「維新の三傑」に数えられるほど優れた政治家であった大久保利通。しかし、暗殺という形でその生涯を終えました。彼はどんな評価を受け、なぜ殺されなければならなかったのでしょうか。この記事では、大久保利通の基本情報や、知っておきたい意外な事実、名言、そして参考になる関連本もあわせてご紹介していきます。
8つの事実をご紹介する前に、まずは彼の基本を簡単に紹介します。
大久保利通は1830年、江戸時代の終わりに薩摩国にて生まれました。幼少期には藩校造士館(薩摩藩が作った藩校、主に藩士の子弟を教育するための学校)にて学問を学びます。その学び舎には学友として西郷隆盛らの姿もありました。胃が弱いため武術は得意ではありませんでしたが、学問は抜きん出ていたという話です。
彼が頭角を現したのは1857年のこと。藩主に就任した島津斉彬(しまづなりあきら)の政策によって下級士族からの登用も多くなった頃です。大久保利通は西郷隆盛と共に徒目付となります。その後斉彬は突然病死してしまいますが、その次に就任した島津久光の信頼を勝ち取り、彼は藩の重役を負かされるのです。そして、久光のもとで倒幕に参加することとなりました。
倒幕の際の功績が認められ、利通は明治政府で参与の役に付きます。「版籍奉還」「廃藩置県」などを推し進め、さらには内務省を新設し、その責任者として内政に専念しました。しかし、徴兵令や地租改正をすすめる彼の取り組みは歓迎されたわけではなく、決して少ないとは言えない批判も付きまといます。結果的に、彼は1878年、西郷隆盛が戦死した翌年に暗殺されてしまうのでした。
利通が暗殺されたのは、1878年5月、明治天皇に謁見するために赤坂御所に向かっていた時のこと。暗殺を実行したのは6人で、中心となったのは石川県士族の島田一郎だといわれています。
島田が持っていた斬奸状に、暗殺の理由が書かれていました。なかでも大きな要因となったのは、「国のことを考えている志士を排斥して、内乱を引き起こした」ということです。このほかにも、外国との条約を改正せずに国威を貶めていることや、国会や土木業、官吏の登用について挙げられていました。
彼が暗殺された前年の1877年、西南戦争が起こっています。当時利通は、京都で政府軍を指揮していました。1878年という時期は、ちょうど不平士族の不満がピークに達していたのでしょう。西郷隆盛が失脚したことで、その矛先はすべて利通に向かっていきました。
彼を突き刺した刀は、道路にまで到達していたということです。
1:ハゲ頭を気にしていた
彼の頭頂部には大きなハゲがあり、それを気にして常に髪で隠していたそうです。早朝、客人が自宅に訪れても、髪をきちんとセットするまでは応接しなかったと言われています。
2:日本最初期のヘビースモーカーだった
彼はヘビースモーカーで知られており、日本で初めて栽培された指宿煙草を愛用していました。そのヘビースモーカーぶりは、子ども達が朝と晩にパイプの掃除をしなければ、すぐに目詰まりを起こしてしまうほどだったといいます。なお、愛用していた指宿煙草は大正4年〜終戦の期間、皇室の御料用として指定されていた良品でした。
3:日本産の紅茶栽培を提案した
日本の主な輸出品はお茶と生糸でしたが、海外では緑茶よりも紅茶の需要の方がありました。そのため彼は新しい輸出品として紅茶に着目し、栽培方法と作り方のマニュアルとして『紅茶製法書』を記しました。当時は中国の製法を真似たものでしたが、最初にできたのは紅茶とは言えないような代物だったそうです。
4:1億円の借金を作った
華美な生活などは決してせず、予算がつかない公共事業に私財をつぎ込んでいました。そのため、死後の財産が140円に対して借金が8000円も残っていて、これは現代の貨幣価値だと1億円以上になります。ですが、債権者たちは彼の金の遣い道を知っていたため、遺族に借金の返済を求めることはしませんでした。
5:利通の名言は「為政清明(いせいせいめい)」
政治を行うためには、心も態度も清く明るくあらねばならない、という意味で、国の政治に関わる者の心構えを示す名言です。
6:囲碁が趣味だった
利通の唯一の趣味と言われていたのが囲碁です。次男の牧野伸顕は父を語るエピソー ドとして、「退屈したり、頭を使い過ぎたりした時に碁を囲んでいた」という話を残しています。 当時愛用していたといわれる碁盤と碁石は国の重要文化財に指定されています。
7:利通を「水神」として祀る神社がある
福島県郡山市には、利通を水神として祀っている「大久保神社」があります。これは内務卿であった彼が、内務省の直轄事業として安積疏水を完成させたことを讃えるものです。また毎年9月1日になると、地元の人々によって「大久保様の水祭り」が催されています。
8:子煩悩な性格だった
寡黙で他を寄せ付けない威厳をもって仕事に臨む利通でしたが、 家庭では子煩悩な優しい父親であったと言われています。仕事が多忙を極めている時でも、出勤前の10分程度の時間を、娘をあやすことに充 てていたそうです。また、普段は家族とゆっくりと夕食を取ることもできなかったそうですが、土曜日には妹も招き、家族との夕食を楽しんでいました。
このように、知れば知るほど意外な素顔が見えてくる大久保利通。知恵を武器に成り上がった傑人かと思いきや、子煩悩で暖かな人柄だったり、タバコに紅茶にと無類の嗜好品ジャンキーだったり、国の借金を個人で約1億円負担するという謎のバランス感覚の持ち主だったりと、人間的な面が強く見えてくる人でもあるのです。
ここからは、より詳しく利通のことを知ることができる本を紹介しながら、もう少し彼の姿を記していこうと思います。それぞれの本の「切り口」によってその姿が違って見えることから、何冊かの本を見比べながら本来の姿やその背景に思いを馳せるのもおもしろそうです。
彼の生い立ちや政治家としての活躍がシンプルにまとめられた本です。コンパクトな新書に、複雑な幕末の政治関係が分かりやすく書かれているため、集中して彼について知ることができます。
一般的には西郷隆盛の影に隠れがちな彼について細かく記述のある本は思っているよりも少ないので、貴重な一冊であるといえるでしょう。
- 著者
- 毛利 敏彦
- 出版日
著者は、歴史学者の毛利敏彦。「明治維新史学会」の顧問を務めていて、幕末や維新について多くの書籍を発表しています。
通説では国権主義者であると言われる利通。しかし本書で事実を細かく追っていくと、また違った側面が見えてきます。彼は非常に先を見通し冷静に行動する、強い責任感があったと評価しているのです。
彼の国家に対する考え方を見て、政治家とはどのようにあるべきなのか、を思わず考えさせられます。「版籍奉還」など、歴史の授業で習った政策に関する本人の書簡なども合わせて解説されているので、彼の行動とその考えについてとてもよくわかるようになっています。
維新の三傑、大久保利通とはどのような人物だったのか、その証言集となるのがこの本です。彼と接した人々によって語られた利通像は、明治43年から新聞に96回掲載されていました。
政治家としての冷静沈着さ、強い責任感を見せる姿のほか、家庭での素顔など公私での彼を知るためにはこれ以上ない一冊です。
- 著者
- 出版日
- 2004-11-11
利通が暗殺されたのが、明治11年。本書は明治43年以降に書かれているので、彼の死後30年は経ってから書かれています。また、個人が語る内容なので間違いや記憶違いも多々見受けられることでしょう。
しかし、だからこそ、リアリティのある大久保利通像がこの本の中に書かれているのです。平面的な情報だけではなく、多角的に彼の人物像に深く触れていくことのできる内容となっています。
激情の男・西郷吉之助と、冷静冷徹な男・大久保一蔵(吉之助と一蔵は、西郷と利通の通称)。この本は、共に維新の偉業を成し遂げた幼なじみである2人の関係に迫った歴史小説です。
現在で言うところの鹿児島市、その中で育った彼らは共に学問を学びながら歴史の表舞台へと出ていくことになります。そんな彼らの友情と、それが崩れていく様を描いた作品です。
- 著者
- 海音寺 潮五郎
- 出版日
この本は、歴史小説というよりは、小説の体を成した史伝という趣が強いのが特徴です。小説の形式をとっていますが、あくまでも史実を書くことを重点にしており、創作的な要素は取り除かれています。
たとえば、血縁者として関係する人物でも名前が判明していない場合は「某」と記すなどしているため、オリジナルな名前は出てこないのです。その史実をもとにした展開の中で、幼なじみの関係を文庫にして500ページを超える文量で書き上げた読み応えのある作品です。
利通は、西郷隆盛を失脚させた、幼なじみを裏切った冷徹な男であると評価されることがある人物です。しかしこの本では、彼を誠実な政治家として捉えています。国家を思う一途な政治家であった彼の姿が、史料や著者の推測などを含めて分かりやすく解説されているのです。
時期としては倒幕から明治政府の基礎固めのあたりが重点的に描かれ、「日本をより良いものにしていく」という理想を形にしていく様子が書かれています。
- 著者
- 佐々木 克
- 出版日
著者の佐々木克は、利通の孫である大久保利謙の教えを受けた京都大学の名誉教授です。そんな著者だからこそ、一般向けに分かりやすくまとめられています。
とくに彼の政治的動向を 『大久保利通文書』や『大久保利通日記』などに残された思想なども含め解説しているので、行動の表面だけではわからない彼の考えを知ることができるでしょう。
明治維新期からの近現代史をよく理解するための史料をまとめ、解説をした本です。そのため、彼に関係する史料以外にも多くの内容が収まっています。歴史を学ぶ際に重要となってくる一次資料まで紹介する、歴史学の指南書として実に優れた一冊です。
史料の内容解説はもちろん、保管場所まで書かれているので歴史研究の際に非常に役立つのではないしょうか。
- 著者
- 御厨 貴
- 出版日
- 2011-04-25
彼自身の記述は、第1章のはじめ「大久保利通日記」の項目にあります。第1章は主に明治維新時代の内容が書かれており、サブタイトルは「英雄たちの心の内」。この一冊には全部で40ほどの日記などが載せられており、ひとつの日記に書かれている情報量は一部を除き4、5ページあたりの量でまとめられています。
利通のような政治家だけではなく、軍人などの書いた日記や、私文書までがまとめられており、内容は様々。後世の歴史的史料になると意識されているものや、私生活のことを綴ったものまであり、当時の人々の息遣いが感じられる作品です。
いかがでしたでしょうか。教科書だけでは知ることのない、偉大な政治家の経歴が分かる本ばかりです。ただ堅苦しい内容だけでなく、当時の彼がなそうとしたことを内側から考える内容となっているので、ぜひ読んでみてはどうでしょうか。