田中角栄のベストセラー本、名言、功績などを紹介!意外なエピソードも

更新:2021.12.15

田中角栄は日本の政治家として類稀なるリーダーシップを発揮した第64代総理大臣です。その人間的魅力は伝説と共に語り継がれています。一代で伸し上がった剛腕とも言われるその手腕と圧倒的な政治力。そんな彼の強いリーダーシップが感じられる6冊をご紹介いたします。

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「目白の闇将軍」と呼ばれた日本のドン・田中角栄

田中角栄は新潟県の農家に生まれ、高等小学校卒(現代の中卒)で総理大臣にまで出世した、今では考えられない稀代の人物です。政治家となる頃には角栄節と呼ばれる心をつかむ演説と強引な程の行動力から「コンピュータ付ブルドーザー」と呼ばれ人気を博します。

その後、「日本列島改造論」を引っ提げて遂には内閣総理大臣に就任。この「日本列島改造論」の目玉であった「高速道路」「新幹線」などの交通網の整備は正に近代日本の礎となり今に残ります。また任期中の最大の功績の一つとして「日中国交正常化」を成し遂げています。

そんな輝かしい政治人生も金権政治を糾弾され総理大臣を辞任。辞任後も「目白の闇将軍」と異名されフィクサーとして君臨していましたが、遂には「ロッキード事件」などの贈収賄事件により有罪判決を受けることとなります。その後は体調不良も起因して政治の表舞台から退きました。

75歳でその生涯を閉じましたが、その波乱万丈な人生、魅力に焦点を当てたエピソードと、彼の代表的な作品を厳選してご紹介していきます。

田中角栄の生き方、性格がわかるエピソード

1:とても暑がりだった

角栄は暑がりだったそうで、彼が大蔵大臣だった頃の大臣室は常に冷房が入っていました。幹部の間でも「上着を着て行かないと風邪を引くぞ」と言われていたそうです。

後に彼が拘置所に拘留されている時にも、アイスを自費で買えるようにしたといいます。

2:お金の援助に躊躇しなかった

角栄の派閥にいた議員がトラブルに遭ってしまい、100万円が必要になってしまうと、彼は事情を聞き、3倍の300万円を渡してトラブルから救出しています。

また、面識のない議員が300万円を必要として借り入れを頼んできだ時は、派閥が違うにもかかわらずなんと500万円を用意し、窮状を救いました。

なお、どちらにも「返却は無用」のメモが同封されていたそうです。

3:選挙のときは握り飯と決まっていた

角栄は、選挙期間中はしっかりと白米を食べると決めていました。彼が好んだのは、鮭ひと切れが丸々入ったおにぎりだったそうです。

彼は「昼から刺身だ天ぷらと言ってるやつは必ず落ちる」、「選挙のときは握り飯に限る。昔から戦には握り飯は付き物だ」と秘書に語っています。

4:勲章を与えられないまま没した

角栄は総理大臣であったにもかかわらず、叙されるはずの勲章をもらっていません。理由は、彼がロッキード事件で被告人のまま没してしまったためです。

通常は正二位・大勲位菊花大綬章(だいくんいきっか だいじゅしょう)以上の勲章が与えられます。

田中角栄が「天才」と言われるゆえんになったエピソード

1:テレビが普及するタイミングを見抜いていた

角栄が郵政大臣に就き全国民放テレビの一括免許交付に踏み切った際、「TVの受信機が90万台しかないのに大量免許が必要なのか」と野党に追及されました。しかし彼は「今後15年のうちに受信機は1500万台を越えると見込まれる」と答弁します。

そして彼の言った通り、全国のテレビ局が開局してからは受信機が大量生産され、各家庭に普及していきました。角栄は自分の決断は間違っていなかったと語っています。

2:大蔵省の新入生全員の姓名を覚えていた

大蔵省の入省式で、新入生20名の前に大蔵大臣だった角栄が現れた際、新入生ひとりひとりの手を取り「(姓名)君、頑張りたまえ」と声を掛けました。驚くことに、全員の姓名と顔を記憶していたのです。

3:盗聴を逆手に取った

角栄がロシア(当時のソ連)を訪れた際、盗聴されている旨の忠告を受けました。しかしそれをいいことに、彼は宿泊先で「石鹸が悪い」などとわざと大声で難癖をつけたそうです。

翌日、石鹸は上質なものに変わっており、「盗聴されるのもいいものだ」と言ったそうです。

田中角栄の少年期~貧困と吃音~

田中角栄は田中家の次男として生まれました。長兄が夭逝しており、姉2人、妹4人と角栄の7人兄弟姉妹として幼少期を過ごします。

家は貧しく、田中角栄の秘書をつとめた早坂茂三は著書で次のように書いています。

「お母さんはしゅうと、しゅうとめの世話から子育て、それと百姓仕事で汗を流すんだけれども、角栄少年の記憶では、お母さんの寝顔を見たことがなかったという。少年が朝、眼を覚ますと、母親はいつも起きていた。台所で働いている。夜、彼が寝るときは、いつも枕もとで繕いものをしている。それで日中は泥田に腰までつかって、百姓仕事をしているんです。働きに外へ出ている姉さんもいる。父親はあまり家にいない。こういう中で角栄少年は育った。」
(『オヤジとわたし』より引用)

著者
早坂 茂三
出版日

また、この時期は吃音に悩まされましたが、角栄らしい方法で乗り越えています。

「風呂に入って唄を歌ってるときは、いっこうにどもらない。だったら歌うように喋ったらどうなるか――というので(中略)名文家の文章を声だして、抑揚をつけて読んでみた。松島遊郭事件で有名だった弁護士、花井卓蔵の論文も歌うように読んだ。すらすらと読めた、と述懐しています。」
(『オヤジとわたし』より引用)

田中角栄の青年期~上京、起業、そして国政へ~

中学には進まず、小学校を出ると、土方や給仕などをして日銭を稼ぎ、小学校卒業から1年後、就職のために上京します。この時、田中角栄は15歳でした。

理化学研究所の大河内正敏の書生になろうと上京した角栄でしたが、紹介状などを持っていなかったため、書生になることはできませんでした。

「仕方がないので、角栄少年は日本橋にある井上工務店という、土建屋の住み込み小僧になった。朝五時、親方に起こされて、おかみさんの出してくれる朝飯をかっこんで、地下足袋を履いて、おそらく印半てんか何かを着て、リヤカーやら大八車に古材や角材を積んで、工事現場へ引っぱって行く。現場で日が暮れるまで働きづめに働く。他人様の芯のあるメシを手から口へ運ぶ人生のスタートを切ったわけです。夜は夜学に通った。中央工学校で建築・土木の勉強をする一方、神田の錦城商業や正則英語学校にも通った。夜学の掛け持ちをやっていたわけです。」
(『オヤジとわたし』より引用)

その後、1937年、19歳で独立し、共栄建築事務所を設立。1942年に結婚し、1943年には、年間施工実績で全国ランキングトップ50にランクインするほどの会社に成長させます。起業家として成功をおさめつつあった田中角栄は終戦をはさみ、1946年、選挙への立候補を打診されます。

この時の選挙で語り継がれることになる演説をするのです。

「みなさーん、こ、この新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩してしまう。そうすれば、日本海の季節風は太平洋側に抜けて、越後に雪は降らなくなる。みんなが大雪に苦しむことはなくなるのであります!ナニ、切り崩した土は日本海へ持って行く。埋め立てて佐渡を陸続きにさせてしまえばいいのであります。」
(『オヤジとわたし』より引用)

この初選挙は落選してしまいますが、翌1947年の選挙で当選し、政界入りを果たします。

田中角栄最大の功績~日中国交正常化~

田中角栄と言えば、「日中国交正常化」、「日本列島改造論」といったキーワードが出てきますが、実は議員になってからの10年間のほぼ無名の時代に「公営住宅法」、「電源開発促進法」など26もの議員立法を作っています。

そんな10年を経て、1957年には郵政大臣に就任。その後、池田勇人、佐藤栄作のもとで閣僚、党幹部として15年実績を積み上げていきました。

そして1972年、「日本列島改造論」をひっさげて内閣総理大臣になります。田中角栄がまず行ったのは日中国交正常化。田中内閣が成立してから3ヶ月も経たないタイミングでの功績でした。

なぜ首相になってすぐのタイミングでしたかと言うと、大きくふたつの理由があるようです。ひとつは「毛沢東や周恩来など、中華人民共和国の創業者たちが元気なうちに話をまとめたかったから」、もうひとつは「角栄自身が力を持っているうちに話をまとめたかったから」。

機を読んだ田中角栄のスピード感のある動きが、日中国交正常化に繋がったのです。

田中角栄待望論は石原慎太郎から始まった!?

リーダー不在の現代に田中角栄のような強いリーダーを求める声が大きくなった要因の一つとして、このベストセラー小説の存在は大きいと言えます。

著者
石原 慎太郎
出版日
2016-01-22

田中角栄の金権政治に真っ向から対抗していたのが石原慎太郎が角栄に成りきって生い立ちから死の瞬間までを一人称で書かれた小説です。小説とは言われていますがどちらかといえば角栄の自叙伝的作品です。

著者の言葉を借りれば「衝撃の言霊」として天才政治家の偉業からプライベートな一面まで赤裸々に描かれています。反角栄の急先鋒だった石原慎太郎が天才と評する政治力、発言は「今の時代に田中角栄がいたら……」と著者でなくても想わざるえません。

また、なにより物議を交わしているのが「ロッキード事件」はアメリカの陰謀によるもので角栄は冤罪であるというもの。賛否両論分かれる意見はあるものの、著者が「アメリカという外国の策略で田中角栄という未曽有の天才を否定し葬ること」「政治に関わった者としての責任でこれを記した」とまで言うほどの力作です。

角栄節が光る100の名言集!

田中角栄が角栄節と呼ばれて圧倒的な人気を博した言葉を名言集としてまとめたものです。その言葉にはリーダーとして必要な魂の言葉にあふれ、まさに人を動かすもの。現代の管理職や教育者にも影響を与えるそれらの言葉を解説付きでまとめた一冊です。

著者
出版日
2015-01-24

構成は「仕事」「人生」「生きる」「政治」の4つの章に分けられ、その一つ一つがエネルギーを持って語りかけてきます。

「人は馬鹿にされていろ、だ。踏まれても、踏まれても、ついていきます下駄の雪。」

「必要なのは学歴ではなく学問だよ。学歴は過去の栄光。学問は現在に生きている」(『田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得』より引用)

学歴にコンプレックスがあった分、粉骨努力して総理大臣にまでなった角栄だからこその言葉が並んでいます。独特の言い回しの中に、説得力のある人間味が感じられます。日本人として知っておかなくてはいけない1冊ではないでしょうか。

一番近くで見ていた女性から見た、人間・田中角栄

『決定版 私の田中角栄日記』は、角栄の秘書として、時には女として支え続けた筆者佐藤昭子の目から見た角栄とその陣営の栄光と挫折を回顧録としてまとめた作品です。

著者
佐藤 昭子
出版日
2001-02-28

著者・佐藤昭子は新潟で10代の頃に田中角栄と出会います。選挙区である新潟で秘書として働いた後、田中派の支持母体である「越山会」の統括責任者などを歴任します。その存在は角栄から絶対的な信頼を得て、後に周囲から女王とさえ呼ばれるまでになります。

また愛人としても角栄を支え、認知はされていませんが、二人の間に娘も授かります。まさに公私ともに角榮を33年支え続けた著者が女性の目線から当時の政治家達の生き様や苦悩を記録した日記です。人情味あふれる角栄の心の中を覗くことができます。

「ロッキード事件はアメリカの陰謀」だと言い切る彼女は盲目的にも思える角栄への愛に溢れる文章とも言えます。

「田中派幹部の薄情なこと。病院へは時々、顔を出しているらしいが、事務所を訪ねる者はほとんどなし」などと、晩年の旧田中派への愚痴なども考えさせられる実情や当時の世論が伺えます。

本書を読むと、剛腕政治家として印象が強かった角栄の人間性が感じられる一面を垣間見ることができます。また田中角栄という一人の人間を一途に愛した著者の心情が伺える長いラブレターとも言えます。

番記者が語る!田中角栄の入門書としておすすめの作品

田中角栄が総理大臣に就任した時に朝日新聞の番記者として至近距離にいた著者が、ロッキード事件から最後の時まで精力的に取材し、人間としての角栄の魅力を綴った一冊です。角栄の関連書の中でも評価の高いものとなっています。

著者
早野 透
出版日
2012-10-24

「わたしは初めて、政治家とはかくもエネルギーに満ちあふれた存在なのかと惹かれるものを感じた。そして思った。この男のすべてを知りたい。あたう限り、じかに見つめたい。田中角栄の何たるかをとことん理解したい」(『田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』より引用)

その情熱は自ら志願して朝日新聞の新潟支局へ移動し、角栄の地元で後援会や側近、家族からもインタビューを集めるほどです。そうした数多くの証言と膨大な資料をまとめ、田中角栄の生い立ちから総理大臣へと昇り詰めた立身出世とその後の挫折を記録。当時の日本が置かれている状況と角栄の足跡をリンクさせて作品は展開していきます。

記者から見た角栄はどうだったのか?政治家田中角栄とは?学歴など生い立ちにコンプレックスを持った角栄がどのように克服していったのか?その魅力あるエネルギッシュな言動と時代が持つ本質的な悲しさとは?疑問が尽きることない、稀代の人たらしと言われた角栄の魅力に迫ります。田中角栄の入門書には最適な本です。

今明らかになる?ロッキード事件時の田中角栄の真実

『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』は田中派の元側近で後年自治大臣などを歴任した著者がロッキード事件の真相を独自に日米で調査した作品。その調査結果を基に真実を解き明かします。ロッキード事件は米国が仕掛けた陰謀で田中角栄は冤罪であるとする衝撃的なノンフィクションです。

著者
石井一
出版日
2016-07-23

当時田中角栄は独自に日中外交や日ソ外交を行ったことでアメリカに危険視されていました。その上、当時の日本政府からも政権基盤の交代のため疎んじられており、立つ瀬のない状況だったのです。そこに利害が一致して司法も巻き込んだ陰謀が張り巡らされたというのが筆者石井の見立てです。

「『キッシンジャーにやられた』オヤジは言った。そして日本は田中角栄を失った。」(『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』より引用)

当時の角栄や関係者の肉声が生々しく表現され、公文書の収集や日米でのインタビューなどで冤罪であると証拠固めしていく手法はスリリングでもあります。自らの金権政治の実情も実名入りで赤裸々に記述されている点にも驚かされます。またそれ故にリアリティがあるレポートです。

このレポートは事件のすぐ後に著者が中心になり調査してまとめたものですが、当時の民意を考慮して未発表でした。そんな波紋の大きい作品は臨場感が感じられます。

戦後最大の汚職事件として記憶されるロッキード事件。その真相とされる本作は田中角栄個人だけではなく当時の政治家を知るための、また当時の日本を知るための貴重な資料と言えるでしょう。

人々の記憶に残り数々の業績を残してきた人物・田中角栄。未来を読む力と絶対的な行動力は今も語り継がれます。闇将軍、今太閤、金権政治、好色など様々な人間臭い側面を見せる田中角栄ですが、彼の足跡から本当のリーダーとは何か、人間としての生き方とは何かを考えてみてはいかがでしょうか。

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