勝海舟のおすすめ本はこれだ!知っておきたい意外な事実や、名言も紹介

更新:2017.2.10

幕末から明治維新にかけて活躍した、徳川幕府方の役人、勝海舟。江戸城総攻撃の直前は、新政府側の西郷隆盛との交渉によって無血開城に導き、町を戦火から守ったとされています。未来を見据え卓越したその発想は、時に「天才」とも「大ぼら吹き」とも言われることがありました。この記事では、そんな彼の基本情報や、坂本龍馬との関係、知っておきたい事実、さらにおすすめの関連本まで含めてご紹介していきます。

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勝海舟の生涯。西郷隆盛と会談し、江戸城を無血開城した男

勝海舟というと、西郷隆盛との会談で江戸城を無血開城し、大きな内乱を防いだ人物として知っている方も多いのではないでしょうか。

彼は1823年、徳川幕府御家人で江戸の旗本の家で生まれました。幼名は麟太郎といいます。

まだ10歳にも満たない幼い頃、11代将軍・徳川家斉(いえなり)の孫の遊び相手として江戸城に招かれます。しかし相手方が早世したため出世の道は無くなり、その後は父親の家督を継ぎます。

父方の親戚のもとで剣術を習い、直心影流という流派の免許を皆伝。このほか、禅や兵学、蘭学を学び、知見を広げます。

特に蘭学修行中は、長崎に滞在していたオランダ商館長が執筆した『ドゥーフ・ハルマ』という蘭和辞書を1年かけて2部写本する偉業を成し遂げました。海舟が25歳の頃のことです。その後は蘭学と兵法学を教える私塾を開いています。

1853年にペリーの黒船が来航すると、幕府は今後の進むべき道を模索し、大名から一般の庶民まで広く意見を求めました。この時海舟の提出した意見書が認められて政治の表舞台に登場。その後は渡米して見分を広げるなどして、机上の攘夷論に異を唱え、海軍の重要性を説くようになっていきました。

帰国後は海軍の設立に力を注ぎ、海軍学校などの設立に尽力しています。

海舟が目指した政治は「公議政体論」といわれ、それまでの徳川幕府の独裁政治ではなく、諸藩を含めた合議制でおこなう政治を目指していました。しかし薩長をはじめとした討幕派に押されはじめ、遂には政治権を朝廷に返す「大政奉還」を迎えてしまいます。

 

 

その後も武力による徳川家討伐を目論む新政府軍に追い込まれますが、江戸城総攻撃の直前、新政府軍側の西郷隆盛と会談し、遂には江戸城無血開城による徳川家存続を勝ち取るのです。江戸の町を戦火から救っただけでなく、徳川家の滅亡も防いだことになりました。

 

 

晩年の勝海舟。死因と最期の言葉は?

晩年の彼は、新政府の大臣などに任命されるものの、そのほとんどを辞退または即時に辞任しています。

屋敷に閉じこもっている徳川慶喜の赦免や、西南戦争で逆賊とされた西郷隆盛の名誉回復などに尽力し、1899年に75歳で亡くなるまで、旧幕臣の世話や明治の世に取り残された人々の保護などを続けたそうです。

死因は脳溢血。お風呂あがりにお手洗いに行った後に倒れ、ブランデーを飲んで意識不明となったそうです。最期の言葉は「コレデオシマイ」だと伝わっています。

勝海舟と坂本龍馬の関係は?

師弟関係であった勝海舟と坂本龍馬。1862年に龍馬が、開国論者であった海舟を斬るために訪ねて行ったのが出会いとする説がありますが、近年では、正式な訪問であったことや、龍馬が斬るために訪れたとされている時点ですでに弟子であったということから、誤りではないかという説が有力です。

いずれにせよ、龍馬が海舟に心服していたことは間違いないようで、姉の乙女にあてた手紙に「日本第一の人物」と書いていることからもそのことがわかります。1863年に、龍馬の脱藩の罪(当時は死罪になることもあった)を赦免するよう、土佐藩主の山内容堂にとりなしたのも海舟です。

のちに龍馬は薩長同盟の立会人になりますが、薩摩藩の西郷隆盛と龍馬を引き合わせたのも海舟。坂本龍馬の活躍は勝海舟なしにはありえなかったと言っても過言ではないでしょう。

勝海舟の知っておきたい意外な事実!

1:福沢諭吉と仲が悪かった

渡米する際、「咸臨丸」という船に同乗していた福沢諭吉と勝海舟。しかし諭吉は、海舟が船酔いで船室にこもって出てこなかったことや、借金の申し入れをして断られたこと、また、旧幕臣でありながら新政府に仕えたことなどの理由で、彼のことを嫌っていたようです。『瘠我慢の説』という書簡では、海舟のことをおもいっきり批判しています。

しかし一方の海舟は、諭吉のことを学者として尊敬し、評価していたようです。

2:女好きだった
 

愛人が5人ほどいたそうです。諸説ありますが子供は9人ほど。それでも家庭はうまくいっていると海舟は考えていたようです。

3:犬にトラウマがある

9歳のころに犬に睾丸を噛まれて、50~70日ほど生死の境をさまよったと言われています。

勝海舟の名言

西郷隆盛との会談で、江戸城を無血開城した勝海舟。ことを成し遂げるために大切な心構えとして、次の名言を残しています。

「こと未だ成らず、小心翼々。ことまさに成らんとす、大胆不敵。こと既に成る、油断大敵。」

まず「こと未だ成らず、小心翼々。」ですが、この小心翼々というのは、慎重に細かい配慮をすることを意味しています。「こと未だ成らず」、つまりまだことを成し遂げていない時、これから何かを始めようとする時は、徹底的に準備をして慎重に動かなければなりません。

次の「ことまさに成らんとす、大胆不敵。」は、「ことまさに成らんとす」、つまりいざ何かを実行するその時は、不安がっていないで大胆に遂行するべきだと言っています。

そして最後の「こと既に成る、油断大敵。」は、ことを成し遂げある程度軌道に乗ると、安心して間違いを起こしがちなので、そういう時こそ気を引き締めるほうが良いとのことです。

強硬論者だと言われていた西郷を徳川の助命に持ち込んだ海舟は、この言葉を胸に刻んで交渉に臨んでいたのではないでしょうか。

またこの心構えは、現代に生きる我々にも十分当てはまります。たとえば仕事で何かを始めようとするとき、計画時、実行時、実行後と時間軸を分けて考えると、道を踏み外すことも少なるのではないでしょうか。

もうひとつ彼が残した

「事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。」

という言葉も、地道にコツコツと物事を遂行していく彼の生きざまが表れていて、参考にしたいものです。 
 

歯に衣着せぬ勝海舟の回顧録『氷川清話』

『氷川清話』は、勝海舟が晩年、隠居先の東京赤坂氷川の自宅で、幕末の見聞きした事柄を通っていた記者などに語ったとされる回顧録。実名での維新の英雄への人物評や政治に関する発言は、辛辣であり豪快で、現代に読まれても飽きない名作です。

特に人気なのは人物評。坂本龍馬、木戸孝允、西郷隆盛、伊藤博文などの明治維新の立役者はもちろんのこと、北条早雲などの歴史的人物、影響を受けた佐久間象山、また清国の王族にまで及ぶ海舟の人物評は、歴史好きにはたまらないこぼれ話が満載です。

著者
勝 海舟
出版日
2000-12-08

本書は勝海舟らしい江戸言葉で綴られていて、明治の文章ですが読みやすい作品です。また現代語の解説もついていますので、かしこまらずに読むことができます。当時これだけ好きなことを言える批評家はこの人しかいなかったでしょう。後にさまざまなドラマや作品で自由人として模写される海舟の人物像は、この作品が基になっているのではないでしょうか。

当時、海舟の発言は、大ぼら吹きとも大噓つきとも言われていたようです。確かに自慢話に近い話も多く、説教じみた言葉も多々あります。しかし、彼は紛れもない維新の英雄。その言葉には、国を愛する気持ちとやさしさが見えるとも言えるでしょう。

第一人者が描いた勝海舟の長編小説

時代小説の第一人者、子母沢寛の長編小説です。海舟の目を通して描く幕末の動乱と数奇な運命を迎える人たちを描いた名作で、全6巻の大作ですが、幕末に興味がある人ならぜひとも揃えたいシリーズになっています。

歴史的事実とフィクションが織り交ざっていますが、坂本龍馬や西郷隆盛など幕末の英雄たちの記述は魅力的で、海舟との関係を知ることができるでしょう。
 

著者
子母沢 寛
出版日
1968-12-03

また、動乱の幕末においても特に悲劇的な彰義隊の戦いや、会津戦争なども、滅びゆく徳川幕府の最後の灯として描かれています。この時代を生き、信念のもと散っていった人々と、その時代に終止符を打った勝海舟との因果が見事な叙情で書かれているのは、さすが子母沢寛であり、ファン必読の本です。

物語は幼少期、勝麟太郎と呼ばれていたころから始まります。黒船来航から激動の時代を飄々と見えながらも、心に熱い真義を持つ彼の生き方には、現代でおいても困難に直面した時に立ち向かう勇気がもらえるはずです。
 

粋な晩年を過ごした敗軍の将

『それからの海舟』はタイトル通り、江戸無血開城を果たした後の勝海舟を描いた作品です。著者の半藤一利は自他ともに認める薩長嫌い。作中全般に海舟を美化しているので、ファンによるファンのための本とも言えるでしょう。

海舟を語る多くの作品でのクライマックスは、西郷隆盛との交渉により江戸城を無血開城し、戦火から江戸の町を救ったことでしょう。しかし、勝海舟は明治維新後も徳川家存続の為や、旧幕臣の生活を支える戦後処理に尽力しました。この作品はそこに注目して、人間としての魅力に迫る作品です。
 

著者
半藤 一利
出版日
2008-06-10

作中には勝海舟自身が語ったとされる『氷川清話』を多く引用し、現代の江戸言葉でわかりやすく彼の心情を表しています。

「今の大臣などは、(中略)ただ先輩の尻馬に乗って、そして先輩も及ばないほどの富貴栄華を極めて、独りで天狗になるとは恐れ入った次第だ。先輩が命がけで成就した仕事を譲り受けて、やれ伯爵だとか、侯爵だとかいうような事では仕方ない」(『それからの海舟』より引用)

などと、新政府に意見する豪快な言い分に、痛快さを感じる楽しい作品です。この痛快さは、負け惜しみを超えた勝海舟節の真骨頂でもあるでしょう。

軽快な口調で語る稀代の政治家、勝海舟

『新訂 海舟座談』は海舟が晩年、自身が語った回想を筆録者の巌本善治が書き残した作品です。座談形式で書き残された本書は、海舟の軽快な口調が印象的で彼の人柄が滲み出ています。

死期が近づいていた勝海舟は、それがわかっているかのように、明治政府への不満や自身の行いを、一気に聞き手に語ります。筆録者の巌本は、氷川の海舟の自宅に通いその証言を記録しており、現代に伝わる幕末の人間模様や、人物像を探る貴重な史料です。
 

著者
出版日

勝海舟は、語りの中で明治政府をよくは思っていなかった発言が目立ちます。例えば、初代内閣総理大臣で、一昔前には千円札にも印刷されていた伊藤博文に対して、小者と言い放つ大胆さは驚くべき発言です。他にも西郷隆盛や坂本龍馬など、かかわりのあった人物の話は、まるで宝探しのような楽しみを感じる本となっています。

貧しい御家人の家に生まれた勝海舟は、その才能を見込まれて出世していく立身出世の人物ですが、本人から語られる言葉も少し自慢げな様子が見受けられます。稀代の政治家にして、幕末の英雄の素顔に触れることができる、作者渾身の作品です。
 

勝海舟の名言から学ぶ

本書は、幕末期の政治家としてさまざまな功績を残した海舟の名言集です。彼は晩年、自身の生きてきた過去を語り残していますが、それらの談話を時系列にまとめていて、勝海舟という英雄の生きざまと、そこから見えてくる現代にも通じる「義の精神」が読み取れます。

著者
勝 海舟
出版日
2004-10-09

勝海舟は、結果的には敗軍の将で、戦後処理をおこなった人物とも言えます。貧しい御家人の家に生まれ、学問の才で幕府の重臣として出世していきますが、時代の流れは明治維新を迎え、主家の徳川家は滅亡の危機を迎えました。

そんな危機を、勝海舟は降伏交渉の徳川代表として立ち回り、最小限の損害で終戦させるのです。明治維新後も徳川家の再興と旧幕臣の保護、西郷隆盛ら明治政府に反旗を翻した人たちの名誉回復などに尽力し、勝者側の明治新政府へ苦言をのべ続けます。

このような気骨ある精神と、その軽快な口調で語られる言葉には、今のビジネスシーンや政治にも通じる正義が読み取れます。さまざまな場所で問題を抱え戦っている現代人にとっては、本書にある言葉が、明日を戦う勇気になるかもしれませんよ。
 

信念と行動力に溢れ、不思議な魅力をもつ勝海舟。動乱の時代をしたたかに生き抜いた稀代の政治家であり、西郷隆盛、坂本龍馬をはじめとした幕末を彩る豪華な交友関係は話題に事欠きません。彼から発された言葉は勇気がみなぎるエネルギーになるでしょう。