あるときはコピーライター、あるときはタレント、いやエッセイスト?そして2017年現在はインターネットメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)を主宰・運営する糸井重里。今回はそんな糸井の著作から、仕事に焦点を当てて5冊紹介したいと思います。
今回、本記事で取り上げます!と言っておいて今更ですが、「糸井重里」とは何をしている人かと問われるとなかなか難しいのです。
彼の略歴を紹介すると、1970年代半ばからコピーライターとして世間の目に触れるようになりました。糸井重里は「おいしい生活」(1982年・西武百貨店)、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」(1989年・映画『魔女の宅急便』)、「おとなもこどもも、おねーさんも」(1994年・ゲーム『MOTHER2』)。挙げだすときりがない程の数々の名キャッチコピーでコピーライターという職業を有名にした1人です。
またコピーライターとしての顔の他にも、沢田研二の楽曲「TOKIO」に代表される作詞業、設立したゲーム会社でTVゲーム「MOTHER」シリーズの制作といったクリエイティブな仕事と並行して、TVや雑誌などのメディアへの多数の出演もしていました。
そうした様々な仕事を展開してきた糸井重里は、どれもが彼の実像であるために、肩書を一言で表すことは難しいもの。そうした数々の仕事たちによって彼の魅力は醸成されてきたのでしょう。
本記事は、糸井重里の2017年現在の主要事業に焦点を当てたものとなります。1998年に開設したインターネットメディア「ほぼ日刊イトイ新聞(以下、ほぼ日)」は、2004年に1日100万アクセス、2014年には1日150万アクセスを超える規模に成長。そんなビジネスの手腕もさることながら「ほぼ日」のコンテンツを生み出し、言葉を紡ぐ人としての表現者としての顔も持っています。
糸井重里の著作はクリエイターのみならず、ビジネスパーソンでも読んで損はさせません!今回はそんな読み応えたっぷりの5冊を紹介します。
「流行っていたイトイ、流行らなくなったイトイ」(『ほぼ日刊イトイ新聞の本』より引用)と自身を振り返る1990年代後半の糸井重里。まずご紹介するのは、そんな彼がインターネットに出会い、1998年に「ほぼ日」を作り上げ、軌道に乗せるまでを著した本です。
- 著者
- 糸井 重里
- 出版日
- 2004-10-15
糸井重里本人が考えたことだけでなく、「ほぼ日」を共に創りあげてきたスタッフや投稿者、対談を行なった人達から受け取ったストーリーも登場。「ほぼ日」という新たなコンテンツ、いわば価値の創出に関わる、彼ら彼女らの「仕事」のあり方は読者に共感や得心といった様々な感情を喚起することでしょう。
せっかくですから、この本の「仕事」に関する知見から1つ引用させてもらいましょう。
「パトロンのご機嫌をうかがい、やりたいことがやれなくなってしまう。それでは新しいメディアをわざわざ自分でつくる意味がない。ずいぶん突っ張っているようだけれど、ここのところは、考えがまとまるまでは譲らないでおこうと決めていた。」
「ホラに思われるくらいの動機がなければ、すぐに程よい妥協点を見つけて落ち着いてしまうのだろう。それでは、誰の賛成も応援も得られないのだ。」(『ほぼ日刊イトイ新聞の本』より引用)
私たちが、新しい価値創出を考えるとき、もっと近い例で言えば、営業先や上司に新たな提案を行なうとき、ついつい自分の経験や蓄積の中から、できる範囲の提案で対応しようとしていませんか?けれども、ブレイクスルーを起こすには、譲れない、貫徹したい初志となるビジョンが必要不可欠なのだと、「ほぼ日」の軌跡は教えてくれています。
市場を切り開いた先駆者からのヒントを、表現豊かな言い回しで教えてくれる本書。新しい仕事に取りかかろうという人だけでなく、自身の仕事に迷いを感じている人にもお薦めしたい1冊です。
リクルートとテレビ東京。そんな組み合わせで深夜に放送されていたテレビ番組がありました。その「夜中の学校」という番組で、30分ずつ全5回にわたって放送された講義録がこの本になります。
自らを「コトバの職人」と称す、いわゆる「流行っていたイトイ」はその仕事道具である「コトバ」を題材に、読者にどんな授業をしてくれるのでしょうか。
糸井重里のイトイ式コトバ論序説
「まず最初に、『コトバはコトバの素の集まりである』ということが言えるんだと思います。」(『糸井重里のイトイ式コトバ論序説』より引用)
糸井重里はこのように、コトバとは何か、どう使われているのか、そのコトバの素がなかったらどうなるのかなど、コトバについて徹底的に、そして様々な角度から分析していきます。その深い分析には、普段から言葉を当たり前のように使ってきた私たちも思わず頷かされることでしょう。
この「コトバ」と向き合う糸井重里の手法は、言葉を使う職種に限らず、就活生や転職を考えている人の自己分析や、自社の強みは何かを把握する際に、活きてくるのではないでしょうか。広範な知見をくれる色褪せない授業、皆さんも受講なさってはいかがですか?
「人間の細胞は、一年ほどでまったくあたらしくなってしまうのだそうで、一年前の私と今の私は、ある意味で『別の私』だということになる。」
「『別の私』のために『今の私』が何かしているという図も、なかなか美しいではありませんか。もともと『今の私』も『昔の私』にとっては『別の私』なんだ」(『糸井重里のオトナ相談室 こう生きるのが正しい!』より引用)
糸井重里のオトナ相談室 こう生きるのが正しい!
これはまるでバブル時代の風土記。当時の若者達が「ビッグコミック・スピリッツ」誌上の1コーナーで、いわゆる「流行っていたイトイ」に対して行なった人生相談の投稿と、それに対しギャグテイストに、ときに真面目に回答したやり取りとの記録集です。
これだけ聞いたらわざわざ21世紀に読む価値があるのか?と思ってしまうかもしれません。確かに読み飛ばしてもいい部分や一部に蔑視的表現があることも事実です。自身で取捨選択しながら、糸井重里のエッセンスを読み解くスキルが読者に求められることでしょう。それではそのエッセンスとは?
1980年代のコピーライターとしての糸井の本を2冊ご紹介する上で、それぞれの役割をご説明するなら、先ほどの「糸井重里のイトイ式コトバ論序説」は糸井の言葉に対する基本的な考え方に触れるためのものでした。
それでは本書はというと、その言葉をどのように運用しているかを確認するためのものなのではないかと思います。糸井重里が言葉を使ってどう仕事するのか、仕事の流儀が見える1冊です。
刊行時期は21世紀に戻りまして、次の本のご紹介です。
インターネット自体ではなく、新しい社会関係・人間関係のあり方である「インターネット的であること」の可能性について説いた本書。「インターネット的」な世界とは?から始まり、そうした世界での思考法、表現方法など、糸井重里の軽妙な語り口で、大量生産・大量消費社会の次の世界の歩き方を描いてくれています。
- 著者
- 糸井 重里
- 出版日
- 2014-11-06
糸井重里は、経済力や政治力で人工的に作れる「勢い」を軸に価値を定める社会のあり方に警笛を鳴らします。自身がその「勢い」に翻弄された経験があるからか、その言葉は妙にリアルです。高速で「勢い」を創出し、高速で消費していく、大量生産・大量消費の仕事のあり方は本当に正しいのでしょうか。
「どれがいいのかを決めるための情報を知る時間や、選ぶ根拠になる流行の流れを知るための時間が決定的に不足しているのです。ですから、みんなが選んでいるものを買っておけば間違いないという買い方になります」
「力があるのに過小評価されているものを探すというのが、ぼくのいまの仕事の方法です」(『インターネット的』より引用)
不安定な「勢い」ではなく実力があるものを選ぶ、簡単なようでいて難しい仕事ではあります。出入りの営業から提案を受けたとき、理由や戦略もなく「いま一番売れています」という営業トークだけで決定していませんか?ましてや、ご自身の買い物は?それではコンテンツの中身を大事にするクリエイターは何を考え、仕事をするのでしょう。本書から読み取っていきませんか?
これは詩集か哲学書か。糸井重里が書いた原稿や言葉たちをまとめた「ちいさな言葉」シリーズ。この『ボールのようなことば。』はその「ちいさな言葉」シリーズの中から、「若い人に届けたい」というコンセプトで厳選された言葉たちがまとめられています。
- 著者
- 糸井重里
- 出版日
- 2012-05-08
人生について考えさせられたり、仕事について学びをもらったり、あるいは子どもだったころに感じていたことを共感してもらえたり。もちろん、若いときに聞いておけばなあ、というだけで、引退した人にも読んでもらいたいと思います。
言葉の掲載順すらこだわった「作品」から一部抜粋するのも無粋ではありますが、書籍名になった『ボールのようなことば。』について触れたいと思います。
「ほったらかしにしても文句もいわないで、/ボールは、待っていてくれる。//あなたにいま必要なのは、/ボールを蹴ること、ボールを投げることです。」(『ボールのようなことば。』より引用)
『ボールのようなことば。』に集めた言葉たちとは、ほったらかしにしても自分を待っていてくれる人生の寄る辺、そして全ての成長の始まりになる存在のことなのでしょう。成長したいと思っている人、成長ってどんなものだったっけと思った人、若者も元若者もぜひ、糸井重里の紡いだ言葉たちとの対話をぜひお楽しみください。
糸井重里の本を5冊、仕事という観点からご紹介させていただきました。1980年代から2010年代の本まで幅広く紹介することで、少しでも読者の皆さんの仕事の手助けになることがあれば幸いです。畏れ多くもあえて糸井重里のコピー風に言わせていただくと、「いや、きっとあります。たぶん。」