『夏帆』と『けんぐゎい』とルッキズム|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#19

更新:2026.8.21

「君みたいな醜い相手は初めてだよ」——元TVプロデューサー・藤原 努による連載19回目となる今回は、村上春樹の新作『夏帆』を起点に、直木賞受賞作『けんぐゎい』とあわせて「ルッキズム」を考察。自身のシルバー婚活での決断や身長コンプレックスにも触れながら、ならではの視点で表現の真髄に迫ります。

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主人公の女性・夏帆は、初対面の男性から、これまでいろんな女性と会ってきたけど君ほど醜い相手は初めてだよ、と告げられるところから小説『夏帆』は始まります。

大袈裟でなく、現代の日本の小説世界で、この一文から書き始めて許されるのは、日本では村上春樹しかいないんじゃないかと僕は思いました。

小説を読み進めば、もちろんそういう筋ではなく、その男の一種の遊び心のような語り口であることが分かってくるのですが、これだけルッキズム、ルッキズムと言われる時代に、小説とは言え、ここまでストレートにそこに反旗を翻すようなセリフから始めるとそれだけで少なくともフェミニストと呼ばれる人たちの中には眉を顰める人も多いのではないかと想像します。

まあ同時に、春樹読者の人は、「いきなり春樹節キター!」と喝采を送ったかもしれません。

ちなみに僕はどちらかと言うと実は後者なのですが。

一説に、村上春樹の作品のこう言うところが、ノーベル文学賞を受賞できない理由の一つだなどとも言われるわけですが、当のご本人は(少なくとも表面的には)、全くそのことについて汲々としていないし、そんな姿勢がハルキストたちを余計に焚きつけてしまうという面もあるのかもしれません。

著者
村上春樹
出版日
2026-07-03

 

一方、朝倉かすみさんが書いた『けんぐゎい』と言う小説が、この度直木賞を受賞しました。

利発だが身体中、痘痕(あばた)だらけの女性主人公がたどる、人生の一代記、時代物です。

この小説の紹介文を読んだ時点で、なんにせよ読まないわけにいかないなと思ったのですが、読了して思ったのは、自分が想像していたものとはだいぶ違うなと言うものでした。

だって、ある種、悲劇のヒロインがどこまでも酷い体験をしながら、そこから多くの人を見返し、新しい道を見出し始める、みたいな物語を想像しませんかね。

まあそんなステレオタイプな内容のものが直木賞を受賞するわけがないことぐらい、少し考えれば分かることなのだけれども、そんな浅はかな想像をつい抱いてしまうのが自分のいたらなさかもしれません。

主人公の<ふゆ>は、その利発さを買われる中で、手習い所で働き始めて番頭になるまでに成長し、その一方でその店を継いだ若い<宗三郎>の美貌と立ち居振る舞いに、心身を焦がすような思いを抱き、しかしその宗三郎は、ふゆと幼なじみで抜けるように美しい<ほの>と世帯を持っているのでした。

しかしある日、誰の目にも届かない蔵のようなところで、ふゆは宗三郎に犯され、それが日常的になっていくところからこの物語は動き始めます。

エンタメ小説としての側面も持つこの物語のネタバレは避けますが、ふゆが宗三郎の子どもをお腹に宿してしまったと分かった時、蔵の中で、宗三郎がふゆに対して語る鬼気迫るような、俺すごい人間だし感とモラハラに包まれた言葉の数々は、この小説の一つの白眉になっているのは間違いありません。

この一つ前の場面で、ふゆの妊娠に気づいたほのから伝えられる言葉と繋げて読む中で、そんなご無体な!との思いにとらわれる読者も多いことでしょう。

著者
朝倉 かすみ
出版日
2026-04-22

 

ここで一点だけ小さなネタバレになってしまうのですが、今回ルッキズムについて少し考えたいとの思いもあってそこに関わることでもあるのでお許しいただきたいと思います。

宗三郎には、性癖として、身体に何か瑕疵(かし)のようなものがある女性を求めてしまう、と言うのがあるのです。

一昔前の性風俗(今でもあるのかもしれませんが)に、「ブス専」「デブ専」「老け専」などと言うものがありました。ある種そう言うエリアの延長上にあるような性癖なのかもしれませんが、僕はその研究者とかではないので正確なことは分かりません。

でも<美>という観点から見て、何かが足りていないためにそこに欲情する性癖というものが存在するのは分かります。

宗三郎のような、自身の見た目は美的に完璧と自他ともに思っている人に限ってそのような性癖を持つ、と言うのも何だかありそうなことです。

人は自分にないものを求める中で、それがコンプレックスにもなり、場合によっては性欲に転化すると言うことなのかもしれません。

 

ところでルッキズムについて考える中で、自分自身について語るのを避けるのもフェアではないと思うので、ここで僕自身のことも少しだけ語っておこうと思います。

実ははじめて告白するのですが、僕は、若い頃から自分の身長が低い(162センチ)ことが、ずっとコンプレックスになってきました。

このことを適度にいじられることで、僕は社会的立ち位置を確保してきたという側面もあります。

が、バブル世代としては、かつて男の価値が3高(高学歴、高収入、高身長)で測られたこともあったので、それを思う度に軽い敗残感に苛まれることもしばしばでした。

若い頃、たまたまスタジオの2つ並んだ公衆電話で仕事の電話をしていたら、横に藤井フミヤさんがやって来て電話をし始め、あれ?どう見てもこの人僕より小さいかも!?との思いが募り始めて、急に嬉しくなって仕事の内容が飛んでしまったことがあり、こう言う小さい話も小さい男ならではかもしれません。

ところで、僕が新卒から定年を超えるまで居続けたホリプロという会社では、毎年タレントスカウトキャラバンという新人タレント発掘のためのイベントというものがあり、これは今年もやるようでずっと続いています。

毎年いろんなコンセプトを打ち出して全国から募集をかけ、年齢制限はありますが、僕の記憶するところ容姿について言及されたことは一度もありません。

これについてはルッキズムなどと言う言葉がなかった頃から一貫してそうなのですが、でもスタッフ側の本音を言ってしまえば、容姿が一番大事であることは論を俟たないのも事実です。まあこれ前回の稿でも引用した寅さんの<それを言っちゃおしめーよ>と言う話ではあるのですが。

 

それにしても他人の容姿などについて、ここまで何も言えない世の中になぜなってしまったのか?との思いを僕は消すことができません。

 

それを誰かが口にすることによって、当人が傷つくこともあるけど、同時にその人が意識的になって何とか対処したいと前向きに考えることだってあるのではないか?

もう一つだけ、自分が経験したことの思いにおつきあいください。

僕は数年前、1年間だけシルバー婚活みたいなことをやったことがあります。それは仲介の業者によって、日曜日○○ホテルのラウンジに14時に行ってくださいと言われ、そこで苗字だけ知らされている異性の方と落ち合って一対一でお茶を1時間飲み、お互いの感触を業者に伝えて、それが双方満更でもないという結果であれば、次のステップに移っていく、というものでした。

何人か、2ステップ目に移った人もいたのですが、その中に僕より2つ年上の女医という方がいらっしゃいました。性格も素敵な方で、もう孫もいるとのことで、夫とは死に別れたけどとても幸せそうな生活を送っている様子でした。

この方からは、さらに3ステップ目に進みたいとの申し出を受けたのですが、僕はしかしお断りしてしまいました。業者の方には、あの幸せそうな生活の中に入っていける自信がない、などとカッコつけた理由を言いましたが、ほんとうは、この方の見た目が、どうしようもないぐらいおばあちゃんだった、からなのです。もっと言うと“女”としての空気がどこにも存在しないことが、僕自身を萎えさせてしまったのです。

小さい男の分際で何言ってやがる!?てなものかも知れませんが、歳がいったら皆が皆、安心できるような人を求めている、などと言うのは幻想です。

僕は幾つになってもやっぱり恋をしたかったのだと改めて気づきました。

この女性の場合は、人生の残りの安心を考えていただけで、今さら恋愛のことなんて頭になかったのかも知れません。で得てしてそのような思いが見た目にもあらわれる―僕はそのような思いを消すことができなかったのです。

 

個人的な話はこれぐらいにして、『夏帆』の話に戻ります。

多くの著名人や作家などが、この作品について感想を述べられているので、どちらかと言うと一般的な目線を離れて、40年以上に渡って春樹読者の一人としてやって来た個人的嗜好目線で少しだけ。

この小説には、武蔵境、浦和、足立区花畑などの首都圏の実在の地名が出てきます。これは東京近郊に住んでいる多くの人にはある程度共有できる感覚だと思うのですが、どの地名もそこが象徴する物や風景などを想像するのが難しい。つまり小説や映画などの舞台にはなりにくいところばかりなのです。

足立区花畑なんて、電車の駅もないし、実在するのかどうか、僕のように確かめた人も多いのではないでしょうか。

ある時期から、村上春樹はその小説に実在の日本の地名を舞台に出すようになりました。赤坂見附駅、高円寺、二俣尾、名古屋、小田原…村上春樹自身のプロフィールともたぶん何の関係もない有名無名大小の地名が、ある意味作家的文脈と無関係に立ち現れてくる。

これは想像なのですが、小説の<マジックリアリズム>ぶりをより明確に担保するために、あえてランダムにその地名が象徴する何かを読者に想像させるかのように据えていっているのではないかと僕は考えました。

ものすごく普通の日常から急に穴に落ちてしまうような、春樹独自に通底する世界観とでも言いましょうか。

実際この『夏帆』を、どれも架空の地名にしてしまったら、よりファンタジー度が高まってしまい、それは初期の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』のような感覚に近いものになっていった気もします。

今回の小説に出てくる3つの地名も、ある意味地域差別的な表現が無きにしもあらずな中、“いじり”感ぐらいで、たとえばそこに実際に住んでいる人にも悪感情は持たれることはありそうにない。

このあたりはかつて短編『ドライブ・マイ・カー』の雑誌での初出しの際に、北海道の具体的地名を出してそれがその場所を揶揄する感じがあったせいで批判され、単行本化の際には架空の地名に変更するのを余儀なくされた経験が生きているのかもしれません。

ルッキズムの話から地域差別の話に飛んでしまいました。

でも『夏帆』は、そこそこの村上春樹読者である僕にも満足できる面白さであったと思います。

武蔵境で包丁を扱う「とぎや」のあまり目つきなども良くない店主が、邪悪なジャガーに乗っとられている設定、とか、春樹節全開でやっぱり絶妙だな、とも思うし。

でもネタバレにはならないように書きますが、ラストのあの泣きはどのように捉えればいいのか。かつて村上春樹初期三部作の最後を飾る『羊をめぐる冒険』で主人公の「僕」が一番最後に泣く時、物凄く胸に迫るものがあったことを40年以上前の僕の記憶に濃厚にあるのですが、今回はそのようなことはありませんでした。

あるいは、もしかすると、初めて女性を主人公にしたことの、文学的限界なのでは?などと急に評論家めいたことも頭に浮かびましたが、これも結局春樹新作を読まずにはいられない60男の戯れ言なのかもしれません。

足立区花畑というところに行って、ちょっと歩いてこようかなと思います。

 


天皇って何|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#18

天皇って何|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#18

退職後も知的好奇心のおもむくままに本を読み漁り、世の中を独自の視点で見つめ直す元TVプロデューサー・藤原 努によるブックレビュー第18回。 中曽根弘文参院議員の「愛子さま(女性天皇)はあり得ない」という発言をきっかけに、お堅いイデオロギー論争から一歩距離を置き、本から本へと補助線を引きながら「天皇制の正統性」を問い直します。皇室ウォッチならではの醍醐味とスリリングな興奮を、元テレビ制作者ならではの軽妙かつ泥臭い視点でお届けします。

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