精神病院と座敷牢、精神医療の源流をたどる
私は元来、人体に興味のある子供だった。その興味は人体の一部である脳に向かう。精神に向かう。この興味とSF趣味と、私自身の精神状態は、切って切り離せるものではないだろう。
19世紀のパリ。社交界で、知らぬものはいないとされる精神病院があった。ゴッホの弟テオ、大作家であるモーパッサンも患者であった。
「誰でも狂気になり得、いかなる狂人も人間として治療を受けるべき」という精神医療の考え方が花開いた時代に、“1代目”ブランシュ先生である、エスプリ・ブランシュは生まれた。彼が興した私立病院の、二代に渡る、ブランシュ親子の医療と社会と社交と芸術の物語である。
本書によると、「精神医学」という言葉は1842年に誕生したという。精神の病、狂気とも言われることがあるそれは、社会において名付け方は様々であった。狂人から患者へ。その転換は、どうしても現代に通ずる偏見に基づいたイメージが強くなってしまう。ミシェル・フーコーの言う「大いなる閉じ込め」、つまり、精神病患者を病院に閉じ込めるためだけの、新たな監獄としての役割……これは現代にも通じるイメージであり、そのイメージ通りの、負の歴史はある。
パリ郊外の高級私立病院。この恵まれた環境で当時の精神医療すべてを語ることはできない。しかし恵まれた環境だからこその“先進的”医療、人道的環境、知的階級による克明な記録を覗くことができる。
現代の基準からも、精神病患者であると思われる患者たちがほとんど、とはいえ、社会の規範から外れたものを「狂気」として捉え、入院させられることもあった。たとえば、上流階級の女性が、自我を持った場合。今ではごく当たり前の要求も、「狂気」になる時代があったのだ。
この高名なブランシュ親子は、歴史に埋もれていた存在だったという。彼らはあくまで「街のお医者さん」であった。この「街のお医者さん」を巡る重層な歴史は、当時のパリの社交界の、見逃されがちな一面を伝える一助になるはずである。
「精神病院」と同じく、負のイメージに覆われた言葉があるだろう。「座敷牢」だ。
大正時代の私宅監置、いわゆる「座敷牢」の調査書である。著者の呉秀三は「日本精神医学の父」と言われた医学者である。当時、日本でも「狂人」は精神医療化され、「病人」と認識されていたものの、精神病院の不足により、「私宅監置」は法的に認められた処置であった。その現況レポートを現代語訳したものである。原本はすべてWEB公開されているが、非常に読み難いのでおすすめしない。
この調査によって、日本の精神医療はさらに進むことになるのだが、このレポートが示すのは、当時の環境の悲惨さだけではない。膨大なデータが示すのは、「誰でも狂気になり得る」というまさに先述した事実である。裕福でも、貧しくても、上流階級でも、労働者でも。誰でもなり得る。そして病の特性上、監禁せざるを得なくなる場合もある。ただの残酷物語ではなかったのだとこの本は示している。家庭介護の悲惨さ、問題点は、まさに現代の介護問題にも通じるのではなかろうか。
一昨年、「私宅監置と日本の精神医療史」の企画展が行われた。そこで私はより深く、当時の精神医療について知ることができた。その場にあった関連書籍が『治療の場所と精神医療史』であった。病と、どう生きるか。異端者を社会から外して、そこから、なにもかもが終わるわけではない。