったようなのです。
そうした前哨戦的読書を経て、僕は網野の『異形の王権』を読みました。
網野善彦という人が、どういう目線で歴史を探っていったのか、その補助線みたいなものは僕も把握できていたので、ある意味スリリングな感じで読み進むことができました。
いや、それにしても後醍醐天皇、鎌倉幕府にスパイのような人物を送り込んだりもして、敗れて、隠岐に流されてもへこたれず、政治権力を奪取するためのあくなき姿勢は、今の天皇家などからは想像もつかないような生々しさとあくなき人間的情熱に溢れています。
足利尊氏に敗れて、南朝として天皇を立てる流れで本人は亡くなってしまうのですが、その後50年以上南北朝の対立が続いたのは、やはり後醍醐の意志を継ごうとした人たちが相当数いたのだろうことを想像させるし、最後には北朝に吸収される形になったものの、時がくだって明治時代になった後も、政府が皇統の正統性は南朝にあるという考えに立ったらしいことも初めて知りました。その上で、当時、南朝側が北朝側に三種の神器を渡したので、北朝がその正統性を継承したという考え方で、北朝継承のまま現在にいたっているらしいです。何だか一般人が耳にするとそれ結構ギリギリの理屈じゃないのかと思ったりもしますが、それだけ後醍醐天皇と言う人の熱量が時間を越えて伝わってきているようにさえ思えるところが凄いです。
網野は、この著作の末尾で、
(後醍醐天皇のやったことを)現在、日本社会の「暗部」に、ときに熱狂的なほどに天皇制を支持し、その権力の強化を求める動きのあることとは決して無関係ではない、と私は考える。いかに「近代的」な装いをこらし、西欧的な衣裳を身につけようと、天皇をこの「暗部」と切り離すことはできないであろう。それは後醍醐という異常な天皇を持った、天皇家の歴史そのものが刻印した、天皇家の運命なのであり、それを「象徴」としていただくわれわれ日本人すべても、この問題から身をそらすわけには決していかないのである。
と記します。
今の皇室の人たちには、いわゆる基本的人権みたいなものは存在しない特殊な立場にあるわけですが、後醍醐ほどではないにせよ、人間として何らかの考えや場合によっては情熱のようなものをお持ちである可能性もあると思います。
「国民に寄り添う」。
これが現代の天皇をはじめとした皇室に国民が希望する建前であるわけですが、その天皇が万世一系思想に基づく男系男子でつないでいかなければならない真っ当な根拠は何なのかといくら考えても答えは出てこないんだろうと思います。
しかし初代神武天皇の代から女性天皇は出ても一度も男系からずれたことはない、と聞くと、時代の趨勢の中で「女系」を容認してしまうと、確かにちょっと「惜しい」気はする。
でもせいぜいそのぐらいなんじゃないのかとも僕は思ってしまいます。そもそも初代の神武天皇が実在の人物であるかどうかはっきりしてないってのもありますしね。
そこで冒頭の中曽根議員の発言に戻るのですが、彼は続けて
「まず、愛子さまが天皇陛下になるということになったら、結婚する人もいないですよ。(中略)そして、愛子さまも、男性のお子さんを産まなきゃならないという、すごいプレッシャーもあるわけですね」
と述べて、さらに炎上してしまったわけですが、冷静に考えると、僕は、愛子さんに女性天皇をやってもらうのもワンチャンあり、という考えがこの人のどこかにあるんじゃないかという気もしました。
女系はダメだけど、一回限りの女性天皇はありなんじゃないかと。
元々天皇は、その人が亡くならないと皇嗣が継ぐことはできないはずだったのも、平成天皇の強い意志を聞いて一回限りで退位を認めるという決断を下したこともあるわけだし。
そして愛子さまがもし天皇になるようなことがあったら、彼女は誰にも何も言わず、きっと独身を通されるのではないかという気が僕はします。
まあ、そんな風に無責任にいろいろなことを考えることが許される。皇室ウオッチの醍醐味なのでありました。
とここまで書いて、去年の秋に買ったまま本棚で積ん読になりつつあった町田康『口訳太平記ラブ&ピース』を手に取ったら、484ページを一気読みしてしまいました。町田流に言うと、げっさエグくておもろくて止まらなかったのである。
後醍醐天皇が最初に隠岐に流されるまでで終わっていて、先がまだまだあるので当然続きを書くのかとも思いますが、町田康も偏屈な人だから気が乗らないとやらないのかもしれません。
そもそも町田文体が受け付けないという人もいるでしょうが、以前読んだことのある『口訳古事記』のほうはちょっと難儀した僕も、今回の一気読みはいや楽しかったです。
「マジですか。」「マジです。」
このやり取りが一体何回出てくるのか。
歴史上の人物を総まとめで小馬鹿にしているのかなどと思うなかれ。
一読の価値のあるエンタメ歴史小説だと思いました。
- 著者
- 町田 康
- 出版日
食わず嫌いを抜ける|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#17
大岡山の書店での出合いをきっかけに、元TVプロデューサーの藤原 努が女性芥川賞作家たちの「食わず嫌い」に挑む連載第17回。柴崎友香のドライな質感、多和田葉子の軽やかな怪奇譚、そして津村記久子が描くロスジェネ世代の苦悩。作品の背景にある文化や時代性を、元制作者ならではの鋭くも泥臭い視点で解き明かします。
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