宮本武蔵の本おすすめ5選。五輪書の名言。佐々木小次郎との決闘

更新:2017.2.21

誰もが知る巌流島の戦い。その登場人物の一人は、剣を極めることに生涯を捧げた宮本武蔵。創作ではなく実在の人物です。戦国末期から江戸時代にかけて活躍した剣豪の生涯や、彼の著書『五輪書』についてもわかる5冊をご紹介いたします。

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グローバルに知られる戦国武将、宮本武蔵とは

宮本武蔵はおおよそ1584年に生まれたとされています。出身地には諸説ありますが、播磨国(兵庫県)、もしくは美作国(岡山県)宮本村の2説が有力です。その生涯は戦いと修行の日々で、両手に刀を持った二刀の使い手として広く知られています。

二天一流兵法の開祖であり、著書である『五輪書』は、剣術の極意のほか、兵法についても記された名著です。また、多くの水墨画や工芸品を残したことでも知られており、「紙本墨画鵜図」(永青文庫所蔵)などは重要文化財に指定。多才な人物だったことが窺えます。

13歳から決闘を行っていたという武蔵。1600年、関ケ原の戦いで父の新免無二は東軍の黒田家に仕官し奮戦しました。記録には残っていないものの、父とともに関ケ原の戦いに参加したのでは、との説も。その後京都を中心に決闘と修行の日々を送り、かの有名な巌流島の戦いもこの頃の出来事だといわれています。

1614年より勃発した大阪の役(大坂冬の陣、夏の陣)では、徳川方の武将水野勝成の客将として参戦。その後は播磨や明石、尾張など、藩主に求められるがまま剣術を指南し、各地を転々とする中で迎えた養子の宮本伊織を播磨明石藩主だった小笠原忠真に仕官させます。

1638年、豊前国中津藩主となった小笠原長次の後見として島原の乱に出陣。1640年に肥後熊本藩主細川忠利に客として迎え入れられ、屋敷や給料(7人扶持18石に合力米300石)を与えられた、破格の待遇を受けます。この千葉城の屋敷にいる間に、多くの書や工芸品が作成されました。

1643年から金峰山(現熊本市郊外)の霊厳洞で『五輪書』の執筆を開始。亡くなるまでにいくつかの文書を残し、1645年6月13日、その生涯を閉じました。逸話の多い生涯は多くの人に愛され、創作などにもたびたび登場する、人気の高い人物です。『五輪書』はアメリカのビジネスマンに愛読者が多く、武蔵思想は海を越えて広がり続けています。

宮本武蔵にまつわる逸話3選!

1:180cm以上の高身長だった 
 

歴史上の人物のなかでも高身長だったことで知られていますが、その身長は6尺ほどもあったと言われています。1尺が約30.3cmなので、180cmを超えています。当時の男性の平均身長が155cm程度だったことを考えると相当な大男です。

2:武蔵が使っていた刀とは?

武蔵が実際に使っていた刀は、現在熊本県の島田美術館に収蔵されています。無銘の「金重」という刀で、吉岡一門を打ち破った時に使用したものと伝えられて います。その他にも「大和国住国宗」「武蔵了戒」などを使っていたそうです。

3:宮本武蔵の死因とは 

剣の道を突き進み、無敗の強さを誇った武蔵ですが、 死因は病死だったとも老衰だったとも言われています。 『五輪書』を執筆していた「霊厳洞」で最期を迎えようとしていましたが、 家老たちに頼み込まれ、細川家の座敷で多くの人々に看取られ息を引き取りました。

宮本武蔵にまつわる驚きの逸話3選!

1:29歳まで負けなしだった

自著『五輪書』に、若かりし頃の輝かしい戦績を記しています。それによれば、13歳で初めて新当流・有馬喜兵衛と決闘して勝利したのち、 20代までに60回以上の勝負をして、すべてに勝ったといいます。驚異的な強さです。

2: 生涯風呂には入らなかった

武蔵の風呂嫌いで有名でした。『渡辺幸庵対話』の中には「武蔵は行水が嫌いで一生沐浴しなかった」といった記載があります。ちなみに、外を歩く時も裸足だったそうです。

3:武蔵の恋人「お通」は架空の人物だった?
 

武蔵をモデルにした小説や漫画に必ずと言って良いほど登場する武蔵の恋人「お通」。もともとは吉川栄治の小説『宮本武蔵』に登場するヒロインで、さらにその「お通」のモデルは安土桃山時代の女性芸術家だそうです。

つまり、実際には武蔵を恋い慕うお通という人物は存在しなかったのでした。武蔵の小説ファンにとっては、少し残念な真実かもしれません。

現代語訳で『五輪書』が丸わかり!

『五輪書 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ5)』作者の城島明彦は1946年生まれの作家であり、ジャーナリストでもあります。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東宝株式会社を経て1973年ソニーに入社します。1983年に「けさらんぱさらん」で文芸春秋「オール読物新人賞」を受賞し、作家デビュー。

少女向け小説のレーベルである集英社コバルト文庫や、光風社、扶桑社などで小説を発表する傍ら、『ソニー燃ゆ』といったノンフィクション作品やビジネス書も発表。ジャンルにとらわれず、多くの作品を残している作家です。

著者
宮本武蔵
出版日
2012-12-03


そんな彼がとにかく日本の名著をわかりやすく読者に伝えようとした「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」の5作目である本書。『五輪書』を現代語に訳したほか、内容をかみ砕いて書いてあるため、より宮本武蔵の思想が理解しやすい状態になっています。『五輪書』が書かれたのは江戸時代。現代人では単語はある程度単語の意味は理解することができますが、内容を理解することは難しく、このシリーズに収録されるべき内容であり、現代語訳が必須な1冊です。

『五輪書』は地水火風空の5巻構成。地之巻は序文と総論、水之巻は剣術について、火之巻は戦術論、風之巻は他の流派の話、最終巻である空之巻の兵法の本質とはという内容で締めくくられています。兵法書なので当然武器の扱いや、敵を倒すための術が書かれていますが、武蔵自身の武勇伝が書かれているのが面白いところ。実力に裏打ちされた思想であることがより一層伝わります。

兵法書ではあるものの、その哲や精神が現代に通じる部分があるのが『五輪書』。空之巻は剣術に向かうための精神論を語っており、「空を道とし、道を空と見る生き方をすべき」という一文を、本書では「知力と気力を磨き上げることで、迷いなき晴れた心こそ真の空と呼べる」(『五輪書 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ5)』より引用)と訳しています。

人の心の持ちようはいつの時代も変わらないもの。己を磨き上げたその先に、求めていた姿があると武蔵は説いているのです。

武蔵が生きていた時代は剣で身を立て、命のやり取りも行われていました。現代では、社会で生きるために、様々な術を身に着けていかなければなりません。知識は人から得ることができますが、心の在り方を改めて学ぶ機会はなかなか無くなってきます。『五輪書』は武芸者だけではなく、現代人の心の道すらも示してくれる書です。現代語訳でより身近になった武蔵の精神に触れてください。

人気作家、司馬遼太郎が見た宮本武蔵とは?

本書の作者、司馬遼太郎は1923年大阪府大阪市の生まれです。筆名は、中国前漢時代の歴史家、司馬遷に及ばない日本の者、という意味でつけられたもの。1942年に旧制大阪外国語学校蒙古語学科に入学するも、1943年11月に学徒出陣により仮卒業。1945年本土決戦のために移動した栃木県佐野市で、陸軍少尉として終戦を迎えます。

復員後は新聞記者として活躍し、作家デビューは1955年。本名の福田定一名義で『名言随筆・サラリーマン』を出版。司馬遼太郎名義では、1956年講談倶楽部賞に応募した『ペルシャの幻術師』が受賞、称賛を受けます。当時は伝奇小説を書いており、山田風太郎と並び将来を嘱望される書き手として注目を集めていました。

そして1960年『梟の城』で直木賞を受賞。1962年より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』など、人気歴史小説を次々と発表。「司馬史観」と称される独自の歴史観が読者に支持され、人気となります。1993年には文化勲章を受賞しました。

1996年に腹部大動脈瘤破裂のため72歳で死去。司馬遼太郎はNHKの大河ドラマの原作に、最も多く選ばれた作家です。交友関係も広く、同時代に活躍した池波正太郎は親友で、愛読書は『鬼平犯科帳』だったのだとか。意外にも宮崎駿監督の『となりのトトロ』などを高く評価しており、対談なども行われています。

司馬遼太郎は武蔵を主人公とした短編小説『真説宮本武蔵』も執筆しています。本書は武蔵の人生を追いながらも、独自の考察が加わった、まさしく司馬遼太郎の目から見た武蔵像を楽しむことができるものです。

著者
司馬遼太郎
出版日
2011-10-07


作品は、司馬遼太郎自身が武蔵の生家を訪ねるところから始まります。取材し、文献などの資料から感じ取れる武蔵を、徐々に紙面に映していきます。生まれてから13歳の決闘、佐々木小次郎との戦いから晩年まで。数々の逸話を英雄として崇めるのではなく、ただ淡々と事実を記載していく文面から、武蔵をより深く知ろうとする司馬遼太郎の意志のようなものが感じ取れます。

本作では小説ならではの展開は少なく、あくまでも「司馬遼太郎が資料から感じた武蔵像を描く」ことに徹底しているところが特徴です。経済に明るく、客を丁重にもてなすなど、礼節を重んじる姿が描写されるのは、他作品では見られません。

出世欲があるというのは意外でしたが、勝負ごとに強いという姿は、まさしくイメージする武蔵像そのもの。様々な顔を見せる武蔵が、創作の中のキャラクターではなく、人間として読者の中に浮かび上がってきます。

諸説ある巌流島の戦いについても言及されている本作。天才と呼ばれた宮本武蔵という人物を、稀代の歴史小説家の目から見られる、貴重な一冊です。

長年愛されてきた宮本武蔵小説といえばこれ!

吉川英治は1892年神奈川県で生まれました。新聞連載を中心に作品を発表し、市民から大きな支持を得ている大衆作家です。幼少期は不遇であり、父の事業の関係で神奈川県内を転々。事業の失敗や裁判沙汰で家庭が荒れ、異母兄との不仲もあり、作文の才を認められながらも小学校を中退。独学しながら職業を転々とします。

1910年に上京、浅草に住み始めます。小説の公募をしており、1914年に『江の島物語』が『講談倶楽部』に3等当選。講談社の賞にも小説3編が入賞します。1921年より東京毎夕新聞社で『親鸞記』などを執筆するも、関東大震災が発生し、新聞社が解散。『面白倶楽部』で『剣魔侠菩薩』を連載し、専業作家としての生活が始まります。1925年より吉川英治の名前で作品を発表しますが、その発端は「吉川英次」を出版社が誤植してしまったのを、本人が気に入って筆名にしたのだとか。

『坂東侠客陣』や『神洲天馬』が多くの読者を獲得し、一躍人気作家になったあとは、歴史ものや伝奇小説などを執筆。1935年8月より朝日新聞で本作の連載を開始、連載は1939年7月まで続けられ、人気を得た作品となりました。

本作の連載終了の翌月より中外商業新報(現在の日本経済新聞)で『三国志』の連載を開始します。他紙にも『源頼朝』や『梅里先生行状記』を連載。1942年より海軍の戦史編纂に携わります。敗戦後はショックのあまり、筆が取れない日々が続きました。

親友の菊池寛の求めにより、『高山右近』『大岡越前』を執筆。1950年より7年にも及ぶ超大作となった『新・平家物語』の連載が開始されました。その後『私本太平記』などを発表し、1960年に文化勲章を受賞。『私本太平記』連載中に肺がんを患い、1962年に70歳で死去しました。

著者
吉川 英治
出版日
2013-01-28


武蔵の小説といえば、作品が発表されてから80年以上が経過しても、やはり吉川英治のものが良いという声が多く聞かれます。実は現代人の持っている武蔵像や巌流島の戦いの知識は、吉川版『宮本武蔵』が元になっているといわれているほど。武歳の幼名である「たけぞう」は、史実に記載はなく、「時間に遅れることで小次郎をじらし、船の櫂を武器に戦った」といわれている巌流島の戦いでは、武蔵は遅刻していないというのが定説です。

とはいえ、基本的な流れは史実に添っている本作。関ケ原の戦いから佐々木小次郎との巌流島の戦いまでが書かれていますが、主題は武蔵の人生を追うのではなく、人間的成長を書くことにあります。そこに幼馴染の又八やお通、沢庵和尚といった魅力的なキャラクターが加わることにより、一層宮本武蔵の生涯が華やかなものになっていくのです。

吉川の書く武蔵は、父無二斎の教育のせいか、手の付けられないほどの乱暴者として登場。裸一貫で関ケ原から故郷に戻りますが、粗暴故に厄介者扱いをされてしまいます。騒動を起こした時に放浪していた僧の沢庵宗彭(たくあんそうほう)と知り合いますが、罰として白鷺城に3年間幽閉されてしまうことに。ひたすら書を読み続けた武蔵は学問に目覚め、己を見つめなおしたことで人間的に成長し、やがて兵法鍛錬の旅に出ます。

新聞連載だったこともあり、読者をつかんで離さない物語の引きが見事な本作。武蔵の勢いそのままに、グイグイと物語の勢いに飲み込まれていきます。国民的作家の紡ぐ武蔵の物語、至高の時間をお楽しみください。

美麗かつ迫力のある絵に引き込まれる!

『バガボンド』作者の井上雄彦(たけひこ)は、1967年鹿児島県生まれの漫画家です。1988年に集英社主催の新人漫画賞「手塚賞」に、本名、成合 雄彦で応募した『楓パープル』が入選し、デビュー。1990年に井上雄彦に改名し、『SLAM DUNK』(コミックス全31巻)の連載を開始。バスケットボールブームの火付け役となります。

1998年から講談社「モーニング」にて宮本武蔵を主人公とした『バガボンド』の連載を開始。同時期である1999年に集英社「週刊ヤングジャンプ」にて車椅子バスケットボールを題材とした『リアル』の連載(不定期)を開始します。

2002年手塚治虫文化賞マンガ大賞や、2009年文化庁芸術選奨新人賞など、各漫画賞を多数受賞している井上雄彦。2006年にはバスケットボールへの感謝を表したい、バスケットボールのプロ選手を目指す日本の高校生を支援するため、「スラムダンク奨学金」を設立し、話題となりました。

そんな井上雄彦の作品『バガボンド』は、宮本武蔵を主人公とし、その生涯を描いていく作品です。2014年7月に37巻が発売されて以降、2017年2月現在まで新刊は発売されていませんが、多くの読者に続刊が待ち望まれています。ちなみにタイトルの『バガボンド』とは、英語で「放浪者」や「漂泊者」という意味。

著者
井上 雄彦
出版日
1999-03-23


本作は吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作にしており、史実ではなく吉川版の流れに沿って物語が進んでいきます。しかし、井上雄彦独自の解釈やアレンジが加えられており、小説版に登場する武蔵の姉がいなかったり、佐々木小次郎が聴覚に障害を持つ、ろう者であったりと、随所に違いが出ているところも楽しめる点です。

コミックス1巻から13巻までは武蔵編となり、立身出世を目指して幼馴染とともに故郷の村を出た武蔵(たけぞう)が、沢庵や宝蔵院胤栄(ほうぞういんいんえい)、柳生石舟斎(やぎゅうせきしゅうさい)らと出会ったことで、武芸者としても、人間としても成長していく姿が描かれました。14巻から20巻は佐々木小次郎にスポットが当てられた佐々木小次郎編。21巻からは戦いや出会いの中で、武蔵たちが葛藤し剣の道を究めようとするさまを描いていきます。

読者の年齢によって、バトルもの漫画として読むか、哲学的な作品として読むか、感想が大きく変わる本作。長期連載となり、井上雄彦が年齢を重ねるごとに、物語により深みが増していきます。なによりもこだわっているのは、絵の表現。水墨画的なタッチは力強く人物を躍動させ、生命すら感じさせます。現役漫画家最高峰とも称賛される画力から生み出される人々の生き様を、リアルに感じられる作品です。

史実から探る本当の宮本武蔵像

『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』の作者、魚住孝至は、1953年生まれの倫理学や日本思想を専門とする学者です。1978年東京大学文学部倫理学科を卒業、1983年に同大学院人文科学研究科博士課程の単位を取得し、退学。1984年に国際武道大学専任講師、助教授を経て2014年に放送大学教授に就任しました。日本思想に造詣が深く、宮本武蔵に関する書を数多く発表しています。

宮本武蔵は実在の人物ですが、今世に伝わる逸話の多くは創作だといわれています。それだけ吉川英治の描いた武蔵像の印象が強かったということでしょう。それに対して歴史的資料から本当の武蔵像を探っていこうと試みているのが魚住孝至作『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』です。

著者
魚住 孝至
出版日
2008-12-19


本書は武蔵が記した『五輪書』を核に、数少ない歴史的資料を分析、創作の中に埋もれてしまった本当の武蔵の姿を、浮かび上がらせていきます。資料を読み解いていくと、文武に加えて芸術の才も求められ、さらには礼儀作法にも明るいという、地に足の着いた武蔵が現れてくるのです。

武人というと死すら厭わないというイメージがありますが、魚住孝至は「武蔵にとって「死の覚悟」など当たり前で言うべきほどのことでもなく、負ければ死という中でいかに勝つか、どんな場面でも勝てる実力をいかに付けるということこそが、何より大事」(『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』より引用)と分析し、知性があり、精神的に成熟している面を強調しています。

魚住孝至の並々ならぬ武蔵への思い入れが感じられる一冊。創作と現実が曖昧になった宮本武蔵の実像をくっきりと浮かび上がらせる、意欲にあふれた作品です。

現代でも人気の高い宮本武蔵。創作では人を楽しませる剣豪に、自身の思想を語った書は、迷える人を導く光にもなります。皆それぞれに武蔵に抱く思いがあり、その心が表現された作品ばかり。様々な武蔵像に触れ、自分好みの武蔵を探すのもまた一興ですよ。

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