最強の武士、武田信玄を探るおすすめ歴史本5選

更新:2017.2.10 作成:2017.2.10

戦国最強の武将と言われる武田信玄について、おすすめの本をご紹介します。イメージばかりが先行する武田信玄についての実像に迫る本や笑える本もセレクトしていますので、信玄についてさらに深く考察してみてください。

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人を愛し皆に慕われた武将、武田信玄

武田信玄は1521年、甲斐国の守護である武田信虎の嫡男として誕生しました。1536年に元服し晴信と名乗ります。三条の方と結婚し、1538年嫡男義信が誕生。信虎からの愛情を感じられず、折り合いも悪かった中、1541年に不満を持っていた重臣たちと共に信虎を追放しました。そして第19代武田家当主となります。

その後村上義清との戦いが続き、大敗を経験しながらも信濃国制圧を成功させます。そして1553年からは好敵手、上杉謙信との川中島の戦いが始まることとなるのです。結局は勝ったと言われている戦ですが、多くの重臣を失いました。

武田信玄は、民のことを考え、国のために戦を行っています。カリスマ性があり皆が付いていきたいと思う武将で、戦上手でした。旗印には「孫子」に書かれた風林火山を使用しています。

1565年嫡男義信の側近が謀反を企てたことで、義信を東光寺に幽閉。四男の勝頼を後継者と決めました。1572年には三方ヶ原の戦いで徳川家康に勝利するも、1573年甲斐国に戻る途中53歳で病死してしまいます。この死は信玄の遺言により3年間秘密にされたそうです。政治的能力もあり、戦も強く、人に慕われる優れた人物でした。
 

武田信玄に関する意外と知らない5つの事実

1:法律の整備に力を注いだ

武田家の分国法として有名なのは1547年に制定された「甲州法度之次第」で、後に信玄法と呼ばれます。内容は中国古典から抜粋した道徳集という側面と、具体的な訴訟や農地、任官等の規定について説く側面があり、彼が当主として家臣団に向けて号令するために作ったものだとされています。

家臣の統制については上意下達の寄親寄子制を採用し、家臣団と領民を一体とした組織を形成していました。彼は早くからこうした制度の大切さに目をつけており、国政にも明るい人物だったのです。

2:江戸時代の貨幣の開祖となった甲州金

江戸時代は金・銀・銅の三貨幣を用いましたが、金貨のルーツのひとつは戦国時代に信玄が鋳造した甲州金だと言われています。山に囲まれた甲斐国では鉱山開発が進んでおり、灰吹法によって精錬された金を取り出すことができました。

武田氏自体は織田・徳川によって滅ぼされましたが、家康が武田旧臣の大久保長安らを重用し金山支配を任せたことから、甲斐国の金山は引き続き重要視され、幕府成立当初は特別な貨幣として重視されていました。

貨幣の流通は全国統一には欠かせないものですが、当時日本には自国で鋳造したオリジナルの貨幣はなくほぼ中国からの銅銭に頼っていました。家康は鉱山の獲得に熱心になっていて、こうした考えは信玄から受け継いだものと考えられます。

3:治水の証、信玄堤を作った

山間の国だった甲斐国ですが、甲斐盆地の底部は笛吹川と釜無川があっていずれも氾濫地帯であったため、古代から治水工事が行われていました。特に釜無川は扇状地を突き抜けて甲斐の領地に洪水をもたらす暴れ川でした。

信玄は当主就任以来この治水工事に着手し、20年ほどかけての釜無川の水流を変えました。この流れが変わった水流の勢いを落とすために作られたのが、高岩に作られた信玄堤と言われる堤防です。彼はこの堤防を維持するために竜王に移住政策を行い、治水の神様である三社神社を敬い御幸祭りを行いました。これは現在でも山梨県内の三大祭りとして知られ、全国でも稀に見る水防祭りとして有名です。

信玄堤は明治時代に1度欠損が生じたことを除き、これまで決壊したことがありません。その技術の素晴らしさは現代にも応用されており、甲州流治水方法と呼ばれています。

4:躑躅ヶ崎館に水洗トイレを作った 

武田家は代々城を構えず、躑躅ヶ崎館を本拠地としていました。そして信玄は躑躅ヶ崎館に水洗トイレを作ったと言われています。もちろん当時は自動ではなく、鈴を鳴らすと家臣が水を流すというつくりでした。

彼は厠のことを「山」と呼んでいて、そのわけを家臣が問うと、「草木(臭き)が絶えないからだ」と言い家臣が感心しています。当時、厠といったら6畳にもなる広い空間で、そこで書状を書いたり密談を行ったりと様々な活動ができました。

5:教養人でを歌や漢詩を詠んでいた
 

中世大名の教養といえば、和歌や蹴鞠といった貴族文化です。武田家は鎌倉時代からの伝統ある家なので、信玄も貴族文化を嗜んでいました。

彼は義兄弟の今川義元同様、京都から公家を招いて詩歌会・連歌会を開き、恵林寺の住職からも賞賛されるほどでした。また漢詩の内容を見るに、彼は中国古典について深く学んでいたと思われます。

武田信玄の力強い人生について知れる大作

吉川英治文学賞受賞、NHK大河ドラマの原作でもある『武田信玄』は、風の巻・林の巻・火の巻・山の巻の4巻からなる歴史小説です。信玄が父親を追放するところから、信玄の死と3年後の葬儀の様子までを描きます。

新田次郎は山岳小説を得意とし、またもともと気象庁に勤めていたことから、川中島の戦いについても山の様子や天候によって左右される場面を多く盛り込んでいます。林の巻が川中島の戦い、桶狭間の戦いが書かれている盛り上がりの巻。戦の天才謙信と秀才型の信玄の戦いぶりは読みごたえたっぷりです。私利私欲のためでではなく、民の平和のために戦を続けていた信玄を総大将とする武田軍は、統制力のある立派な軍隊でした。それでこその勝利が続くのです。
 

著者
新田 次郎
出版日
2005-04-10

火の巻からは、その後の武田家内部の争いに言及しています。嫡男、義信を愛しているもののどんどん折り合いが悪くなり、結局は愛する湖衣姫との息子である勝頼を後継者とするのです。そんな信玄の葛藤と苦悩を感じ取れるでしょう。そして駿河制圧、北条との戦いへと向かっていきます。まだまだ戦っていけると思われた中、病気で亡くなる武田信玄。戦以外の描写も多く、信長や家康も恐れた武将であった信玄の人間性を感じ取れる大作です。

軍師山本勘助を通して、武田信玄を感じる

『風林火山』は、武田家の名軍師であった山本勘助を主役とする作品です。山本勘助が実在していたかどうかというのは今でも議論されていることであり、この本での勘助が日本人の思い描く勘助とも言えるでしょう。映画化され、大河ドラマの原作にもなりました。

山本勘助が武田信玄に才能を認められ、武田家の参謀として仕官することになる話から始まります。醜いがゆえに誰からも愛されず誰も愛さず生きてきましたが、50歳を越えてから本当に信頼し敬愛する人に出会うのでした。武田信玄と側室の由布姫、そしてその息子である勝頼への熱い思い。それは第4次川中島の戦いで命を落とすまで、勘助の心の中心となるものであったのです。
 

著者
井上 靖
出版日
2005-11-16

物語の中心となるのは、勘助の信玄への忠誠心と由布姫への愛情です。武田家のために働き、その才能を多大に発揮して武田軍を勝利へ導く勘助。その軍師としての素晴らしさはもちろんですが、彼の愛憎、苦悩がこの本に深みを与えているのでしょう。人間の心理描写がうまく、信玄も由布姫も魅力的な生き生きとした人物として描かれています。

由布姫が亡くなってしまったときの、勘助が嘆くシーンは印象的です。その矛先を失った愛情は勝頼へと向かっていきます。クライマックスは歴史小説としてはあっけない終わり方と感じてしまうかもしれませんが、武田家の人間物語としては大いに感動することでしょう。
 

文書から見えてくる武田信玄の性格とは

『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像』は、古文書を読み解きながら武田信玄と勝頼の実像を明らかにしていこうとしている書籍です。古文書の読み方、戦国時代の文章の見方、解読の仕方を丁寧に説明しています。文書から読み取れる驚きの史実を知ることができるでしょう。

武田信玄は実は文書を書くのは不得意で、臆病で小心者であったそうです。信長も恐れる信玄というイメージがありますが、逆に信長を恐れていたことや信長に許しを乞うても許されなかったことなどが述べられています。信玄の三河攻めも無かったという話もあり、自分の知っていた信玄像が崩れ去ってしまうかもしれません。
 

著者
鴨川 達夫
出版日
2007-03-20

文書を読み解くというと本というと読みにくそうな印象がありますが、この本は面白く読み進められます。それは読者を引き込むような書き方となっており、それぞれの戦国武将の感情を自分自身で文書から読み取っている気持ちにさせてくれるから。古文書の勉強にも、歴史の勉強にもなる良本です。

日本史パロディで笑いが止まらない!

真面目に読んだら損をする、でももしかしたら日本史の勉強になるかも!?という日本史パロディの本をご紹介します。『【至急】塩を止められて困っています【信玄】』は、妄想メディアワラパッパ編集長スエヒロ氏の作品をまとめたもので、爆笑必至の本です。

目次だけ見てもニヤリとしてしまうものばかり。例えば織田信長のLINE、「刀狩りを装った詐欺にご注意ください」のポスター、小早川秀秋の退職メール、「巌流島の戦い」のチケット、赤穂浪士の討ち入りのしおりなどといったものが並びます。もし現代のようなメール、LINE、ツイッターといった連絡手段があったら……という内容が多いです。ポスターやチラシも完成度が高く、吹き出してしまうことでしょう。
 

著者
スエヒロ
出版日
2015-04-25

タイトルにもなっている武田信玄にまつわるものは、信玄が塩不足をQ&Aサイトに相談した場合となっています。ネットで相談したらどうなるのか、そして送ってもらったにもかかわらずもし不在だった場合の不在連絡票はどんなものになるのでしょうか。さらに「お礼メール」はどうしよう、と話は尽きません。ぜひ笑ってください。

真実の武田信玄像を見つめ直す

武田信玄のイメージといえば、戦ではとにかく強い、風林火山、合理的、民や臣下を大切にするなど立派なものが多いと思う方が大半でしょう。しかしそれは後世に作られたイメージで、実像は異なっていることもあるのではないかということを検証する本が、『武田信玄―伝説的英雄像からの脱却』です。

著者
笹本 正治
出版日

私たちの持っている武田信玄への常識を、覆すような事実が多く並びます。よく目にする高野山にある信玄画像は実は違う人であろうということを聞くと、根底から信玄像が異なってくるのではないでしょうか。さらに信玄の特徴としてあげられる「棒道」や「信玄堤」。これも偉業としては批判されています。軍事的道路「棒道」は実は信玄との関りが証明されていないこと、「信玄堤」として有名な堤防も実は信玄に限ったことではなく、どの武将も行っていたこと等が分かる内容です。

まだ完全に史実が分かっているわけではなく、これは問題提起の本です。江戸時代に書かれた甲陽軍艦によってできあがった信玄のイメージが、現代まで続いているというのはなんと大きな影響力を持つのでしょうか。それを打ち消して、本当の信玄に近づく一歩となる一冊です。

以上5作でした。実はカリスマ的で戦に強いだけではなかった武田信玄について、興味がでてきたでしょうか?さまざまな角度から知ることができる本を集めていますので、本当の信玄を知るきっかけになれば幸いです。